わずらわされてしまう時間がふえてしまうと、つい、短気をおこしてしまったり、ええいこのやろう~って、言動をとってしまったり。なかでも、あきらかな姑息や、偽善を、あまりにたくさんみせられると、ほんとうに、不愉快になってしまうものですね。なんとかにつける薬なし、なあんて、ことばがうかんで、極力、それが視界にはいらないところに、場所を移そうと、なってしまう。のです。そして、こんなときに浮かぶのは、池田晶子さんがさいさん著書で言われてた、あのことば。「言ってわかるひとは、言わなくてもわかるし、言わなきゃわからんやつは、言ってもわからん」と。それどころか、へたをすると、間違った相手に、うかつに真理をことばにしたりすると、プライドがどうしたということで、とんでもない愚行のターゲットになりかねない。ほんに、どんな立場も、立ち位置も、それぞれ、それになってみないと、ほんとうの危機感は、わからないのかもしれないですねぇ。身を守るために、賢者になるのは、ときに、とてもとても、むずかしく、どんな頂を目指すことより、エネルギーがとてもいることなのかも。とさえ。

 

せっかく、ようやく晴れ渡った、気持ちの良い朝に、なして、それも冒頭に、こんなことを書いてるわたしは、たしかに、いささか疲れていますねぇ。むろん、おろかなだめおくんに、悩まされないでずっといられることなどないとは、わかってはいても、よけいなことに神経をつかわないと行けない時間が増えすぎると、情けないけど、ほんにイライラになってしまいます。ここだけの話。いつからか、そう名付けて忌ました。ろんがいだめお。それがもっとひどくなると、へんたいだめお。でも、前者の響きの方が、呼びやすくて、それに定着しています。ともあれ。どう説明したものかと、思いますけれど、やはり、先の池田さんの名言に集約されてしまうのですが。気持ちというのが、もし、気の持ち方、気概の持ち方をいうのだとしたら、そのとおり、それがわるい、間違っている、ものに対して感じるものが、「気持ち悪い」なのでしょう、とおもいます。ことばは、いくらでも嘘をつけるけど、空気は、けっしてうそをつけない。日頃のおこないとは、つまり、日頃どんなふうに、まわりを見て、自分とどう対話して、どう行動しているか、なのでしょう、とおもいますね。誰が見てても恥ずかしくない、いや、人ではなく、自分自身に恥ずかしくない行い、それの積み重ねで、時を経るごとに、なにをしてきたかが、そのひとの風貌、人となり、に、集約されて、いわゆる、見た目というものになるのでしょうかねぇ。

 

それにしても。コンビニでも、その他の、誰でもが入れる場所で、思うのは、そんな、要注意と感じるにんげんの(割合の)なんて多きかな。あれは、どうしてわかるのかと、言われても。むしろ、直視しないで、視界の隅に映った瞬間に、それとわかるのは、なにかが、つまり、空気がおかしい、のです。動き方が、じつに不自然。相手がどう思うかなどお構いなしに、空間への配慮なんてかけらもない。つまり、含羞が。なにも、レディなんとかのような、とってつけたようなそれのことを意味してるのではなくて。それらの人間がふえてしまうことの、根源はなになのでしょうねぇ。スマホの中に、真実があると真剣に信じているにんげんが、わかものが、増えてしまうことと、関係あるのでしょうかねぇ。いえ、背中で、普段の行動で、わかものが、おやっと、思わず足を止めたくなるような、そんな筋のとおった大人が、少なくなってしまっているのですかねぇ。言われてはいと、できるくらいなら、はじめからできてるでしょし、もし、はいとそれをいともかんたんにできるふりをするにんげんなら、むしろ、かえって、信用できないから、あぶないし、気をつけないといけないわけですし。ひとは、自分自身が、自分のこころが、真に納得して、そうしたいと思わない限り、簡単には、日頃の行いのベースを変えることなどできないようですから。つまり、自分で気づかないと、進化はむずかしい、ということなのですかねぇ。

 

してみると。なんとも、にんとも。しかるにしこうして。ほんに。かっこよくいきる、かっこよくある、とは、ほんに、たいへんですねぇ。えらいですねぇ。えらいはえらいでも、しんどいほうのえらいですねぇ。自信があるとかないとか、そんなことはいいわけにはならず。要は思いやり。相手のことを考えられるゆとり、気持ち、やさしさを、もてるだけの、つよさがあるかどうか。それに尽きるのではないかなぁと。思うのですがねぇ。ところで。これは確認のしようがないので、なんとも癒えないのですが。ときに、ふと思います。これは、もし、猛獣系の女子なら、このおかしか空気や、背後にまわられることへの不快感は、さして気にならないのか、という、仮説について。それとも。相手にそれをさせないような、空気がオーラが滲み出ている、ということなのですかねぇ。(私の場合、トラなのは外側だけで、ほんしつはたぬきだし、そのこころは、繊細な?草食のぞうさんだし。もしこれが、なかみも、こころも、ライオンやオオカミだったら?雑魚のうごきに、さほどわずらわれない図太さをもちあわせられる?のでしょうかねぇ。永遠になぞですねぇ。別の星をもって、もういちど、生まれてこないと、確かめようがないですねぇ。)

 

ときどき、思います。そこにいったら、ふらりといったら、『話せる』だれかが、たいていいて、いや、いなくても、心底、ホッと出来るような、そんな場所が、あったらどんなにいいでしょねぇ~と。もし、家族のだかれかが、そんなひとりになってくれてる、そんなひとは、ほんに、ほんとに、ほんまにほんまに、しあわせですねぇ。『話せる』、おんなにことばが、ほぼおんなじ、意味で伝わるということ、の、なんと、むずかしく、ありがたき、ことなのでしょうねぇ。ふとした、愚痴でも、ものごとの、深層でも、なんでもいいので、ふとした、感慨を、おなじように、だれかと共有、共感できることの、なんて、うれしくしあわせな、ことでしょうねぇ。くっだっらん、という、話を、ずうううっと、している場所に、少しなら、それとて、ほほえましくもあるけれど、あまりに度が過ぎると、あほちゃうかぁ~の、ひとことが思わずこころに洩れてくるよな、そんな場所には、あまり長くはいたくないものです。やさしさは、ひとのおおきさは、学歴などは、ほんとにまったく関係ない。むしろ、そんなものに、目がくらむと、肝心はほんとうを、見落としたまま、しょ~もないものにとらわれたまま、せっかくの目の前の時間を、無駄にしてしまう。そんな気もします。

 

そう書いて、気がつきました。これは、いまのわたしへの、ヒントなのだと。そうです、目の前の、しょ~もないことに、せっかくの時間を無駄にしてまいかねないと、自分の潜在意識からの、ヒントなのだと。かからわないで、そんなものを、目に入れないで、ほんとに、考えるべきこと、生きることに、誇りをもつということに、信念と矜恃を。ひそかに、しずかに、もっていたらば、それでいいのだと。(いやぁ、それでも、であいがしらの、ふこうは、いつでもどこでも、気を抜かずに、気をつけていなければ、それこそ、まったく話にならんものやにんげんに、くっだらんことに、時間を、もぎとられかねないから、やっぱり、油断はいけませんねぇ。はぁ~。それにしても、もてないおすは、めすのそれとは比較にならんぐらいの、どうしようもないまいなすな思考と感情にうごかされてしまうのですかねぇ。つけるくすりは、ほとんにないの?)と、いうことを、なんもかんも、わかっている、ひととはなすことができたら、どんなに安堵できるでせうねぇ。やさしさは、ほんとうのやさしさは、だから、そんなにかんたには、もつことが、だれでもできないものなのだと、気づいて、あらためて、つよさの土台について、思わず、思索を、詩作を?巡らせてしまいます。

 

なあんて、いくら書いても、いっこうに、こころのこりはほぐれてきません。やはり、もっと、気持ちが、心地が、ほっといいなと、おもえること、ものごとに、こころを向けていかないと、ひとは、こころは、おだやかに、うれしい時間をもてないようにできているのかもしれませんねぇ。ふ~。

 

1時に起きて、小一時間ほど横たわっったあとに、2時ごろふとんをでる。。。これも一応早起きというのでせうかねぇ。にんとも。過度のきゅうげきな筋肉疲労に加えた、そのあとの、長すぎる臥せ姿勢。。。このせいで、ふとんにしがみつくとき、首をカメさんのように、ぎゅううっと、鋭角にまげて、まるめたタオルケットを抱え込んで、右に左に、寝返りを打って。。。そうこうするうち、首の後ろ?のけつりゅうが、おそろしくわるくなり、脳に血がいかなくなるのでせうねぇ。すると、自然に、考える事が、同じ軌道から離れることができなくなって、ターンテーブルのように、ずうううと、おなじところをまわりつづける。それも、いいことを考えるわけもなく。。。こうして、ひとつの不元気ができあがる。ここまできて、やっとその、形成回路が、わかった。ああ。母さんが、のべ3ヶ月の入院で、ひざの関節をいれ、これまでの痛みとわかれて、さらに動けるようにするための、それが、こうして、眠れない日々との対峙となって、而して、こころが、こうどうが、うごきが、こわれてしまったのだ。

 

