初回にハリウッド俳優も受講‼️

ロサンゼルストーランスにて 活動開始!

初回レッスンは親友の協力と、先日マリナデルレイ会でお会いした素敵なご夫妻がきてくださいました。

この新鮮さ!

24年前に世田谷区、用賀のバレエスタジオを初めて借りて行ったレッスンを思い出します。

お友達からどんどん口コミで広がったあの新鮮さよ。はあ〜〜。若返るなあ。

 

6月から毎週日曜日レッスンしますよ。

人生変わる歩き方。

え?歩き方習うの?????お金出して???

 

はい、そうなんです。

めちゃくちゃ価値ある歩き方を見つけ実践してきました。

私の人生まるまるっと変わりました。

 

姿勢を改善したい方

パーティに堂々と参加したい方

足が短くなってきたなあ、お尻が下がってきたなあ。と自信を失いかけている方

体を磨き直したい方

 

どうぞいらしてください。

そう、ロム神田さんのように、ハリウッドで活躍する俳優さんも、目から鱗!面白い!!!と

質問の嵐でした。あ、通常のレッスンではここまで教えませんが、初回でしたので特別に。

そして日本人の代表としてのご活躍にお役に立てますから。

 

重心を見直す、

足の長さを見直す、

姿勢の作り方を知る

 

毎日使う体ですからそれを変えたら、それはもう変身しますって。

 

どうぞいらしてください。

6月から毎週日曜行います。

時間 13:00~14:00 お一人20ドル(9月までの料金) お支払いは vennmo  またはキャッシュ

場所  Bridge USA     20817 S Western Ave. Torrance, CA 90501    

お申し込み kimikoposture@ ジーメイル.com   ジーメイル を gmail に変更してメールくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アマゾンに嬉しい書評をいただきました!

 

この ポジティブスイッチ 講談社 は

ポスチャーウォーキングのメソッドを伝えるハウツー本というより

歩き方を整えた私に起きた人生の変化を中心に書いたものです。

 

先日、

言葉のセンスを誉めてくださり、いや〜〜嬉しいです。

 

私が紡ぐ言葉は、

直感的に思いつきますが、

ベースは美しい日本語に憧れて学生時代によく読んだ日本の古典文学や

著名な作家の小説がベースにあります。

 

今も、美しい日本語を見つけるとメモをして、その音の美しさに浸ります。

こうして感性が養われてきたのかもしれません。

まだまだ学びたいし、まだまだ成長せきると自分を信じています。

 

この本は2006年にできました。

この本を読んで感動したから英語に訳させてほしい、と京都の英語教師の女性が

1年かけて翻訳してくださったのが、NYで出版に至った、

 

WALKING your way to a better life

 (歩く より良い人生のために) という本です。

 

日本の講談社ではこの英語の本の出版は断られ、それならばと自分で印刷したものを持ってNYに渡りました。

 

そして、何度か私のレッスンを取材してくださっていた週間NY生活 という

これまた日経新聞の折込に入っている日本語情報新聞の編集長三浦氏が

うちではできないけど、ここの編集長を知っているよ!と紹介してくれたのが

VERTICAL出版社 偶然にも バーチカル=垂直、まっすぐ という名前の出版社でした。

どうかこの本を出してほしい!心に炎を燃やしてドアをノックしたシーンを

今でもはっきり覚えています。

 

一人でも多くの人の目にふれ

歩くことで自分の体のそして命の価値に気づき、

幸せに生きてほしい!その想い一心で2時間、マシンガントークをしました。

幸いにもその編集長は、日本人とギリシャ人のダブルだったので、私は全部日本語で

想いを込めて、ポスチャーウォーキングを語ったのでした。

 

古い本ですが、本能に刺さるものと確信しています。

 

ぜひお手に取ってください。

人生、歩き方で見事に変わります。

 

2024年に我が協会で掲げたスローガンは

BEAUTY CHANGE  美しく変化しよう! です。

あなたの人生に美しい変革が起こりますように。

 

ジャーナリストの相川さま ありがとうございました!

きっかけをいただき、一気に思い出が出てきて、ここに記せました。

 

 

先日は母が南カリフォルニアの地元新聞に載ったばかりですが、

昨日夫が日本のYahoo!ニュースに載りました。

 

シリーズで4回め、今回が最終回だそうです。

こちら

 

初めての日本で驚くことはたくさんあったみたいです。

車の映画を目下製作中の夫にとって、綺麗に磨かれた車ばかり、そして駐車場では綺麗に前向きにパーキングされている様子、タクシー運転手のマナーの良さに、目を丸くしていました。

 

これも元気に歩けているおかげですね。

たかが歩き、されど歩きです。

 

 

 

 

今年の大チャレンジ、それは91歳の母を私の暮らすロサンゼルスの家に招くことでした。

2年前 60歳で人生の予定外爆  笑の再婚をした私の暮らしぶりを、一目でいいから見てみたい。そう言っていました。

コロナの最中、奇跡の国際結婚がとんとん拍子で進み、きちんと結婚届を出すことができた私の記事はこちら(面白すぎて、ハルメクさんに掲載されました)

3回にわたって、そのドタバタ劇、出会いからを赤裸々にかいております。

 

 

私も、もちろん見せて安心させたい!ただ、毎年年を重ねて行くので、1日でも早く、と願っていました。

私の母ですから、歩くことでピンピンころりを目指して、本当にポジティブにいてくれます。とはいえ、長時間のフライト、そして食事の違い、など不安要素はありました。でもそれだけが最後の願い。という母。

夫とは「最悪」の事態も考え、万全の対策を持って、いざ、母と羽田を出発したのが11月1日でありました。

最初は2週間くらい、と言っていたのですが、いやいや、もしかしたらこれが最初で最後かもしれないから、と欲張って思い切って40日の計画を立てたのでした。

 

結果、大正解!!!

