【前篇】より続く。
全面的に煉瓦で巻かれた洞内は、
驚くばかりの状態の良さ!
例えばこんな感じでイギリス積みの側壁、長手積みのアーチ部を切り取ってみても、
120年前の隧道だとはとても思えない。
ただ、側壁部のあちこちで
このような穴が設けられていた。
オリジナルなのかそうでないのかは不明だが、おそらくは水抜き穴なのではないかと。
ここまでを見てきておわかりいただける通り、
隧道そのものには、なんら瑕疵は見られない。つまり、この旧道が放棄された原因は、隧道ではなかった、ということだ。
なんなら、保守なしでここまで状態のいい明治隧道なんてどんだけあるのかと考えれば、施工者たちは素晴らしい仕事をしたと言える。もちろん、地元の有志の皆さんが隧道保全に力を入れてくださっていることも非常に大きいだろう。
さて、まもなく隧道を抜ける。
絶品すぎる、鉄板の構図。
120年前の隧道から望む、その先は…
道がなくなっている。
マトモな写真を撮ってないのが悔やまれるが、隧道を出たところで路盤が大きく崩落、道がなくなってしまっている。そう、ここから先、隧道東側の路盤が大きく損壊したことが、初代隧道を含む旧道がわずか11年で放棄された理由だったのである。
苦労して建造した、かくも立派な隧道を諦めて、新しく道と隧道を造ることを選択するというのは、当時の土木技術では到底復旧できないほどのダメージがあったからに他ならない。
ちなみにこの崩落旧道も、地元の方々の熱意で補修され、徒歩で抜けられるようにはなっているようである。もちろん危険個所はあるようだし、自分では歩いたことがないので、興味のある方は各自現状を調べてくだされ。ちなみに旧道は、坂場トンネル尾鷲側で現道に合流する。
さて、抜けて振り返り。
おりしも朝日が直射で隧道を照らす。カッコイイが、写真は撮りにくい…(笑)。
コチラ東側の扁額は、
「坂下隧道」。揮毫者は判読できないが、こちらも小倉知事か。
少し引くと、この感じ。
倒木が折り重なって、まともにポータルが拝めなくなる。
ここが限界ギリギリ。背後では
スッパリ切れ落ちての断崖絶壁。
ド逆光すぎてピントが合わなかったが、朝日に煌めく尾鷲湾までが一望できた。
ここから二枚は2011年4月23日の夕刻、四国からのスペシャルゲストをお迎えしての紀伊半島ハードコア接待で訪れた際の写真。
何人いたんだっけか。わたくし入れて8人?9人?くらいか。
雨の夕刻ということで、洞内もこの通り、
同業者あるあるの「心霊現象」(笑)。
いや、湿度が高く風が吹いていない洞内でフラッシュ撮影すると、こうなるのですよ…。まあこの日もまともな写真は撮れず(笑)。
最後はまた2010年2月の写真で、
撤収の一枚。
改めて記事にして見ると、まあとにかく写真が酷い。でもまあなんとか、ずっと出しそびれていたネタをリリースできてよかった。
ここもまた、いつか撮り直しに行きたい。その際には旧道東側も踏破して、ぐるっと回ってみたいと思う。
ちなみに、この日のこの後のネタで記事にしているのは、瀧トンネル、サンギリトンネル、追憶の熊交バス、入之波大橋。
以上、完結。
余談…この記事の「おすすめのハッシュタグ」に「♯月の写真」って出たけど、なんでだ?(笑)