眠れないといいだしたそのときに、すべきだったのは、そのまましばらくほおっておくことでも、そのうち、行動が不自然になってはじめて、あわててびょういんというところに、つれていくことでもなく、もっと早い時期に、指圧やマッサージ、話相手をみつけること、日頃のできる範囲のあたらしいルーティンを見つけてあげること、すぐちかくに暮らして、もっと頻繁に帰り、ごはんを一緒にすること。ごはんを一緒にたべるだけでいいのだ。それで、どれほど、ホッとできただろう。もちろん、帰ってはいたが、ひと月に一度が精一杯。なにしろ、500キロも離れていては。こうして、置いた母親は、あるころから、とても弱気なことをいうようになり、わたしの何かのひとことに、おどろくほど素直に、かんにんやでと、まるで別の人のようなやさしいことばを、言うようになり、そうして、ある日、トイレで転んで、いやどういう理由でか、ともあれ、倒れて、動けなくなっていた。。。のだった。意識はあったし、その日の、深夜1時ころ、最寄りの特急停車駅から、40キロをタクシーを駆って戻っても、「あれ?あんたどうしたんあんたどうしたん?」と、驚くこともなく、「わざわざかえってきてくれて、ありがとう」でもなく、深夜にいつものソファーで、寝る準備のような動きをしていた。話しかけても、まるで、わたしがずっとそこにいたかのような。いや、まるで、トイレで倒れていたのを見つけてくれたかかりつけの看護婦さんとでも、おもっているかのような、再会の時の、あの高揚の混じった声も、からだの動きもまるで皆無だった。そういえば。

 

翌朝起きた頃には、わりとけろっとして、ある程度、ちゃんとした反応で、わたしの名前もふつうに口にしていた、とおもう。そう、改めて、そのかかりつけに行ったのだから。その日から、まる2ヶ月以上、最寄り駅に降り立ったとき、なんともいえない感じがして、普段はまずしない携帯のちぇっくをしたらば、そこにはかかりつけからの着信記録。もう診察時間を15分を越えていたけど、あわててかけると。くだんの説明が。いますぐ、帰らないと、一生後悔する(大げさだけど確かにそんなふうに)と、そうわずか数秒で判断して、いや15分だったか。ともあれ、歩いて5分の部屋に戻り、洗濯かごもそのままに、最終の特急に乗り継げる、新幹線がでる駅に急いだのは、もうすぐ、ちょうど、あれから11年。そして、その一年後、最初で、そして最後の、ふたりの最強?強行軍旅が、4日で2000キロを走り、レンタカー屋のおじさんを刹那絶句させた、あの、珍道中があって、その最終日のあさ、あの穏やかな海に囲まれた、母のふるさとにもちかい、穏やかな海に面したオーシャンホテルでの、朝、テレビに映っていたのが、ちょうど2日目を迎える、マスターズではなかっただろうか?タイガーは白いシャツを着て、ボールを打っていた。ホテルの部屋の中で、目覚めた母が、いったりきたり、するその姿と、テレビの向こうのタイガーのツーショットをなんとかその、インスタントカメラに収めようと、もはや、遊び心でもって、かなしさをいっさい感じないようにこころにおまじないをしたかのような、わたしは、そうして、母を、ひとりの被写体として、どこかで、さめたように見つめていたのでした。

 

くすりのせいで、いや、眠れないといいだしたときに、既に、彼女のあたまのなかの、なにかが、おかしくまわりはじめていたのに。いや、もうやめましょう。だれのせいでもない。母自身が、膝の手術をしようと、わたしがいったとき、病院の診療台の上で、にやりと、まるで、「やったね」とばかりの、いやそんな純粋なうれしさではなく、どこかしてやったりというような、幾分いじわるなこころがみたされたときに見せる、なんともいえない業のいちぶが垣間見えてしまったかのような、そんな顔を、ほんの一瞬だけ見せたのが、ずっと、その表情がまるでひとつの映画のシーンのように、映像として残っている。あたまのなかに。あれは、これでまた、歩く姿のみっともなさを憂いて、いままでのように外にでるのを躊躇うようになった自分が、これでまた、前みたいに戻れるぞ、という、やったねの気持ちに、これで、わたしを、向こう3ヶ月は、どくせんできるぞ、いや、わたしがその街にもどれなくなるぞ、とまでいうかの、そんな彼女の得意の、素直な気持ち、素直なこころだったのだろうな。(人の目が気になるその星のは、新しい物好きでいつもルーティン通りに、そして人前ではいつもおしゃれに、みっともなくなく、いないといけないそんな星が軸にある母にとって。老いとは、自分で自分を、日々どんどん、おいこみ、おそらく、自己否定さえしいくことに、とても自然に、そして簡単に、なってしまっていたのかもしれない)。ありのままが、かっこいいのに。そのひとが、こころからそうしたい、と、感じる、そう、居心地がいいと素直におもえる、格好が、それがかっこいいのに。

 

ひとまえと、家の中での、言い方も、声音はもちろん、肝心は、言ってる内容さえも、ときに、ほぼ反対、も、当たり前だった、母にとって、老いとは、醜さを隠すことに、ひたすら終始しないといけない、時間とかわっていったのだろうか。むろん、こころとからだと、そのわかりやすいほどに、見栄をはるのをよしとするその姿勢が、一貫して、いや、少なくとも、納得できる範囲で以て、自己実現できているなら、恐らくきっと、それなりに、老いと仲良くできただろう、なのだけれど。ことばは、いくらでも、その話し手の意思でもって、いくらでも、嘘をつく、けれど、そのときどきに、そのひとの風情や佇まいから、いや、仮に、その飾られた言葉を発しているときでさえ、「ほんとうのこと」は、雰囲気という、空気でもってまわりににじみでていく。つまり、空気はうそをつかないのだ。そのことに、気がついたとき、ものすごく愕然としたのを覚えている。むしろ、黙っているときの方が、そのひとのこころは、空気でもって、より雄弁で伝わってきたりもするし。ともあれ。母の話に戻ると、そうして、最初で最後の、哀しいまでに、おもしろおかしく、そしておそろしく、凶暴で、残酷で、そして、ユーモアだらけで、からだはひたすらしんどくて、でもこころは、妙に愉しんでさえいた、あの4日間に、あった、いくつもの出来事を、いまでも、なにかの折々に、ずっとこころのなかのVTRで、覗いてみている、それは、そうすることで、きっと、わたし自身の、無意識にも、いまでも自分をまだ責めている、そんなところを、なんとか癒やそうと、自分で必死にケアしている。。。のかもしれません。

 

そういえば、その珍道中を、連載風に、綴っていましたね。ここで。そして、ラストの1話を、肝心の最終回を、書かぬまま、今にいたっていましたね。ははが、わたしと出かける、出かけられるその時間をうしないくないことに、後半では、むしろそうすることにまるで、執着するかのようなこころを、ことばやうごきの端々に、みせていたのは、仕方ない、そう、わかってて、むしろ、そうしたくてしていたのが、わたしであることに、ほかならず、それでも、親子というのは、ともすると、相手に自分のないものを無償でつくして貰うのをあたりまえとおもってしまうところがあるのでせうね。時間。それは、まぎれもなく時間で。その時間をもてるということの、ありがたさをわかっていて、そうしていた、わたし。社会制度という名の、ビジネス化。おやこの、最終章を、無機質なビジネスライクな時間(というと、いささか失礼が過ぎますが、お許しを)の中に、逃避させることが正しいと、なっている時代。無論、それを上手に利用することと、丸投げして当然としてしまうことには、大きな隔たりがあるということを、蛇足ながら、ついふと、おもったので、横道にそれましたが、ともあれ。上手に老いるって、はて、さて、どういうことなのでせうね。そも、老いるなんて、言う感覚が、いや、そう感じることがあるという意味の老いるではなく、なにかができなくなっていく、若い人に迷惑をかける、それはいけないと、いったいだれが決めたのだろう。迷惑をかけるから、家族で有り、親子で有り、親しき仲ではないのかなと思うのは、可笑しいのでしょうか。そうか。ずっと、感じていた、不自然な、違和感のある感覚はこれですね。

 

さっさと自分のしたいこと、自分のことをしなさいと、ずっといわれていたころ、まるでそれが当たり前で,善であるかのように。親しい人との近しい時間、手を掛けると言うこと、手間を掛ける、暇もかける、そうすることで、はじめて、うまれて、ほかのなにでも感じられない、そんな感覚を得られる、時間を、なるべく持たないようにしなさいねと、いわれているのと、同じように、聞こえていたから、そんな、まわりからの、折に触れての、言葉ことばに、いつも、どこか、すわりのわるい、響き、と、ほんとうではないことを言っている、ときの不自然な声音が、きこえてしまっていたのでしょうね。無論、だれかをせめてるわけではないです。そうではなく。ひとに、なにかに、やさしくできる時間は、むしろ、やさしくされてるほうではなくて、そうしているほうが、自分を癒やし、うれしい時間に包まれていると、そう感じられる、そんな時間にもなるのでしょうねと、こうして書いていながら、そうこころがつぶやいたので、書いています。無論、そこには、やさしさだけで、かたずけられる、生やさしいものは、いつもはほとんどなく、ひたすら、ばかやろうこのやろうとおもう、怒りといらだちと、自分の中からわきでてくる凶暴さを、持て余し、困惑し、そのうち開き直り、自然にまかせて、文字通り、野生と野生のぶつかり合いのような時間になる。生きるための闘いどころか、戦いとなる。それでも、いいじゃんと、そうおもっているこころが、たしかにそこにはあって。そして、そうして、これでも、社会の中で、ときに、甲斐がないと感じるむなしさや、他人からの容赦ないしっとや意地悪を身近にして、あのなんともいえない不愉快さを同居する時間に居るより、ずっといいと、おもってしまう、そして、それがすべてになったまま時間だけがすぎた人間が、ひきこもり、と言う現象になるのでしょうね。おっと。話しがそれました。途中から。ともあれ。わたしは、今したいことは、そのとき、それ以外にいったいなにがあるのですか?と、思いつつも、ちょうど都会の暮らしに疲れ始めていたのも、あったのかもしれません。都会は、その洗練された素敵な街は、右と左をある程度分かった上で、ときおり訪れるのが、なにより心地よい街と。ともあれ。それが避けられない、わたしのさだめ、人生の流れに乗るということだったのでしょうね。