母は、心からLAライフを楽しんでくれたようです。

サンクスギビンングやクリスマスパーティ、ご近所とのカフェタイムも、ワイナリーへのドライブも、本当に健康に過ごしてくれました。

 

夫の地元の慈善団体のパーティに行った時に、地元新聞に記事を書いている弁護士の方が興味を持ってくださり、なんと今日、新聞に載ってしまったのです!いや、犯人ではありません。笑

 

少々長いですが、訳を載せます。

なんと母を迎えに来てくれた息子(10年前にこちらに少し留学していました)と、ピクニックに行った時の写真が一面に大きく取り上げられました。

著者のロンは「一面に取り上げたヘラルドは、さすがだ!」と言って喜んでくれました。

こうして、歩くことが一番の健康と幸せの秘訣、わたしが証明!と言い切ってくれる母。あっぱれ。

 

ヘラルドパブリッシャーHPの記事

http://www.heraldpublications.com/herald/sites/default/files/publications/pdf-files/SB_Cities_122823_FNL_lorez.pdf

 

全文訳

 

【彼女には桜色の人生がふさわしい】

                  ロン・ソコル著

 

ホーソーンの家からマンハッタン・ビレッジまでは約3キロある。

平坦なところも多いが坂道や賑やかな通り(ローズクランズ・ブルーバードなど)である。

モールに到着すると、さらに歩き回ることになる。

 

鈴木幸子(さちこ)は先日、娘のKIMIKOと歩いて往復した。

彼女はいろいろ見て回り、ショッピングを楽しみ、ランチを食べ、おいしいアイスクリームも味わった。彼女は今、ホーソーンに住んでいるダン・ハリスと娘のK I M I K Oを訪ねている。

 

翌朝5時半頃、まだ太陽が完全に姿を現す前に、幸子は起きて近所を散歩した。家族はまだ寝ている時間だ。その日の早朝の移動の推定歩数は約7000歩。

ちょっと待って:幸子は91歳である。

まあ、すべては完全に理にかなっている。

娘のKIMIKOはポスチャーウォーキングのスペシャリストである。長年、多くの生徒を指導してきた。

 

KIMIKOさんの代表的な著書に

WALKING ~より良い人生への歩き方~(オンラインで入手可能

https://www.amazon.co.jp/Walking-Your-Way-Better-Life/dp/1934287598

がある。日本語原著

 

実は幸子にとって、これが初めての(最後ではない!)アメリカ滞在となる。娘のKIMIKOはホーソン在住のダン・ハリスと2021年に結婚した。

これまで幸子は、ホーソーンにあるさまざまな場所に出かけた。

ホーソーン・キワニス・クラブのクリスマス・ブレックファスト(プレゼントをもらっただけでなく、サンタの膝の上に座った!)

 

アゴーラ・ヒルズにあるダンとKIMIKOが結婚式を挙げた会場、レドンド・ビーチの桟橋、ポワント・ヴィセントでの散歩と素敵な景色、地元のマーケット、レストラン

(老舗のイート・アット・ジョーズを含む)、マンハッタン・ビレッジのモール(前述の通り)。

教会の礼拝に出席し、ダンのヴィンテージの1969年製レッド・バラクーダに乗り、テメキュラのワイナリー(ダンの娘が働いている)を訪れ、ワインを少し味わったりもした。そしてまさに今、この新聞のインタビューを受けている。

 

幸子は明らかにアメリカが好きで、楽しんでいる。

彼女は、食べ物はおいしくないだろうと思っていたそうだ。

でも今のところ、彼女は「最高においしいピザとアイスクリーム」を食べている。笑

それも彼女の喜びのほんの一部だ。健康に日々を送り、娘、孫、そして義理の息子と共にこの時間を楽しんでいる。一緒に座っていると彼女は喜びにあふれていることが感じ取れる。

娘のKIMIKOが母幸子の日本語を通訳してくれた。

 

「娘が教えてくれるんです。私の心と体の健康を保ってくれています。私は娘をとても誇りに思っています。そして家ではいつも忙しくしていますよ。韓国ドラマが面白いの、知っていますか?私はテレビで韓国ドラマを見るの大が好きなのよ!」

 

早速韓国ドラマを調べないと!(笑)

 

幸子は東京に住んでいてKIMIKOは一年の半分を母とともに住んでいる。そして(これは驚くことではないが)毎朝可能な限り歩く。お友達とラジオ体操で公園で会うそうだ。"お母さんは年長者よ”。

