日々是好日 -2ページ目

日々是好日

「命尽きるまでの5年間が幸せならばその人生は成功である」
と信じて僕ぁ、残り人生を悔いなく大切に生きていきたいのである。
Yukihiro kodera is a chronic pancreatitis

かみさんの友人S子さんの誕生日を祝うために

我が家に招待する日がやってきました。

恒例行事ではありますが、僕自身は彼女に

プレゼントを差し上げたことはございません。

去年、還暦ということで赤いバラを数本渡したら

やたらと喜んでくれたではありませんか。

その時に

「そんなに嬉しいなら毎年贈っちゃるよ」

調子のいいこと言った僕は記憶が良いばかりに

己の発した言葉に縛られるのであります。

夕飯つくりに勤しむかみさんをしり目に

花屋に出かけました。

 

1件目は去年の花屋。

入り口に

「都合により臨時休業致します」

の張り紙が無情に僕を迎えます。

ここしか知らんのにどーすりゃいいの?

 

スマホという便利なものがございますよね。

検索したら近場に数件ヒットしました。

 

2件目

「目的地に到着しました、音声案内終了します」

でも、そこは花屋では無くて人気のない倉庫前。

「なんだよ、廃業かよ」

で、またまた検索

今度こそはと張り切って向かいます。

道中、やたら見慣れた景色が・・・

ムムム。。デジャブ???

しかし方向音痴県内ランク入り?の僕は

車内ナビの言いなりに走るしかないのです。

 

3件目

「目的地に到着しました、音声案内終了します」

あああああ~、ここって最初の臨時休業の店じゃん。

場所で覚えていて店名を知らなかったばかりに・・・

こうなると、意地でも手ぶらで帰れませんて。

私の眼はギラギラと燃え盛るのであります。

 

4件目、

「目的地に到着しました、音声案内終了します」

スーパーの横手に鉢植えが並んでおります。

ついに花屋に到着したのであります。

事を成し終えたような喜びに緩む頬。

 

「赤い薔薇はありますか?」

およそ花屋には似つかわしくない、いかつい

おばちゃんが言うのであります。

「時期的に赤いのは売れないから置いてない」

で、赤から黄色に変わっちゃいました。

 

かみさん、図星の眼差しで

「遅かったね、又しても道に迷ったか?」

僕は涼しい顔して言うのであります。

「うっ、うん、途中で知り合いと話し込んじゃってさ」

 

 

 

 

 

半年ごとのMRCPに行く。

今回は実にスッスッと事が進んで、10時には診察終了。

皆さん、まだコロナを警戒して受診を控えてるのかなぁ?

担当が別の先生に変わっていたのには驚いた。

消化器内科でただ一人膵臓専門医の肩書を持つ

先生だったのに、先日辞めたと。

前回予約を取るときに一言も聞かされていなかった。

看護師さんに聞いてみたが、消息は不明。

開業したのでも無く、移動先も濁されて・・

なんだか腑に落ちない引継ぎだけど。

そういえば前回診察の時

「次回、月曜は都合悪いので火曜でお取りします。

担当日ではないけど院内にいますので」

いると言うたじゃん。

でもまぁ逆に良かったかも。

今回の先生のほうが波長も合うし託しやすい気が。

なにより、研修医とか新人さんでないし。

若いのだとすぐに移動で代わるから困ります。

診察室に入るなりいきなり

「奥様も呼んで下さい」と言われたにはギクッと。

「嫁も?嫌な予感がしますなぁ」

「いえいえ、そういうことではなくて安心して下さい。」

膵臓は前回同様で著変なく心配なしと。

3㎝大になったら手術対象といわれていたが、

最近のガイドラインでは膵管の拡張や膵胞内に

結節が見られなければ

そのまま経過観察で良いという事になっとるらしい。

先生の経験上ではIPMNが癌化したのはどれくらいの率?

