神子畑小学校跡 (兵庫県朝来市佐嚢鉱山) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
2015年8月22日、徘徊@HTKの初日。真夜中の徘徊を経て篠山市へ入り…さらに進み(笑)、最終的に西脇市の「道の駅 北はりまエコミュージアム」で3時間弱ほど仮眠。
 
 
ということで、記事にしてる天神隧道とその旧道などから実に7時間41分後。
 
 
今回ご紹介するのは…
 
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「神子畑小学校跡」。
 
拙ブログ初の廃校物件であります。
 
 
 
場所はコチラ。
 
 
 
 
 
石柱の裏には
 
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「昭和四十七年四月一日をもって神子畑小学校を山口小学校に統合する 神子畑地区建立」
 
ここ神子畑(みこばた)地区は、かつて鉱山で栄えたところ。小学校裏手にもかつてのヤマが広がっている。上の写真で道路向かいの空き地は、鉱山従業員の社宅が立ち並んでいたという。
 
寂れゆくこの地区、近所に残ったわずかな住宅には、この小学校に通っていた人もいる…というか、みんなそうだったろう。通りがかったお年寄りもおられたが、どんなお気持ちなのだろうか。今さら特に何も感じないのかな…。
 
 
 
冒頭の建物は、体育館だったものらしい。横にある校庭から見ると、
 
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こんな感じ。
 
割と小ぶりな体育館だったようで。
 
 
 
 
反対に、体育館前から見る校庭。
 
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これまた、ささやかな。
 
周辺には、鉄棒やらブランコやら雲梯(この言葉って、今の若い人も知ってる?)やらが残っている。この気持ちいい程度に夏草の生えた状態、コレはやはり管理されているってことやね~。
 
ちなみに右上に見える禿げた斜面は、かつてのヤマの一部だ。
 
 
 
 
さて、2枚上の体育館写真、左端に階段が写っているが、
 
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登った先はこんなことに。
 
なんだあの祠?いきなり神社っぽくなってるけど、本来はこの上段に校舎なんかがあったのじゃないかと…。
 
 
 
 
思うものの…
 
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こんな手水舎にしか見えないものあるしなあ(笑)。
 
今さら、この近辺で撮っておいた案内板をよく見ると、この上は「山神宮跡」となっていた。やっぱマジで神社やったんですな。じゃあ校舎はどのへんにあったのかなあ…。
 
校庭の反対側方向奥にあったのかも、と思ったが、先述の案内板によると、そのあたりは「保育所跡」となっていた。うーん、不明。
 
 
 
 
さっきの校庭写真右端、雲梯の脇に写っていたものがコチラ。
 
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…なんか物悲しいなあ、ちょっと~(泣)。
 
昭和四十年度卒業生の皆さんは、コレをみたら悲しくなるだろうなあ…。元はどんなものが、卒業記念としてここに在ったのだろうか。
 
 
 
 
今の目でコレを見ると、
 
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鋼製の吊り橋である!と言い張ることが可能な気がする(大爆)。
 
 
 
 
 
最後に、かつての社宅跡地から。
 
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往年の様子を想像するのは、今や困難だった。
 
 
 
 
 
以上、完結…だが次回は、この近くの橋をご紹介する。
 
…っていうと、完全に「アレ」だと思う人がいるんやろな~(笑)。