そのひとの、せなかをみると、そのひとの、生き方や、生きてきた姿勢みたいなものが、なんとなく、わかったような気がするのは、ただの気のせいだろうか。 でも、ふとおもいだした。 そういえば、さださんの歌詞のなかに、ほにゃららなおんなはいつもせなかをみてる~と、せつなく響くつづりがあったことに。 いや、でもそうでしょ。 40過ぎたら、顔のすがたはほんにんの責任って、いつかどこかできいたことあるけど、たぶん、其れは違いない。 なさけないほど、若く見えるのもどうかと思う、のはわたしだけか。 なあなあんていいつつ。 (研修生という名の、名前の居場所に安堵して、ただ、あまえた時間の中で、どこかで本気からにげききたのはどこのどいつだって。 )そうそう。 ともあれ。 背中の話でしたね。
ほんとに真剣におもいます。 かおよりも、はるかに雄弁なのは背中だと。 どうしてこうも、みんな声をそろえて、老いをわるいことみたい、ただかなしいことみたいに、いうのだろうか。 わぁあいいなと、おもう元気な方は、80でも、90でも、そんなことをひとことも言っていない、ことに、ふと気づいて愕然とする。 いまがいくつかではなくて、いまがなにに夢中かで、生きられたら、どんなにいいでしょねぇ。 と、思っていて、ふとおもったのは、どうして、80も90も100も、みんないっしょにしてしまう(ように聞こえる)のはどうしてだろう。 あなた、80と100では、0歳と20歳。 20と40、40と60も違うのですよ。 20歳と40歳をいっしょにするひとありますか。 なんだかなぁ。 (もっとも、もう一度、20歳にもどれるとなっても、もういやだとおもう。 あんなに、しんどい日々にもどるなんて。 いつもいつも、悩んでたし、先が見えずに苦しかったし。 決断してもしても、当時は、いいとは思える形がこなかったし。 )それなのに。 6度目の年女を越えたいとこは、電話をすると、話しのどこかで、かならず、マイナスの感情しかつわたってこないような、その声音でいつもきまってこういう。 わたしは、わかいときに好きなことをしてきたのだから(このさきは、そんなのもうできないのよ)。 といわんばかりの。 せつないね。 まぁ。 ひとのこころとは、かくも、渡る世間にでてくるおんなたちの言が、半分なのですかね。
あれれ。 またしても、ぐちにもどってしまいます。 いけませぬねぇ。 ともあれ、男の人のかっこよさは、背中です。 そして歩き方。 もしかして、そのひとのほとんどが、そこにあらわれていたりして。 (ちょっといいすぎかな)。 ともあれ。 ほんに、思います。 いつだったか。 これを書き始めた頃。 ほんに自分でも、よくもまぁあれほど、えらそにいえますなぁというくらいのことを書いていた(と自分ではそうおもう)、そんな頃。 ゴルフ場で、3歩けば、うまいへたがわかる、なんて言ってしまっていましたが。 でも、確かにそうですねぇ。 うまいというのは、スコアがいいというだけのいみではないですよ。 スコアだけのゴルフをする人のあるきかたが、かっこいいとは、まったく思えないし。
うまいというから、えらそうにきこえるのですね。 みりょくのあるそれ。 数字はあくまで、数字。 年齢の数字もかくあって。 同じ歳でも、その中身のとしは、ひとによって、まったくまったく違うのがふつうであるように。 ともあれ。 数字は、きっと、あくまで、なにかの先の一応の目安にすぎなくて。 どうして、日本人は、平均の数字にかくもしゅうちゃくするのですかねぇ。 それが、島国の情緒にも貢献しているということなのですかねぇ。 ともあれ。 80よりも、100の中身のほうが、ずっとドラマチックで、真摯でそそして紳士で、みていていいなぁとおもえるそれだって、いくつもあるのに。 肝心なのは、ひとつひとつに、どんな姿勢で取り組んで、果敢に挑んだか、ということなのに。 この前の、早朝、みんなが夢中になれたのは、きっと、その果敢な一打一打が、とにかく見事だったということなのに。 ただただ、無難にせめて、パーでもボギーでも、70台、80台と、それぞれの数字が少ないのが、ただそれだけがいい、というのなら、その5時間は、せっかくのその時間は、じつにつまらないものに、思えてしまう。 そんな気がするのはわたしだけですかねぇ。
ほんとうに、打ちたい一打を打てる。 そんな一打のために、かたちを、姿勢を、そして考え方をもさくする。 そんないちばん、大事なことを見落として、ただ、数字だけを先に求めてしまうと、器用な人ほど、もしかしたら、なんだかなぁというものが、ずっと早くにやってきてしまう、のではないですかねぇ。 80でも90でも、歳だからなんて、いちども聞いたことのないひとたちは、きっと、おそらく、いつも、当たり前のように、渾身の一打を真剣に目指していて、そして、それを楽しんでいる。 のでは、ないだろうかなぁ。 うてるかどうかは、その目の前の目標が、全然ちがいすぎるから、だからすぐに、「歳だから」に、なるのではないのかなぁ。 わるくても、いいわけひとつしないような、そんなかっこいいひとはみな、そういえば、そんな愚痴を口にするのを聞いたことないよなぁ。 姿勢ひとつで、ひとはここまでちがうのかも、そうおもうと、なんとも、こころひとつで、そのさきの道のりや、そこから見えてくる景色は、きっとずい、ぶんちがってくるのだろうなぁ。 ふと、そんな気がして。。。