 

今なら、それとわかるし。むしろ、ちょうどいい口実ができた、というのが、最小限のことばの、芯をついたところだろう。無論、ひと月に一度帰らねばという、制約がなかったら、ほかに、挑戦したいという分野でもあったのだろうか。こうして、柔らかな土の上を、健康的に、牧歌的にあるいているのが、ほんとにほんとに、ちょうどいい。そう思っていたのは、ほんとのほんとう。どうして、みんな同じ、でないと、ひとは、安心したがらいのでせうね。かわったものがきになって、必要以上によってくるか、はたまた、排除しようと躍起になるか。いや、ほんとうに、ちゃんと生きている人がたまたま、近くには少なかっただけ。そう思えばさして、はらもたたぬのに。いえ、はらなどはじめからたっていないのに、それでもどこかで、なんだかなぁという、むなしさや、めんどうくささや、かなしさは、いつもちかくにいましたねぇ。それも、じんわりとひたっていたいよな、情緒あるかなしさでもなく、できるなら、そんな空気は浴びたくないと、感じさせられるよな、後ろ向きな、陰湿な感じの、そんな空気は、できることなら、さけてとおるが、人生のコツなのでしょうねぇ。なかなか、うまくはいきませんがね。にんともねぇ。いったい、どうすりゃ、いいのでしょうねぇ。そもそも、ひとの納得を得るために生きてるわけでもないのにねぇ。それぞれが、それぞれのものさしで、そうありたい、こうなりたいとおもって、そうしているのに、すぎないですのにねぇ。なのに。ねぇ。どうしてこうも、ひとにむけて、ああしろ、こうしろと、生き方まで、言いたくなってしまうのだろうひとが少なくないのはどうしてなのでしょうね。そこにあるのは、こころかの善意だけではないことは、恐らくそんなことを言ってしまうその人自身が、なによりわかっているのでしょうか。意地悪は、いったいいつどうやって育つのでしょうね、ひとのこころに。そこから生まれるもので、うれしいもの、前向きなものなど、なにもない、かのように思えるのに。いや、それがないのは、ひとが生きていないのと同じなのでしょうかねぇ。なにがしかの、戦争が、生存競争が、昆虫の世界などともちっとも変わらず、起こってしまうのは、どうにも避けられない当然を理解したらば、いたしかたのないことなのでしょう。そうおもうと、つまりは、そういういやなおもいもひっくるめて、そうする人間がいなくならないのもひっくるめて、ひとが、あるいは世界が、生きている、ということなのでしょうね。それでも、ひとにしたことは必ずかえってくるのにね。無意識に、ひとは、いや、意識をもってそうしたいと感じて、いろいろなことを。思わず、感情のままに動いて、あとで後悔して、そんなことを繰り返しているのでしょうねぇ。それでも、怒ったら負け。そう、こっそり言い聞かせて。やさしさをもてることを、むしろ誇りにして、いられることを、自分に言っては、せめて自分で自分のこころを、慰めて。そうして、薬というものへの、ほどほどの信頼が。多用に善無しを、もっともっと、早くに学んでいたかったなぁと。それも、気づけたことへのホッと安堵と。そう、書きながら、心の回想と咀嚼と思考を繰り返していたらば、やっと、5時が近づいてきました。さぁ。きょうは、マスターズにもまけないくらいの、試合の当日です。限りある時間の、緊張感はむしろここちよいものでして。。。

 

 

そのひとの、せなかをみると、そのひとの、生き方や、生きてきた姿勢みたいなものが、なんとなく、わかったような気がするのは、ただの気のせいだろうか。 でも、ふとおもいだした。 そういえば、さださんの歌詞のなかに、ほにゃららなおんなはいつもせなかをみてる~と、せつなく響くつづりがあったことに。 いや、でもそうでしょ。 40過ぎたら、顔のすがたはほんにんの責任って、いつかどこかできいたことあるけど、たぶん、其れは違いない。 なさけないほど、若く見えるのもどうかと思う、のはわたしだけか。 なあなあんていいつつ。 (研修生という名の、名前の居場所に安堵して、ただ、あまえた時間の中で、どこかで本気からにげききたのはどこのどいつだって。 )そうそう。 ともあれ。 背中の話でしたね。

 

ほんとに真剣におもいます。 かおよりも、はるかに雄弁なのは背中だと。 どうしてこうも、みんな声をそろえて、老いをわるいことみたい、ただかなしいことみたいに、いうのだろうか。 わぁあいいなと、おもう元気な方は、80でも、90でも、そんなことをひとことも言っていない、ことに、ふと気づいて愕然とする。 いまがいくつかではなくて、いまがなにに夢中かで、生きられたら、どんなにいいでしょねぇ。 と、思っていて、ふとおもったのは、どうして、80も90も100も、みんないっしょにしてしまう(ように聞こえる)のはどうしてだろう。 あなた、80と100では、0歳と20歳。 20と40、40と60も違うのですよ。 20歳と40歳をいっしょにするひとありますか。 なんだかなぁ。 (もっとも、もう一度、20歳にもどれるとなっても、もういやだとおもう。 あんなに、しんどい日々にもどるなんて。 いつもいつも、悩んでたし、先が見えずに苦しかったし。 決断してもしても、当時は、いいとは思える形がこなかったし。 )それなのに。 6度目の年女を越えたいとこは、電話をすると、話しのどこかで、かならず、マイナスの感情しかつわたってこないような、その声音でいつもきまってこういう。 わたしは、わかいときに好きなことをしてきたのだから(このさきは、そんなのもうできないのよ)。 といわんばかりの。 せつないね。 まぁ。 ひとのこころとは、かくも、渡る世間にでてくるおんなたちの言が、半分なのですかね。

 

あれれ。 またしても、ぐちにもどってしまいます。 いけませぬねぇ。 ともあれ、男の人のかっこよさは、背中です。 そして歩き方。 もしかして、そのひとのほとんどが、そこにあらわれていたりして。 (ちょっといいすぎかな)。 ともあれ。 ほんに、思います。 いつだったか。 これを書き始めた頃。 ほんに自分でも、よくもまぁあれほど、えらそにいえますなぁというくらいのことを書いていた(と自分ではそうおもう)、そんな頃。 ゴルフ場で、3歩けば、うまいへたがわかる、なんて言ってしまっていましたが。 でも、確かにそうですねぇ。 うまいというのは、スコアがいいというだけのいみではないですよ。 スコアだけのゴルフをする人のあるきかたが、かっこいいとは、まったく思えないし。

 

うまいというから、えらそうにきこえるのですね。 みりょくのあるそれ。 数字はあくまで、数字。 年齢の数字もかくあって。 同じ歳でも、その中身のとしは、ひとによって、まったくまったく違うのがふつうであるように。 ともあれ。 数字は、きっと、あくまで、なにかの先の一応の目安にすぎなくて。 どうして、日本人は、平均の数字にかくもしゅうちゃくするのですかねぇ。 それが、島国の情緒にも貢献しているということなのですかねぇ。 ともあれ。 80よりも、100の中身のほうが、ずっとドラマチックで、真摯でそそして紳士で、みていていいなぁとおもえるそれだって、いくつもあるのに。 肝心なのは、ひとつひとつに、どんな姿勢で取り組んで、果敢に挑んだか、ということなのに。 この前の、早朝、みんなが夢中になれたのは、きっと、その果敢な一打一打が、とにかく見事だったということなのに。 ただただ、無難にせめて、パーでもボギーでも、70台、80台と、それぞれの数字が少ないのが、ただそれだけがいい、というのなら、その5時間は、せっかくのその時間は、じつにつまらないものに、思えてしまう。 そんな気がするのはわたしだけですかねぇ。

 

ほんとうに、打ちたい一打を打てる。 そんな一打のために、かたちを、姿勢を、そして考え方をもさくする。 そんないちばん、大事なことを見落として、ただ、数字だけを先に求めてしまうと、器用な人ほど、もしかしたら、なんだかなぁというものが、ずっと早くにやってきてしまう、のではないですかねぇ。 80でも90でも、歳だからなんて、いちども聞いたことのないひとたちは、きっと、おそらく、いつも、当たり前のように、渾身の一打を真剣に目指していて、そして、それを楽しんでいる。 のでは、ないだろうかなぁ。 うてるかどうかは、その目の前の目標が、全然ちがいすぎるから、だからすぐに、「歳だから」に、なるのではないのかなぁ。 わるくても、いいわけひとつしないような、そんなかっこいいひとはみな、そういえば、そんな愚痴を口にするのを聞いたことないよなぁ。 姿勢ひとつで、ひとはここまでちがうのかも、そうおもうと、なんとも、こころひとつで、そのさきの道のりや、そこから見えてくる景色は、きっとずい、ぶんちがってくるのだろうなぁ。 ふと、そんな気がして。。。