「私の夫は...結婚して52年でした。15年前に亡くなりました。とてもハンサムでした!彼はアメリカ音楽が大好きで、長年聞かされていたんですよ。そして、カラオケ大好き。夫とよく歌いました。」

そして好きな歌を歌い始めた。彼女の歌声は甘かった。

肩をすくめて微笑んだ。「主人は私がここにいることをとても喜んでくれるわ。

ダンとキミコがいるこの家を。夫は私と一緒にここに来ていると感じています。彼は私が見ているものを見ている、きっと!」

その瞬間、私たちは一瞬静まり返った。

彼女の言葉に感動し、そしてそうに違いないとみんなで頷いた。

 

そして、少し経って、ダンとキミコが微笑みながら、こう言った。日本では家の玄関を "ピカピカ "にしておく習慣があるんだよ。

それはほうきで掃除をする、ホコリを払い、落ち葉を拾い、「汚れのないようにする」ことだ。彼らは玄関ポーチを見せてくれた。幸子は忙しかった!

 

KIMIKOはこう続けた。

「今住んでいるところ(東京の家)は4年ほど前に引っ越したんです。

お散歩にいいところよ。アパートのすぐ下に桜のトンネルもあるし。私はただ

人生の最後を桜のある生活をを送ってほしい。そう思ってすぐに引越しをしました。

彼女の父は第二次世界大戦が始まってすぐに亡くなりました。(戦死ではない)

長女であった母は、幼い兄弟を育て青春はなかったそうです。」

桜は日本の国花だそうだ。この花を見るためだけににたくさんの旅行者が訪れる。

その驚くほど美しい姿を目の当たりにすると、感謝の気持ちさえ湧いてくるという記事を読んだことがある。

 

数日後、このコラムを書いているとき、KIMIKOさんがお母さんについて言ったこと、

彼女が桜のある人生を送るにふさわしい理由がわかった。

彼女はとても愛らしいだけでなく、一緒に座っているだけで、強さとたくましさを感じた。

 

僕はただ一つ願うよ。もっと歌っていてほしいなあ。

 

 

 

今日は長年レッスンでお伝えしている「手ぬぐい万歳体操」について詳しく説明いたします。

 

両腕を肩幅くらいにして手ぬぐいをしっかり握ります。

拳をくるっと内側に回して、手首に巻きつけ、

 

ばんざいします〜。

は〜気持ちいい〜〜♪

 

 

 

これは私が考案したものではありません。

鮫島純子さん(1922年生まれ)というご夫人から教わったものです。

お祖父様(渋沢栄一氏)が作られた明治神宮の近くにお住まいで、いつもウォーキングをしておられます。朝の散歩をご主人と始められたのは60歳からだそうです。

それまでは三人のお子様を育てられるのに必死で、やっと子育てが終わった頃から始められたと。ご主人と明治神宮を朝お散歩をなさっている時に台湾からいらしていた荘先生からお声をかけられ、この手ぬぐい体操を勧められたそうです。

防ガン宇宙体操 というのが本当の名前です。(毎日がいきいきすこやか 鮫島純子著 小学館)

 

悲しいことに今年1月19日に亡くなられていました。

素晴らしい教えをいただきました。人生の幸せな生き方を直々に教えていただいたこと、宝物です。

鮫島さんのお宅に、5〜6回は行かせていただいたことがあります。

ご主人との出会いの素敵なエピソードをそれはそれは嬉しそうに、照れながら語ってくださったこと、今もお顔を思い出します。箱根の別荘にもお邪魔して。その時は近くのバス停まで、なんと車で迎えにきてくださって。

終わりには温泉も引いてあるお風呂に浸からせていただきましてね。

うちの協会でも講演をしていただいたことがあります。それは私の今のポスチャーウォーキングのフィロソフィーにしっかり息づいています。

 

 

人生の知恵をたくさんいただきました。穏やかな静かな笑顔で、ほつほつとお話しくださる上品な日本語に感動しっぱなしの私でした。

 

一昨年結婚した時に、ご報告したら、とても喜んでくださって、葉書をいただきました。貴重な宝物です。

 

その健康の遺産とでも言える、この体操に、わかりやすく「手ぬぐいばんざい体操」と名をつけて、レッスンに取り入れています。もちろん鮫島さんに許可していただいています。

手ぬぐいを作った時は、とてもかわいいわねと喜んでくださり、講演会で配るからと言ってたくさんお買い上げいただきました。

「良いお仕事だから、頑張ってください。明るくて良いことです。神様が応援してくださるわよ。」と。

この体操を考案なさった、台湾の荘先生にもお電話して直接許可をいただきたかったのですが、連絡がつかず、鮫島さんから「きっと先生も喜ばれるはずよ」と。

 

この素晴らしい免疫力、血液循環良好にするすっきり体操をこれからも大切にお伝えしていきます。

 

皆様もどうぞちょっとの隙間時間になさってくださいね。

背中すっきり伸びますよ。

 

 

2017年9月6日 明治神宮にて (鮫島さんにシェア許可いただいている写真です)

 

 

美しい言葉と優しさが溢れています。

いつまでも大切にしていきます。ご主人とまた仲良く天国の道を歩んでくださいね。

 

