骨休め~周平のアルチュウばなし~ | 植民所在地3丁目

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Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

上塚記事は鋭意作成中です。

 

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学生時代の上塚の写真が見当たらないので想像で描いた。金田一耕助とベートーベンを足して2で割ったようなイメージ(どんなや)。

う~ん、同じ時代を生きた合志義塾組とかなり対照的。筆の乗りも対照的だった。

 

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『カタルパの樹』の左一と一十を描かせていただきました!何気にこの二人、私好きみたい。

 

前回掲載した周平の写真は晩年に近い、体を壊した後の姿で、それより前はもう少しふっくらした容貌だったそうです。体を壊した原因はアルコール依存症で、移民事業で命を落としたのは何も渡航に手を挙げた名も無き人々ばかりではなく、事業を手伝ってくれた甥にあたる周平の二番目の兄の子もでした。兄に対する罪悪感を、アルコールで気を紛らわせていたのだそうです。

また、帰国の機会は何度かあり、実際に帰国していた時期もあるようですが、偏屈なくせに全身全霊圧倒的責任感をもつこの男は、結局ブラジルに戻ってきて移民の世話をし、そのままブラジルで亡くなっています。そのため、周平の遺骨は熊本の実家にはなく、リンスというサンパウロ州の市にあります。

 

移民に身を捧げた人生であるため、生涯独身でしたが、周平の脆さやひたむきさに惹かれて彼の身辺の世話に尽くした女性(釘本 ユミ)がおり、京都出身の子連れの未亡人というこれまたドラマティックな人生を歩んだこの女性に支えられて生きたというロマンスがあります。ふふ、周平しゃん、人間らしくていいね。

 

 

ところで、鳥飼(とりかい)というお酒は皆さん知っていますでしょうか?全国どこの居酒屋でも大抵見かける熊本の米焼酎です。

江戸初期、熊本藩とは独立した肥後人吉藩の時代より酒の醸造を行なっている由緒正しい家柄で、平安時代京にいた鳥飼家にまで遡ることができるのだそうです。その家系が土着し、熊本県人吉市となった現在でも変わらずお酒を造り続けています。

明治時代にこの鳥飼酒造の跡を継いだ○代目(時代的に「清治」さんかな?)は、上塚 周平の英学校時代の友人で、周平が移民事業に関わってからも友情は変わらず、それが周平の精神的な支えとなったといいます。ま、まさか周平がアル中になるほど酒を提供したのは君じゃないだろうな!?←

周平さんはこの鳥飼酒造さんからもお金を借りていますが、結局返済していません(爆) このことについて、周平さんの親族は鳥飼酒造の社長さんに言っているそうなのですが、社長さんは「先祖がやったことだから、関係ない!」と金銭を一切受け取らないのだそう。すごいですよね。

 

鳥飼酒造さんはなんとか酒造さん(?)と仲が良いと聞き、酒の擬人化は既に存在しているけれど酒だけでなく酒造ごと擬人化しちゃえばいいんじゃないのと思ったのでしたまる・・・( ˘ω˘ ) 一つの酒造が複数のお酒を造っているので性格に多面性が出るし、自分の生んだ酒との関係も描けるだろうし・・・まぁ、私は山田十郎以上のことはしないけど(爆)

 

 

私の熊本人擬人化(←!?)も、いつの間にか自作他作含めてかなりの数デザインができているのでここいらで一度デザインの一覧を作りたいですね。自分の調べ方や創作で拾えなかった部分を、はべろんが違う視点から見て拾ってくれていることが嬉しい。

はべろんは元々戦国時代が好きなようですが、岐阜や信長の影響で私も戦国時代に興味を持ちつつあるので、幕末にも関係してくる細川伊達濃州兼定あたりもっと知りたいです。そうそう!4月から関兼定展が岐阜県博物館で始まりますよ!そして、6月には土方 歳三の和泉守兼定そして黒田 長政の刀剣についてと立て続けに超弩級の講演会が入ります。これはいいい、行かねば!!

 

 

あとどうでもいいことではあるのだけれど、(タグは確かに貼ったけれども)とうらぶ関連の記事を2コ書いただけで本ブログのジャンルが「TV・PC・ポータブルゲーム」に分類され、勝手に順位づけされていた挙句「ジャンルに合った記事を投稿しよう!」(じゃないと解除するよ!)と運営側から脅し文句まで送られてきてん???(^ν^)という気持ちでした。え、好きにしたら???

通信制限がすごくてつむつむ以外ゲームを殆どやったことのないでうくなのでした(( ˘ω ˘ *))