今はギター本体も機材も低価格なものが存在し品質も良い。

 

ただ、これがしあわせな状態なのかを考えると不思議な感覚に襲われる。

 

昔は、安い機材って誰が聞いてもショボい音しか出なかった。だからどうやったら少しマシになるのかと色々と試した。特にシステムが単純だったのもあって、色々な改善点が思いつけた。そうやって試しているうちに技術が上がって、ひたすら気に入った音を追い求めることを楽しめるようになれた。

 

現在の安い機材は、マルチエフェクターでもデジタルモデリングアンプが入っていて、音は最初から6割から8割程度の満足度を得れるレベルの音がでる。ここまで品質が良いとそもそもあんまり変更する気にならない。またシステムも複雑で分かりにくい。ギター初心者がマルチで音が鳴らなくて途方にくれているという動画も見たが、あんまり不思議だとは思わない。

 

納得できる音を追い求める能力があると、人間は本当に幸福なのか?という根本的な疑問もあるので、冒頭で述べたように不思議な感覚なのだが、このように状況は劇的に変わってしまった。

 

技術やテクノロジーが進歩すると、人間はどうなるのか?という考察には、こういうギタリストに関する技術の変化が人間に与える影響を例に用いると色々と考えやすい。

 

便利になる事とその分野の特化した能力を得ることは、幾分にトレードオフの関係があるように感じる。

 

また、ちょっと前に衝撃を与えた1万円ギターも、よく考えると経験者が騒いだだけのような気もする。本当にこれからギターを始める人は、そもそもがギターの値段なんて知らないから、10万円だろうが1万円だろうが、日常的な金銭感覚でしか捉えないだろう。

 

また、さらに考えると、本当にギターを始めたい人は、1万円ギターは選ばないだろう。自分が初心者の時に選んだかって言われれば選ばない。なぜなら、普通は価格の分布を調べて、高級ギターから中級ギター、最安値のギターまで値段の幅を見るので、中級ぐらいの価格帯で選ぶ。あんまり安いとおそらく将来的に不満が出ると予想できるので、値段だけでは判断しない。

ファインマン先生の本で紹介されていた歯車の適性な歯数の選び方と似ている。カタログの真ん中ぐらいを選べば、大抵の場合は不満が出ない設計になるという極意が書いてあるんだが、人間って無意識のうちにそういう選択をしていることが多い。

それに、ギターをどうしてもやりたい人が、最安値が10万円だから諦めるか?って考えたら諦めないだろう。値段が高かったらバイトするだけの話だ。こうやって思考実験すると、値段でギターをやるのかやらないのかって判断している人は、そもそもギターを本当にやりたいと思っている訳ではないと思えてくる。

 

おそらく人間はほんとうにやりたい事ってコスト度外視でやっている。コスパとかタイパって発言すること自体、それで左右される程度の行動なので、もうあんまり実行する価値もないんだが、そういう価値がない行動に対してコスパをひたすらに考えているんだから面白いなって思う。

 

ゲームとかは、ゲームをやらない人間から見ると、コスパ最悪でタイパも最悪な行為だが、それがほんとうにやりたい事だから、コスパとかタイパが悪いという意見を見たことがない。だから、コスパとかタイパの議論に隠れている構造はそういう事なんだと思う。

 

 

フォン・ノイマンの人生には深く関心があったので、書店で「フォン・ノイマンの生涯」という本を見つけた時に即購入したのだが、これが大変な厄介事の種になった。

 

とにかく訳が酷すぎて、一文毎にうんざりしてしまう。変な形で大言止めが多用されているのも辟易するが、言葉の意味が通常の日本語の用法と違っていて、かなり首をひねる様な使い方をされている。実際にあんまりにも気になるので調べると、そのような用法や言葉使いは無かったりする。

 

自分が気になった訳文の特徴は以下だ。

  • 日本語の単語の意味が適切でないところがかなりある。
  • ひらがな表記、漢字表記の使い分けが標準的なものから離れている。
  • 大言止めが異常に多い。
  • 何故か主語が必要な場合でさえ省略されているため、文章が誰のことを述べているのか判定できないことが多い。
  • 文章の時制も適切でないことが多い。
  • 句読点の使い方もおかしい。
  • 論理的に意味が通じない箇所もある。

