世界を背負った貴族 | α 国際線CAの 3次元の国際理解力UP! Ω 

世界を背負った貴族


「Quatro Ragazzi 天正少年使節と世界帝国」

若桑みどり著



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{my review}


東西の膨大な資料を駆使して、丹念に「登場人物」を浮き彫りにさせる技量にはただ感服する。
日本側に残された史料(フロイスも含めて)はまだしも、バチカン所蔵資料など西洋側文献資料も読みこなし、その背景を探るのは、この時代の西洋への認識が不可欠だ。この時こそ、著者の専門性(15~16世紀バロック)が非常によく生かされたのだろう。同時代の日本と西洋を、同じお皿に載せて吟味するという,著者が7年かけて完遂した根気のいる作業。日本、西洋、どちらの視点が欠けてもこの時代の、この使節派遣の意義を深く理解することはできない。
この使節に限らず、鉄砲伝来以降、西洋の視点が欠けては、両軸がかみ合わない。なぜなら、著者も力説している通り、ここから日本は、好むと好まざるとに関わらず「世界システム」に遭遇し、その対処の過程が、信長以後、日本の経てきた道だからである。
「布教=征服」ともいえなかったこと。
 巡察師が、日本人の持つ礼節・教養を高く評価する一方、日本の統治システムの特異性も冷静に観察していること。
同じキリスト教の布教でも、各宗派によって、また各個人によって、宣教方針に大分違いがあったこと。
どんな組織にも言えるが、上に立つ者の資質によって大きく組織の方向が決まることは、この時代の日本布教にも言えたこと。
世界システムから信長を捉えなおしたこと。
等々、さまざまに勉強させられた。
「上に立つ者」で云えば、使節団を企画・実行した者が、希有な知識人であったことは少年使節にとって幸いだった。西洋側の歓迎熱狂も手にとるように丹念に描かれている。教皇がグレゴリオからシストに代わるあたりの、ローマ祝祭空間の描写は著者の真骨頂だろう。なかんずく、「教皇選挙」場面は、巡察師が少年使節に教えた如く、我々読者にも「選挙」の様子が詳述される。

教皇謁見のハレ舞台に同行できなかったとはいえ、この巡察師が残した膨大な文書は現代に生きる我々にも多くのヒントを与えてくれる。

正にそれらの書簡や文書こそは「世界を背負って立つ男」貴族ヴァリニャーノ自身の肖像画でもある。
ルネサンスを通過した、この時代のヨーロッパの、洗練された知識人のレベルが如何に高いかも痛感した。

使節派遣だけに焦点を当てるのではなく、その前後の日本と西洋社会を実に精査し、再構成している手腕がすばらしい。もっとも、何故に派遣まで至ったのかを知るには、必然的に前後を見極める事が必須であるにしても、その精密な作業には頭が下がる。その視点に、独特の人間味が加わる。
正に「神は細部に宿る」である。細部の徹底検証が行われたからこそ、読者は、信長も、ヴァリニャーノも、その「心」見つめ直すことができる。

サンタンジェロ城を目前に望みながらのご執筆、誠にうらやましい!