1時に起きて、小一時間ほど横たわっったあとに、2時ごろふとんをでる。。。これも一応早起きというのでせうかねぇ。にんとも。過度のきゅうげきな筋肉疲労に加えた、そのあとの、長すぎる臥せ姿勢。。。このせいで、ふとんにしがみつくとき、首をカメさんのように、ぎゅううっと、鋭角にまげて、まるめたタオルケットを抱え込んで、右に左に、寝返りを打って。。。そうこうするうち、首の後ろ?のけつりゅうが、おそろしくわるくなり、脳に血がいかなくなるのでせうねぇ。すると、自然に、考える事が、同じ軌道から離れることができなくなって、ターンテーブルのように、ずうううと、おなじところをまわりつづける。それも、いいことを考えるわけもなく。。。こうして、ひとつの不元気ができあがる。ここまできて、やっとその、形成回路が、わかった。ああ。母さんが、のべ3ヶ月の入院で、ひざの関節をいれ、これまでの痛みとわかれて、さらに動けるようにするための、それが、こうして、眠れない日々との対峙となって、而して、こころが、こうどうが、うごきが、こわれてしまったのだ。

 

眠れないといいだしたそのときに、すべきだったのは、そのまましばらくほおっておくことでも、そのうち、行動が不自然になってはじめて、あわててびょういんというところに、つれていくことでもなく、もっと早い時期に、指圧やマッサージ、話相手をみつけること、日頃のできる範囲のあたらしいルーティンを見つけてあげること、すぐちかくに暮らして、もっと頻繁に帰り、ごはんを一緒にすること。ごはんを一緒にたべるだけでいいのだ。それで、どれほど、ホッとできただろう。もちろん、帰ってはいたが、ひと月に一度が精一杯。なにしろ、500キロも離れていては。こうして、置いた母親は、あるころから、とても弱気なことをいうようになり、わたしの何かのひとことに、おどろくほど素直に、かんにんやでと、まるで別の人のようなやさしいことばを、言うようになり、そうして、ある日、トイレで転んで、いやどういう理由でか、ともあれ、倒れて、動けなくなっていた。。。のだった。意識はあったし、その日の、深夜1時ころ、最寄りの特急停車駅から、40キロをタクシーを駆って戻っても、「あれ?あんたどうしたんあんたどうしたん?」と、驚くこともなく、「わざわざかえってきてくれて、ありがとう」でもなく、深夜にいつものソファーで、寝る準備のような動きをしていた。話しかけても、まるで、わたしがずっとそこにいたかのような。いや、まるで、トイレで倒れていたのを見つけてくれたかかりつけの看護婦さんとでも、おもっているかのような、再会の時の、あの高揚の混じった声も、からだの動きもまるで皆無だった。そういえば。

 

翌朝起きた頃には、わりとけろっとして、ある程度、ちゃんとした反応で、わたしの名前もふつうに口にしていた、とおもう。そう、改めて、そのかかりつけに行ったのだから。その日から、まる2ヶ月以上、最寄り駅に降り立ったとき、なんともいえない感じがして、普段はまずしない携帯のちぇっくをしたらば、そこにはかかりつけからの着信記録。もう診察時間を15分を越えていたけど、あわててかけると。くだんの説明が。いますぐ、帰らないと、一生後悔する(大げさだけど確かにそんなふうに)と、そうわずか数秒で判断して、いや15分だったか。ともあれ、歩いて5分の部屋に戻り、洗濯かごもそのままに、最終の特急に乗り継げる、新幹線がでる駅に急いだのは、もうすぐ、ちょうど、あれから11年。そして、その一年後、最初で、そして最後の、ふたりの最強?強行軍旅が、4日で2000キロを走り、レンタカー屋のおじさんを刹那絶句させた、あの、珍道中があって、その最終日のあさ、あの穏やかな海に囲まれた、母のふるさとにもちかい、穏やかな海に面したオーシャンホテルでの、朝、テレビに映っていたのが、ちょうど2日目を迎える、マスターズではなかっただろうか?タイガーは白いシャツを着て、ボールを打っていた。ホテルの部屋の中で、目覚めた母が、いったりきたり、するその姿と、テレビの向こうのタイガーのツーショットをなんとかその、インスタントカメラに収めようと、もはや、遊び心でもって、かなしさをいっさい感じないようにこころにおまじないをしたかのような、わたしは、そうして、母を、ひとりの被写体として、どこかで、さめたように見つめていたのでした。

 