本当にうんざりしてしまったので、原著を購入し、英語で読んでいる。最初からこうすれば良かった。

原著の英語は普通の文章だと思う。内容もそこそこ面白い。なんで一ヶ月近くも日本語訳に取り組んで時間を浪費したのか不思議に思うし、本当に時間の無駄だった。

 

最高峰の頭脳の持ち主と言われていたフォン・ノイマンの伝記の日本語版が、こんな悪夢のような本に訳されているというのは、なかなかのブラックジョークである。

 

 

 

 

 

高専生が優秀な理由は、早い時期から専門的な実践教育が受けれることが大きいと思っていたが、学びのマインドの観点で考えると、彼らのマインドがそもそも学習と成長にかなり有効な気がしてきた。

 

学問の習得で有効なのは、主体性である。自分はこれを学びたいという意思が極めて大事である。高専生は中学卒業時点で、自分の専門性をかなり絞って高専に進学してくる。大学生になっても自分の専門性が決められない世の中の大多数に比べて、相当異なるマインドである。

 

理系か文系かを、楽であるかとかお得かどうかという判断基準で選ぶ事自体が違和感があるんだが、こういう人はかなり多そうだ。40年前の自分の高校生時代でも、高校で理系か文系かさえ決められない人が多かったんだが、今はもっと悪化しているようだ。

 

高専生は、大学の進学先を選ぶような人生の選択を中学卒業時点で行えているから、かなり主体的に自分の人生を考えている。こういうメンタルの違いが、優秀さを左右しているのでは?という気が最近している。

 

高専生を語る時に、教育システムの話ばっかりされるのだが、この早い段階で自分の人生の方向性を決められるメンタルというのは、誰も指摘しない。時間的には、中学生までである程度自分のやりたいことが見えるし決められると思うんだが、そういう発言をSNSですると、急に決められるわけないだろ!とか怒られる。それは、貴方に決める意思がないだけで、決める人はさっさと決めているし、人生はそういう決断の素早さがかなり重要だと思う。決めなければならないタイミングは小学生の頃から分かっているし、いつかは決めなければならないなら、さっさと動いて試して考えれば、中学卒業時点で普通は決めれる。要するにあんまり主体的に生きていないと思うし、そこが高専生は明らかに違う。

別に皆が努力しなきゃいけないと主張するつもりもないのだが、最近の世の中をSNSを中心に見ていると不思議な感じを受ける。

 

例えば、「努力すれば報われる」とかは、努力して報われるのかどうかなんて分からないんだから、報われるのを期待するのもバカバカしいという雰囲気で語られ、「勉強という努力をすれば、家の財力とはあまり関係なく有名大学に入れる」という発言は、自分自身への認知能力が足りなくて個人的な成功体験を普遍化する知能が足りない人の言葉と言われる。

 

こういう雰囲気で語られるSNSでの動画の主張を見ていると、努力を避け続けあらゆる事をめんどくさがる人間に言い訳を提供しているようにしか見えない。

 

この根底にある科学的なエビデンスは、行動遺伝学の研究成果で「努力の継続性は遺伝的な才能で3割から5割程度は決まる」というものである。まあ、これは研究成果であるから、そういう傾向は確かにあるのだろう。

 

しかし、才能なんてそもそも自分では全く分からないから、とにかく何かやってみないとどういう才能があるかなんて分からない。

一般的に努力に見えるような事をある程度やってみないと、自分に才能があるかどうかなんて分からないと思う。

 

だから、自分は小学生からとにかくやってみた。とにかく試すことを延々と高校生までやってみたので、自分にどんな傾向や適性があるのか、かなり分かった。これを努力と呼ぶのか?正直分からない。自分には殆ど遊びと同じ感覚だったからね。

 

自分の主張は、とにかく幼少期から青春期に色々とやってみて、どうやっても持続しないなら、その理由を自分で考える場合の材料として、行動遺伝学の結果も考慮して分析すべきだと思う。そうすれば必要以上に落ち込む事も避けれる。しかし、最初から試みない言い訳として使われそうな現在の雰囲気を見ていると違和感を感じる。なぜなら脳科学や心理学の研究結果を出来ない言い訳に多用する人々を散々見たからだろう。

