「新しい時代はこない」
今朝の明治神宮の森からの教え。
歩いていたら、「新しい時代はこない」ってきた。
確かにその通りだと思う。
だって、新しい時代は、「わたしたちが創る」んだから。
誰かがやってくれる、って思いで新しい時代の訪れを待っててくるわけないじゃない。
♫しあわせは 歩いてこない だーから歩いていくんだよ♫
水前寺清子が歌ってたあの歌は、真実のど真ん中を射抜いていると思う。
このところ、わたしには、宇陀で聞いた、柿本人麻呂のこの歌がきている。
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
卯年だからね。卯は東の方向。
かぎろい=陽炎(かげろう)
陽炎?太陽の炎?コロナ?単なる言葉のイメージ。
コロナが終わったら、世界は変わるはず、なんだけど。
月は沈んで 日はのぼる。
新しい時代は。
宇陀の資料に目を通していたら、なんと種子島の鉄砲と堺にぶちあたった。
もちろん知っていた。
吉野は、実は各方面に繋がっている。
伊勢街道は4本ある、らしい。
もちろん海にも。
柿の葉寿司には、サバが入っているし。
その道を繋いでいたのが修験。
とある霊山の山伏修行体験にしろくまさんと行ったとき、御先達と飲んでてそうなんだろうなって思ったもん。
だって彼らなんでも知っている。
彼らが運んでいたのは、「情報」なんだろうなって。
それは宮島のしゃもじ売りも、富山の薬売りも彼らが運んだのは間違いなく「情報」だったって思ってたからだけど。
子どもの時、宮島観光したときに、しゃもじをわざわざ宮島の人が全国に売りにいってたって聞いて、「なんでそんなものが売れるの?」って母に聞いた。
返事はなかった。
変な商売だなってずっと思ってた。しゃもじ売り。
そんなんで生きていけるなら、わたしだってしゃもじを売りたい。
旅先で大河ドラマ「西郷どん」をみていたら、「越中さん=薬売り」に、嫁候補にいい噂を耳に入れてもらうように頼んだっていう話があって、わたしが長らく「薬屋の全国行脚の本当の目的は情報交換では」って思っていたのが、「やっぱりね」になったのである。
これらの記録や言い伝え、古跡からみると、わが村は1185年に壇ノ浦で滅びた平氏の一族によって開かれたものと考えられます。
ところが1457年、宮は主家を再興しようとしていた赤松家遺臣によって殺害されました。これを知って村人たちは、神器と御首を奪い返し、瀧川寺に手厚く埋葬しました。
宮の御墓は今日でも寺内にあり、また御霊は北山の宮に祀られ、御南朝哀史の君として崇められている。
このあたりかな、訴えてきたものは。
1185年に落ち延びてきた平氏の一族。
これが維盛?那智滝に身を投げたっていうものね(生きてたみたいだけど)。
で、加計呂麻の縁の平資盛の方は、川合神社の由緒からして1185年一ノ谷の戦いのあとに「河内国 梅谷」に領地をもらったって書いてある。
戦国の世のしくみはよくわかんないけど、誰からもらったの?
負けたんじゃないの?
手打ち?
謎深き熊野の地。
能登と対になるはず。
今日もまたきたもん。仕打ち。
「4月まで生きていたら、紹介する」って言われてたコミュニティに入れない、っていう宣言。
「約束が違うと言われれば私を恨んでください」
って書かれてて、
「お願いがあります。妻と旅行に行くので〜まで連絡しないでください」
って結んであったけど、
妻にバレたくないってことでしょ。
私の存在を。
わたしにはやましい気持ちは1ミリもないし、後ろめたいことはなにもしていないけど、相手にはあったのか。
でも、奥さんはやりとりに気づいていると思うよ。
伊勢平氏おじさんのストーカー騒ぎがあったとき、
「おじいさんっていうのは、更年期の影響で性欲が高まるのに、(それまでの関係によっては)妻に相手にされなくなるから気をつけなきゃいけないのよ!!」
って注意されたことがあったし、
実際に警察の人にそんなことを口にされてめまいがしたけど、
こうも連続すると、「それって本当なのか」って思ってしまう。
だって心当たりはあるんだもの。
つい最近、「あなたが頑なに拒絶していることをできる人がコミュニティの中にみつかった」って言っていたからね。
「代わり」ができたらいらない、ってこと?
