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徳川恒孝 様(徳川宗家第18代当主) 講演会 1

6月9日 六本木 徳川恒孝 様(徳川宗家第18代当主) 講演会 1


The most famous family(徳川宗家・徳川恒孝様) descendant made his international audiences excited and think how edo's peace and stability established by his speech.


I was one of the audience.

He is the author of the 'Edo Inheritance'.


His emphasis was 3 points as below.

I am going to write down these spilitly mixed with my opinions.


1, national badget for war


During the civil war lasted almost 150 years, the war cost was 7 times as Edo era.

After Ieyasu establised his shogunate, this cost was heavily diminished due to his overwhelming power to the other feudal loads.


In a word, Tokugawa Ieyasu was so powerful that other feudal loads couldn't resist .

Even the Maeda Family's power was one seventh of Tokugawa Shogunate.


So, that may be the key factor for the lasting stability for 265 years.

Nobody could make combats for the Tokugawa.


That surperb authority made unity, obeidence throughout Japan.


Then finally, farmers could concentrate on their farming tasks without any worries of invasion. Resultedly, national growth products was higher than ever.


This allow people take education. At the end of the era, many foreign people were surprised to see how Japanese people were well educated including commoneres and females.


This high consiousnesses made people have curiosity for the other civilization like western one, Mr.Tokugawa said.


I agree.












絶世の美女

慶応義塾大学旧図書館階段ホールに設置されている、大理石彫刻「手古奈」をご紹介しましょう。


彫刻家・北村四海(1871~1927)による「手古奈」は、慶應義塾創立50年の図書館建設に合わせて北村氏から寄贈されました。しかし、昭和20年の空襲により破損してしまい、いまも見る者に痛々しく感じられます。戦禍の痕跡をとどめるため、修復はあえて最小限になされたということです。長らく塾内の倉庫で保管されていましたが、今回60年ぶりに公開されました。


「手古奈」とは、万葉集にも詠まれた絶世の美女のことで、今の千葉県市川市真間にその伝説が語り継がれています。ヤマトタケルノミコトも惚れたといわれています。真間には今でも、「手古奈」が、毎日水を汲みに来た井戸が残されているそうです。四海によるこの「手古奈」も、美しいのは勿論ですが、空襲による被災の跡生々しく、生命の大切さを一層健気に訴えてきます。


明治を代表する大理石彫刻家・北村四海は、長野の宮大工の家に生まれ、幼い頃から芸術的センスを磨いてきました。ブロンズが主流であった当時の彫刻界において、本格的に大理石彫刻をパリにて学び、安田善次郎などのパトロンにも恵まれました。現存する作品は他にも、旧安田邸(文京区)、東京国立近代美術館などに保存・展示されているようです。



条約批准書

京都・妙法院にある国宝「インド副王から太閤秀吉への親書」(1588)

この美しい装飾をなんと表現したらいいのだろう。

グロテスク文様とtassel


麻布にある「外交史料館」にはたくさんの親書、条約締結文書が保管されている。

群を抜いて美しいのが露西亜帝国ロマノフ家からの親書であった。

豪華な何連ものtassel、帝国の紋章に蝋蜜を施す凝り様。


軍艦ミズーリ号上での降伏文書にはとりわけ感じ入る。

ポツダム宣言受諾の公式文書だ。

マッカーサー元帥はもとより、連合国軍の一連の大臣・司令官の署名が見られる。

日本側代表は重光葵外相。漢字でしっかりと署名してある。

この重い大役を背負わされ、昨日まで敵国であった将軍たちに凝視されながらの署名。

大変大きなこの批准書は、簡潔で厳しい印象を与える。

もちろん、房飾りは付いていない。



尊敬語と謙譲語

Respectable and polite expressions in English


Some people say English has no such a expression.


But it has actually.


We could add such as "I am afraid", "Would you please","would you mind~" ,"If I may ask"etc..


In a word, it absolutely depends on persons' characteristics and degree of intellectuality.


Both in the west and in the east, direct expressions are regarded as unrefined.

Straight way of saying is seen as low class.


When one received a dinner invitation, and was not willing to go, one have to make up something like having cold, inevitable meeting so on.


Looking into our Japanese language, there are such an abundant way of polite expressions uncompared to the other one.


It differes from things to things,from persons to persons determinated by these relationship.


This is just what annoys foreingers studying Japanese.


Japanese people sometimes put very high value on the things like tea utensils.


I heard one story dating back to the 30's.

One day,at Ueno St, all servants were lined up. People asked them which prince was going to be welcomed.


The answer is an old flower vase belonged to the Hatakeyama family.







世界を背負った貴族


「Quatro Ragazzi 天正少年使節と世界帝国」

若桑みどり著



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{my review}


東西の膨大な資料を駆使して、丹念に「登場人物」を浮き彫りにさせる技量にはただ感服する。
日本側に残された史料(フロイスも含めて)はまだしも、バチカン所蔵資料など西洋側文献資料も読みこなし、その背景を探るのは、この時代の西洋への認識が不可欠だ。この時こそ、著者の専門性(15~16世紀バロック)が非常によく生かされたのだろう。同時代の日本と西洋を、同じお皿に載せて吟味するという,著者が7年かけて完遂した根気のいる作業。日本、西洋、どちらの視点が欠けてもこの時代の、この使節派遣の意義を深く理解することはできない。
この使節に限らず、鉄砲伝来以降、西洋の視点が欠けては、両軸がかみ合わない。なぜなら、著者も力説している通り、ここから日本は、好むと好まざるとに関わらず「世界システム」に遭遇し、その対処の過程が、信長以後、日本の経てきた道だからである。
「布教=征服」ともいえなかったこと。
 巡察師が、日本人の持つ礼節・教養を高く評価する一方、日本の統治システムの特異性も冷静に観察していること。
同じキリスト教の布教でも、各宗派によって、また各個人によって、宣教方針に大分違いがあったこと。
どんな組織にも言えるが、上に立つ者の資質によって大きく組織の方向が決まることは、この時代の日本布教にも言えたこと。
世界システムから信長を捉えなおしたこと。
等々、さまざまに勉強させられた。
「上に立つ者」で云えば、使節団を企画・実行した者が、希有な知識人であったことは少年使節にとって幸いだった。西洋側の歓迎熱狂も手にとるように丹念に描かれている。教皇がグレゴリオからシストに代わるあたりの、ローマ祝祭空間の描写は著者の真骨頂だろう。なかんずく、「教皇選挙」場面は、巡察師が少年使節に教えた如く、我々読者にも「選挙」の様子が詳述される。

教皇謁見のハレ舞台に同行できなかったとはいえ、この巡察師が残した膨大な文書は現代に生きる我々にも多くのヒントを与えてくれる。

正にそれらの書簡や文書こそは「世界を背負って立つ男」貴族ヴァリニャーノ自身の肖像画でもある。
ルネサンスを通過した、この時代のヨーロッパの、洗練された知識人のレベルが如何に高いかも痛感した。

使節派遣だけに焦点を当てるのではなく、その前後の日本と西洋社会を実に精査し、再構成している手腕がすばらしい。もっとも、何故に派遣まで至ったのかを知るには、必然的に前後を見極める事が必須であるにしても、その精密な作業には頭が下がる。その視点に、独特の人間味が加わる。
正に「神は細部に宿る」である。細部の徹底検証が行われたからこそ、読者は、信長も、ヴァリニャーノも、その「心」見つめ直すことができる。

サンタンジェロ城を目前に望みながらのご執筆、誠にうらやましい!