 

努力が絶対的に必要だと言うつもりはないし、個人の選択で良いと思う。ただ、現状の努力に対する冷めた雰囲気と否定的な捉え方は苦手である。

 

余談)

色々と考えているが、努力した人は結果が出なくても報われなかったとは言わない気がする。報われなかったと発言することは自分の今までの行動を否定する行為だが、人間は自己を否定することを基本的に嫌がる。そうするとますます努力にネガティブな発言を言う人は、努力と呼ばれる行動をそもそもしていない人が多そうだ。

 

こういう行動に依存した考え方の分離は、どんどんと進みそうだ。

 

 

最近は、Claude codeが凄いとか、もう人間がコードをキーボードを叩いて入力する時代は終わったというような動画をSNSで良く見るが、自分なりの見解を述べたい。

確かに、Claude codeで、オーソドックスなコードを生成させてみたが、ざっと見た感じではコンパイルして普通に通る。LLMの基本的な原理を考えれば、かなり凄い。

ただ、それが筋が良いコードかと言われると、大体の感覚だが、正直に言うと30点から40点ぐらいだ。

これをSNSで投稿したら、プロンプトの指定が悪いからだって批判されたが、プロンプトをいくら工夫しても、学習データが非常に乏しい分野で、LLMベースのAIがマトモなコードを生成できる可能性はかなり低い。

自分は、今はGo言語で科学分野のライブラリの整備を始めたが、これはGo言語には、そういうライブラリが殆ど存在しないからである。確かに、LLMでC++の既存のライブラリをGo言語へ翻訳して下さいって指示を出したら、動く結果は得られると思うが、多分80点ぐらいのコードは出てこないだろう。そもそもClaude codeでそういうものが生成出来るなら、既にGithubで見つかる筈なのだ。

プログラマーの方なら分かってくれると思うが、元々の筋が良くないコードを修正するのは非常に大変だ。それをするぐらいなら、自分で書いたほうが速いしストレスもない。

 

有料記事で途中までしか読めないが、Githubとかのコードの増加は横ばいで、実際に調べてみると生産性は下がっているという記事もある。

 

自分は主にGeminiと会話しているが、自分が関心がある世界の誰もやっていない技術的な問題になると、回答は全てトンチンカンなゴミが返ってくるが、それは誰も世界でやってる人が居ないという一種の証明なので、なるほどって思っている。

 

ただ、非常に単純で繰り返しが延々と続くコードもあるから、そういうところではAI使って楽をするのは、有効だなって思う。

 

 

なんか虚しい投稿なんだが、ちょっと言語化しておく。

 

堀江氏が何が分かっていないのかをログとして残しておく。

 

そもそも大谷選手って何が凄いのかって話なんだが、彼は野球という人類が勝手に決めたルールの中で、一種の最適化を極限まで突き詰めた選手ってことなんだよね。

 

野球のルールは、人類が決めたものだが、そういう厳密なルールがあるからこそ、今まで色んな人がそれに魅了され、極限まで自分を追い込み、そのルールの中での最適化を目指した訳だ。ルールが厳密でなかったら、そもそも最適化なんて存在しない。

 

そういうルールの中で、大谷選手は滅茶苦茶ストイックに最適化を目指して、それに成功したある意味究極な存在なんだよ。

 

だから、堀江氏が知のオリンピックとかやるべきだってアホなことを言っているが、人間ってルールがなければ、そもそも最適化を目指せない。知のオリンピックってルールは何なんだ?って思うね。

 

そもそも本当に知的な作業って基本的にはルールを壊すか、新しいルールを作ることっていうことが大前提であることを彼は知らない。

 

彼は興行的にどうか?って議論を好む人間だ。本当の知の改革なんて全く考えていないと思うんだが、じゃあ、どうやって興行的に面白く見せるか?って議論も全く欠落してる。

 

野球とかサッカーとかバスケって、見ている人の解像度は全然違うが、見れば楽しい。例えば、伝説的なイチロー選手が野球の中継を見るのと自分が見るのでは、解像度は天と地ほど違うが、自分でもなんとなく相当低い解像度でも楽しめる。