なんか、「天気の子」の次が来たタイミングで伊勢平氏おじさんが私を拒絶するのと同じ?
あからさまに「お小遣いあげるから」って近づいてくる人は笑ってうけいれられるけど、
腹の底の欲望を満たすために「いい人」で近づいてくる人は、厄介である。
自殺しちゃった女の子を何人か知ってるけど、そのしくみがようやくわかったって次第。
死んじゃった子たちは、純粋だったもん。
本当に信じて頼っていた人にこれをやられたら、生きていけないだろう。
結構なことを乗り越えてきたわたしですら、この一連の事件では生きる気力が一滴も出ないところに追い詰められた。
わたしは、今まで本当に人に恵まれたって思う。
私の周りにいる人たちは本当にいい人で、わたしはそれに甘えていられて生きてこれた。
まあちょっと、振り返ってみれば「ん?」って思うこともあったけど、一応責任は果たしてくれてまるくおさめてきた。
「人はそんなもの」ってみんないうけど、本当にそうなの?
わたしが、「わかりました」って返事して、
まさに妻と旅行をしているタイミングを見計らって連絡して、
「約束が違うというならわたしを恨んでください」ってやられたらどうなんだろ。
わたしをカーリー神にでもしようとしている?
怒らせれば怒らせるほど功徳があるっていう気の毒な女神(そして、東京 〜天神さんと、弁財天と、牛と梅)。
この記事をみて気づいたけど、なんで神田明神には、大国主とうさぎの絵馬があるんだろう?
わたしはわたしが大切にしている弱い人たちを困らせたくないから、そうしたくないわけ。
宇治の橋姫神社でみたもの。
日本全国、原発が建てられている場所は、純粋な私の仲間が住んでいるところばかり。
「騒いだら、わかってるだろうな」
っていうか、
「お国のために辛抱しておくれ」
っていうか。
ここの人たちが反旗を翻せないようになっている。
「了解」って返事する気にもなれなかった。
そんなことする自分を考えたら気持ちが悪い。
他人がすることはとりあえず許せても、自分を汚したくない。
彼には彼の理由があるらしくて、おそらくわたしが今捉えているものとは違うんだろうけど、
私のドラマのなかで、差し出されている事実というパズルのピースを眺めたらそんな感じ。
前半を書いてから眠って起きて書き始めたから、続きであっても続きじゃない記事だったけど、これは、天満橋に身を投げたっていう女性のかなしみと共鳴してるのかもしれない。
伊勢のうちはお伊勢参りのための船宿で、「精進落とし」にくる人たちで賑わった置き屋だったみたいだから、その報いってことなのかもね。
で、これ。
ムムちゃんが、投稿の日時に反応してきての。
いろんなことが書いてある。
古宇利島の「生贄を要求する」って今帰仁の不思議おじさんがあとになって教えてくれたスルル洞の神事のこととか。
神の世界も取引か。
腹の底にある欲望を隠して、取引の手がかりとして見せる、人のやさしさ。
まさに、今の世の神様たちってそうなんじゃないかな。
人の願いを食べて、力を持つ神様たち。
神様という名の悪魔。
お札やパワーストーンを集めている人に、力を持っている人に会ったことないんだもの。
そんな中でもお弟子さんを集めている先生や、信者さんを集めている教祖さまは、お弟子さんたちが差し出しているエネルギーを集めて力があったけどね。
私の神様は、私のちっぽけな願いを叶えるために動いてはくれないけど、わたしが神様の意思とともに動いているとき、必要な全てのものを与えてくれるけどね。
わたし、その仕組みが間違っているとは思っていない。
けど、相手を選ばないとね。
本当に王たりうる人に、それが集まるようにと願う。