そのクリスマスでは、ご近所の皆様にいろいろお会いして、

彼の趣味のハーレーと、バラクーダという名前の赤いオープンカーでドライブしてもらったりで

あっという間に1週間のお見合いは終了しました。

いや〜〜。楽しかったけど寒かった。笑

初めての訪問で、用意してくれたクリスマスツリー。

昔の飾りばかりで、独身生活が長かったことがじわじわと伝わってきました。

友人の裕子さんジョンご夫妻。

 

そして一旦私は日本に戻ります。

 

翌年2020年は、コロナが大流行しましたね。

だからひたすら、毎日、スマホでのおしゃべりをコツコツ続けるしかありませんでした。

今思えば、よく続いたなあですよね、飽きもせず。

お友達からも、疲れなかった?とかよく持ったね〜〜。と言われました。今でも。

でも全然苦じゃなかった。

 

というより、今思えばちょうどよかったかも。

だって、急に行き来始めたら、仕事も、交通費も大変だしね。

そして英会話の実習で、それはそれは勉強になりました。笑 

 

でも日本にも行きたいし、私の家族にご挨拶したいと言ってくれたので

外務省のホームページを開けると、

彼はアメリカ人、日本にはきたことがなかったので水際対策で

 上陸拒否

なんか、ビビるくらいの大きな文字でした。

本当に世の中がパニックでしたね。

 

でも、私は検査をすれば日本に戻れます。

だから、せめてクリスマスくらいは。と思って行きました。

 

いや〜〜、すごくお金かかりましたよ。

その頃陰性証明を出すことをいち早く取り組んだ「クリニック」

羽田や成田からの特別ハイヤーの会社。めちゃくちゃお仕事されましたね〜〜。笑い泣き

 

一年ぶりのデートです。

また空港で、今度はちゃんとこっち向いて待っててくれました。爆  笑爆  笑

 

車のドアを開けてくれて、助手席に、バラが一輪置いてあって。

 

わあ、映画みたい〜〜って、嬉しさが込み上げました。

 

 

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そして、クリスマスイブに

 

KIMIKOクリスマスプレゼントは何がいい?

 

と聞かれて、

そんなん自分から言えませんわ〜〜。ディナーとか、がいいかな〜〜

 

あ、パンデミックで、お店全部しまってるんだよ〜〜。

でも、ネットで見つけた!と言って、ビーチのお土産屋さんが一件オープンしていました。

 

 

 

 

 

ハワイ島に住む彼の孫娘たち。お人形のように可愛いの

 

 

夫の趣味1 ハーレーの仲間たちと月に2〜3回は一緒に走る

 

 

ロサンゼルスの空の色、地球の美しさに感動

 

こちらは日本の我が家のバルコニーからの夕焼け

 

 

母は毎朝8000歩目標に歩きます。時々付き合います。お孫さん?息子さん?と時々聞かれます。笑 いえ、娘です。

 

 

 

日本の父のお墓参りの日。空から父が手を上げているよう

 

昨年やっとの初上陸 笑 の時に、ポスチャーウォーキングメンバーのデビューお祝いパーティで定番の帝国ホテル。いつもこんな格好しているわけじゃありません。
右の二人は私の息子たちです。二人とも英語話せて、夫とも会話できて助かります。

 

それは神戸パールというショップ。

水槽にあるあこや貝を選んで、開けると、必ず小さなパールが入っているというもの。

 

ちょうど私は6月生まれで誕生石が真珠です。

あ〜よかった、見つかった、そして誕生石なら最高だ!と

まるで探し物を見つけたように、ワクワクより、ホッとして無事そのパールをゲット。

ショーケースに並ぶアクセサリーの台は何にしようかしら。

ピアスは一つじゃできないし、ネックレスには小さいし、、、、

 

まあ、やっぱり指輪かしらね。

そうだね。

 

ということでシンプルなシルバーの台の可愛い指輪となりました。

お小遣いのない学生のようなお買い物。

でも嬉しかった。

 

そして、大晦日を迎えました。さて、いよいよです〜ここから面白いからね〜。

 

日本の母に明けましておめでとう電話をしました。

アメリカではクリスマスが最高に盛り上がりますが日本ではお正月が一番大きな節目ですものね、それはきちんとご挨拶を。と。

 