くすりのせいで、いや、眠れないといいだしたときに、既に、彼女のあたまのなかの、なにかが、おかしくまわりはじめていたのに。いや、もうやめましょう。だれのせいでもない。母自身が、膝の手術をしようと、わたしがいったとき、病院の診療台の上で、にやりと、まるで、「やったね」とばかりの、いやそんな純粋なうれしさではなく、どこかしてやったりというような、幾分いじわるなこころがみたされたときに見せる、なんともいえない業のいちぶが垣間見えてしまったかのような、そんな顔を、ほんの一瞬だけ見せたのが、ずっと、その表情がまるでひとつの映画のシーンのように、映像として残っている。あたまのなかに。あれは、これでまた、歩く姿のみっともなさを憂いて、いままでのように外にでるのを躊躇うようになった自分が、これでまた、前みたいに戻れるぞ、という、やったねの気持ちに、これで、わたしを、向こう3ヶ月は、どくせんできるぞ、いや、わたしがその街にもどれなくなるぞ、とまでいうかの、そんな彼女の得意の、素直な気持ち、素直なこころだったのだろうな。(人の目が気になるその星のは、新しい物好きでいつもルーティン通りに、そして人前ではいつもおしゃれに、みっともなくなく、いないといけないそんな星が軸にある母にとって。老いとは、自分で自分を、日々どんどん、おいこみ、おそらく、自己否定さえしいくことに、とても自然に、そして簡単に、なってしまっていたのかもしれない)。ありのままが、かっこいいのに。そのひとが、こころからそうしたい、と、感じる、そう、居心地がいいと素直におもえる、格好が、それがかっこいいのに。

 

ひとまえと、家の中での、言い方も、声音はもちろん、肝心は、言ってる内容さえも、ときに、ほぼ反対、も、当たり前だった、母にとって、老いとは、醜さを隠すことに、ひたすら終始しないといけない、時間とかわっていったのだろうか。むろん、こころとからだと、そのわかりやすいほどに、見栄をはるのをよしとするその姿勢が、一貫して、いや、少なくとも、納得できる範囲で以て、自己実現できているなら、恐らくきっと、それなりに、老いと仲良くできただろう、なのだけれど。ことばは、いくらでも、その話し手の意思でもって、いくらでも、嘘をつく、けれど、そのときどきに、そのひとの風情や佇まいから、いや、仮に、その飾られた言葉を発しているときでさえ、「ほんとうのこと」は、雰囲気という、空気でもってまわりににじみでていく。つまり、空気はうそをつかないのだ。そのことに、気がついたとき、ものすごく愕然としたのを覚えている。むしろ、黙っているときの方が、そのひとのこころは、空気でもって、より雄弁で伝わってきたりもするし。ともあれ。母の話に戻ると、そうして、最初で最後の、哀しいまでに、おもしろおかしく、そしておそろしく、凶暴で、残酷で、そして、ユーモアだらけで、からだはひたすらしんどくて、でもこころは、妙に愉しんでさえいた、あの4日間に、あった、いくつもの出来事を、いまでも、なにかの折々に、ずっとこころのなかのVTRで、覗いてみている、それは、そうすることで、きっと、わたし自身の、無意識にも、いまでも自分をまだ責めている、そんなところを、なんとか癒やそうと、自分で必死にケアしている。。。のかもしれません。

 

そういえば、その珍道中を、連載風に、綴っていましたね。ここで。そして、ラストの1話を、肝心の最終回を、書かぬまま、今にいたっていましたね。ははが、わたしと出かける、出かけられるその時間をうしないくないことに、後半では、むしろそうすることにまるで、執着するかのようなこころを、ことばやうごきの端々に、みせていたのは、仕方ない、そう、わかってて、むしろ、そうしたくてしていたのが、わたしであることに、ほかならず、それでも、親子というのは、ともすると、相手に自分のないものを無償でつくして貰うのをあたりまえとおもってしまうところがあるのでせうね。時間。それは、まぎれもなく時間で。その時間をもてるということの、ありがたさをわかっていて、そうしていた、わたし。社会制度という名の、ビジネス化。おやこの、最終章を、無機質なビジネスライクな時間(というと、いささか失礼が過ぎますが、お許しを)の中に、逃避させることが正しいと、なっている時代。無論、それを上手に利用することと、丸投げして当然としてしまうことには、大きな隔たりがあるということを、蛇足ながら、ついふと、おもったので、横道にそれましたが、ともあれ。上手に老いるって、はて、さて、どういうことなのでせうね。そも、老いるなんて、言う感覚が、いや、そう感じることがあるという意味の老いるではなく、なにかができなくなっていく、若い人に迷惑をかける、それはいけないと、いったいだれが決めたのだろう。迷惑をかけるから、家族で有り、親子で有り、親しき仲ではないのかなと思うのは、可笑しいのでしょうか。そうか。ずっと、感じていた、不自然な、違和感のある感覚はこれですね。

 

