その昔、戦争から戻った父が、一緒になった人がいたのが、南森町。そこの森口電器店。店の前の看板には、懐かしいナショナルの文字もありました。美しい美容師さんで、戦争孤児(草刈さんと同じ名前の)の男の子がいました。さて、何年連れ添ったでしょう。生後半年でその母親を亡くしている父は,10歳以上離れた長姉と、隣村の同じ庄屋の家から嫁に来た祖母に育てられたのだとか。道理で、どこかとてもさびしそうな背中があったよな~(背中といえば、男の人の背中は顔以上にもう一つの顔ですよねぇ)。加えて、要所要所を危機管理する繊細な視点と先見性は、あとからあとから、はたと気づいて驚くことばかり。とにかく、細かなところに気と目が届く。出かける20分前には、準備万端。辛抱づよすぎたのは、歩兵隊のせいもあるのかしらん。ずっとあとになって、私が幼い頃、歩き出して目が離せないとき、家事に追われる母に代わって、ただひたすら、私のあとをついて、見守ってくれてたのが父と知って、嗚呼そのせいか。あの頃いつも後ろに、こうなんともいえない温かい視線を感じていたのが懐かしい記憶。そういえば私は、大人の男の人は、みいんな味方ぁと思っているふしがあるかも。確かに。。。

 

無論、いちども大人にならないまま年老いていくひともありますねぇ。桃太郎も,金太郎も鬼退治に熊と対決、それらの大冒険を経験してはじめて、大人になれるのですから。一度は故郷を離れて旅をしないと,大人にはなれないのでしょうねぇ。もちろん、離れずとも遠征、冒険に匹敵する苦労や勝負でも。げに、ときどき、ゴルフ場でもコンビニでも、視界の端に映っただけで、はいアウト!と、思うひとびと、これほんと残念(実は、論外ダメ男一号二号....と容赦ない。)そりゃ当たり前です。動き方に品がない。含羞、矜恃が全く無く。そわそわしていて、辛抱がない。この戦争のない時代。ともあれ、やせ我慢がああかっこよさかと気がついたとき、本人もそれと気づかずそれができてる紳士たちと、同じにしたら、それこそ彼らに失礼ですよ。と、なんどもなんどもおもいましたねぇ。そして健全な男子なら、ゲームより、外でけんかのひとつやふたつ。それをしないでかっこよくなれるひとなんて、いないでしょうねぇ。ときに、ここだけの話。わたしはその動き。背後に背後にまわろうとするその不自然な動きがもうとにかく嫌い。それする人間は一事が万事、必ず隠れて悪事をはたらく、そんな気がして。。。危ない芽は気をつけないと。そんな無礼不愉快にほんんとに腹が立つ。30を過ぎから、日頃の中で、怒りといえばほぼこれ。1日鬼ごっこ状態のときなんて、どんなに、智慧と運動神経に頼って。。暮らしてきたことか。。。ところで、さださんの歌にあるのは、“いい女はいい男を育て、だめな女はアホな男を増やす~”でしたっけ。さて、女の人の責任は重大ですねぇ。

 

あら脱線。さて本題。きっと父はその人が大好きだったに違いなく。それともそのひとのほうが、父の方を大好きだったのか。ともあれ。何年もしないで、病気でなくなり、義理の息子はその祖母にあたるひとがひきとったそうです。葬儀の日、彼女の遺影を抱いて、全身から悲しさを溢れさせている若い父のすがたがそこにありました。件の長姉の娘(つまりわたしの従姉)がもってる写真に、そんな父の背景に印象的なナショナルの文字。)いまも、そのころ当時10数歳の政雄くんが、父に宛てて書いたささやかな、お礼状が今もこの縁側の引き出しの中にあるのです。いまおられたら、はて70の後半のころなのでしょうかしらん。なんとも、この一億総ナンバリングは、まぁいたしかたのなかったことでしょけど、いつもかつも番号番号。まぁ、背番号はもうひとつの顔!かぁ。そうそう、城山さんが大反対されたそのこじんじょうほうなんとか法のせいで、電話帳さえ貴重品ですねぇ。その方の居場所をさがしてみたいと、おもっています!会ってどうするととわれれば。はて、会ってみないと。目の前にするだけで、自然と話したいことがあふれてくる人って、あれ、ほかのひととなにが違うのですかねぇ。ともあれ、探すなら時間が勝負ですよねぇ。ともあれ、あれから、いつも思おうんです。まぁ、こんどでいいや。来年で。。。気軽にそうした「シラノ」の一人舞台は永遠に来なかった。(ああ、この前の『ロクサーヌ』の原典です。鼻が長くて大きく、文才溢れるその方がモデルです)。母が,いつも「わたしこのひと好き」、の緒方さんでした。少なくともわたしにはその縁はなかったのでしょう。ともあれ、以来、なにあるたびに、ふと浮かんできたことごとを、いつでもできると、簡単に翌年に延期してはとりかえしがつかない、と、そんな教訓が胸にぶらさがっているのです。

 

愛するとは、みつめあうことではなくて、いっしょに同じ方向をみつめること。なにげなくてにした、ほしの王子様の本があったのは、いつも大好きだったオアゾのなかの書店です。ほんにかこまれていると、あんなにほっとするのはなぜでしょねぇ。ときどき、書棚の列の間を歩いていないと、息する方法を、簡単に忘れてしまいそうなのは、これわたしだけかなぁ。ちょっと大げさかな。(だめです、睡魔がおそってきました。)瀬戸内の漁師の網元が、おじいちゃん!の、母の話は又今度。どれもべつべつばらばらに、あのときこのとき聞いていた、いくつものピースとピースが、えええ!と、あるときはたと、前触れもなく、なんともなしに心で描く風景に、突然大きな絵になるや、愕然と手と息が止まって、刹那はかんきでことばをなくしたかもしれませぬ。ほんとにそんな瞬間は、言葉は一瞬まったくなくなるのですねぇ。ともあれ、母の変遷も驚くほど、万丈なら、わたしのそれもそのようでして。。。2年も余計に苦労をして、やっとことで大学にはいり、ずっと夢見た紙と文字の世界を垣間見たいと、大きなすべての会社にいきなり、電話をしたのですが。電話口で、とても丁寧に対応くれた方がいたのがそう、ほかでもなく、南森町にほど近い小さな公園前の建物でした。もしや。森口電器店がかつてあったのが。。。えええ。いつもわたしが通っていたとこだったのでしょうか。。。時は重なり、時代もまわる、のでしょうかねぇ。不思議です。