『毎日がいきいきすこやか 小学館 鮫島純子著・医学博士荘しゅくき 監修』

そのクリスマスでは、ご近所の皆様にいろいろお会いして、

彼の趣味のハーレーと、バラクーダという名前の赤いオープンカーでドライブしてもらったりで

あっという間に1週間のお見合いは終了しました。

いや〜〜。楽しかったけど寒かった。笑

初めての訪問で、用意してくれたクリスマスツリー。

昔の飾りばかりで、独身生活が長かったことがじわじわと伝わってきました。

友人の裕子さんジョンご夫妻。

 

そして一旦私は日本に戻ります。

 

翌年2020年は、コロナが大流行しましたね。

だからひたすら、毎日、スマホでのおしゃべりをコツコツ続けるしかありませんでした。

今思えば、よく続いたなあですよね、飽きもせず。

お友達からも、疲れなかった?とかよく持ったね〜〜。と言われました。今でも。

でも全然苦じゃなかった。

 

というより、今思えばちょうどよかったかも。

だって、急に行き来始めたら、仕事も、交通費も大変だしね。

そして英会話の実習で、それはそれは勉強になりました。笑 

 

でも日本にも行きたいし、私の家族にご挨拶したいと言ってくれたので

外務省のホームページを開けると、

彼はアメリカ人、日本にはきたことがなかったので水際対策で

 上陸拒否

なんか、ビビるくらいの大きな文字でした。

本当に世の中がパニックでしたね。

 

でも、私は検査をすれば日本に戻れます。

だから、せめてクリスマスくらいは。と思って行きました。

 

いや〜〜、すごくお金かかりましたよ。

その頃陰性証明を出すことをいち早く取り組んだ「クリニック」

羽田や成田からの特別ハイヤーの会社。めちゃくちゃお仕事されましたね〜〜。笑い泣き

 

一年ぶりのデートです。

また空港で、今度はちゃんとこっち向いて待っててくれました。爆  笑爆  笑

 

車のドアを開けてくれて、助手席に、バラが一輪置いてあって。

 

わあ、映画みたい〜〜って、嬉しさが込み上げました。

 

 

image

 

そして、クリスマスイブに

 

KIMIKOクリスマスプレゼントは何がいい?

 

と聞かれて、

そんなん自分から言えませんわ〜〜。ディナーとか、がいいかな〜〜

 

あ、パンデミックで、お店全部しまってるんだよ〜〜。

でも、ネットで見つけた!と言って、ビーチのお土産屋さんが一件オープンしていました。

 

 

 

 

 

ハワイ島に住む彼の孫娘たち。お人形のように可愛いの

 

 

夫の趣味1 ハーレーの仲間たちと月に2〜3回は一緒に走る

 

 

ロサンゼルスの空の色、地球の美しさに感動

 

こちらは日本の我が家のバルコニーからの夕焼け

 

 

母は毎朝8000歩目標に歩きます。時々付き合います。お孫さん?息子さん?と時々聞かれます。笑 いえ、娘です。

 

 

 

日本の父のお墓参りの日。空から父が手を上げているよう

 

昨年やっとの初上陸 笑 の時に、ポスチャーウォーキングメンバーのデビューお祝いパーティで定番の帝国ホテル。いつもこんな格好しているわけじゃありません。
右の二人は私の息子たちです。二人とも英語話せて、夫とも会話できて助かります。

 

それは神戸パールというショップ。

水槽にあるあこや貝を選んで、開けると、必ず小さなパールが入っているというもの。

 

ちょうど私は6月生まれで誕生石が真珠です。

あ〜よかった、見つかった、そして誕生石なら最高だ!と

まるで探し物を見つけたように、ワクワクより、ホッとして無事そのパールをゲット。

ショーケースに並ぶアクセサリーの台は何にしようかしら。

ピアスは一つじゃできないし、ネックレスには小さいし、、、、

 

まあ、やっぱり指輪かしらね。

そうだね。

 

ということでシンプルなシルバーの台の可愛い指輪となりました。

お小遣いのない学生のようなお買い物。

でも嬉しかった。

 

そして、大晦日を迎えました。さて、いよいよです〜ここから面白いからね〜。

 

日本の母に明けましておめでとう電話をしました。

アメリカではクリスマスが最高に盛り上がりますが日本ではお正月が一番大きな節目ですものね、それはきちんとご挨拶を。と。

 

母は兄の家に行っていたので、ちょうどスマホで顔を見ながら話せますから

私「おかあさ〜〜ん、明けましておめでと〜〜」

母「ハロハロ〜〜!おめでと〜〜、いまちょうどお父さんのお墓に来てるんよ〜」

兄嫁、そのお母さんの女子三人がかわるがわる、夜明けの薄暗い墓場から

中継挨拶。 

そして夫も一緒にご挨拶

母「どう、元気?? どう、仲良くしてるん?」

私「大丈夫よ〜〜。これ、クリスマスに貰ったよ〜」

 

と指にしていた小さなパールの指輪をみせました。

 

