いちばん暑いとき、いちばん寒いときに、どれだけ真剣に頑張るか、頑張れるか…。これが鍵だ。そういわれたのは、ゴルフの練習についてだったけれど。かつて。しかし、あらゆることに、言えるのかもしれない。しんどいことは、逃げてしまえばどこまでも、しんどいのだろうけれど、もし、よ~し、という感じで、立つことができたなら、そこはそれ。暑さならではの、うれしさや、たのしさもあるのかもね。寒さも。四季があるから、いろんな、機微が生まれ、工夫があって、面白さがあるのだとしたら…。夏はさしずめ、若さ(エネルギー?)の象徴だろうか…。いちどぐらい、その一刻一刻を記憶にとどめておきたい、深い夏、というのがあってもいいのかもしれない。


ところで。少し前、ラウンドで、思いがけず、これまでになかった感覚にであった。いや、なんだ、訪れた、というべきだろうか。なんのことはない、パターの話だが。グリーン上は、ティーグランドとちがい、好きなライを選べない。あるがまま、その勾配を受け入れて、目標に向ってまっすぐ打てるように立たないといけない。場合によっては、多少無様な姿にならないと、目標を果たせる球が打てないかもしれない。ともあれ。まっすぐ打つ。これが鍵だ。それも、おもったところに。からだのどこを、どう踏ん張って、どう動かすのか。その感覚と、実際に出て行くボールと。それが、なかなか一致しない。だから、面白いのだが、ふとしたときに、ドライバー同様、オヘソ(肚?)で打つ感覚が生まれた。無論、だから、すべてがうまくいくというのではないが、打った瞬間に入ったとわかる、その打ち方が、なんとなくだが、からだとボールでできたような、そんな気がする。敢えて、喜ぶまいと必死で自分に言い聞かせているが、実は、これ、ひょっとしたら、ほんとに偉大なことだったのかもしれぬと、ひとり、ひそかに噛みしめている。無論、よくある、早とちり…、かもしれないけれど。どうやら、違うようだ。まいった。これで、バーディばっかりとれるようになったら、どうしよう…。なあんて、そんな心配はいらないかぁ~。


こんど生まれてくるときは、競走馬になりたい…。そんな、歌詞のうたがある。で、そのあと続くのは、でも、強くないと、主牡馬にもなれぬし、なんにもなれぬではないか…と、あって、鳥もだめだなぁ。だって、嵐に遭ったら、家に帰ってこれないし。そうだ、どんなに離れていても、必ず帰ってこられる、犬になりたい…。それも、家族みんなに愛されて、さびしくないぞ…。という、ちょっと、泣かせる歌詞が続いていて、面白い。『美しい朝』なるタイトルのアルバムに入っているけど。どうやら、男(たち?)の、世代(年齢?)とともの、願いや思いが、そこには、ひそかに託されているようでもいて、ちょっと、やっぱり、泣かせる。そうそう。この前、話していたのは、どうして、男の人の(つくる)うたには、『どんなに離れても、どんなに時間がたっても、(そして、会えなくなっても)、君の事は忘れない、君の事をずっと想っている…』という、想いが綴られているのに、おんなのそれは、いつも、目の前のことだったり、なんというか、少なくともそんな感じにはならないのは、どうしてだろうって。おんなという生きものは、もっと即物的というか、あるいみげんきんで、気持ちの層の厚さについては、浅いのかなぁ~。なんてことを話していたのだが。観ているところ、感じているポイントは、確かに、多少違うのでしょうねぇ。無論、おんなだって、いろいろだし、ちゃんとわかるひとは、わかっている!はずなのだけど。ともあれ、悲哀や、哀愁…、っていうのは、確かにおんなには似合わないかもしれませんねぇ…。う~ん。