今年の大チャレンジ、それは91歳の母を私の暮らすロサンゼルスの家に招くことでした。
2年前 60歳で人生の予定外の再婚をした私の暮らしぶりを、一目でいいから見てみたい。そう言っていました。
コロナの最中、奇跡の国際結婚がとんとん拍子で進み、きちんと結婚届を出すことができた私の記事はこちら(面白すぎて、ハルメクさんに掲載されました)
3回にわたって、そのドタバタ劇、出会いからを赤裸々にかいております。
私も、もちろん見せて安心させたい!ただ、毎年年を重ねて行くので、1日でも早く、と願っていました。
私の母ですから、歩くことでピンピンころりを目指して、本当にポジティブにいてくれます。とはいえ、長時間のフライト、そして食事の違い、など不安要素はありました。でもそれだけが最後の願い。という母。
夫とは「最悪」の事態も考え、万全の対策を持って、いざ、母と羽田を出発したのが11月1日でありました。
最初は2週間くらい、と言っていたのですが、いやいや、もしかしたらこれが最初で最後かもしれないから、と欲張って思い切って40日の計画を立てたのでした。
結果、大正解!!!
母は、心からLAライフを楽しんでくれたようです。
サンクスギビンングやクリスマスパーティ、ご近所とのカフェタイムも、ワイナリーへのドライブも、本当に健康に過ごしてくれました。
夫の地元の慈善団体のパーティに行った時に、地元新聞に記事を書いている弁護士の方が興味を持ってくださり、なんと今日、新聞に載ってしまったのです!いや、犯人ではありません。笑
少々長いですが、訳を載せます。
なんと母を迎えに来てくれた息子(10年前にこちらに少し留学していました)と、ピクニックに行った時の写真が一面に大きく取り上げられました。
著者のロンは「一面に取り上げたヘラルドは、さすがだ!」と言って喜んでくれました。
こうして、歩くことが一番の健康と幸せの秘訣、わたしが証明!と言い切ってくれる母。あっぱれ。
ヘラルドパブリッシャーHPの記事
全文訳
【彼女には桜色の人生がふさわしい】
ロン・ソコル著
ホーソーンの家からマンハッタン・ビレッジまでは約3キロある。
平坦なところも多いが坂道や賑やかな通り(ローズクランズ・ブルーバードなど)である。
モールに到着すると、さらに歩き回ることになる。
鈴木幸子(さちこ)は先日、娘のKIMIKOと歩いて往復した。
彼女はいろいろ見て回り、ショッピングを楽しみ、ランチを食べ、おいしいアイスクリームも味わった。彼女は今、ホーソーンに住んでいるダン・ハリスと娘のK I M I K Oを訪ねている。
翌朝5時半頃、まだ太陽が完全に姿を現す前に、幸子は起きて近所を散歩した。家族はまだ寝ている時間だ。その日の早朝の移動の推定歩数は約7000歩。
ちょっと待って:幸子は91歳である。
まあ、すべては完全に理にかなっている。
娘のKIMIKOはポスチャーウォーキングのスペシャリストである。長年、多くの生徒を指導してきた。
KIMIKOさんの代表的な著書に
WALKING ~より良い人生への歩き方~(オンラインで入手可能
https://www.amazon.co.jp/Walking-Your-Way-Better-Life/dp/1934287598
がある。日本語原著
実は幸子にとって、これが初めての(最後ではない!)アメリカ滞在となる。娘のKIMIKOはホーソン在住のダン・ハリスと2021年に結婚した。
これまで幸子は、ホーソーンにあるさまざまな場所に出かけた。
ホーソーン・キワニス・クラブのクリスマス・ブレックファスト(プレゼントをもらっただけでなく、サンタの膝の上に座った!)
アゴーラ・ヒルズにあるダンとKIMIKOが結婚式を挙げた会場、レドンド・ビーチの桟橋、ポワント・ヴィセントでの散歩と素敵な景色、地元のマーケット、レストラン
(老舗のイート・アット・ジョーズを含む)、マンハッタン・ビレッジのモール(前述の通り)。
教会の礼拝に出席し、ダンのヴィンテージの1969年製レッド・バラクーダに乗り、テメキュラのワイナリー(ダンの娘が働いている)を訪れ、ワインを少し味わったりもした。そしてまさに今、この新聞のインタビューを受けている。
幸子は明らかにアメリカが好きで、楽しんでいる。
彼女は、食べ物はおいしくないだろうと思っていたそうだ。
でも今のところ、彼女は「最高においしいピザとアイスクリーム」を食べている。笑
それも彼女の喜びのほんの一部だ。健康に日々を送り、娘、孫、そして義理の息子と共にこの時間を楽しんでいる。一緒に座っていると彼女は喜びにあふれていることが感じ取れる。
娘のKIMIKOが母幸子の日本語を通訳してくれた。
「娘が教えてくれるんです。私の心と体の健康を保ってくれています。私は娘をとても誇りに思っています。そして家ではいつも忙しくしていますよ。韓国ドラマが面白いの、知っていますか?私はテレビで韓国ドラマを見るの大が好きなのよ!」
早速韓国ドラマを調べないと!(笑)
幸子は東京に住んでいてKIMIKOは一年の半分を母とともに住んでいる。そして(これは驚くことではないが)毎朝可能な限り歩く。お友達とラジオ体操で公園で会うそうだ。"お母さんは年長者よ”。
「私の夫は...結婚して52年でした。15年前に亡くなりました。とてもハンサムでした!彼はアメリカ音楽が大好きで、長年聞かされていたんですよ。そして、カラオケ大好き。夫とよく歌いました。」
そして好きな歌を歌い始めた。彼女の歌声は甘かった。
肩をすくめて微笑んだ。「主人は私がここにいることをとても喜んでくれるわ。
ダンとキミコがいるこの家を。夫は私と一緒にここに来ていると感じています。彼は私が見ているものを見ている、きっと!」
その瞬間、私たちは一瞬静まり返った。
彼女の言葉に感動し、そしてそうに違いないとみんなで頷いた。
そして、少し経って、ダンとキミコが微笑みながら、こう言った。日本では家の玄関を "ピカピカ "にしておく習慣があるんだよ。
それはほうきで掃除をする、ホコリを払い、落ち葉を拾い、「汚れのないようにする」ことだ。彼らは玄関ポーチを見せてくれた。幸子は忙しかった!
KIMIKOはこう続けた。
「今住んでいるところ(東京の家)は4年ほど前に引っ越したんです。
お散歩にいいところよ。アパートのすぐ下に桜のトンネルもあるし。私はただ
人生の最後を桜のある生活をを送ってほしい。そう思ってすぐに引越しをしました。
彼女の父は第二次世界大戦が始まってすぐに亡くなりました。(戦死ではない)
長女であった母は、幼い兄弟を育て青春はなかったそうです。」
桜は日本の国花だそうだ。この花を見るためだけににたくさんの旅行者が訪れる。
その驚くほど美しい姿を目の当たりにすると、感謝の気持ちさえ湧いてくるという記事を読んだことがある。
数日後、このコラムを書いているとき、KIMIKOさんがお母さんについて言ったこと、
彼女が桜のある人生を送るにふさわしい理由がわかった。
彼女はとても愛らしいだけでなく、一緒に座っているだけで、強さとたくましさを感じた。
僕はただ一つ願うよ。もっと歌っていてほしいなあ。