母は兄の家に行っていたので、ちょうどスマホで顔を見ながら話せますから

私「おかあさ〜〜ん、明けましておめでと〜〜」

母「ハロハロ〜〜!おめでと〜〜、いまちょうどお父さんのお墓に来てるんよ〜」

兄嫁、そのお母さんの女子三人がかわるがわる、夜明けの薄暗い墓場から

中継挨拶。 

そして夫も一緒にご挨拶

母「どう、元気?? どう、仲良くしてるん?」

私「大丈夫よ〜〜。これ、クリスマスに貰ったよ〜」

 

と指にしていた小さなパールの指輪をみせました。

 

すると、母が声を詰まらせて 泣き出したんです。そして

その嗚咽は、お嫁さん、お嫁さんのお母さんも巻き込み、

 みんなで号泣の輪唱〜〜

 

「お父さんにもご挨拶して〜〜。

 きみこをどうぞよろしくお願いします、お願いします。

 お父さん、きみこが、きみこが~〜〜&$#”#*+」

 

もう声になりません。

 

 流れで、母に向かって「任せてください。幸せにします。」

  父の墓石に向かって「初めまして。私はダンです!」

 

と、夫もご挨拶。

 

そして、電話を切った後、

夫と私はしばし言葉が出ず、、、、、、、。笑い出しちゃって、、、。

でも間を置いて、やっぱり「真面目な話、、、

 

私「どうする?」

夫「お母さん、泣いちゃったね。指輪だからね、、、。お母さんガッカリさせられないしね。。。」

私「そうね。完全に勘違いしているよね、、、。

           でも、あなたは結婚したくないんでしょ?」

夫「そんなことはないよ!結婚したくないのは君だろ?」

私「え?そんなことないよ!!」

 

で、じゃあ結婚しようか。となったのでした。

 

お互いに生活がもう安定していたから、結婚の必要性を感じていなったんです。手続きやらいろいろめんどくさいのではないかしらん。

そしてお互いに「お荷物」になるのではと感じていたので、

パートナーとして一緒にいるという気持ちは固まっていましたが、

結婚までは覚悟していませんでした。

 

期待はしていなかったとはいえ、プロポーズは夢がありました。

ちょっと乙女残ってました。笑

 

そこで、「ひざまづいて、ちゃんとプロポーズして!」

って言ったのね。そしたら「膝痛いから、床は無理」って。

「じゃ、椅子でいいから」

 

といことで、ロマンチックではないけど、家のダイニングチェア、で

「Will you marry me?」

と言ってくれました。

 

お母さん、結果 ナイスアシストでしたね。笑飛び出すハート

 

そして日本に戻った私は この物語1 で書いたように、

ギャグのつもりでウェディングドレスを通販で買っておいたんです。

それはね、ハーレーに乗って、ドレスをふわ〜〜ってなびかせて、写真撮ったら、

スタイリストや生徒さんが笑ってくれるだろうな〜〜って思って。

 

ドレスなんて着るつもり全くなかったんです。だって、この年で、恥ずかしいから、

ドラマの Sex and the City のキャリーみたいに、市役所で白いワンピースとかで質素にしようと思っていました。

 

そのワンピースも買う間なく、お店も閉まってたから、結局この衣装で式を迎えたのでした。 ちゃんちゃん。

 

 

 

長らくお付き合いありがとうございました。

ハルメクに掲載していただいたことで

このドタバタ借り物競走結婚式を

文章に残したくて、3回にわたり、書きました。

 

この物語は アクシデンタルプロポーズ という出来事として

時々思い出して、笑い合っています。

 

お母さん、グッジョブです。

 

その母、今年の9月6日で91歳になりました。孫は五人、ひ孫は八人です。

みんな家族は元気で平和に暮らしていることを、毎朝父の仏壇に手を合わせて感謝している母です。

私が幸せになったから、もう思い残すことはないと言ってくれます。

 

離婚して、自分のミッションを始めた私の人生を

父と共に、大応援してくれた母に

ロサンゼルスの生活を見せて安心させてあげたいというのが

私の母への最後の願いでもあります。

 

今母のパスポートの手続きをしています。

91歳のアメリカ本土初上陸です。

この夢が実現しますように、母を応援してやってください。

 

日本とアメリカがまだ戦争していたら、

こんな幸せなことは起きなかった。

平和になって、本当に良かった。お父さんが生きていたら、どんなに喜んだか。

 

と呟く母です。

ロサンゼルスでハーレーは無理でも、オープンカーに乗る母を楽しみにしていてください!

 

60歳の花嫁 完