気がつくと、そこは広い砂浜で、なまえはなんといったか、かわいい5さいくらいの男の子といっしょにあそんでいたんだ。ぼくは、どうやら、どこかでうまれて、きょうだいがいたのかどうかもおぼえていないうちに、どこかにおいてきぼりにされて、そして、草むらだらけの原っぱで、空腹にたえきれずに、もうおれはこのまましんじゃうのだろうかと。。。歩いていたところにその子が、ぼくを抱えて、家につれかえってくれたのだ。それなのに、それなのにだ。いま言った、青い海が拡がる砂浜ふとに、その子とやってきたのは、その子のママの赤いくるまで、もうすぐ桜が咲きそうな、とてもあったかな午後だった。それなのに、それなのにだ。ふと、われにかえると、くるまの音。あの子は、いってしまったんだ。ひっしで追いかけたけど、だめだった。それからしばらく、その海辺のほてる歳さいのそばですごしたいたらば、いきなりつかまって、車のかごのなか。そしてやってきたのが、あのひとの住む家だった。もっとも、ぼくをしぶしぶ連れ帰ったのは、あのひとの母親だったのだが。。。

 

ともあれ。たったの17年。それでも、90歳くらいになった心境だった。目はみえないし、あるかないかの段差にもつまづくし、もう、じゅうぶおらんいきた。(はずだ。)。それにしても、それにしても。あの人は、ほんとにいつもいなかった。ずううっと、待たせるばかりの日々なんて、なんでおれがまってるんだよって。おもったこともあったけど。ともあれ。だからか、かえってくるときは、いつもその母親が、あの人の名前をいうから、すぐにわかった。あのヌボラぶるーとかいう、伊太利亜のくるまのときなんて、角を曲がる前から音が近づくのがわかった。聞こえると、うれしくてたまらず。胸がたかなるし、じっとしていられない。それにしても、それにしても。ときどき、あのひとは、「ちょっと来て」と言ったかもしれぬけど。でも、だいたいが、いつもふらっときて、おれが寝ているところの前にある階段に腰掛けると、なんだか知らないけど、いろいろあるのだね~と。いうよな話をおれに聞かせて。そして黙って聞いてるおれをみつめて、またもどっていく。そしてまた、おれの待つ日々がはじまる。

 

それにしても。おなじ散歩でも、だれといくかで、ど~して、あ~もちがうのだろうか。一緒にあるくというより、おれのきもちをいつも気に掛けてくれているのがわかって、息づかいも、歩調もなにもかもが。一緒にあるくとすごくたのしい。というのと、「はい、ほら、早くすませて」と、こえなきこえで、いわれてるみたいな、そんなさんぽは、やっぱりちがうにきまってる。いっしょにあるいて、歩調の合う人って、やっぱりそれが大きいのだろうか。してみると、ながくあるきたいなら、そのここちよさが、あるとないでは、てんごくとそのはんたい、なのかもしれないな。ほかのみんながどうなのかは、さっぱりわからぬが。ともあれ。それにしても、いや、それなのに。あれ、なんだっけ。そうそう。つまりは、きもちが通じるんだよ。こっちの空気やきもちを、すううっとわかってくれて。それでも、だめはだめって、それはおっかなかったけど。ひとしきり叱ると、あとはいつものあの人だった。いや、たまにはわざと叱られることを、してみたくもなるんだな。とにかく、とにかく。そんなこんなを、ぜ~~んぶひっくるめて、あのひとといた時間が、いとおしくてせつなくて、それでもいとおしくてたまらない。きもちが通じるってのは、ものすごくすごいことなのだ。めったにないことだ。そう、おれはおもう。

 

(大雪のあの日。もう眠ろうときめて家を出たオレの耳に、あのひとの声は聞こえてこなかった。でも、かすかに、そのにおいはかぜにのってやってきた。おれのことを、ひと晩じゅうひっしで探してたあのひとが、もうおれはきっとにおいしかわからないのだろうと、そこいらじゅうにつけてたあの人の足あと。あの歩く音はあの人に間違いない。たしかに聴いてた。)いや、あれは夢だったのだろうか。

 

いつも、思い出してる。あのひとと、一緒に歩いた、いくつもの日々を。そして、景色を。大好きだった砂浜を。いつもいつも、思い出してる。なんだよ、そんなこと言うと、泣けてきちゃったじゃないか。なみだがとまらない。大事なのは、長さじゃないんだ。どんな時間を過ごしたかだ。ずっと待ってて、そして一緒に行かれる散歩のなんてうれしいか。そんな濃い時間があったから。おれは、こんなにあったかい気持ちになれてるんだとおもう。それをあの人にいいたくて、もう自分をせめるのをやめにしないかと。できることなら、手紙をなにかにくくりつけて、風に飛ばして送りたい。届くだろうか。いや、あの人は知っているはず。想いはきっと通じるって。ときどき、そうやって、おれのことを思い出してくれたら。おれがあのひとのことをいつも待ってたあの頃のおれが、どきどき、そうして、そうしてたみたいに。。。

 

なあんて、さむからの手紙が届いたらいいのにな。

人生のなかで、それほど、うれしいと感じるときは、どのくらいあるのでしょうね…
あれほど…どきどきして、でもしんぱいで…、そして目が離せなくなるときが…。
だれを、あんな風に、一心に応援する!ということは、これほど、ひとを、ひとのこころをうれしく、させるのですね…

たたかうひとを応援する…というのは、ひとを、ひとのこころを、こんなにもあつくさせるのですね…


ひとに勇気を、元気を、生きてる実感を…つくづくと…、しみじみと…、感じさせて…、これまでとなにもかわってないはずの、目の前の日常が…、気持ちひとつで、どこかちがったように感じさせてしまう…

そんな時間は…なんて素晴らしいのでしょうか…、会うひと会うひとと…なんどもなんども…、それらのシーンを振り返っては、その時間の感覚を、なんどもなんどもおもいかえしては、たがいが同じ想いを共有できたことをしあわせに感じて…

同じ想いを、同じ時間を共有できることが、こんなにも、うれしくあったかい気持ちをくれるのだと…

それに気づいて、ああそうか、あれもしてみようか…これも少しがんばってみようか、いやまてよ、それもいいけど、あんなに思っていた、いや、いるのに、どうしていままで、一歩踏み出すのをためらっていたのだろう…、そんな風に感じて…はっとしている…

たたかうのは、たたかっているのはみんな同じなのに…、そのすがたに、思わず自分のいまのなにかを重ねて…、よし、がんばるぞって思えて…気がついたら、いままでなかなかできないと感じて…いたことに一歩を、うごかしてみようとしている自分がいて…


やっぱり、だれかを、はたまた、なにかを一心にみつめること、応援することには、こんなにもちからがあること、なのですね…

もしいま、おもいっきり自由にできる時間が、5分あったらあなたはなにを…?
5時間なら?

5日なら

5年なら?


そのひとつひとつを思いえがいてみたとき、そこにいるのはだれですか?
どこですか?

いかりでうまれてくるものより、そうではなく…、あんなふうな応援のきもちから、あたたかなきもちからでてくるきもちの、どんなに、ここちよい時間のおおいことでしょうね…


とはいえ、たたかうことのたいへんさを、たたかいつづけねばいけないひとの、ひとたちのたいへんさを想うとき、

いろんな、ほんとに、さまざまな、時間じかんが思い浮かんできて…あらためて、
感謝や、せつなさや、心配や、はらはらや、動悸や、安堵や、緊張や、そんなかぞえきれない、想いおもいをふりかえって…

嘆息や…、はたまた、
諦念にもにた感覚の先にある、でも確かな手ごたえと充足の瞬間を…
時間をもてたことへの感謝に…きもちがおちつく…
のでしょうかね…


してみると、やっぱりひとをやさしいきもちに、うれしい時間につれてってくれるのは、北風ではなくたいよう!だと…

そんなふうにおもわせてくれる時間をもらえたことに、やっぱりあらためて感謝したくなる…

そんな気がしています…

時間ですね~いちばんありがたいのは…
ほかのなにでもなく…

こうして書いているのは、おしゃべりしている、それとかわらない、いえ、何時間でもおしゃべりできるようなおんな友だちを前にしては、なかなか、遠慮やためらいや、あとはほんの少しの気遣いやらが邪魔をして、なかなか素直に口にはできないことを、こうして手を動かしていると、自然にこころにうかんでくる、あれこれを、おしゃべりするのとおなじスピードで、書いている、そう、それも、自分のペースで。。。それが、なんとも心地よい。だからあとで、あれ、そんなこといったっけ、なんてことも、きっとあるはずで。いっぽう、書いていながら、書き始めた頃にはおよそ、おもいつきもしなかったような、発想やことばにたどりついて、おおお、すごいね、おもしろいね、と、自分で、感心してみたり。。。どこか、そんなところがある、時間なのです。こうしているときは。それでいて、ちゃんと、だれかにむけて、聞いてもらおう、もし共感してもらえたら、さらにうれしいな、そんな気持ちもあるわけです。そこが、日記とは、ちと違うところでしょうかねぇ。ともあれ。ずっと書いてていいなら、時間の許す限り、何行もなんぎょうも、かいてしまうでしょうねぇ、そうおもうわけです。

 