「1割ぐらいでしょうか」

なぜか安心する僕。

「先生、わしゃまる5年、半年ごとに検査していつも

変化なしだから今後は1年ごとの検査で

いいんじゃないですか?」

 

横から嫁が速攻で

「半年ごとでお願いします」

 

「時間が経つほど危険になるという事でもないですから

1年毎の人もいますよ。でも半年ごとのほうが安心でしょう」

 

慢性膵炎発病当初は、意外な診断に???で

ネットでやたら調べまくってやたら落ち込んだり

わしゃ、膵臓癌で死ぬんかいなとため息ついたり・・

大体がネットで調べまくったのが良くない。

慢性膵炎はやがて癌になるぅ、癌になるぅ

IPMNは癌化するぅ、癌化するぅって記事ばっか目についてさ。

ただの胃の不調や仕事疲れも全部

「膵臓が悪化してるのでは??」

と思っちゃって、自分で病気を作ってたりして。

 

しかし、半永久的に半年ごとに検査っちゅうのもなぁ

75歳まで変化なしならそこで打ち止めだな。

そこまで生きれたらもう充分だわさ。

って心境になりたいなぁ。

でもわしってほんとはビビリだしなぁ・・・

 

 

 

 

姉は要介護4の母の世話で実家に泊まり込み、1年半経過。

かみさんに交代してもらおうかと言えど、まだ大丈夫と言う。

その間、一人住まいの不自由さに苦情も言わず

協力してくれる義兄には誠に頭が下がります。

しかし、二人とも相当ストレスが溜まっているはず。

 

ショートスティを利用してみた。

期間は一か月。

姉の休養と、来るべき特養入りへの予行演習のために。

特養は順番待ちが多くてなかなか入居できないと聞く。

予約だけしておいたら如何?とケアマネさんが言うので

申し込んでいたら、ショートスティ3週目に施設から

空きが出来たと連絡あり。

今ならそのまま2階のショートスティ施設から3階の特養に

移せますよと。

確か先約が何人もいたはず。

順番を飛ばして母に回ってきたのにはなぜ?

実は特養は単純に予約順ではないらしい。

介護の緊急性とか、本人の人柄とか家族の理解度とか

それらを踏まえて優先度を決めてる部分があるとか。

 

まさか、早々に空きが出るとは思いもよらず、

あと一週間で家に帰れると喜ぶ母にはとても言い出せない。

せめて1週間ほど余裕が欲しいと頼んだが、

部屋を空けておくことは出来ないと断られた。

姉もしばらくは家で過ごして母に心の準備をさせる時間を

与えたいという事で残念だが今回は見送りすることに。

 

ケアマネさんはこんな幸運は滅多にないと言う。

人気がある施設なので、これを見逃すと

次回はかなり待つことになるかもと言われたが仕方がない。

今度空きの連絡が入ったらすぐに入所できるように

お母さんを納得させておいて欲しいと言われた。

ところが母が帰宅して2週目に再度空きが出ましたと連絡が。

これはもう入るしかないと。

 

2月26日午前10時、母は笑顔で手を振って妻の運転で家を出た。

「これで良かったのかなぁ?」

姉は目を潤ませながら手を振って見送った。

「笑顔で手を振られるとなんだか、余計切ないねぇ」

僕も心境は複雑な思いでした。

 

コロナ化で家族の誰かが感染したら母の介護はどうなるか?

姉のストレス、いろいろ考えたうえでの決断でしたが・・・

なんだか母を見捨てたような・・・

出発直前、車椅子のままで仏壇に手を合わせていた母。

あの世の父と話していたのだろうか。

 

 

 

2021年5月18日13時58分

義父殿、永眠す。

享年88歳

 

初七日があっという間に過ぎました。

食道がんと宣告されてからの5か月間でした。

年齢的に手術は無理としても、抗がん剤や

放射線治療があると説明を受けたのですが、

義父殿が選んだ道は、一切の治療を拒否しての

自宅にての緩和ケアでした。

治療で命が伸びても、どうせ寝たきりの身

家族に、辛い介護の日々を送らせたくないし、

私は充分に生きたからと言っていました。

 

接する看護師さんには常に紳士的に対応し、

我々に愚痴ることもなく、いつも笑顔で、

穏やかに対応してくれた義父殿。

息を引き取る2日前からは意識は朦朧として

話しかけても反応は薄くなっていきました。

18日の昼前に

「そろそろお別れの時が来ました。」

看護師さんが、そう言って、

「耳だけは最後まで機能しますから

話しかけてあげてください」と。

妻は手をさすり、妻の姉は頭を撫で、

義母は足をさすりながらそれぞれが

声をかけていましたが、反応はありません。

しかし、何度も声掛けしていると、

瞼の裏が動いているようで

唇もわずかに動いているようで、

それを見つけた妻が

「ねぇ、パパ、何か言おうとしてるよぉ」

3人が一斉に耳元に近づき大声を掛けました。

「パパ、いままでありがとう、みんなで仲良く

暮らしていくからね

安心してね、パパ、安心してね」

 

