横になれば、まちがいなくすぐに眠りにおちるだろう。なのに、なぜか、起きている。寝てしまうのが、いささか、もったいない気がして…。疲れを感じながらも、ちょっと夜更かしするのは、なぜにかくも、みわくてきなのだろう。なあんて。ちょいと大袈裟だけど。ともすると、眠りの中に逃げ込むしか、こころを休めるすべがなく、風通しのわるいハートをもてあましているときからすれば、それこそ、羨ましい限りの贅沢なのだな。ほんに、なかなかちょうどいいというのは、ないものですねぇ。いつも、こころとからだと、相談しながら、でも、たいていは、許せる限りわがままをいって、自分の(こころを)やりくりして…。たぶん、みんなだろうな。たぶんだけど。
あれは、8歳の春だったっけ。あの日の、緊張とこわばった気持ちはいまも忘れない。なんてことはない。初めて歯医者に行った日のこと。ちょうど、我が家に初めてのカラーテレビがやってきた日の午後だった。いいことと、たいへんなことが、いっぺんにやってきた日だった。ともあれ。あの日。父が連れて行ってくれたその医院には、道路より少し低くなった車庫があって、せんせいの車が停まっていた。ちなみに、わがやに車はなく、その後も自分で買うまでなかった。ともあれ。そこに停まっていたのは、ベージュ色をしたとっても、高価そうな綺麗な車体。銀色のまるがよっつ並んでいた。とても、かっこいいものの象徴のようにおもった。それが、南独の小さな街で作られている車と、知るはずもなく。ただ、かっこいい車として、心に残った。
なぜだろう。若い頃は、クーペはいやだとおもった。どこか、かっこつけすぎているような、それに、家族を乗せるのにちっともやさしくないというのも、かっこわるいよに映った。それより、たぶん、たまたま、身近でそれに乗っているひとに魅力!?がなかった…、ただ、そのせいだけかもしれぬけど。あるとき、白洲夫妻の生き方に強く興味を惹かれたとき、彼らが当時だれものっていないような、ランチアで伊勢まで旅行したと聞いて…、そして、70歳を過ぎて乗っていた車を知って…、そのくらいにどこをどうきってもおばあちゃんとしか、いいようのない年齢になって、スポーツカーに乗るのも粋でいいなぁ~。って、おもったこともあったっけ。ともあれ。あの愛車に20代の後半からのほぼ10年。ほぼ毎日、乗ることができたことは、ほんとうによかった。きっと、これ以上に好きなものはないだろうなぁ~、そう感じながら、その空間に包まれるというのは、かなしいくらいにうれしいものだ。と、おもう。
毎日肌が触れるもの、毎日その空間に身を置くもの…、毎日感じる空気ややさしさ。そんなものものは、ひとを、内側から支える、とても大きな時間と、空間なのかも…。ちょっといい繊維、ちょっといいシート、はたまた、ほわっとこころをほどける時空間…。日々触れるもの、感じるものに、ひとは、少なからずなにかを育ててもらっているのだとしたら…。おお、これは違う!気持ちいいぞと、感じられる空間の、なんとありがたいことか…。そこにいてうれしいと感じられる空間。あるいは。スタイル。カラー。妥協は、するところをちょいと変えるだけで、まったく違う空気を身に纏えるとしたら…。わぁ~、いいなぁ。素直に好きと感じる、そのことを大事にしたいなぁ。と、いうことで!?、クーペもいいなぁ。このごろ、ふとそうおもうのだな。(わぁ~、だいすきなことを考えていたら、目がぱっちりしてきちゃったぞ~)