すると、母が声を詰まらせて 泣き出したんです。そして

その嗚咽は、お嫁さん、お嫁さんのお母さんも巻き込み、

 みんなで号泣の輪唱〜〜

 

「お父さんにもご挨拶して〜〜。

 きみこをどうぞよろしくお願いします、お願いします。

 お父さん、きみこが、きみこが~〜〜&$#”#*+」

 

もう声になりません。

 

 流れで、母に向かって「任せてください。幸せにします。」

  父の墓石に向かって「初めまして。私はダンです!」

 

と、夫もご挨拶。

 

そして、電話を切った後、

夫と私はしばし言葉が出ず、、、、、、、。笑い出しちゃって、、、。

でも間を置いて、やっぱり「真面目な話、、、

 

私「どうする?」

夫「お母さん、泣いちゃったね。指輪だからね、、、。お母さんガッカリさせられないしね。。。」

私「そうね。完全に勘違いしているよね、、、。

           でも、あなたは結婚したくないんでしょ?」

夫「そんなことはないよ!結婚したくないのは君だろ?」

私「え?そんなことないよ!!」

 

で、じゃあ結婚しようか。となったのでした。

 

お互いに生活がもう安定していたから、結婚の必要性を感じていなったんです。手続きやらいろいろめんどくさいのではないかしらん。

そしてお互いに「お荷物」になるのではと感じていたので、

パートナーとして一緒にいるという気持ちは固まっていましたが、

結婚までは覚悟していませんでした。

 

期待はしていなかったとはいえ、プロポーズは夢がありました。

ちょっと乙女残ってました。笑

 

そこで、「ひざまづいて、ちゃんとプロポーズして!」

って言ったのね。そしたら「膝痛いから、床は無理」って。

「じゃ、椅子でいいから」

 

といことで、ロマンチックではないけど、家のダイニングチェア、で

「Will you marry me?」

と言ってくれました。

 

お母さん、結果 ナイスアシストでしたね。笑飛び出すハート

 

そして日本に戻った私は この物語1 で書いたように、

ギャグのつもりでウェディングドレスを通販で買っておいたんです。

それはね、ハーレーに乗って、ドレスをふわ〜〜ってなびかせて、写真撮ったら、

スタイリストや生徒さんが笑ってくれるだろうな〜〜って思って。

 

ドレスなんて着るつもり全くなかったんです。だって、この年で、恥ずかしいから、

ドラマの Sex and the City のキャリーみたいに、市役所で白いワンピースとかで質素にしようと思っていました。

 

そのワンピースも買う間なく、お店も閉まってたから、結局この衣装で式を迎えたのでした。 ちゃんちゃん。

 

 

 

長らくお付き合いありがとうございました。

ハルメクに掲載していただいたことで

このドタバタ借り物競走結婚式を

文章に残したくて、3回にわたり、書きました。

 

この物語は アクシデンタルプロポーズ という出来事として

時々思い出して、笑い合っています。

 

お母さん、グッジョブです。

 

その母、今年の9月6日で91歳になりました。孫は五人、ひ孫は八人です。

みんな家族は元気で平和に暮らしていることを、毎朝父の仏壇に手を合わせて感謝している母です。

私が幸せになったから、もう思い残すことはないと言ってくれます。

 

離婚して、自分のミッションを始めた私の人生を

父と共に、大応援してくれた母に

ロサンゼルスの生活を見せて安心させてあげたいというのが

私の母への最後の願いでもあります。

 

今母のパスポートの手続きをしています。

91歳のアメリカ本土初上陸です。

この夢が実現しますように、母を応援してやってください。

 

日本とアメリカがまだ戦争していたら、

こんな幸せなことは起きなかった。

平和になって、本当に良かった。お父さんが生きていたら、どんなに喜んだか。

 

と呟く母です。

ロサンゼルスでハーレーは無理でも、オープンカーに乗る母を楽しみにしていてください!

 

60歳の花嫁 完

 

 

 

 

 

ひえ〜〜の後の、「あれは冗談だよ、子供の乗り物のことだよ〜」

 

と画面からはみ出る笑顔は、まるでハクション大魔王!笑

の笑顔にキュンとして、

 

あら〜ほんと??? 初めまして〜。笑

 

が初めての会話でした。あの時の驚きは今でもはっきり覚えています。

それから毎朝私が朝の散歩をしながら「Good mornig!」

夜寝る前に彼から「Good night!」コールが日課となりました。

 

私の英語はボキャブラリーが少なくて、話し慣れていないから

家族のことや、仕事のことや、散歩して歩いているときに見つけた花を見せたりして、

一回1時間くらい話していましたね。

 

お互いに離婚した年が同じだったり、私には息子が二人。彼は娘が二人。

年齢も近くて、本当に面白いくらい分かり合えて、

私のこの拙い英語を一生懸命理解してくれましたね。そのうちうとうと眠そうになったり。笑 辛抱強く理解しようと

本当に寄り添ってくれました。

 

知り合った年の4月に私が大学院に入学したので、北海道のキャンパスに宿から向かうときや、授業の終わった時などに

本当に「青春」って感じね。今思い返すと。笑

 