声をかけ続けていると、薄目状態から

いきなり、ガッと目が大きく開かれました。

皆が一斉に「ああ、目をあけてくれた」

大喜びです。呼びかけにも力が入ります。

しかし言葉を発することはありません。

その眼には何がみえているのでしょうか。

やがて、ゆっくり瞼が閉じて、

涙が目尻から流れてきました。

その後、呼吸の間隔が不規則になり

2時間経た頃、静かに命の灯は消えました。

 

人の臨終の際を初めて経験しました。

ドラマでそのような場面を見たことがありますが、

何と言いますか、荘厳で厳粛な感情でした。

 

葬儀は遺言通り、内内の7人で行いました。

新聞の死亡欄には乗せるな。

知人にも町会にも伏せておけ。

ひとかどの経歴もありながら戒名も不要と。

葬儀の仕方、銀行への対応。

その他、考えられるすべての後始末を

遺言ノートにしたためてありました。

斎場から帰り、葬儀屋さん手配の簡易仏壇の

前に車座になって義父の思い出を語り合いました。

 

義母が、娘二人に当てた義父からの手紙と

遺言書を渡し、そして、僕への手紙もありました。

その場ですぐに開封することが出来ず、

後日、妻がまだ寝ている早朝に

こっそりと読みました。

内容は僕の胸に留めて明かしませんが

さすがに涙をこらえるはなかなかで・・。

無くなる数日前に書いたと義母が言ってましたが、

とてもしっかりとした筆跡で丁寧な文章でした。

 

親父殿、貴方は立派な死に方をされました。

「末期癌は余命が判るから良いですぞ。

自宅介護で家内に負担をかけることも

長期ではないし、やるべき後始末も

しっっかりと計画出来るし、ありがたいことです」

と、僕に言ってましたね。

 

主治医と看護師の丁寧な緩和ケアのお陰で

痛がることもほとんど無く、

愛する家族に見守られ、

命のすべてを出し切って穏やかに死にゆく

あなたを見て僕は癌で死ぬことを

それほど恐れ無くなった気がします。

 

 

5連休初日の地元近江町市場は大賑わい。

雨の兼六園もかなりの人出が出たらしい。

昨年同月の連休を大きく上回る人手に

僕は

「コロナなんて今や舐められてしまってるなぁ」

と嘆息するのであります。

そしてコロナ感染者は過去最高の1日40人。

 

サスペンス映画のシーンで主人公が我が子に向かって

「ここにじっとして待ってろ、動くんじゃないぞ」

こう言い残して場所を離れるシーンがよくござります。

そういう時はほとんど、その子達はうろうろと場所を移動して

敵の手に落ちてしまうのであります。

そこで我が妻は必ず大声で画面に向かい

「それ見なさいよ、言わんこっちゃないでしょうが。

なんで、言うこと聞いてじっとしていないのよ。

もたもたと動くから敵に捕まるんよ、馬鹿たれがぁ~」

そこまで怒らんでもと思うほどカンカンになるのであります。

確かにかみさんは、忠犬ハチ公みたいな部分がありますが。

 

(君の言うとおりにしたらストーリーが展開しないし・・)

と僕は内心思うのでありますが、それを言うと

かみさんの怒りに火を注ぐので黙ってうなずくのです。

 

政府があれだけ外出は控えましょうと声高にお願いしても

出たがりの人たちには馬耳東風なのであります。

それはなぜか?

コロナを心底からは怖がっていないからであります。

自分は掛からないと根拠もなく思っているからであります。

そんな人たちに外出は控えましょうと言っても無駄です。

かみさんは

「そんな奴らはとっととコロナに掛かりなさいよ

そして病床で大いに後悔しなさいよ」

と頭から湯気出して熱くなるのです。

 

重症化して苦しんでいる入院患者の様子をどんどん報道すべし。

不幸にして亡くなった親族が入院時面会も出来ず

お別れも出来ない現実を大いに知らしめるべし。

自己犠牲のごとく働く病院関係者の苦労を報道すべし。

コロナを舐めて感染してベッドで後悔している若者の

様子をがんがん報道すべし。

味覚障害、聴覚障害に悩むコロナ感染者の様子を

他人事ではないぞと思わせるように報道しなさいよ~。

 