本というのは、本を読むというのは、その、条件がそろわないとできそうでなかなかできないものですねぇ。いつか聞いたそのことばが印象に残っています。確かに。とっておきの空間。それだけでもだめで。なにか、邪魔になるものがあるけど、それらはなんとか少し離れたところにおいやることができて、それでいて、自分だけの時間と空間を守るぞ~、なんて、ことがあると、自然に本のなかに、逃げ込むわけではないけど、やっぱり、どこかいまこのときからの、逃避行、そんな、どきどきするような、そんな環境(つまりはてきどのしょうがいぶつ?)がないと、なかなか、ぎゅ~っと集中した読書の空間、時間というのは、簡単にはできないものなのですよねぇ。不思議なことに。忙しい中の合間を縫って。というのが、以外ともっとも、よき時間を得られるのは、不思議でもなんでもないのでしょうねぇ。父は晩年、わたしが図書館で選んできた本を、ほんに、食い入るように、時間を忘れるかのように、読んでいましたが。思えば。家の中の、どこにいてもどこにいるかが、ずう~っとはなれたところからでも、それとわかる物音を立てる母、のまわりにただよう、なんともいえない騒がしさ(という障害物?)から、自分だけの時間と空間を守る、そんな条件がそろっていたのでしょうかねぇ。言い換えると、もっと小さな頃、父とわたしだけで家に居ると、余りに静かすぎて、時間がちっとも流れなかった....まるで灯がきえたようで。。。つまり、長所は短所、短所は長所で。ひとぞれぞれに、いてくれてありがたい、いてくれてありがとう、というところがあるということですよねぇ。(そうは、とても思えぬ時も、ままありますけどね。。ともあれ。)

 

それにしても。わたしはどうして、作って貰わなかったのでしょう。母に。仕立ての服を。おもえば、保育園にはじまって、高校まで、制服という制服はすべて、母が作ってくれた。ひとよりいささかながい、腕と肩幅がちっともくるしくなく、みじかくもなく、大きすぎず、窮屈でもなく、なにより伸び伸びと、いつも気持ち良く動くことが出来た。着ているものにまったく気を取られることもなく。高校の時は、あいの季節といって、冬でも夏でもないころに、ベストというのがあったのだけど、既成のそれはサイドのファスナーが途中まで。ゆえに被らないと着られないのだが。もっと着やすいのがいいと、サイドが完全に離れる仕様にしてもらった。そんなのあさめしなんとかだとおもって。なんでも言ったらできると思ってた。それなのに。そのころからですかねぇ。当たり前の成長過程なのでしょうけど、母のことが、ありがたいのは100も承知だが、やっぱりどこかうっとうしい。全部言うこと聞くわけにいかない。いやむしろ反対のことをしたい。おとなになっても、大事で、結局ほおっておけない(からいまこうしているわけですけど^^;)、しかしどこかで、やっぱりおおきなしょうがい(もっといい言い方ないですかねぇ。越えるべきハードル?)だと、わかっていながらいたのでしょうねぇ。清張さんがいちど、おやはこのぎせいになると、おっしゃっていましたが、ひといろいろ、逆の場合もあるのかなぁと、口にはしないけど、そうわかってそれでもそうしてたのでしょうねぇ。いや、そうしたいからそうしてたのでしょうねぇ。ひとのきもちとこうどうというのは、なかなか、かんたんには、わりきれないもののようですねぇ。

 

そうそう。それで。仕立ての服です。これまで、左利きのジャケットというのは、さすがに見たことないですけれど。つまりは、右胸にポケットがあって、みぎの前身ごろに内ポケットがついている、というの。特製の、あそびごころあふれる、そんな一着。めちゃくちゃフォーマルな仕様で、いや、わたしはカジュアルのしか着ないからなぁ。ともあれ。そんなあそびな感覚をふんだんに盛り込んだ、一着を、いくらでも、オーダーできたのになぁ。ほんに、なにごとも、手に届かぬ所にいってから、気がつくのですねぇ。ああ、なんで、あのとき、そうしなかったのでしょうううう。ってね。思えば、唯一、洋裁の、母の部屋で、作業をしているときだけは。その、どんちゃんがらがらの、音は全くしなくて。母の情緒が、すうう~っと、まるで帰るべきところに帰ったような、そんな風に、静かでまるで別人のようなおちつきはらった風情にいっぺんしていましたねぇ。そういえば。ひとの話しは、これから佳境!というそんなところで、みごとに、それはそうとね!と、間髪入れずにさえぎってくるてんさいでしたけれどもねぇ。なかみがネコ科だらけの母にとって、そんなのあたりまえ!だったのでしょうかねぇ。瞬発力だけは見事で、じつに感情と行動といってはいけない言葉がまさに同時に発動される!あのパワーは、おっとりたぬきともの静かなさるのわたしと父には、100回逆立ちしてもとうていかないませんでしたっけねぇ。長所は短所、短所は長所、なのでしたねぇ。(てへ)。

まるで桜の花びらが舞うような陽気と、穏やかな海と空が続いて、まるで知らぬ間にどこでもドアをくぐったかのような、そんな夢のような数日がって。明けていちにち、しとしととあたたかい雨がいちにち降り続いて。もうひと晩眠っておきたら、白い粉が舞っていて。そしてもすこし眠いなと、ほんの数時間眠っただけなのに。。。どうりで静かで眠りやすい空気でした。雪が降りつもるとき、いったい何が違うのでしょうねと、いつも思います。気圧?空気の静けさ?まるで、眠りのドームに包まれたような感覚で深く眠ってしまうような、不思議な感覚が訪れます。ともあれ。起きたらば、あーらびっくり。時計の針の進み具合もさることながら、窓の外は、ひと月前のそれに逆戻り。ほんの数時間なのに。これまた、どこでもドアを寝てる間にくぐってしまったのかしら。そんなことを思わぬでもないくらいに。眞冬の景色が目の前です。おやおや。こまったものですねぇ。思わず、右京さんのあの決まりセリフを口にしてしまいそうです。

 

耳の記憶。おもえば、我が家にはずっと白黒テレビしかなく、くるまはもちろん、エアコンも、冷蔵庫だってワンドアだったし、洗濯機にはかろうじてぐるぐる廻すハンドルではなく、がたがたとからだ全体を揺らしてしぼる脱水機がついてはいましたが。。。いつも、父のそばでラジオがついていました。そういえば。いまもお昼の前と後に、50年前とおそらくかわらぬあのめろでぃーがなると、からだの芯のあたりから、ほわほわぁ~と、なんともいえないなつかしさ、こころからからだぜんぶからちからを抜いてホッとしてもいいのですよと、いわれているかのような、そんな空気に包まれます。音の記憶。耳の記憶というのは、たぶん、ほかのどんな記憶よりも、ながくふるく、ふかいところに浸透しているのかもしれませんね。おとなになっても、わたしどうしてこのメロディが懐かしいのだろ、まだ生まれていないか、いえ生まれていたとしてもまだ赤ん坊なはずなのに。。。そんな時代のメロディが、そして歌声が、とてもからだぜんぶに心地よく、聴いてるだけでホッとできる。それがずっと不思議で仕方なかったのだけど。もしや、いちどそのころ大人として生きていて、そしてもいちど生まれ直したのかな、なんて、そんなことまでこっそり思ったりもしたけれど。恐らく、ずっとずっと小さな頃、目で観た風景の記憶も残っていないそんな頃に、聴いていたのでしょうね。父のラジオを通して。。。(前にも書いたとおり、動き回るわたしのあとをずっとだまって見守ってくれてたのは、ほかでもない父だったのだから)。

 

みちのくひとりたび。ああ、嗚呼、いいなぁ~。いまにも、ふらりと入ってきた鈍行に飛び乗って、ひたすら、予定表のない旅をしたいなぁ~。途中、なあんにもない駅で、その日の運行がおわってしまったら、どうするの?この季節に、その辺のベンチでは、しんじゃうよねぇ。一宿いちなんとか。あれなんでしたっけ。ともあれ。いまのご時世。ふらりと知らぬ人を泊めるなんて、まぁ、それでもそんなこと気にせぬひとはきっといるでしょうけどねぇ。ともあれ。車窓の景色はどこまでいっても、白しろ白で、退屈になってしまいますかねぇ。すべての町に温泉があるという地にもいってみたいなぁ。どんな風とどんな空気がながれているのか、感じてみたいですねぇ。ドナウの源流にほど近い、Sigmaringenという町の、夜明けの頃、その小さなValleyは、傾斜のそこここに新しい住居や学校が建っていて、今にも細かな氷の粒がふってきそうなほど、凍てついているのに、そらから洩れ来る光は、どこかやさしくやわらかくって、寒いはずなのに、その澄んだ空気と透明感清涼感ともいえそな白の景色に、思わず引き込まれそうになるんです。寒いときこそ、寒い地だけがそのときだけに見せる幻想的なそんな風景は、こころが洗われる、洗われるからこそ気持ちがいい、そんな感じがする、そんな風景がたしかにある、そんな気がしています。寒いときに、さらに寒い地を旅してみたいと、思ってしまうのは、なぜでしょうねぇ。どうせ寒いなら、ほんとうの寒さを、本当の寒さが作る景色を、間近に見てみたい、その空気を感じてみたい、そう、こころのなかの、なにか(どうしようもないおへそまがりなぶぶん?)が、思わせてくるのでせうかねぇ。ふしぎです。

 