1ヶ月くらい経った頃にロサンゼルスにすむ友人 裕子さん(結婚式にアテンドしてくれた親友)から

メールが届きました。

「リフォームするので家を片付けていたら、KIMIKOさんの本がダンボール一つ出てきたの、どうしましょうか?送りましょうか?」と。

 

2008年にNYで出版した私の著書とそのもととなった日本語版でした。出版したときに、NY、LA、SFの紀伊國屋さんで

出版サイン会を企画してくれたんです。そんなに売れなかったんですけどね。裕子さんがその頃勤めていたライトハウスという日本語のフリーペーパー、地元の情報誌で、私のことを紹介してくださったり、レッスンを開催してくださったりでとってもお世話になっていたんです。その時の名残でした。

私は2006年にNYでも会社を作っていたんです。毎年3都市を巡って、現地のファンの方々の口コミでレッスンをしていましたから。

ちょうどあの同時多発テロのあった911の確か、半年後だったかな、NY日経さんからの依頼があって、マンハッタンのど真ん中で出版社と合同でトークショーとレッスンセミナーを開いてくださいましたね。

日本人のキャリアウーマン向けでした。いや〜懐かしい。

 

お世話になりっぱなしの裕子さんご夫妻のお宅に置いてある本を、送ってくださいというのは失礼と思い、それは受け取りに行きます。長い間失礼しました。

ということでクリスマスに行くことに急遽決まったんです。

あ、じゃ、ダンに実際に会いに行こう!ってことになり。

 

母にはちょうど良い口実ができたと思いました。だって、この歳でお見合いしにアメリカまで行くって、ダメだったらガッカリさせるでしょ?だからね裕子さんに会いに行ってくるね。って。

 

そして2019年12月25日ついに彼と実際に会うこととなりました。

 

会いに行くね、と言ったら、とっても喜んでくれて、

乗り継ぎ便が遅れてついには5時間も遅れてしまったんです。彼は空港まで3回も行ったり来たりしたそうです。

 

荷物を受け取るところでエスカレーターを降りていくと、きっと一番目の前で待っててくれるだそうな〜〜と

それはそれはワクワクしていったんです。

でもそれらしい人が見当たらない。

で、ず〜〜〜〜〜っと遠くを見ると、向こうの出口の一番前で薔薇の花を一輪持って待っている、ちょっと後ろ頭の薄い

男性が目に入りました。

 

あ、きっとあの人だ!

 

私は「だ〜〜〜ん、KIMIKOよ〜〜、日本から来たわよ〜〜〜」

と叫んだら、

「おお〜〜〜〜〜」といって気づいてくれてね、

手に持った薔薇を人混みに潰されないように、手を伸ばして上に掲げながら小走りで来てくれたんです。

そして「はい。これ」って照れくさそうに笑って、差し出してくれました。

 



 空港はすごく混み合っていたのに、彼のことしか目に入らなかった。

 

でもそんな感動に浸る間もなく、薔薇をもらった手で、私は彼を横に向けたり、後ろに向けたりして、

本物だ〜〜 いつも正面しか見ていなかったから、と笑いながら、確認しちゃいました。笑

 

私が憧れていたテラニアリゾートホテルの素敵なディナーを予約してくれていたのだけど、

5時間も遅れたので、結局そこはキャンセルして、でも近くのホテルのディナーに連れていってくれました。

 

それが初対面のクリスマスとなりました。

 

1週間過ごして、彼のお友達やご近所のかた、彼を繋いでくれたキャレン先生ご夫妻も招いて、ホームパーティをして、

すっかり溶け込んだんです。すでに彼は私のことをみんなに知らせていたので、「君だね〜〜。話は聞いていたよ!」と

次から次に握手とハグで歓迎してくれました。

そうそう、そのときにお預けしていた私の本は、私の自己紹介としてゲストの皆さんに差し上げました。

なんとゲストとぴったりの数で、まるで用意したように。笑

 

 

 

 

 

 

みなさまこんにちは KIMIKOです。

ハルメクからこちらにお越しくださった皆様 ようこそ!

誌面で書ききれなかったこと、全公開します。

私に起きている奇跡のようなことが、あなたの元気や希望に役立てばこんなに嬉しいことはありません。

 

いや〜〜、映画にしたいのですよ。これ。映画界の方、面白ネタを探していらしたらぜひご連絡ください。笑

ジェニファーロペスの「マリーミー」より面白いと思います。間違いなし!!笑

 

さて、暴露の前に

どうしてこんなに人生が変わったのか?

きっとそれは 自分を信じられるようになったから。

 

だと思います。

自分の体の大きさが嫌いで、気に入らないままだったら、きっと不安と不満はずっとなくならなかったのではないかな。

兎にも角にも、一から十まで私がしたことは 「いつも良い姿勢で、綺麗に歩く」ことだけを

ひたすら

ひたすら 

続けてきました。

だから、自信を持って言えます。

綺麗に歩くと、人生思いの儘。いやそれ以上の幸せな景色を

あなたの体がつれていって見せてくれますよ!