 

じゃあ、知のオリンピックを仮にやったとして、それって一般人が見て楽しいのかって疑問が凄く生じる。例えば、数学オリンピックなんて昔からあるけど、それって興行的に楽しいかっていわれれば、誰も見ないし解らないよ。今までで成功してる知識を競うのって、クイズ王ぐらいだ。だが、それも答えがある時点で、本当の意味での知の探求にはならない。

 

大谷選手と同じレベルで知の探求をストイックにやるとなると、もう興行的には絶対に成功できない。大谷選手のレベルって、殆どノーベル賞レベルなんだよね。まあ、ノーベル賞って意味があるのか?って議論がそもそもあるしね。

 

だから、彼が主張したい議論の根底がそもそも理解できない。

 

そもそも、あそこまでストイックで素晴らしい大谷選手を自分の意味のない主張の為の材料にする精神性に大きな疑問を抱くね。

 

彼は人間として何か終わっている気がする。最近、日本の国がかなり荒廃してきたが、彼を見ていると、そういう代表格なのかな?って思うよ。除夜の鐘がうるさいから、やめろって苦情をいう人間と彼は殆ど変わりがない。その精神性のベクトルを見ると殆ど同じなんだよね。

 

堀江氏が、大谷翔平選手をいくらディスろうが、まあ、そんなナンセンスな馬鹿な意見にはそもそも誰も耳をかさないし、勝手にやってろって思うんだが、寿司職人を馬鹿にするのは許せんね。

そもそも最近の世間で多い職人を馬鹿にする雰囲気って最悪だなって思う。

 

堀江氏なんて、馬鹿な意見しか言わないから、無視するって決めていたが、寿司職人を侮辱するのにはかなり怒りが湧いた。まあ、馬鹿に怒っても意味がないのは分かっているんだが。小学生が馬鹿な発言したって大抵の人は怒らない。それと同じなんだが、ただ、それが人を傷つけるなら怒って躾けなきゃいけない。

 

自分は、凄い寿司職人を二人知っているが、どっちも人生の化け物のような爺さんだよ。一人はもうとっくに80歳を超えているのに、現役で、凄い美味しいお寿司を1,000円ちょいで食べされてくれる。味を考えれば、2,000円でも安いんだが、大将に聞くと回転寿司に負けちゃうから値上げできないという。こんな美味しい寿司を回転寿司と比べる奴は居ないと思ったが、時代はもうそうじゃないらしい。ちょっと悲しくなってしまう。

 

もう一人も、70歳超えてるのに現役の人だが、色んな人情の機微が凄い分かる人で、すげえなぁって思いながらついつい閉店時間まで居てしまう。今は良いネタを仕入れるのも大変なのに、いつも凄い美味しい。自分も一つの道を極めたいと思って努力してきた人間だから、なんか色々と話していると、なんか本当に人生の先輩だなってつくづく思う。自分もここまで極められたらなぁ〜って本当に憧れる。分野は全然違うんだが、話しているとなんとなく分かるんだ。あぁ〜この人はある境地まで達したんだなって。だから自分も頑張ろうって気になるんだ。

 

誠実に仕事を長い間に高い技術力を持ってすることが、如何に困難かって自分もエンジニアの端くれだから分かる。

高い水準を維持するには絶えず全力で行動しなければ、そもそもそんなの不可能なんだよ。それで全力で絶えず行動するって、ある意味魂を削るって行為なんだ。

 

堀江氏のような魂を削ってまで何かをなしたことがない人には、そもそもそういう行為の意味がわからないんだなって、思えてくるね。彼の今までの人生なんて殆ど知らんけど、職人を馬鹿にするってことは、そういう魂まで削らんと到達できない境地にたったことが一回もないってことなんだろう。そういう低い解像度しか今までの人生で認識できないって哀れなのか、物事の本質をしらないから無知で幸せなのか分からん。最近は、馬鹿で無知なほど人生は幸せなのかもしれんって思っているからね。ある程度の解像度を持ってしまうと、そもそもこんな馬鹿な発言は絶対に出来ないから、ある意味馬鹿で無知って幸せなんだろうなって思う。