と、書きながら、きのうから、そういえば、夕飯を作るとき台所にたった以外は、ほとんど、半径30センチ、いや6インチかもね、の生活をしているのですけれど。。。いまこのとき。この不便あふれる、いろんな意味で、なにかとふべんだらけの、この、さむい時季だからこそ、いましかできないこと、って、なにですかねぇ。蔵の奥から、ふるい、せっかく買った途端に、ほとんど行かなくなってしまった、カーブしてない平行そのもののスキー板、だしてみたい、そんな気もしないでもないけど。ドイツの町でもひとりでさくさく行くのに。ひとりでスキー。は~。そもそもそれほど上手でないのが難点なのですかねぇ。不純な!?動機でもないと、さぁ行こうってなりませぬねぇ。ほかに、さむいからこそ出来ることって。さぁなんでしょねぇ。すっかり皮がしわくちゃになってしまった、暮れに採った庭の柚子。もいちど、ジャムをつくってみようかしらん。しわくしゃ皮では、おばあちゃん味になってしまうのですかねぇ。ともあれ。なにごとも、おしりにひがつかないと、うごきだせない性質のようでして。。。そもそも、おおそれはやりたい!と、おもえるものでないと、だれがどんな大火をもってきても本物の火にはならない。(まぁ誰でもそうなのでしょかねぇ)。そこがおおきなだいもんだい!?なのですよねぇ。してみると。こころに火をつける、というのは、これなかなか、はたして、たいへんで、いえ、だからこそこそ、きちょうでけうなことなのですねぇ。わくわくをみつける。これをしてたら、いつの間にか、100年経ってた。そういうのが、いちばん、健康っていうのかもしれませんねぇ。いまおもいついのですけれど。。。

その昔、戦争から戻った父が、一緒になった人がいたのが、南森町。そこの森口電器店。店の前の看板には、懐かしいナショナルの文字もありました。美しい美容師さんで、戦争孤児(草刈さんと同じ名前の)の男の子がいました。さて、何年連れ添ったでしょう。生後半年でその母親を亡くしている父は,10歳以上離れた長姉と、隣村の同じ庄屋の家から嫁に来た祖母に育てられたのだとか。道理で、どこかとてもさびしそうな背中があったよな~(背中といえば、男の人の背中は顔以上にもう一つの顔ですよねぇ)。加えて、要所要所を危機管理する繊細な視点と先見性は、あとからあとから、はたと気づいて驚くことばかり。とにかく、細かなところに気と目が届く。出かける20分前には、準備万端。辛抱づよすぎたのは、歩兵隊のせいもあるのかしらん。ずっとあとになって、私が幼い頃、歩き出して目が離せないとき、家事に追われる母に代わって、ただひたすら、私のあとをついて、見守ってくれてたのが父と知って、嗚呼そのせいか。あの頃いつも後ろに、こうなんともいえない温かい視線を感じていたのが懐かしい記憶。そういえば私は、大人の男の人は、みいんな味方ぁと思っているふしがあるかも。確かに。。。

 

無論、いちども大人にならないまま年老いていくひともありますねぇ。桃太郎も,金太郎も鬼退治に熊と対決、それらの大冒険を経験してはじめて、大人になれるのですから。一度は故郷を離れて旅をしないと,大人にはなれないのでしょうねぇ。もちろん、離れずとも遠征、冒険に匹敵する苦労や勝負でも。げに、ときどき、ゴルフ場でもコンビニでも、視界の端に映っただけで、はいアウト!と、思うひとびと、これほんと残念(実は、論外ダメ男一号二号....と容赦ない。)そりゃ当たり前です。動き方に品がない。含羞、矜恃が全く無く。そわそわしていて、辛抱がない。この戦争のない時代。ともあれ、やせ我慢がああかっこよさかと気がついたとき、本人もそれと気づかずそれができてる紳士たちと、同じにしたら、それこそ彼らに失礼ですよ。と、なんどもなんどもおもいましたねぇ。そして健全な男子なら、ゲームより、外でけんかのひとつやふたつ。それをしないでかっこよくなれるひとなんて、いないでしょうねぇ。ときに、ここだけの話。わたしはその動き。背後に背後にまわろうとするその不自然な動きがもうとにかく嫌い。それする人間は一事が万事、必ず隠れて悪事をはたらく、そんな気がして。。。危ない芽は気をつけないと。そんな無礼不愉快にほんんとに腹が立つ。30を過ぎから、日頃の中で、怒りといえばほぼこれ。1日鬼ごっこ状態のときなんて、どんなに、智慧と運動神経に頼って。。暮らしてきたことか。。。ところで、さださんの歌にあるのは、“いい女はいい男を育て、だめな女はアホな男を増やす~”でしたっけ。さて、女の人の責任は重大ですねぇ。

 

あら脱線。さて本題。きっと父はその人が大好きだったに違いなく。それともそのひとのほうが、父の方を大好きだったのか。ともあれ。何年もしないで、病気でなくなり、義理の息子はその祖母にあたるひとがひきとったそうです。葬儀の日、彼女の遺影を抱いて、全身から悲しさを溢れさせている若い父のすがたがそこにありました。件の長姉の娘(つまりわたしの従姉)がもってる写真に、そんな父の背景に印象的なナショナルの文字。)いまも、そのころ当時10数歳の政雄くんが、父に宛てて書いたささやかな、お礼状が今もこの縁側の引き出しの中にあるのです。いまおられたら、はて70の後半のころなのでしょうかしらん。なんとも、この一億総ナンバリングは、まぁいたしかたのなかったことでしょけど、いつもかつも番号番号。まぁ、背番号はもうひとつの顔!かぁ。そうそう、城山さんが大反対されたそのこじんじょうほうなんとか法のせいで、電話帳さえ貴重品ですねぇ。その方の居場所をさがしてみたいと、おもっています!会ってどうするととわれれば。はて、会ってみないと。目の前にするだけで、自然と話したいことがあふれてくる人って、あれ、ほかのひととなにが違うのですかねぇ。ともあれ、探すなら時間が勝負ですよねぇ。ともあれ、あれから、いつも思おうんです。まぁ、こんどでいいや。来年で。。。気軽にそうした「シラノ」の一人舞台は永遠に来なかった。(ああ、この前の『ロクサーヌ』の原典です。鼻が長くて大きく、文才溢れるその方がモデルです)。母が,いつも「わたしこのひと好き」、の緒方さんでした。少なくともわたしにはその縁はなかったのでしょう。ともあれ、以来、なにあるたびに、ふと浮かんできたことごとを、いつでもできると、簡単に翌年に延期してはとりかえしがつかない、と、そんな教訓が胸にぶらさがっているのです。

 

愛するとは、みつめあうことではなくて、いっしょに同じ方向をみつめること。なにげなくてにした、ほしの王子様の本があったのは、いつも大好きだったオアゾのなかの書店です。ほんにかこまれていると、あんなにほっとするのはなぜでしょねぇ。ときどき、書棚の列の間を歩いていないと、息する方法を、簡単に忘れてしまいそうなのは、これわたしだけかなぁ。ちょっと大げさかな。(だめです、睡魔がおそってきました。)瀬戸内の漁師の網元が、おじいちゃん!の、母の話は又今度。どれもべつべつばらばらに、あのときこのとき聞いていた、いくつものピースとピースが、えええ!と、あるときはたと、前触れもなく、なんともなしに心で描く風景に、突然大きな絵になるや、愕然と手と息が止まって、刹那はかんきでことばをなくしたかもしれませぬ。ほんとにそんな瞬間は、言葉は一瞬まったくなくなるのですねぇ。ともあれ、母の変遷も驚くほど、万丈なら、わたしのそれもそのようでして。。。2年も余計に苦労をして、やっとことで大学にはいり、ずっと夢見た紙と文字の世界を垣間見たいと、大きなすべての会社にいきなり、電話をしたのですが。電話口で、とても丁寧に対応くれた方がいたのがそう、ほかでもなく、南森町にほど近い小さな公園前の建物でした。もしや。森口電器店がかつてあったのが。。。えええ。いつもわたしが通っていたとこだったのでしょうか。。。時は重なり、時代もまわる、のでしょうかねぇ。不思議です。

 

いいアイデアが浮かぶのは、えてして、騎上、枕上、厠上のこの三つであると、そう読んだのは、中学の時、初めて町に出来た図書館の左奥、自習室に一番近い棚に見つけた、外山滋比古さんの「思考の整理学」のなかにあったっけ(でした)。それが、2年のもだえるような所属なしの苦しい自宅浪人の後、きせきにもちかいミラクルで、なんとか、かつて父さんと母さんが暮らした町(とは、違って)、その北部にある、国立の学校に行ったとき、ちょうど生協、いわゆるコープ組合がやっている学生と先生専用の,気がつくといつもいってた、その一階にある本屋さんで、文庫として再生し、いまや(当時ですけど)ベストセラーとして、とくにいちばんとされる都の学校で、人気に火がついて、読まない学生肺内ほどのベストセラーだって、不思議な感慨をいだいていたのは、ちょうど、美しい港町が一瞬で形をかえた、あの壮絶な大地の揺れのころでしたから。。。時の流れは、ほんに、いかんとも、なんとも、。いとおしいような、いっぽうで、もう二度と無い幼かったあの頃が無性に懐かしかったような、でもも、こころのどこかでは、もう一回戻るかといわれても、其れはお断りだと、浪人時代の苦しさとだけではなく、ひとは、恐らく、ターニングポイントを幾つ越えても(この前観た最高に面白い映画の中では,其れはつまり岐路はおよそ10回くらいしかないのだ、と、老獪の紳士が言われて増したっけ)、恐らく、今の自分に至っていたのだろうなと、納得出来るような時間のながれと、こころの熟成?を、感じ取れたとき、ホッと自分が自分でよかったと、おもえるとときがほんのわずかにときどきあって、うれしくてホッと胸をなで下ろしてる、眠れない夜更けがあるのかなぁ。なんてね。

 

