こうして書いているのは、おしゃべりしている、それとかわらない、いえ、何時間でもおしゃべりできるようなおんな友だちを前にしては、なかなか、遠慮やためらいや、あとはほんの少しの気遣いやらが邪魔をして、なかなか素直に口にはできないことを、こうして手を動かしていると、自然にこころにうかんでくる、あれこれを、おしゃべりするのとおなじスピードで、書いている、そう、それも、自分のペースで。。。それが、なんとも心地よい。だからあとで、あれ、そんなこといったっけ、なんてことも、きっとあるはずで。いっぽう、書いていながら、書き始めた頃にはおよそ、おもいつきもしなかったような、発想やことばにたどりついて、おおお、すごいね、おもしろいね、と、自分で、感心してみたり。。。どこか、そんなところがある、時間なのです。こうしているときは。それでいて、ちゃんと、だれかにむけて、聞いてもらおう、もし共感してもらえたら、さらにうれしいな、そんな気持ちもあるわけです。そこが、日記とは、ちと違うところでしょうかねぇ。ともあれ。ずっと書いてていいなら、時間の許す限り、何行もなんぎょうも、かいてしまうでしょうねぇ、そうおもうわけです。

 

本というのは、本を読むというのは、その、条件がそろわないとできそうでなかなかできないものですねぇ。いつか聞いたそのことばが印象に残っています。確かに。とっておきの空間。それだけでもだめで。なにか、邪魔になるものがあるけど、それらはなんとか少し離れたところにおいやることができて、それでいて、自分だけの時間と空間を守るぞ~、なんて、ことがあると、自然に本のなかに、逃げ込むわけではないけど、やっぱり、どこかいまこのときからの、逃避行、そんな、どきどきするような、そんな環境(つまりはてきどのしょうがいぶつ?)がないと、なかなか、ぎゅ~っと集中した読書の空間、時間というのは、簡単にはできないものなのですよねぇ。不思議なことに。忙しい中の合間を縫って。というのが、以外ともっとも、よき時間を得られるのは、不思議でもなんでもないのでしょうねぇ。父は晩年、わたしが図書館で選んできた本を、ほんに、食い入るように、時間を忘れるかのように、読んでいましたが。思えば。家の中の、どこにいてもどこにいるかが、ずう~っとはなれたところからでも、それとわかる物音を立てる母、のまわりにただよう、なんともいえない騒がしさ(という障害物?)から、自分だけの時間と空間を守る、そんな条件がそろっていたのでしょうかねぇ。言い換えると、もっと小さな頃、父とわたしだけで家に居ると、余りに静かすぎて、時間がちっとも流れなかった....まるで灯がきえたようで。。。つまり、長所は短所、短所は長所で。ひとぞれぞれに、いてくれてありがたい、いてくれてありがとう、というところがあるということですよねぇ。(そうは、とても思えぬ時も、ままありますけどね。。ともあれ。)

 

それにしても。わたしはどうして、作って貰わなかったのでしょう。母に。仕立ての服を。おもえば、保育園にはじまって、高校まで、制服という制服はすべて、母が作ってくれた。ひとよりいささかながい、腕と肩幅がちっともくるしくなく、みじかくもなく、大きすぎず、窮屈でもなく、なにより伸び伸びと、いつも気持ち良く動くことが出来た。着ているものにまったく気を取られることもなく。高校の時は、あいの季節といって、冬でも夏でもないころに、ベストというのがあったのだけど、既成のそれはサイドのファスナーが途中まで。ゆえに被らないと着られないのだが。もっと着やすいのがいいと、サイドが完全に離れる仕様にしてもらった。そんなのあさめしなんとかだとおもって。なんでも言ったらできると思ってた。それなのに。そのころからですかねぇ。当たり前の成長過程なのでしょうけど、母のことが、ありがたいのは100も承知だが、やっぱりどこかうっとうしい。全部言うこと聞くわけにいかない。いやむしろ反対のことをしたい。おとなになっても、大事で、結局ほおっておけない(からいまこうしているわけですけど^^;)、しかしどこかで、やっぱりおおきなしょうがい(もっといい言い方ないですかねぇ。越えるべきハードル?)だと、わかっていながらいたのでしょうねぇ。清張さんがいちど、おやはこのぎせいになると、おっしゃっていましたが、ひといろいろ、逆の場合もあるのかなぁと、口にはしないけど、そうわかってそれでもそうしてたのでしょうねぇ。いや、そうしたいからそうしてたのでしょうねぇ。ひとのきもちとこうどうというのは、なかなか、かんたんには、わりきれないもののようですねぇ。

 

そうそう。それで。仕立ての服です。これまで、左利きのジャケットというのは、さすがに見たことないですけれど。つまりは、右胸にポケットがあって、みぎの前身ごろに内ポケットがついている、というの。特製の、あそびごころあふれる、そんな一着。めちゃくちゃフォーマルな仕様で、いや、わたしはカジュアルのしか着ないからなぁ。ともあれ。そんなあそびな感覚をふんだんに盛り込んだ、一着を、いくらでも、オーダーできたのになぁ。ほんに、なにごとも、手に届かぬ所にいってから、気がつくのですねぇ。ああ、なんで、あのとき、そうしなかったのでしょうううう。ってね。思えば、唯一、洋裁の、母の部屋で、作業をしているときだけは。その、どんちゃんがらがらの、音は全くしなくて。母の情緒が、すうう~っと、まるで帰るべきところに帰ったような、そんな風に、静かでまるで別人のようなおちつきはらった風情にいっぺんしていましたねぇ。そういえば。ひとの話しは、これから佳境!というそんなところで、みごとに、それはそうとね!と、間髪入れずにさえぎってくるてんさいでしたけれどもねぇ。なかみがネコ科だらけの母にとって、そんなのあたりまえ!だったのでしょうかねぇ。瞬発力だけは見事で、じつに感情と行動といってはいけない言葉がまさに同時に発動される!あのパワーは、おっとりたぬきともの静かなさるのわたしと父には、100回逆立ちしてもとうていかないませんでしたっけねぇ。長所は短所、短所は長所、なのでしたねぇ。(てへ)。