今宵ご紹介するのは、栃原隧道探索を終えてから立ち寄った、生野町口銀谷(くちがなや)で出くわした物件。
生野町は生野銀山のお膝元、鉱山町として古くから栄えたところで、ここ口銀谷を中心とした一帯は、平成26年に「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観」として、鉱山町としては全国で初めて国の重要文化的景観に選定された。
そんな街中のとある場所。
何やら立て札が立っている。
そこは細い路地の入口で、
「トロッコ道」なる説明が書かれている。あー、ここだここだ。
わたくしが目指してきたのはこのトロッコ道で、路地を抜けた先、市川に沿った道がそうなのだが…
路地に入った瞬間、正面に見えてきたものに、
スコーン!と心を持って行かれた。
市川に抜けたところにあったのが、
この水路橋!イカス!
一瞬この橋がトロッコの橋なのかと思ったが、そうではない。かな~り古びたコンクリート製の水路橋で、鉄管の中を水が通っているようだ。
鉄管の手前部分からは、
小さな穴から、ピュ~ッと水が噴き出ていた。昔の漫画で、溺れた人の口から出るようなヤツ(笑)。なんかカワイイ。
で、しばし観察して冷静になり、気づいたのだが、この目前の部分で分岐してるよな~?
いや、正確に言えば、
水路付け替え、か。
元はカクッと曲がっていたのが、曲がらずにまっすぐ鉄管を伸ばすルートに変更されたようだ。もっと言えば、これを契機に鉄管が用いられたのだろうな。本来は、この短い「廃部分」のように、コンクリの箱桁内を直接水が流れるようになっていたのだろう。
しかしまあ、なんとも、
カッコいい水路橋やな~!
橋脚の段部から方杖で支える、スタイリッシュな型式。トロッコ道に来てこんなのに巡り会うとは、全くノーマークやったわ。かなり目立つ存在なのに、観光マップとかでも一切無視なんすけど…(笑)。
あぁ、そうそう、トロッコ道を忘れてた(笑)。
解説については、冒頭の案内板を読んでいただくとして、
こんな感じで、市川に沿ってトロッコの軌道跡が残っている。
レールはもちろんオリジナルではないけど本物が敷かれていて、
それなりに雰囲気はいい。
で、すでにお気づきだった方もおられるだろうが、
コレ。
これらトロッコ道を支える石アーチ群を見に来たのだった、本来。でも思わぬカウンターパンチで膝がガクガクに(笑)。もちろんこれら石アーチも素晴らしかった。
サイドアングルで水路橋を。
イイねえ~!イイよキミぃ!(笑)
気になる部分(笑)を、ズーム。
方杖部分、遠目にはもしかして古レールかも、とも見えたが、どうやら違うようだ。
サビサビだし、コンクリートの劣化も顕著。あちこちで曝裂、鉄筋の露出が見られる。現役のはずだが、メンテの頻度が低いのか?
同じ場所から撮ったパノラマ。
市川の大曲部分がイイ感じだったもので。残念ながらお山のてっぺんが切れちゃったので、大幅減点(笑)。
もう少し進んだ先にまた登場した、トロッコ軌道跡の解説板。
各自お読みいただきたい(笑)が、注目すべきは、昭和11年ごろ撮影だというあの水路橋の写真。
橋脚が今とは違ってストレートで、段差がない。後年に補強されて現在の姿になったってことか。また、水の流れる箱桁も、現在よりいくぶん華奢な印象。これも後年補強されたのだろう。
少なくとも昭和11年には架かっていたのが確実なこの水路橋、「幕末以降、第二次世界大戦以前まで」という近代土木遺産の定義には当てはまっているが、実際のところ全然無名。
それは、このようにいろいろ改修を受けているから、というのもあるのかもしれない。あるいは型式その他、さほど当時として貴重なものではないのかも。素人なんでわからない。
んが、そんなの関係ねえ!(古)
めっちゃ好きだこの水路橋。
このあと対岸に渡って、反対側への接近を果たした。のだが…
これでご推察ください…(笑)。
お見せできるような写真は撮れなかった。季節が違えば下にも降りられただろう。ちょっと残念。
せいぜいこれだけ。
何故か撮ってなかったのだが、この水路自体もなかなか雰囲気がよくって、遡って追いかけてみたくなる、そんな水路だった。
またいつか、機会があれば…。
以上、完結。