私の推しメンは 松田 重助、永鳥 三平、佐々 淳次郎の御三方 ですが、
我が故郷 熊本県 では私の知らないうちに意外な人物が推されておりました。
「もとえも~~~ん!!」
「は~い」
「誰!?」 とは言わぬ。大丈夫、君のことはちゃんと知っているよ、言われないとわからないけど・・・・・・
彼の名は 高木 元右衛門 (たかぎ・もとえもん)。
松田ら同様に肥後勤皇党に所属、池田屋事件に遭遇し、その場は切り抜けますが、禁門の変で戦死する志士ですね。
彼の銅像が、2010年くらいに建てられていた、だと・・・・・・?
ちなみに 建てた張本人は 熊本県菊池市 。
by ウィキ先生。濃いピンクが菊池市。大分県との県境にある市です。
菊池市は もとえもん出生の地 ですって!
ちなみに、るろうに剣心のロケが行なわれた 山鹿市 は菊池市の左隣で一番上の薄いピンク、新選組尾形さんゆかりの地である 嶽間村 は、それよりちょっと下くらいです(現在は熊本市の一部)。
なんか人選のセンスが私とどっこいどっこいじゃありません菊池市!?
な、なんでもとえもん・・・・・・?
と、同類の私が疑問に思うくらいの謎チョイスなのでしたが、
この人の 出自 を見て、「あぁ~なるほどな~」と思いました。
実は熊本には、宮崎四兄弟 と呼ばれる謎の兄弟がいて、
もとえもんはその兄弟の義兄なのです・・・・・・
別に謎の兄弟でもないんですけどね!!

八人兄弟なのに四兄弟と言われる点を除けば!(笑)
あまり語ると深みにはまって幕末から離れてしまうので軽く触れるにとどめますが、
宮崎四兄弟は、兄弟を通じて 西南戦争、自由民権運動、辛亥革命 に関わっている、
いわば 政治家一家 ですね。
※ もう少し詳しく知りたいという方は、資料館のリンクを貼っておきますので、
こちらからどうぞ
宮崎兄弟とは

宮崎四兄弟の一番上・宮崎 八郎は、司馬 遼太郎の小説『翔ぶが如く』に出ています。
もとえもんはこの 宮崎兄弟の父親・宮崎 政賢の養子 なのですね。
なので八人兄弟の中には含まれないのですが、宮崎兄弟とは義理の兄弟になります。
う~ん、この一家の出ならもとえもんが志士として動くようになるのも頷けるかな。
宮崎家のパパは子どもたちに自由な教育をさせたくて、もとえもんを教育係の目的で養子に迎え入れたらしいのですが、もとえもんは宮崎家を出て脱藩、でも宮崎家は普通に長州征伐に駆り出されるお家柄なので、さぞかしあちゃ~っ、と思ったことでしょう。
自由すぎるよ、もとえもん。
いや、あのパパなら「やっぱりか~」と納得するかな?
もとえもんは実家である高木家の出所もはっきりしていて、肥後勤皇党の志士の中でも最も個人情報が開示されている人だと思います(笑)
と、いうことで、たまには地域貢献に乗っかってみようと思って書いた記事なのでした(笑)
あーそうそう、画像の高木 元右衛門の銅像ですが、菊地市中心街のわいふ一番館(郷土資料館だそうです)というところにあるそうです。
もし、菊池に旅行に行くことがあって、もとえもん像を見る機会がありましたら、「あ~こいつが新選組から逃げおおせた奴や~」と、爪先をよしよししてやってください(笑)
最後に、高木家の由来と菊池市の観光名所について
菊池観光協会のHP
旅行好きのかた、歴史好きのかた、自然好きのかた、おすすめですよ
では

もとえもんはこの 宮崎兄弟の父親・宮崎 政賢の養子 なのですね。
なので八人兄弟の中には含まれないのですが、宮崎兄弟とは義理の兄弟になります。
う~ん、この一家の出ならもとえもんが志士として動くようになるのも頷けるかな。
宮崎家のパパは子どもたちに自由な教育をさせたくて、もとえもんを教育係の目的で養子に迎え入れたらしいのですが、もとえもんは宮崎家を出て脱藩、でも宮崎家は普通に長州征伐に駆り出されるお家柄なので、さぞかしあちゃ~っ、と思ったことでしょう。
自由すぎるよ、もとえもん。
いや、あのパパなら「やっぱりか~」と納得するかな?
もとえもんは実家である高木家の出所もはっきりしていて、肥後勤皇党の志士の中でも最も個人情報が開示されている人だと思います(笑)
と、いうことで、たまには地域貢献に乗っかってみようと思って書いた記事なのでした(笑)
あーそうそう、画像の高木 元右衛門の銅像ですが、菊地市中心街のわいふ一番館(郷土資料館だそうです)というところにあるそうです。
もし、菊池に旅行に行くことがあって、もとえもん像を見る機会がありましたら、「あ~こいつが新選組から逃げおおせた奴や~」と、爪先をよしよししてやってください(笑)
最後に、高木家の由来と菊池市の観光名所について

旅行好きのかた、歴史好きのかた、自然好きのかた、おすすめですよ

では