さっさと自分のしたいこと、自分のことをしなさいと、ずっといわれていたころ、まるでそれが当たり前で,善であるかのように。親しい人との近しい時間、手を掛けると言うこと、手間を掛ける、暇もかける、そうすることで、はじめて、うまれて、ほかのなにでも感じられない、そんな感覚を得られる、時間を、なるべく持たないようにしなさいねと、いわれているのと、同じように、聞こえていたから、そんな、まわりからの、折に触れての、言葉ことばに、いつも、どこか、すわりのわるい、響き、と、ほんとうではないことを言っている、ときの不自然な声音が、きこえてしまっていたのでしょうね。無論、だれかをせめてるわけではないです。そうではなく。ひとに、なにかに、やさしくできる時間は、むしろ、やさしくされてるほうではなくて、そうしているほうが、自分を癒やし、うれしい時間に包まれていると、そう感じられる、そんな時間にもなるのでしょうねと、こうして書いていながら、そうこころがつぶやいたので、書いています。無論、そこには、やさしさだけで、かたずけられる、生やさしいものは、いつもはほとんどなく、ひたすら、ばかやろうこのやろうとおもう、怒りといらだちと、自分の中からわきでてくる凶暴さを、持て余し、困惑し、そのうち開き直り、自然にまかせて、文字通り、野生と野生のぶつかり合いのような時間になる。生きるための闘いどころか、戦いとなる。それでも、いいじゃんと、そうおもっているこころが、たしかにそこにはあって。そして、そうして、これでも、社会の中で、ときに、甲斐がないと感じるむなしさや、他人からの容赦ないしっとや意地悪を身近にして、あのなんともいえない不愉快さを同居する時間に居るより、ずっといいと、おもってしまう、そして、それがすべてになったまま時間だけがすぎた人間が、ひきこもり、と言う現象になるのでしょうね。おっと。話しがそれました。途中から。ともあれ。わたしは、今したいことは、そのとき、それ以外にいったいなにがあるのですか?と、思いつつも、ちょうど都会の暮らしに疲れ始めていたのも、あったのかもしれません。都会は、その洗練された素敵な街は、右と左をある程度分かった上で、ときおり訪れるのが、なにより心地よい街と。ともあれ。それが避けられない、わたしのさだめ、人生の流れに乗るということだったのでしょうね。

 

今なら、それとわかるし。むしろ、ちょうどいい口実ができた、というのが、最小限のことばの、芯をついたところだろう。無論、ひと月に一度帰らねばという、制約がなかったら、ほかに、挑戦したいという分野でもあったのだろうか。こうして、柔らかな土の上を、健康的に、牧歌的にあるいているのが、ほんとにほんとに、ちょうどいい。そう思っていたのは、ほんとのほんとう。どうして、みんな同じ、でないと、ひとは、安心したがらいのでせうね。かわったものがきになって、必要以上によってくるか、はたまた、排除しようと躍起になるか。いや、ほんとうに、ちゃんと生きている人がたまたま、近くには少なかっただけ。そう思えばさして、はらもたたぬのに。いえ、はらなどはじめからたっていないのに、それでもどこかで、なんだかなぁという、むなしさや、めんどうくささや、かなしさは、いつもちかくにいましたねぇ。それも、じんわりとひたっていたいよな、情緒あるかなしさでもなく、できるなら、そんな空気は浴びたくないと、感じさせられるよな、後ろ向きな、陰湿な感じの、そんな空気は、できることなら、さけてとおるが、人生のコツなのでしょうねぇ。なかなか、うまくはいきませんがね。にんともねぇ。いったい、どうすりゃ、いいのでしょうねぇ。そもそも、ひとの納得を得るために生きてるわけでもないのにねぇ。それぞれが、それぞれのものさしで、そうありたい、こうなりたいとおもって、そうしているのに、すぎないですのにねぇ。なのに。ねぇ。どうしてこうも、ひとにむけて、ああしろ、こうしろと、生き方まで、言いたくなってしまうのだろうひとが少なくないのはどうしてなのでしょうね。そこにあるのは、こころかの善意だけではないことは、恐らくそんなことを言ってしまうその人自身が、なによりわかっているのでしょうか。意地悪は、いったいいつどうやって育つのでしょうね、ひとのこころに。そこから生まれるもので、うれしいもの、前向きなものなど、なにもない、かのように思えるのに。いや、それがないのは、ひとが生きていないのと同じなのでしょうかねぇ。なにがしかの、戦争が、生存競争が、昆虫の世界などともちっとも変わらず、起こってしまうのは、どうにも避けられない当然を理解したらば、いたしかたのないことなのでしょう。そうおもうと、つまりは、そういういやなおもいもひっくるめて、そうする人間がいなくならないのもひっくるめて、ひとが、あるいは世界が、生きている、ということなのでしょうね。それでも、ひとにしたことは必ずかえってくるのにね。無意識に、ひとは、いや、意識をもってそうしたいと感じて、いろいろなことを。思わず、感情のままに動いて、あとで後悔して、そんなことを繰り返しているのでしょうねぇ。それでも、怒ったら負け。そう、こっそり言い聞かせて。やさしさをもてることを、むしろ誇りにして、いられることを、自分に言っては、せめて自分で自分のこころを、慰めて。そうして、薬というものへの、ほどほどの信頼が。多用に善無しを、もっともっと、早くに学んでいたかったなぁと。それも、気づけたことへのホッと安堵と。そう、書きながら、心の回想と咀嚼と思考を繰り返していたらば、やっと、5時が近づいてきました。さぁ。きょうは、マスターズにもまけないくらいの、試合の当日です。限りある時間の、緊張感はむしろここちよいものでして。。。