イエスの死に思う 〜キリストは復活するか | かんながら

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旅の記録です

 
去年の今日は大神島にいた。
 

 

 

戦争のニュースをみて、いつか行こうと思ってそのままだったトルコに行った。

テオトコス(神の母)。

出会った神父さんから教わったその言葉を真っ向から否定するネストリウス派の教えがわたしのところに今もたらされている。

 

どういうことなんだろ、この分離。

これもすべて、あとになったら「そういうことか」って思うんだろうけどね。

 

 

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満月明けの7日金曜日。
聖金曜日(イエスが十字架にかけられた日)。
 
たくさんの人が「予言」していたXデー。
東京は予想通り、嵐で風と雨の禊だった。
ちなみに、わたしにとっては大好きだった祖父とひろさちや先生の命日。
 
 
「すずがなると、りゅうがうごく」
 
 
東北から、そんなメッセージがきて(令和のサインは鈴とえびすと鶏と〜鈴が鳴ると龍が動く)、
龍はついに動くのかって思ったけど、
結局わたしのところには、全力で「伊勢平氏おじさんと離れろ」、「島にもう来ないで」って引き裂く力が働きつづけていて、道祖神(クナト)は「成らなかった」ので、龍は動かないなって思っていた。
 
 
わたしの311 〜310(ミト)から向かう先ミト(310)が開いてトミがでる その1 〜天神さんの欠けたピースを探す旅)、道祖神(クナト)だって思ったから、この成り行きに注目していたわけ。
 
 
 
伊勢平氏おじさんが「小さなしあわせを大切に」ってメッセージがきたって言ったとき、
「わたしのことも入ってるの?」ってきいたら、「あたりまえだろう」って言っていたから、たしかに最初はそうだったんだろうけど、その後おじさんは「そういう話ではない」って「書き換え」があったみたい。
 
 
 
でも、わたしにはわかるよ。
おじさん、やるじゃん。グッショブ!
 
 
 
 
わたしの大事な無告の民の貧しくやさしい友人たちが、最初に犠牲になるからね。
あなた方が起こそうとしている「龍」が今、動いたら。
 
 
 
だって、相変わらず、みなは「よい」「悪い」の価値観で、敵・味方を分けようとしている。
 
なんどもいうけど、この世界には、たったひとりの自分しかいないのに。
 
 
クナト(道祖神)は必要だと思うよ。
「ここから先はこないで」って境界線を宣言してくれる最強のペアの人たち(神)。
 
 
 
だって、存在することは認めるしかないんだもの。
誰かを排除することを許したら、逆もまた正義になる。
 
 
結局どこまでも殺し合いが起きる。
 
 
徳川は、敵討ちは1代までってきめたんだってさ。
それが貞観政要って帝王学を学んで取り入れたって徳川の教え。
 
 
 
とにかく、みんな受け入れるしかないの。
そこにある現実ってものは。
 
 
嫌なら(それを創造している)自分の思いを変えなさい、っていうじゃん。
 
 
そのためにコロナでレッスンしたでしょ。
「ソーシャルディスタンス」。
 
 
 
コロナが明けたら「魑魅魍魎も共に弥栄」って決まってる。
それが、「令和」だからね(令和の花咲爺は、梅を咲かせる)。
 

 

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昨日の記事(天秤座満月に起きたこと)にコメントをもらって、寝ぼけながら返信したのが、
なんとなく、すごく言いたいことのような気がするから載せておこう。
 
 
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(略)
この世には、本当に全てを受け入れてしまう人たちっているのです。

それを「純粋」とか「やさしい」とかの言葉で説明しても、人は、自分の境涯からしかその言葉すら判断できないので、彼らの本質は理解できないと思います。

アフリカの大地でわたしに笑顔で食事を与えてくれた人たちや、「隠れキリシタン」に出会うまで、わたしも本当の意味では理解していませんでした。
あらゆる困難な境遇やすべての宗教を受け入れ習合させてきた彼らは、誤解されたりしていますが、本当のやさしさと強さがありました。


わたしはしょせん偽善です。
でも、この世の中を作った責任に対して何かしたいだけなのです。

ロクでもない世界を作ったダメ男ダメ子、こじらせ男子もこじらせ女子も、それをクビをかけて何度も対決してきたけど、結局力を持つことがなく無名のままなすすべなく看過してきたわたしも、同じです。

わたしはただ自分が美しいと思う世界の創造のために何かを投げかけていきたい、そう思っています。


たったひとりしか、いないこの世界に、敵も味方も良いも悪いもありません。
「わたしが、どうあるか」そのチャレンジが生きるってことなのかなと思っています。


アフリカで30年前に出会った(日本人のわたしからみれば)貧しい人たちも、希望を持って磔にあった隠れキリシタンたちも、ここまで残酷な仕打ちをするあほうな伊勢平氏おじさんとつきあおうとする「美志摩かな」も、多くの人に理解されないと思います。


だから、イエスは処刑されることを選びました。



今日は聖金曜日。
イエスが「INRI」、「ナザレのイエス ユダヤ人の王」という札とともに十字架にかけられた日です。


この日にこんな胸のうちを引き出してくださり、感謝しております。


すべてはひとりごとです(^-^)。
私の世界には、わたししか、いないので(*˘︶˘*).。.:*♡
 
 
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♫月はのぼるし、日は沈む♫
 
1941年に文部省唱歌として教科書にのった「海」。
 
なんで日が沈む歌?
 
ちなみに、この写真は、大神島の朝日。
 
夕日にみえるけど、東の空から日がのぼるところ。
今のところ、あの島も今は月の島だ。
 
そろそろ朝がこないとみんな枯れちゃうんじゃない?
朝と夜は交互に訪れるからいいと思う。
 
 
でもあまりにも夜が力を持ちすぎて魑魅魍魎の世界になっている。
だいたい夜に明かりをつけすぎたのも問題である。
 
 
電灯は、太陽ではない。
蝶ではなく蛾が集まる。
LEDは蛾も寄せ付けないで明るさだけはある。
 
 
相変わらず月の奴隷となっている日の神様。
そろそろ「ライジング・サン」をお願いしたいけど、まだ勇気がないみたい。
 
年上や先輩のいうことは絶対って、暴力夫に服従している瀬織津姫たちもそうだけど、耐えている限り改善はないからね。
自分から反省できるくらいなら、とっくに彼らはそうしてるんで。
 
絶対に逃げないと思ってた妻に逃げられて、改心した人たちはたくさん知ってるけどね。
 
 
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本当は、この国は、神社にいる名前を持つ神様ではなくて、「信仰を必要としていない神様」が治めてきたんじゃないかな。
わたしは、それを「自然」と呼ぶけどね。
 
太陽が昇るとき、神様は、眠りにつくと思う。
でもまだみんな、神様を必要としているものね。
 
「善・悪」「敵・味方」あらゆる分離があるからこそ存在できる、人の願いを聞き入れてくれる都合のいい神々。
 
 
そんな神は、悪魔と同じだってわたしは思うけど。
 
 
明日は復活祭。
いつ、キリストは復活できるんだろうか。
 
 
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