と。

体と心を変える歩き方にはコツが必要です。それを見つけました。

ぜひ一度学びにきてください。

 

さあ、では誌面に載せた結婚式からです〜〜〜。舞台裏、めちゃ忙しかった。

だって全部自分で支度したので。

 

場所はロサンゼルス、マリブ近くの山の中。パパラッチのこない(わたしたちじゃなくて笑)静かなプライベートな教会でした。

できるかできないかわからないけど、やってみようか。

と会いに行く1週間前に、

くるなら結婚式をあげよう。と言われ。

たまたまコロナで、いろんな手続きがストップしている中、彼の知り合いが1ヶ月前に式を挙げられたよ、といって紹介してくれたんです。コロナじゃなかったら逆に無理だったかも。

 

 

ここはブライダルスイートといういわゆる花嫁の支度部屋です。

 

 

 

夢のような素敵なお部屋で、はしゃいでます。
丁寧にメイクをしました。は〜〜自分の支度をするなんて〜。生徒さんたちにたくさんメイクをしてきたなあと色々思い出しながら。
 

はい、できました!仮装用にギャグで買っておいたドレスなんですよ〜。価格は25000円なり。笑!!アクセサリーは長年愛用してきた真珠で。ベールはアテンドしてくれた裕子さんが、この日の朝、きっとないと思って。と機転を効かせて持ってきてくれました。ハーフアップに留めた髪にちょんと刺して出来上がり。一応、形ができました。笑

 

ブーケも2日前にお願いしました。日の丸ブーケにしてたくて、真っ赤で丸に仕上げてください。と。お花屋さん、慌ててたけど、間に合わせてくださり。こちらも裕子さんのご紹介で。感謝。

 

BGMは何にする?と朝聞かれて、「ルイアームストロングのWhat a wonderful world! 」と即答。 私がレッスンを始めた2000年から 生徒様を励ますために、よくかけていました。なんでもない毎日が実は素晴らしい世界なんだと、そうだ、そうなんだ、歩けるってすごいことなんだ、と自分にも言いかけながら歩んできた道を、一歩一歩、正面で待つ夫に向かって進みました。
靴は、ハイヒールは用意が間に合わず、私のデザインしたポスチャーウォーキングシューズで。
20年分の思いを込めて、一世一代のポスチャーウォーキングで歩きました。溢れる涙で、前が滲んで。
途中空を見上げて、天国の父に、
お父さん見えてる? ずっと応援してくれてありがとうと、心の中で呟きました。
 
指輪の交換の時、、、、
自分の指輪を持ってしまって、牧師様に「ご主人の指輪を持ってくださいね」と言われて、
爆笑!!
はい、こっちねとか
もう泣いたり笑ったり忙しかった。実はこの指輪も間に合わなかったので手持ちのもので代用。笑
借り物競走みたいなお式でした。

 

 

この命が終わるまで、と誓い会う時、ずっと私の目を見てれて。本当にこの人で良かったと、改めて思った瞬間。

コロナ中でもあり、突然の式だったから、日本とハワイのお互いの家族や知り合いにオンラインで中継しました。

お式の後に、結婚証明書に直筆サインと母印を押しました。いえ〜〜いのポーズじゃないです。笑

私側にいるのが、ロス在住の親友裕子さんご夫妻。向かって右が、彼の40年来の仲良しキャレン先生ご夫妻。

 

 

ではここから始まりから綴っていきます。

 

【出会い 2019年 コロナ大流行直前】

知り合いの紹介でした。

2019年10月半ばに大阪の看護学校の外部講師として招かれ、授業を行いました。

その夜、私を招いてくださった好江先生と美味しいワインを飲みながらあれこれ話しているうちに

こう言われたのです。

 

一人でいてはいけないですよ。絶対パートナーがいたほうがいいから募集しましょう!?

と。

 

私は、正直、

人生の喜びとは?幸せとは?生きるとは?

の答えを全部得て、

全く欠けているものがなくとっても満足していたので、

パートナーが欲しいなど微塵も思っていなかったのです。

 

いや〜〜、そんな余裕ないし、そもそも考えていなかったので想像つかないです、、、とやんわりお断りしつつも、

ワインが進み、

もう一度

やっぱりいたほうがいいですよ。

と。再度お薦めしていただきまして、、、。笑

 

そして そういえばチャーミーグリーンって 人生の終わりにしてみたいなあ。

80歳くらいからでいいです。

と言ったら、好江先生が

「間に合いません!」と。 そりゃそうだ〜とみんなで爆笑して。ほんとそうですね〜。

 

じゃ今夜募集しましょう!と、そこで写メを撮って、海外のお知り合いに送信してくださったのでした。

はやっ!

 

あ、KIIMIKOは外人がいいと。そこは私もなんとなく思っていたところなんです。

 

高校生の頃から、英語の発音が好きでラジオやテレビでダラダラと英会話を学んでいました。

そして、時々、「どうして私は日本に住んでいるんだろう」

と根拠のない疑問が湧いてくる時があったんです。

不思議ですね。

 

そしてロサンゼルスに住む彼が、好江先生の長年のお知り合いを通じて、最初に立候補してくれたのでした。笑

 

【I'm in emergency room at hospital  !!!????? 】

ぎょぎょ!!です。

スマホでお互いに自己紹介をして、家族や仕事を告げ、正直に誠実に向き合いました。

何せ、大切な恩人からのご紹介ですから。

ところが、3日ほど経って、ぷつりとお返事が途切れたんです。

 

ありゃ、これはもう脈がないってことかな?