こうやって、一度手を動かし始めると、ページを開いたときには書こうとしていたこととは、いささか違う方向に話しが進んで、自分でも頭の中にやってくる想いや,言葉に自分で自分のそれに、耳をすます?いえ、このタイピングの場面では、見えてくるが正しいですかね、ともあれ、そうして、あふれることばを、こうしてつれづれなるままに書きながら、こころのざわめきを、なんとかおさえようとしているのかも、しれません。いつも、ことばがたりないから、たぶん細部にとらわれて読んで頂くと、何かとごかいやごへいを、これまでもたくさん、うんじゃったのかしらと、しんぱいしながら、それでも書いていると、キャンパスに向かって、夢中で、今求めている色をのせていっているときのようなのとは、少し違うけど、これはこれで、こころをからっぽ?ことばのこうずいにどっぷりひたってむしろ、こころをからっぽにしている!と、いうのは、へりくつきわまりないと、おしかりを、うけそうですが。ともあれ、声を書き始めた頃にもなんども、書いた気がするし、宇宙さんにお尋ねしてきたきがするのは、こうして左利きの私が、幼い頃本人覚えていない間に直されて居た右の筆ともまたちがう、この両利き状態で、あたまのなかの、つぼといういうつぼが、一斉に刺激されるのですかね、自分でもほんにふしぎなほど、頭のリフレッシュにつながっているのはたしかなのです。書くということは。つまり書くことに集中している時間は、没頭して絵に向き合っているときや、息するのも忘れて、ひたすらにボールを打ち続けているときとも、きっとおそらくたぶん、かわらないのかもしれないと、ふと、書きながらそう思っているのです。自然と自分の,リズムるーてぃん、くせや、安心の同じタイミング、同じ動きの反復の中にある,心の平穏にめぐまれてしまうのですかねぇ。ふとそんな気がしてきました。さて。

 

ここからが、枕からふとおきあがり、こうしてタイプを打とうと思うほどに、浮かんが想いというのはほかでもなく。この町は,この町から一度も外に出たことのない人と、この周辺のむらあるいはまちからやってきたおよめさん(あるいはおむこさん),そして、この町を一度あるいは、何度か離れて都会の町で若い感性や忍耐を磨く機会に巡れた里帰りチームと、そして、さっきのおよめさんたちのなかでも、とりわけ関西の方言のつよい地方からやってきたひとと、そして、純血あるいは混血(言葉に語弊があったら謝ります)の子ども達から、成り立っていて。いつも思うのは、是は、実はとても心配でもっと何とか大人になろうよと、心底願うからこその想いなのだけど、我が家の両親のその中でも特に特異だったにちがいない、波乱溢れる歴史の持ち主の、家の中での会話にあった(こどものころね)いくつかの、ふへいふまんのことばが、私の耳にいまもついてはなれないように。この単一で平和な世界まれな島国にあっても、じつはなんのことなく、よおおくみると、どこにでもあるひとつのむら社会の中には,どこの国も,あるいは地方も,抱えてきたいくつもの、ありがちな、だからこそ、根が深くてとてもやっかいな問題があるのだと、気づいて、いつも夢中になってみている、たとえばNCISや、我ら36から(だったかな、訳すと)、に、いつも登場するさけてはとおれない、でもだから、それぞのこころのひだや、心の傷に深く結びついていくかのような、そんな、いうにいわれぬ、ざわざわっとこころやきもちに、ときにはおおきくぶれーきをかけてしまうそれになってしまうのですよね。むしろ、ひとのこうどうのおおくは、大志でも立派な目標でもない、そんなどうしようもなく、めんどくさくて、でも日々やってくる目の前の人たちから、自分になさけようしゃなくむけられてくる、みさいるのごとき、致命的な一撃が、そんなかくしつの(おおげさにかいてますよ、いま)本質、あるいは根底にあるのでしょうねぇ。

 

あらあら、またも脱線。そう、わたしがいいたかったのは、いっそ、日本一時代遅れの町です、(古くささが多くの無邪気で素直なひとのきもちを、やんわりと力強くねじまげようとする、巨大なパワーが多くの実は優秀な帰還者たちの、発言や行動の場を多少以上に少なくしているのです。でも其れは、世界の裏までみいんなあ同じなのですかねぇ)。あのムサカ大統領?首相でしたっけ、が、いつも頭に浮かびます。あんな風にスタイルをつらぬけたら、なんてかっこいいのでしょうと。清貧を、やせ我慢を,(つまり何とかの高楊枝を)、どうしようもなく、かっこいいと思いたい(たぶん、其れは自分のスタイル、運命、気づくと、到達していた場所がそんなエリア?じゃんる?さだめ?だったからかな)、ともあれ。そう、時代遅れです。北部の洗練された観光市たちとも違う、すぐ南の若者が全国でも有数の住みやすい町ともちがう、すっかり取り残されてしまった、山と海に囲まれた、素晴らしすぎる景色と空の色だけが、取り柄の、そんな町の将来を、やっぱり心配になってくる,歳になったということなのですかねぇ。そう、時代遅れ一番地!何て、冠就けて、だからどうした、是がおらが町のスタイルやねんと、胸を張れる暗いの、度量と矜恃を,いっかい持ってみやしませんか~(ココは関西弁ですよ~)。にくしみや、ゆうしゅうな帰還グミのあしをひっぱるような、くだらぬあらそいは、ひとまず古くさい回覧板だけにとどめておいて、もっと、せかいにむねはる日本の、大きなターニングポイントに、ささやかだけど、おもろいこせいで、みいいんながそのときくらいは、素直に笑顔になれる、そんな時間のある空間をつくることができんものですかねぇ。かんぱいのあのばんぐみだってきてくれた、このいだいなまちを、どうしてもっと、宝を大事に上手く使って,みんなが心豊かにできるよな、そんなホット出来るカフェのひとつもふたつもみっつもできるような、もっともっとどうせなら、大声でわるくちいいあってさいごはえがおでかいさん、できるようなそんなよりあいができんものですかねぇ。ほんまにもう。しっかりしなはれ(あれ、わてだれにいうてるのでしょかねぇ、もしあんさん~、ありゃこれは、はんなりの京都でしたわぁ~)。おおくのわかものが、そんないきぐるしさにつかれはて、こどものうちに、そんな悪口の嵐を耳にすり込まれ、其れが嫌になって、都会の町に避難していってしまっている、そんな海辺の風光明媚な、このまちの、ホッと出来るステーションが、すこしでも、穏やかに、裏方の多大な苦労の上で,そうして、少しでも、増えていって暮れたらねぇ。ほんまに、動きましょ、って、私はやめときますけど、だって出ない杭のほうが、平穏なオフ時間がもらえるんだもん、って子、思ってる私ですよ、それでも、心の中を絞ると、こんないうにいわれぬ、想いが交錯して,こうして夜明け間に,凍える指と闘いながら,タイプを打っているのです。ふ~、かなり指が動かなくなって来ちゃいました、冷えております。頑張れ日本、頑張れ町、町。名も無き、来訪者たちが、幾つも個性的で、それぞれにホッと出来る空間のあるカフェが,どうしてこの町にだけはないのかぁ~~~(ぬわわわん。嗚呼、合った。でも。其れは。地元民戸のささやかな面倒くささで私の中から、園存在が消えていたのですねぇ)。みんなそれぞれそんなものなの?。大きな客船が入る港のそばの、すたーばっくすのあの席がどうしようもなく、お気に入りのわたしなのです。あのせきで、てがみをかくと、まるで魔法のような言葉がスラスラ手に舞い降りてくるのです(いえ、たぶん、よっぱらいとおなじ、ただのじことうすいやも、なのですけれどね)。嗚呼,ついに、あの21球の主演を務めた江夏さんに、戦後二度目の準優勝となったあの奇跡の準々決勝の後に、肝心の原稿もそっちのけで、宿までグローブ持ち帰り、どうかお願いと,サインして貰った、たのしすぎたあの夏から、あらもう、こんなに時間がすぎているのですねぇ。といいつつ。ないしん、たくさんじかんを持てるということに、そんな時間を持てたということに、何よりも感謝だなぁってね。たのしいなぁってね。(そりゃ鳴きそうな時間が山ほど合っての後の時間でしたからね)おもうわけです。そして、もう一つ。いちばん、しみじみ思うのは、その憧れの、21球の作者、山際さんがいなくなってしまったとしを、きがつくともういちねんいじょうも、とおりこしてしまっていることに、気づいて、愕然とするのです。いたいような、なんともいえないこころのうちがわを、愚ワンと捕まれるような、そんな感覚です。たたかうことより、みんなのたたかいのなかの、機微を少し離れた場面で、きりとって、それでも、ひっしでそのわんしょっとに、ちかれをこめて、幾つもの、見事なまでの,エッセイ(あれはもう、文という名場面フォトグラフです)。だいめいも、みなそれぞれ、なんて、粋なんでしょうねぇ。初代のサンデースポーツの,民間人キャスター。あああ、かっこいいかたでしたねぇ。こうしておもいだすことが、偲ぶことだと、おしえてくださったあのかたは、いまごろどうしているのでしょうか。ほんとに風船に就けて、おたよりがとどくなら、『最高のふたり』の主人公のような、書けるだけで嬉しくなるよな、(『ロクサーヌ』の其れも、ユーモア溢れて実に素晴らしいのです)書簡を書いて、お送りするのに。。。戸、書いていたら,そろそろ、深夜便の声がきこえなくなってしまうあさのめのまえのじかんまで、やってきました。こうしている時間はもちろん、タイムレスなんです。そう、ボールを必死で打ったり、はたまた、キャンパスや墨とひたすら向き合っている時間ともにていて。。。みんな、だれもがうらやむひとには、おそらくたぶんきっと、ほんとにしぬようなほどつらくてくるしいじかんが、なんどもなんども、なんっどもうちよせては、さっていった、そのあとや、そのとちゅうにすぎないのですけどねぇ。みんなそれぞれに、難だかな、このまま、置いちゃうのか名なんて、『老年前夜』の、悲哀と含羞に満ちた、何とも素晴らしい、円熟の時間のなかにほんとはあるのに、ほんにんは、できないことやできなかったことばかりをくいていたりするかもしれない、じぶんに、そのころによませてかつをいれるべとおもって、こうして長々と、書いている次第なのであります。不~。天才さんの幼い頃を描いたドラマの父親役の方も渋かったですねぇ。『男たちの旅路』の司令補我いちばんですけれど、『大誘拐』を見事に快演されてるあのかたも。そしてそして、『ながらえば』の中のあの表情が忘れられないあの方も。嗚呼、昭和はいい時代でしたねぇ。らじををきいていると、あのころとかわらぬめろでぃが、ちょうどおひるまえにながれてきて、まだ保育園にもあがるまえだったおさないころの、せぴああいろ?の、にわのけしきとかさなります。こんなにあばれんぼうとなったにわの垣根がまだまだ、可愛い可愛い顔を、していた頃のあの時代の。。。おおお、こうして書いていると、アラームがならないと、あたりまえに、仕事に行く時間が過ぎてしまうのが私なんです。。。時計なしの空間が大好きで。だから、フェアウエイをあるいているときが、やっぱりまたどうしようもなくすきなんです。嗚呼、そうだ、この町の、自慢のコースの1番のフェアウエイを是非いっしょにあるいてくださいませんか。そんな手紙を,嗚呼、こよいにでも、かいてみたいなぁ~。又始まった、いつもの寝言だと、一蹴されてしまいますかねぇ。いつもの、定員一台の,特別な場所から、海を眺めている、夕刻のひとときが、どうしようもなくすきなわたしですけれど。ほんとに、いつも、どんくさくてごめんなさい。そういっていられるばしょがあるって、いいですねぇ。現実の方が、どうしてこうもどらまちっくなのでせうと、たわごとみたいにおもえる、ほんのきちょうなじかん、のことを、城山三郎さんが言っていた、何とかの時間(あれ、なんだっけ、ココ肝心なのに~)。無所属の時間ともうひとつあるんです、しるばーなんとかって、とってもきのきいた、お洒落な呼び方の時間がね。大好きなバイク本田のしーびーのわいんれっどにのって、この半島と、ほかのしまのぜええんぶを、はしってみたいですねぇ。かぜをきってはしるって、じつはとってもきもちいいのですよねぇ。だから、いちばんホールをおりていくとき、なぜかものすごく新鮮なきもちになれるのですかねぇ~~~)。(たぶん、つづく、かもね)。(もう指が、北極か南極に、なってしまいそうです)これを難局?っていうのかしらん。ふんばりどきです。なんとかふんばりまっしょい。まーくんもかえってきてくれたんだし。(戸余計な、いや余計じゃないのにほんとに、でも、つまりは誤解を招く一言が、私をいつも???似させてしまうので背羽化ねぇ)。本間にすん間経んなぁって、落語がここからはじまったら、もうつきあってくれはるかたはおらんでしょうなぁ~。おなかもゆびもげんかいになりました。ではまた。こんど。もっと、ちゃんと(すいこうはいつもしないけど)、もすこし、ちゃんとしたぶんをかくことにします。

