名古屋城の梅は、とても綺麗だったのでした・・・。(どうして・・・どうして岐阜城の話じゃないんだ・・・・・・!)
すっかり春めいてきました。気温は一進一退の三寒四温だけれども、名古屋は花開いています。岐阜の開花はもう少し後なのかな。
私は今後も岐阜に残ります。岐阜の皆さん、これからもよろしくね!
ただ、今年はやることがいろいろある・・・車の運転免許の更新に行かなきゃでしょ、パスポートの更新にも行かなきゃでしょ、資格試験もあるし・・・節目の年かな?熊本にもね、帰ってるんだよ?
この前の日本号&日光一文字弾丸ツアーの時も、本来の目的は熊本での勉強会があったのでそれに合わせてなのでした。以前もチラリとお話ししたのを憶えているかな、ブラジル移民の父・上塚 周平さんのことでなんですけど、この人と横井 小楠にまさかの繋がりがあったのでメモしておきますね。
上塚 周平(うえつか・しゅうへい)は明治9(1876)年、熊本県下益城郡杉島村赤見(現・熊本市城南町赤見)に生まれます。
父は横井 小楠の弟子、長兄は熊本洋学校、次兄は大江義塾の出身です。徳富 蘇峰が熊本洋学校の出身であり大江義塾の創設者、また蘇峰の父が同じく横井 小楠の弟子であることから、徳富家との繋がりが深いと同時に典型的な実学党の家柄でありました。周平自身は「熊本英学校」(現・熊本フェイス学院高等学校)の出身であり、熊本英学校は小楠の娘(みや)の夫(海老名 弾正)が学長をやっています。
同窓生には宮崎 滔天(高木 元右衛門の義弟であり、孫文を支援して辛亥革命に関わる)がいます。ちなみに、2番目のお兄さん(上塚 真熊)は国木田 独歩の親友だよ。
周平はかなり遅咲きの人で、31歳でようやく大学を卒業しています。英学校(在学中に閉鎖)→濟々黌(佐々 淳次郎の甥・友房が創設)→第五高等学校(現・熊本大学)→東京帝国大学卒という輝かしい学歴を持ち、幼い頃から頭の良さは群を抜いており評判だったそうですが、とにかく変人、偏屈の絵に描いたような肥後もっこすで、子どもの頃の逸話として
・高等小学校卒業時、卒業証書と表彰状を燃やす(周平談:「紙切れにこだわりはありませんので。僕は僕自身が上塚 周平であることを貫きます」)
・先生に鞭で叩かれたら、反撃に先生の足に噛みつく
・自分で気球を作り、ヘリウムを入れて飛ばす(明治時代、気象観測は観測地点から気球を飛ばして行なっていたが、それでも一般人はしない)
が残るのだそう。まじぱねえ。正直、いろんな熊本人のぶっとんだ逸話が多くて昔の熊本人大丈夫だったのかよと思わざること山のごとし。
何故、31歳まで卒業にかかったかというと、単純に学校をサボっていたから。無類の議論好き、自由人で、煙草であちこちに穴の開いた手垢で光る袴とぶら下げた腰弁当が通常衣装。そんな姿で学校ではなく本の著者や新聞等で知った著名人の家に直接議論を吹っ掛けに行く。怖いですねー。同じ実学党の流れを汲む人でも、前回取り上げた左一や一十がとてもまともに感じます。私が庶民だからなのか・・・?
このように、いかにも過激で自由な彼の考え方の属性は「海外雄飛論」(いわゆる台湾遠征論や征韓論と同じで、淳次郎が台湾遠征論に目覚めたという話はだいぶ前にしましたね)。琉球漁民遭難事件に端を発し、台湾出兵、そして台湾統治の流れがありますが、周平は日本の文化を教えるために統治後台湾に渡っています。そこで見舞われたのが流行り病で、周平自身は無事だったものの周りの人が次々と倒れていくのを見て、自身の命を何に捧げるかについて深く考えさせられたのだそう。やはり、国に尽くすこと、当時の人が行き着く答えは、どうもこれに尽きるようです。
第五高等学校時代は夏目 漱石の講義を受けており、漱石の影響で俳句を始めています。俳号は「瓢骨」(ひょうこつ)。「たとえ中身が空っぽでも、瓢箪のように腰が据わっており一本の骨がとおった」生き方を表す周平の理想が詰め込まれた号なのだそう。周平はブラジルに渡航してからも俳句を詠んでいて、それが一緒に渡航したブラジル移民にも浸透し、現地で子孫となった日系○世(現在は5世まで広がっている)にも息づいています。
また、現地では窮乏をしのぐために風車・竹とんぼ・紙風船を作って売る内職をしており、これがまた飛ぶように売れた。そのため、日本の玩具は現在でも遠く反対側のブラジルにも伝わっています。
そんな勤皇党永鳥ばりの歩く巨大扇風機・周平ですが、ブラジルに渡航することになったのは、意外にも自分から手を挙げたのではなく受動的にでした。その鍵を握るのは、水野 龍という一人の土佐いごっそう―――
周平の人柄を垣間見たところで、今回はここまで!
次回は、なかなか複雑でわかりづらい移民政策についてまとめながら、結末に向かって突っ走りたいと思います。
※上塚 周平氏の写真画像は、サンパウロ人文科学研究所のページよりお借りしました。