公園の角に御旅所の看板がありました。
隣の説明板
お社が見えたのでこれが御旅所かと思い近付くと、歯定(はじょう)神社という初耳の神社でした。
ご祭神が、大己貴神と少名彦名神
実は今回の奈良旅のお供本は「神様の御用人2」でした。
第一柱のお話が、少名彦名神の依頼。大己貴神(=大国主)との国造りの想い出にある温泉の気持ちよさをもう一度。それを今朝ここに来る奈良駅~長柄駅で読んだのでした!
ということで、記念撮影
御旅所の社は右隣、古墳に近い側でした。
公園の角に御旅所の看板がありました。
隣の説明板
お社が見えたのでこれが御旅所かと思い近付くと、歯定(はじょう)神社という初耳の神社でした。
ご祭神が、大己貴神と少名彦名神
実は今回の奈良旅のお供本は「神様の御用人2」でした。
第一柱のお話が、少名彦名神の依頼。大己貴神(=大国主)との国造りの想い出にある温泉の気持ちよさをもう一度。それを今朝ここに来る奈良駅~長柄駅で読んだのでした!
ということで、記念撮影
御旅所の社は右隣、古墳に近い側でした。
もうこれだけ密集・連続していると、どの古墳の写真かわからなくなるし、珍しくも何ともなくなりそうなのですが、この古墳は大和神社所有で御旅所が一角を占めているのが面白い所。
(御旅所はまた良い巡り合わせがあったので別記事にします。)
前方部へ進んでいくと、御旅所の手前は児童公園でした。なんかホッコリ。
そこに説明板がありました。
築造 3世紀後半
墳丘長 約130m
被葬者 不明
渟名城入姫命(ぬなき いりびめの みこと)であるとの伝説があるようですが、第10代崇神天皇の皇女なので時代は合わないようです。倭大国魂神(大和神社祭神)を皇居から移そうとした伝承で知られるので、御旅所との連想での伝説かと。
しかし、これも箸墓に続いての築造、西殿塚と同時期、黒塚も。どんだけの動員力か!逆に、その動員力を古墳作りに使い続けないと失業者であふれてしまうのかとも思ったり。
この辺りの古墳は名前も似ているしネット情報を読むのでは全然頭に入らなかったのですが、こうして現地を歩きブログにまとめると頭に入ります。
1つ1つ特徴や由来、伝説があって面白いです
西殿塚古墳の直ぐ東隣に兄弟(姉妹かもw)のように仲良く並んであります。
全容が見える所は分からず。後円部側の一部で。
古墳の遺構なのか現代の果樹園のための石垣なのか分かりませんでした。
先の説明板によると西殿塚と連続して築造されたとのこと。
西殿塚が台与ならこちらは・・・妄想が膨らみます。
後で行ったトレイルセンターにあった説明板が分かりやすかったので、ここで切り貼り。
築造 4世紀始め
墳丘長 139m
被葬者 不明