 

もし今、自宅の庭に(なわけないか)、自家用ジェットがあったなら、どこに行きたいですか?そんなことを、うつらうつら思っていたら、朝です。『最強のふたり』を観ていました。心の底から、なんともいえないなにかがむくむくとやってくるような。いつみても、なんどみても、むしろ観るたびに少しずつ,さらに嗚呼こんなセリフがあったのねと、味わえる妙味もあったりなんかして。。。ともあれ。冒頭の3分がなんとも、あっぱれで。ああいいな。ってね。いいフィルムは、たぶん、ほかのどんないいもの、たとえば、いいラウンドとかね、いい登板とか、いい一局なんてのも、必ずきっと、あるでしょね。「なんでもできるは、(ときに)なんにもしてない(あるいは、しないまま)」ってことなのですかねぇ。と。そんな風に思えるですねぇ。いまできること、当たり前だとおもっていること。ほんとにそうなの?もちろん、ひととくらべて、勝っているからこれで良しと納得するように自分に言い聞かせるのは、違いますよ。それはむしろ、ただの傲慢かな。そりゃ、そういうことで目先のtinyな満足を繰り返していても、本当の充足がないような気がするのと同じに。。。つまり、いいたいのは,同情は本当の道とは無縁かもねってね。思った、そう、そんなことを、あとからじわりじわりと、教えてくれる。そんな作品です。眠れない夜。まだそんなにへこたれきってないときなら、きっと、地下室の工房で手製のボートを作りながら、口にするバーボンと、かわらないくらいの、たぶんね、心と体への効き目があるんじゃないかなぁ。(NCISのギブスみたいなね。ともあれ)。

 

『エンバース』。どなたか、俳優座であの方が,ご自分の脚本で翻訳して,そして舞台に立って語られてた、あの台本を。もってらっしゃいませんかねぇ。できるなら、一字一句、手描きで写してみたい。書きながら、もういちど、こころなかで、言葉の一つ一つをゆっくり咀嚼してみたい。なあ。どなたか。ふ~。ことばのなかで、なんどもなんども、いとおしんだり、だいすきなひとをおもったり、かけがえのない人のことについて想いをめぐらせたり、、たとえ年にいちど、いや何年かに一度、もしや一生のうちに2度か3度しかあえないひとでも、それでもいつかまたあいたいねと、おもえるようなそんなひと、ひと、についてなんどもなんどもおもっていたりするとき。いまごろどうしているのかなぁと、思い巡らせている深夜の枕上で。。。そんな心の中の想いとむきあうときに、ケータイの明かりは無論全く不要ですよね。ともあれ。いえけーたいがわるいといってるのではないですよ。そうでなく。ひとは、だれかのために、あるいはだれかがみていてくれるかもしれないと、そうおもえるとき、ものすごくがんばれるのですよね。だから、たとえば、母さんの介護なんてほっといて、自分の人生を歩みなさいといわれて、はいそうですかと、なにもおもわず、好きなこと?できるなんてのは、どうも何とも違うのですよね。親への想いは,たぶん男の人の母親への想いや、娘が思う父親への感謝なんかのことをずううっと考えていたら,人の気持ちは,いや、気持ちのないことを「ただしいこと、いますべきこと」だとは、思えなのが自然でしょ。そう思えるとですよ。(いや、何も仕事を全部ほうり出して介護しないのが、といってるのではないですよ。そうでなく)。気持ちがあるから、ひとは生きられるし、そして、よおし、観てろよお~って、何かに夢中にうちこめるのですよねぇ。っと、おもうのだな。ちょっとだけね。(ちょっとというのは、たいてい、ものすごく、と言うのと同義語です。たぶん多くの日本語での場合は。)

 

すこしまえにね。じつは、ひどくあたまをうちましてね。まぁこれで、ちょっと頭の中の部品のズレが治ったりするんじゃない?。なんてね。おもったりしとるとですが。まぁ、このびっくりぽんの事件については、いつか又ゆっくり話すとして。じけんを漢字にするとどうもいけませんねぇ。ひとのぬくもりをはなれた,冷たい書類の紙で処理される対象になってしまうようで。。。ひらがながいいですね。漢字は多すぎればおおすぎるほど、少し違った風情をまとってしまうもののようです。ともあれ。冬眠明けのびっくり転倒から。どうも、こうも、かつての白黒テレビみたいな懐かしい頭にもどっていてくれているようで。。。いくらでも、ことばがやってきます。こんな夜は、ああ、もう朝ですね、こんなときは、時計とはおよそ無縁のじかんのなかに、しばらく、なすがままでたたずんでいたいですねぇ。さて。どこに行きますか?そう、自家用ジェットの話しです。。。何を観て、何に触れて、誰と会って、何をして、どんな風景と,どんな風に吹かれてみたいですか?生きてる間は、みんな現役なんですよねぇ。くるしいのも、たたかうのも、かつのもまけるのも、それでもどこかでなんとか、いきしているのも、ときどきささやかな、ささやかな楽しみをあじわって。ああいいなぁ。これもあれもそれもまぁいまとなっては、ゆるせるなぁとおもえて、そして、ぜえんぶ、いまにつながってて、いまがずうっっとどこまでいってもいまなんですよねぇ。と。おもいながら、いまがもし92でも、107でも、いまのなかでいまのじぶんを、ほめたり、あまやかしたりして、周りと一緒におもろいじかんをこしらえて。そして気がついたら,眠ってる。其れが時間なのなかなぁ。なんてね。おもうとです。そう、歳を重ねるほど,其れはキット絶対ずっともっと深いあじわいになっていくのだろうなぁ。たちどまって、先のことを思案しはじめてしたとたんに、ひとは、なにかをわすれて、おそれて、こまって、しまういきものなのですよねぇ。Do enjoy now, yourself.なのじゃないかなぁ。enjoyは、確か享受するってことでしたよね。たのしむって、つまりいろんなあじわいを感じることなのかも、しれませんねぇ。