そう思って、彼のFBを見ていたら、、、、馬から落ちて今病院にいる という書き込みを見つけたんです。

 

ありゃ〜〜〜 それは大変。会ってないのに、もう終わり???とか思いました。

でも取り急ぎ、メッセンジャーで

 

「Are you OK??」

 

と書いたんですね。

すると、すぐに、ビデオチャットがかかってきました。

 

開けると、画面からはみ出るほどの大きな笑顔で、笑いながら「ハロ〜〜!あれは冗談だったんだよ!初めまして!!」

 

と彼が飛び出てきたんです。

もう私はほっとしたと同時に、この笑顔に一目惚れしてしまいました。

 

それから毎日朝、晩1時間ずつくらい話をするようになっていったのです。

 

続く

 

 

 

 

みなさんこんにちは!ロサンゼルスからお届けします。2年前から東京との2重生活をしています。
こちらでは日本ではできないショートパンツが年甲斐もなく楽しめて、学生時代に戻ったような開放感があります


さて、美脚 永遠のテーマですよね。
 
足の手入れといって思いつくのは
ネイルサロンで角質除去と、フットネイルが定番。

でもサロンに行かなくても「自分でできるお手入れ」をお勧めします。実際に私の足はすべすべですよ♪
そして、美しいアクション、所作を忘れないこと
これで無敵の夏脚で自信を持っておしゃれが楽しめますよ?

まずはお手入れ

ズバリ脚もお肌のお手入れをしましょう?と言うこと。
クレンジング、で汚れを取ってからの角質除去
ローション、でお肌をベールする

シャワーで済ませないで、湯船にゆっくり浸かり、足、脚の皮膚を柔らかくする。
特に足先、踵は皮膚が丈夫なので、柔らかくなってからナイロンタオルで丁寧に指の間、踵、膝頭を擦る。
脚全体を柔らかく擦る。
このナイロンタオルでの角質除去は週に2度行っています。

そしてお風呂から上がったら、綺麗ね~~と言いながら(これコツ!)
お肌がしっとりしているうちに好きな香りのローションを薄く全体に伸ばす。

薄く
が大事です。
日本は湿度が高く、足は1日に約100CCも汗をかきますから
ローションが厚いと蒸れます。注意

方法は手のひらでローションを伸ばしてから軽くタッピングしてつけましょう。

そして朝は日焼け止めを! 足の甲は手の甲と同じくらい焼けます。

これは表面だけね、笑 足の裏は必要ないです。
サンダルを履く日は、足の指先も塗ってね。

そしてアクション、魅せ方です。

足首は常にクロスまたは寄せておくこと!
歩く時に足の隔たりを小さくすること
カフェに座った時、足をクロスして足首を一つにまとめること


足元であなたのボディアクションの品格が決まります。

絶対美脚 で、夏を楽しんでくださいね❤️





 

 

 

みなさんこんにちは、ポスチャーウォーキング代表のKIMIKOです。

2年前からロサンゼルスと東京の二重生活をしています。

 

この生活を引き寄せたのも、私のそれまでの態度、いわゆるACTIONだったのだろうなと、今思い起こしています。

 

私のとったACTIONは、それも日常的に、、、、

 

○英会話をなんとなくダラダラだけど、なぜか必要な気がして続けていた。若い頃はNHKのテレビ英会話、ラジオ英会話。

●5〜6年前からオンライン英会話(レアジョブ、DDM、1日25分の英会話レッスン)

○20年ほど前から、毎年海外レッスンやシンデレラツアーを実施していた、といっても一年に一度多い時で3度。

●いつでもどこでも堂々とした自分でいられるように、常に姿勢はまっすぐにするよう心がけた。

 

つまり、海外にいつでも行ける自分のアクションをとっていたんですね。

 

これは人生という大きな流れを変えるというか、迎える事態を呼んだわけですが(笑)、

毎日していたことは、至って小さなアクションの積み重ねです。

実は小さなアクションの積み重ねしか、人生を変えることができないと確信しています。

 

逆を言うと、アクションに相応しい人生しかやってこないと言うことです。

 

アクションは環境を呼び寄せます。

姿勢の良い人には、姿勢の良い人ばかりが集まり、会話するような環境がやってきて、

姿勢の悪い人には、姿勢の悪い人ばかりが集まり、会話するような環境がやってきます。

 

海外生活や、英会話に親しみ、ハイクラスのホテルにいつでも行けるように自分を馴化させていたから、、、、

いえいえ決して、今がハイクラスの生活だと言いたいわけではないですが、自分の中では理想の夢のような生活をさせてもらっています。

いや〜〜楽しいですよ。

 

 

つまり、自分がなりたい自分になったつもりの、姿勢、歩き方、所作、話し方を今からすぐに

アクションを起こすことです!

 

どんな自分でどんな体でどんな歩き方をしている自分が理想ですか?

想像して、書き出してみてください。

 

繰り返しているうちにだんだん自分の心から欲していることがクリアになってきますよ。