 

自分には、寿司職人の高度な技術がどうやって作られているかは全然分からないが、味は分かる。けど、そういうレベルの高い美味しさって考えると、その基盤にどれだけの努力があるのかってなんとなく感じる。多分途方もない時間がかけられている。

 

こういうのって理屈じゃないんだよ。料理人で、本当に美味しい料理を作る人って、物凄い時間をかけているのが、大体直感で分かる。自分がエンジニアとして、そういう一種の魂を削ってまで、性能を追求した経験があるから、直感でなんとなく感じる。

 

けど、そういう自分を極限まで追い込んで追求するって、もう絶滅危惧種なのかもしれないね。

 

実際、凄い寿司職人も凄い高齢者しか居ないもん。

ただ、70歳の大将には、弟子が居るから楽しみだよね。全力で応援したい。そんなにお金無いけどw

 

最近の映画とかアニメを見ていると、バトルシーンでの情報量の多さについていけない。

 

想像だが、作り手がゲーム世代なんだろうなぁ〜って思う。自分はゲームは、プレステ1で終わってしまったから時々見るゲーム画面での情報量の多さについていけない。

 

こういうのって一種の鍛錬だから、ゲーム世代には今の情報量がちょうど良いんだろうと思う。

 

ハリウッド映画のヒーロー物とかも、本当に細かい所まで映像として作っているが、正直言って自分には処理できない。だから、本当に大事な所も細かい所に気を取られて伝わってこない。

 

なんか昔のアニメは、かなり情報を間引いていた。そもそも作り込もうとしても、そんな予算がない。ガンダムに関する回顧動画で安彦良和氏が話していたが、宇宙戦艦ヤマトを基準にすると、ガンダムは圧倒的に低予算の作品だったらしい。ヤマトがグレーに90色ぐらい使えたのに、ガンダムは全体で90色しか使えなかったらしい(笑) それぐらい低予算の作品だった。

 

今は、CGで作れるから、細かい所まで作り込めるという技術的な進歩もある。

 

ただ、色々と考える所もある。

 

予算による技術的な縛りが強いと、逆に引き算の美学が働く。本当に伝えたいのは何なのか?という極限まで削ぎ落とすことで生まれる美学がある。

 

例えは悪いが、ギターのアドリブで、自分は師匠に意味がない音を弾きすぎているから、極限まで音数を減らして、本当に大事な音だけを弾く練習をしろって言われた。それが出来てから、音を増やせと。だから個人的には情報の引き算があんまり悪いとは思っていない。本当に伝えたいことを、昔のアニメはCG技術も無い、予算も無いから、削りに削って絞り込んだ強さがあるのかな?って気は少ししている。

 

ただ、自分の意見もかなり適当だ(笑) 自分は呪術回戦のアニメが好きだが、あれは情報量はかなり多いんだよね(笑)

 

子供の頃は、鳥山明先生や桂正和先生のスタイリシュな絵が好きだったが、年齢を重ねると手塚治虫先生の描く所は圧倒的に細かく描くが、それ以外は漫画的表現を使うっていう表現の合理性と良い意味での漫画的な表現が好きになっていったから、人間の好みなんてコロコロと変わるもんだなって自覚はしている。

高専機構が、全国51の高専で、「半導体人財育成エコシステム構想」を立ち上げたらしい。

 

 

大きな疑問が多い。

 

1) 何故、全国規模でやるのか?

 

高専機構は、スグに「スケールメリット」という言葉を出して全国規模でやろうとするが、そもそも半導体工学を専門にしている教員が全ての学校に居るわけではない。少なくても自分が働いた2校では、居なかった。

元々、半導体に強い学校はあると思うので、そういう学校だけ拠点校指定すれば良いのでは?って思う。

そもそも半導体の評価に必要なX線回折装置を所有している学校は一体何校あるんだろう? X線回折装置って安いものでも1000万は軽く超えてくる装置だ。

 

2)人材育成の意味が解っていない

 

