リセッションと言っても経済の話ではありません。
物事には必ず複数の側面があります。
それなのに、今の国際情勢や外交問題は、その片側の側面を見ずに議論がされるので先に進まないのです。
外交局面を景気循環に準えたならば、今の外交環境はリセッションに他ならないのだと思うのです。
日本はアジア地域の成長に対して、戦後リダーシップを発揮する任を負ったことは確かだと思います。
敗戦国と言う立場ながら、米国主導でアジア経済の牽引をしてきたのは事実でしょう。
ODAを活用して、新興国に貢献したという成果の裏では、新興国向けのODAは日系企業の重要な海外需要を創出したのも事実です。
そんな中で、新興諸国が経済社会で力を着けたことで、彼らの主張が押さえつけられる事無く表に出た事が日本を苦しめているのも事実だと考えます。
問題は無かったのでは無く、内包していて表に出せなかったのでしょう。
更に言うなら、国際問題と絡んで、あるいは本邦内の問題でも政府の立場にからんで、国内の特定地域に負担を強いてきたのも事実です。
ただ、その負担は無償の負担ではなく、ある種の納得感を付けていたこともあります。
これら問題が表に露出してきた事で、日本は多くの足枷をされることになった。
いわば今が、サイクルの中にあるリセッションだと言うことです。
次なる、回復成長に向けて何が必要か?
これが主題です。
オスプレイ反対の沖縄
基地は最悪でも県外 この実現は一見すれば悲願の達成なのでしょう。
ただ、本当にそうなって大丈夫なのですか?
基地なくして沖縄の経済が成り立ちますか?
基地へ土地を提供している地主は、肩代わりで日本の国民の税金から出ているかもしれない、地代収入無くして成り立ちますか。変換された土地は、今の価値を生むでしょうか。
小売業は、サービス業は。
返還を叫ぶなら、無くても一人立ちできる様な活動を、基地反対反対運動と合わせてしていますか。
福島県の原発地域、貴方方は過去、原発があるというだけの実害無き保障を長年受けてこられたのではないですか。
原発の反対を掲げるなら、実害無き保障は返納して、実害にのみ保障を求めてください。
実害無き保障は、来るべき実害に対するリスクに対する合意ではないのでしょうか?
原発に危険が残るなら、危険が及ぶと想定される地域の住民には手厚い補償を行う代わりに、危険のない地域への移住を条件としていたら、実害無き保障時代のユーザーの負担した金が死に金になることはなかったのです。
原発に依存して生きていた人々は、被害者意識を改める必要はありませんか?
被害者は、電力消費者と過去に補償対象で無かった近隣エリアの人々です。
原発従事者が被害者の代表だなんて事はあってはなりません。
不都合な本音をいつまでも隠して論争するから結論は見えません。
沖縄県民に基地がなくなっても生きていくれのかを問う必要はあります。
もし、何らかの国の補助をあてにしているなら、それは無いと考えてもらえないでしょうか。
補助 保障 補てん これら無には、地方自治体も地方経済も地方住民も成り立たない国だとしたら。
この国は健康ではありません。