またしてもミイラ級ネタを投棄(笑)。
2009年8月3日、滝山田隧道初訪問を終えておよそ1時間50分後にやってきたのはコチラ⇒http://www.its-mo.com/z-125851256-490640990-14.htm
東(青土側)より。
滋賀県内のトンネルの中でも異彩を放つ物件の登場であります。
ご覧のような短さの2車線幅、そしてほとんどない土被り。立地は野洲川を見下ろす断崖絶壁の上。いずれも県内では(ほぼ)このトンネルでしか見られない特色だ。
立地を先にお見せしたかったので右側をカットしたが、そっち側には、
もういっちょ、穴が並列。
その正体は、
水路隧道。中は素掘りっぽい。
この先の瀬ノ音、野上野、頓宮といった集落の田畑を潤す農業用水のものだ。ちなみにこの2枚だけは再訪時の2014年4月11日に撮影。
さてこのトンネル、お名前は、
「へつじ隧道」。
名前のエキセントリックさも県内随一(笑)。
トンネル内にあった銘板。
土山町は平成の大合併により、現在は甲賀市の一部となっている。
コレだけ見ると、ちょっと変わった平成生まれトンネルに過ぎないのだが…。
実は、2枚目の写真のところに石碑がある。
その名は「へつじ隧道誌」。
そこには興味深いことが刻まれている。例によって、各自読んでいただきたいが(笑)。
ここには昭和初期に掘られた隧道があり、それは難工事によりへの字に曲がっていたという。室町~戦国時代には要害の地として「塀辻」「塀築地」と称されたといい、それと「への字」もあわせての「ヘツジマンボ」なんだろうか。
昭和3~4年といえば、県内でも徐々に近代的隧道が建設されはじめた時期にあたる。昭和2年の賤ヶ嶽隧道は古典的な煉瓦隧道だけれども、昭和5年・谷出山隧道、昭和7年・襠鳥坂隧道、昭和8年・観音坂隧道などなど、いずれもコンクリート隧道となっている。
しかし…ここの隧道がどんな姿だったのか、ネットで調べてみてもまったくヒットしない。
西側(瀬ノ音側)。
こっちから見ると、土被りの薄さが際立つなあ…。
大々的に拡幅・拡大されて、元の隧道の痕跡はなにもなさそうだ。その結果としての、この土被りの薄さなんだろう。
見てみたいな~、オリジナルの隧道写真。土山町史などをひっくり返せば見つかるだろうか?
そこまでのマメさがないダメなわたくし…(笑)。
以上、完結。