現在の高専の卒業研究用の予算は、現在は10万円以下である。30年前は100万程度あった。100万円って聞くと大きな額と思うかもしれないが、ちゃんとしたモノづくりの卒業研究用のテーマを行うと基礎的なものでも簡単に60,70万円を超えてしまう。だから自分は毎年自腹を切っていた。10万円では何も出来ない。これでは戦時中の竹槍で戦えというのと同じにしか思えない。

エコシステムって言葉が入っているから、なるべく低予算で育成しろって意味だろうし。

 

これで教育予算が大幅にupするなら、まだ分かるが、今までの経験からそんな事は絶対に起こらない。

 

3)半導体のどの部分に特化して教えるのかが分からない

 

半導体は、現在では加速器で元素をシリコンに当てて半導体にしているし、露光装置を理解するには、光学の回折理論とかが必要だ。また、VHDLの様なロジック回路を理解するのか、量子力学で理論を理解するのか、焦点が良く分からない。高度な真空技術も必要だ。それぐらい半導体技術というのは広範囲で高度な技術と知識が必要な分野なので、この構想を立案した人は本当にその難しさを理解しているのかが凄い疑問である。

 

結局、電磁気学や物理、化学の基礎とロジック回路の基礎をやる事になると思うのだが、それなら今までちゃんと教えてきている。そう思うと、これはタダの宣伝じゃないかな?って思う。こういう実態と合っていないけれども、金の卵を産みますよってアピールしてお金を集めたいのかな?って思ってしまう。だから企業がお金を出すのか?ってかなり疑問だ。

 

教育機関が、こういう一種の誇大広告をしだしたら、終わりだなって思うね。高専って利益を追求している訳では無いんだが、高専機構の理事とかは頭の中がお花畑なんだろう。こういう構想は基本的に強制だから断れないし、達成度のエビデンスの書類作成も大変だ。実態は、予算も無いから派手なことは出来ないので、エビデンスの書類作成は本当に辛くなる。

 

余談)

高専機構本部の資料を読んだが、あまりにも役人的な資料だから、笑ってしまった。こういう資料を作る人って、本当に表層的な所しか見ていないんだな。せめて学習到達目標ぐらいは示すべきだ。Society5.0とかイノベーションなんて言葉は本当に不毛だと思う。何を教えて、どこまで成長させるのか?が一番大事なのに、そういう記述が殆どない。内容が空っぽな文章なんだよね。役人は、こういう空っぽな文章を作るのが本当に好きなんだなって思う。

 

 

 

 

 

最近、AIの本を読んでいる。

 

LLM自作入門という本だが、割とちょっと読むだけで、ChatGPTとかGeminiの基本特性は解った。

 

世の中の人は、AI に対して人間的な知性を求める傾向が強いが、今のAI は全く別の形の知性的なコードだと理解すると、別に嘘つかれても、あんまり気にもならない。元々、膨大な学習データに対して統計的な確率で答えを出すシステムなのだから、間違うのも当たり前なんだよね。

 

スケーリング則という一種の経験則から、大規模化を目指したが、人類全体の有効なデータである30兆程度の学習データの半分ぐらいは殆どのLLMは学習してしまったので、もう今のアーキテクチャでは飽和している。(だから、新しいAI のアーキテクチャを考えるのが楽しい)

 

ただ、半分と言っても15兆トークンの学習データを持っているというのは、かなり意味がある。人間は一生でせいぜい1億から10億程度の学習と見積もられているから、会話が可能なデータベースと思うと非常に便利である。

 

だから、自分の使い方はシンプルで、こういう意見は世の中にあるか?としか聞かない。Geminiは割と提案をしてくるが、それは読んだだけでかなりナンセンスな提案が殆どだ。ただ、LLMの原理が解れば、そういう学習データが世界に無いことを示しているから、頑張ろうって気になる。

 

今のAI を見ていると、本当に補助をしてくれるパートナー的な側面が非常に強いので、専門分野ではAI を超える知識と洞察力が無いと全然使えないと思う。だから、AI 時代だからこそ、人間はより一生懸命勉強しないとAI が使えない訳だ。

 

プログラムのコーディングでも、AI にプロンプトで細かい指示を出すよりも自分で実装したほうが圧倒的に速いが、単調でひたすら面倒くさいコードも実装では結構あるので、そういう所はAI を使って楽したいと思う。