かみさんは連休で大いに賑わう観光地の報道画面に

向かって吼え続けているのであります。

 

 

免許更新のための高齢者講習をうけるようにと

ハガキが来ました。

70歳以上になると義務となります。

行って来ました。

予約制で場所はもよりの自動車教習所

費用は5100円です。

受講者は4人でした。

爺様3人、婆様1人。

まずは50分ほどの講習。

免許更新時にやる例の講習です。

そのあとは3種の視力検査。

 

 

黄色丸を見続けろといっても、どうしても

移動する白球を目で追ってしまいます。

ですから視野は90度。

あんた、ヒラメか?

 

 

 

高齢者はスムーズに事が運びませんなぁ。

先生

「最初はレバーを倒さないでまずは見るだけね」

「ハイ」

先生がスイッチ入れて黒丸を動かし始めます。

カチッ

「だから最初はレバーを倒さないでと言ったでしょ!

もう一回いきますからね、倒さないでね」

「ハイ」

先生スイッチ入れるやいなや

カチッ

「だからぁ、動かさないで見ていてッて言ったでしょ」

こんな調子です。

 

最後にコースを2周する実習です。

あそこ曲がって、そこで止まって、そこに入って。

指示されるままに運転します。

50年前を思い出します。懐かしい風景。

自分的には100点満点の運転のつもりでしたが

評価は80ぐらい。

左右確認がしっかりできてないと。

こういうテストは動きを大げさにせねばなりませぬ。

 

「高齢者講習修了証明書」をもらってお開きです。

免許更新時は講習なしで目の検査だけですって。

次の更新時は認知症検査が加わりますって。

 

 

 

 

人はいつどうなるか判らんもんです。

88歳の親父殿(舅)に異変が起きたのは昨年の年の暮れ。

「どうも呑み込みがうまくいかん」

それで、近所の耳鼻咽喉科に行き、大学病院を紹介され、

診断は「食道癌」

かなり深刻なレベルだと。

 

とても元気で健啖家だったのに、いきなり・・・

治療方法の説明を受けましたが、

本人曰く

「わしはもう十分生きた。この歳だし、手術はしない、

抗がん剤もやらん、放射線治療も延命治療もしない。

痛み止めだけしてくれればいい。」

 

毎週末には必ず見舞に行ってます。

命の炎が、日に日に細くなっている感じがします。

 

3月に入ったある日、僕は言いました。

「親父さん、卯辰山の桜を見に行きましょう。

車椅子のまま乗れるレンタカーも

あるそうですから、僕に任せてください。」

 

「行きたいなぁ、卯辰山、懐かしいのう」

 

今、サクラが満開になりましたが、

親父殿にはもはや気力も体力も・・・・・

 

話を聞いた姉がどこで手に入れたのか

数本の桜の枝を手渡してくれました。

「これ、持って行って」

 

親父殿がベッドで横になったまま、花見が出来るように

義母殿が縁側に置きました。

 

「○○さん、ありがとう、桜、良いねぇ、綺麗だねえ

わしの人生最後の花見じゃのう」

 

その言葉に僕と妻は俯くしかありませんでした。

 

ああ、切ないなぁ・・・・

 

本日8回目のMRCPをやってまいりました。

結果は前年9月と著変無し。

大きさ23mmで大きくも小さくもなっとりません。

違う点は脂肪肝の記載。

アルコールは1滴も飲まず、脂質もわずかしか摂ってないのに

なんだかなぁ・・。

 

血液検査は5項目だけ。

クレアニチン0.82

eGFR 71

溶血(ー)

乳び(ー)

CER 2.3

CA19-9 15.4

これらについては何も言われず。

溶血?乳び?なんのこっちゃ??

せめてヘモグロビンa1cぐらい診て頂戴よ。

 

MRIの後は胃カメラです。

今回は麻酔無しで臨むことにしました。

「ここに横になって下さいね」

「麻酔なしでやりますね」

小柄で優しい看護師さんだと思っていたら

胃カメラ施術当人の先生でありました。

生まれて初めての女医さん。

マスク越しでも随分と若そうで華奢なお嬢さん。

研修医じゃあるまいな?

