もし今、自宅の庭に(なわけないか)、自家用ジェットがあったなら、どこに行きたいですか?そんなことを、うつらうつら思っていたら、朝です。『最強のふたり』を観ていました。心の底から、なんともいえないなにかがむくむくとやってくるような。いつみても、なんどみても、むしろ観るたびに少しずつ,さらに嗚呼こんなセリフがあったのねと、味わえる妙味もあったりなんかして。。。ともあれ。冒頭の3分がなんとも、あっぱれで。ああいいな。ってね。いいフィルムは、たぶん、ほかのどんないいもの、たとえば、いいラウンドとかね、いい登板とか、いい一局なんてのも、必ずきっと、あるでしょね。「なんでもできるは、(ときに)なんにもしてない(あるいは、しないまま)」ってことなのですかねぇ。と。そんな風に思えるですねぇ。いまできること、当たり前だとおもっていること。ほんとにそうなの?もちろん、ひととくらべて、勝っているからこれで良しと納得するように自分に言い聞かせるのは、違いますよ。それはむしろ、ただの傲慢かな。そりゃ、そういうことで目先のtinyな満足を繰り返していても、本当の充足がないような気がするのと同じに。。。つまり、いいたいのは,同情は本当の道とは無縁かもねってね。思った、そう、そんなことを、あとからじわりじわりと、教えてくれる。そんな作品です。眠れない夜。まだそんなにへこたれきってないときなら、きっと、地下室の工房で手製のボートを作りながら、口にするバーボンと、かわらないくらいの、たぶんね、心と体への効き目があるんじゃないかなぁ。(NCISのギブスみたいなね。ともあれ)。

 

『エンバース』。どなたか、俳優座であの方が,ご自分の脚本で翻訳して,そして舞台に立って語られてた、あの台本を。もってらっしゃいませんかねぇ。できるなら、一字一句、手描きで写してみたい。書きながら、もういちど、こころなかで、言葉の一つ一つをゆっくり咀嚼してみたい。なあ。どなたか。ふ~。ことばのなかで、なんどもなんども、いとおしんだり、だいすきなひとをおもったり、かけがえのない人のことについて想いをめぐらせたり、、たとえ年にいちど、いや何年かに一度、もしや一生のうちに2度か3度しかあえないひとでも、それでもいつかまたあいたいねと、おもえるようなそんなひと、ひと、についてなんどもなんどもおもっていたりするとき。いまごろどうしているのかなぁと、思い巡らせている深夜の枕上で。。。そんな心の中の想いとむきあうときに、ケータイの明かりは無論全く不要ですよね。ともあれ。いえけーたいがわるいといってるのではないですよ。そうでなく。ひとは、だれかのために、あるいはだれかがみていてくれるかもしれないと、そうおもえるとき、ものすごくがんばれるのですよね。だから、たとえば、母さんの介護なんてほっといて、自分の人生を歩みなさいといわれて、はいそうですかと、なにもおもわず、好きなこと?できるなんてのは、どうも何とも違うのですよね。親への想いは,たぶん男の人の母親への想いや、娘が思う父親への感謝なんかのことをずううっと考えていたら,人の気持ちは,いや、気持ちのないことを「ただしいこと、いますべきこと」だとは、思えなのが自然でしょ。そう思えるとですよ。(いや、何も仕事を全部ほうり出して介護しないのが、といってるのではないですよ。そうでなく)。気持ちがあるから、ひとは生きられるし、そして、よおし、観てろよお~って、何かに夢中にうちこめるのですよねぇ。っと、おもうのだな。ちょっとだけね。(ちょっとというのは、たいてい、ものすごく、と言うのと同義語です。たぶん多くの日本語での場合は。)

 

すこしまえにね。じつは、ひどくあたまをうちましてね。まぁこれで、ちょっと頭の中の部品のズレが治ったりするんじゃない?。なんてね。おもったりしとるとですが。まぁ、このびっくりぽんの事件については、いつか又ゆっくり話すとして。じけんを漢字にするとどうもいけませんねぇ。ひとのぬくもりをはなれた,冷たい書類の紙で処理される対象になってしまうようで。。。ひらがながいいですね。漢字は多すぎればおおすぎるほど、少し違った風情をまとってしまうもののようです。ともあれ。冬眠明けのびっくり転倒から。どうも、こうも、かつての白黒テレビみたいな懐かしい頭にもどっていてくれているようで。。。いくらでも、ことばがやってきます。こんな夜は、ああ、もう朝ですね、こんなときは、時計とはおよそ無縁のじかんのなかに、しばらく、なすがままでたたずんでいたいですねぇ。さて。どこに行きますか?そう、自家用ジェットの話しです。。。何を観て、何に触れて、誰と会って、何をして、どんな風景と,どんな風に吹かれてみたいですか?生きてる間は、みんな現役なんですよねぇ。くるしいのも、たたかうのも、かつのもまけるのも、それでもどこかでなんとか、いきしているのも、ときどきささやかな、ささやかな楽しみをあじわって。ああいいなぁ。これもあれもそれもまぁいまとなっては、ゆるせるなぁとおもえて、そして、ぜえんぶ、いまにつながってて、いまがずうっっとどこまでいってもいまなんですよねぇ。と。おもいながら、いまがもし92でも、107でも、いまのなかでいまのじぶんを、ほめたり、あまやかしたりして、周りと一緒におもろいじかんをこしらえて。そして気がついたら,眠ってる。其れが時間なのなかなぁ。なんてね。おもうとです。そう、歳を重ねるほど,其れはキット絶対ずっともっと深いあじわいになっていくのだろうなぁ。たちどまって、先のことを思案しはじめてしたとたんに、ひとは、なにかをわすれて、おそれて、こまって、しまういきものなのですよねぇ。Do enjoy now, yourself.なのじゃないかなぁ。enjoyは、確か享受するってことでしたよね。たのしむって、つまりいろんなあじわいを感じることなのかも、しれませんねぇ。