西山塚古墳から直ぐ近くドーンと見えてくるのが西殿塚古墳後円部。

200m級はやはりでかい!

横を通り前方部角辺りで。

この威容を目にするとこれが手白香皇女の陵墓と治定してしまうのもわかります。

 

御拝所へは果樹園の間の細い道を通って行きます。

 

横には説明板。

築造年代から箸墓に続いて作られたそうで、そうなると真の被葬者は台与(イヨ?)の墓という説もあるようです。

この辺もっと明らかになると面白いのですが。

 

御拝所から奈良盆地を振り返ってみると、いい眺め。

景行天皇陵、崇神天皇陵、遠くに耳成山に畝傍山。大和三山とはよく言ったもので、なんとも姿が美しい。

 

時代的ににはこの古墳が作られた300年後ぐらいに耳成山のその向こうの飛鳥に都がおかれた訳で。あこがれの地だったのかと思ったり。

 

築造 3世紀後半

墳丘長 約230m

被葬者 台与か?

山の辺の道に入ってすぐ最初の目的地が西山塚古墳。

 

後円部東側の説明板より

 

これがいろんな意味で面白いと言うか残念なのです。

真の被葬者は、継体天皇皇后 手白香皇女(たしらかのひめみこ)とされています。

(なんとも綺麗な名前です)

皇統を辛うじてつないだ大事な人物。なのに治定が間違っている。ここは史跡にもなってないとのこと。

亡くなった後も夫婦そろって数奇な運命です。

 

後円部南側付近より

 

私有地になっているのか、まばらな植栽が半端なハゲ山っぽいのも残念。

この場所では今城塚古墳のように公園化は難しいとは思いますが、もう少しなんとかならないものか。

 

築造 6世紀前半

墳丘長 114m

被葬者 手白香皇女

年始によくある『今年の干支は・・・』の話は聞き流すのですが、2025年は『乙巳(いっし)』ひらめき電球

これで、3年前の飛鳥旅の宿題となった甘樫丘~板葺宮に行く構想を練り始め、

その後、万博を記念した奈良国宝展に去年石上神宮の宿題となった七支刀ひらめき電球

ということでGW前半の飛び石を上手く利用して奈良へ行ってきました。

その他いっぱい宿題を回収できましたニヤリ

 

まずは3年前からの宿題、「山の辺の道、石上神宮~大神神社をつなぐ」から。

3年前(赤線)と去年(青線)の踏破ルートがこんな感じでした。

この間を埋めます。

 

去年の最後だったJR長柄駅からスタート!

まずは大和神社にご挨拶。

この日は曇り、何なら出発時から雨が降りそう。

でしたが、しっかり日差しが。ここでこうなることは想定済み笑

日焼け止め、帽子準備万端でしたチョキ

 

気持ちのいいお参りでした。

参道を一の鳥居方向へ進み、いざ山の辺の道へ。