内心(麻酔すりゃ良かったかなぁ、大丈夫かなぁ)

いや、いや、上手でしたねぇ、すごく上手。

恐れ入りました。

技量を疑って申し訳ございません。

「大丈夫ですよ、何も異常ありませんよ」

こんなこと、現場で言われたのは初めて。

 

MRIと胃カメラはやたらスムーズに進んだけれど

診察で2時間弱待たされた。

これだから大きな病院は嫌なのよ。

先生に聞いてみました。

「○○先生、アルコール一切飲んでないし、

脂質も相当セーブしてますから1年ごとの検査では

いかんすか?」

「○○さん、とにかく半年に1回は必ず検査しましょう」

要するに僕ぁ今後一生検査し続けねばならんわけね。

 

密かに思っています。

75過ぎたら検査はせん。

天命に任す。

癌化したら、それまでのこと。

 

しか~し、時期が来て母がまだ生きてたらどぉしょ。

母より先に死ぬわけにはいかんしなぁ。絶対にいかん。

そこんとこを考えると肝が据わらんなぁ・・。

 

 

 

 

かみさんの友人が去年平屋を新築しまして。

薪ストーブを設置したんですよね。

「初薪入れの時、呼ぶからね」

楽しみにしてたらラインが入りました。

「焼きイモするから来ませんか?」と。

除雪も完了して道路状態が良好になりましたので

もちろん夫婦でお伺いしました。

 

 

 

暖かいもんですね。

24畳のリビング、エアコン無しでポカポカです。

生涯独身主義の彼女の贅沢なライフスタイル。

 

しかし、想像以上に薪を消費します。

4時間ほどの間、結構な量をくべてました。

バケットの薪、すっかり灰になっちゃいました。

彼女の実家は製材業をやってるので、薪の調達は

苦もないのですが、女手一つで

薪小屋に積み上げるのがなかなかの労働で。

一冬で1000キロgほど、必要らしいです。

 

煙の問題がありますから、ご近所に了解取らなくては

いけないし、消防署に連絡も必要らしく、

定期的に煙突掃除もしなくてはなりません。

ロマンがある分、いろいろ面倒な面も。

 

それにしても薪の炎って、見てても飽きませんね。

ストーブの前で3人無言の時間が過ぎていきます。

 

小学生時代の石炭ストーブ思い出しました。

冬は弁当箱、上に乗せて温めていたなぁ。

競って場所を奪い合ったもんです。

日の丸弁当、若い人は知らないかも。

アルミの弁当箱の白米の真ん中に梅干が1個のみ。

それ以外はおかず無し。

日本の国旗に見えるので日の丸弁当です。

今、思えば実に貧相な弁当ですけども、。

小学2,3年の頃はクラスほとんどが日の丸弁当。

ああ、懐かしや。

 

ところで、慢性膵炎の人は体重がなかなか増えないと

聞いてましたが、発症後5年目で元に戻りました。

18キロ落ちて、15キロ戻りました。

しか~し、問題が。

肉が付いたのは腹回りだけ。

頬や二の腕、ふくらはぎはさほど変化なし。

最悪です、実に最悪です。

落ちた筋肉さっぱり戻りません。贅肉ばっか。

ウエストもどえらいことになりまして。

強烈な精神力で顔を腹だと強く思い込んだら

肉も勘違いして頬がふっくらしてこないかしら?

ん、なわけないよなぁ~。

 

 

 

 

 

半年ごとのMRCP,行って来ました。

今回からは膵臓学会指導医の肩書を持つドクターに

診てもらうことになったので期待していきました。

画像診断の報告書を手渡されました。

前回と著変なし。

 

血液検査ではアミラーゼが若干基準値を上回ったが

その件では何も言われず。

「血液検査では問題なし」ですと。

 

これまでのドクターとは違う視点で色々話してくれると

勝手に期待してましたが、期待外れ。

 

1つだけ聞いてみました。

IPMNの大きさが2センチで手術を勧められる人もいるが

僕は1回もそんな話は出てこないがその違いは?

応えて

「3センチ以下は手術適応外です」

あっさりしたもんです。

 

聞きたいことがいくつかあったが、聞くの止めた。

初顔合わせだから大人しくしてましょう。

かみさんに気に入らないドクターでも絶対に

腹を立てないで大人しくしてくれと釘を刺されてますもん。

口は災いの元。

「今のところ、膵臓は問題ありません」

それで良しとしましょう。