(速報)大国主再生の琉球の旅 〜加計呂麻島編 | かんながら

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大国主再生の琉球の旅 〜人の間に生きるレッスン 

 

 

船は予想通り初便から欠航だった。

 

昨年の今頃よく通った大神島でも同じ感じだった。

滑り込みで島に入ったら嵐がきて、人の出入りがなくなるっていうこと。

 

 

 

手を動かしてた方が考えなくていいでしょ、ってシーグラスのランプ作り。

 

 

 

 

Day 2。晴れてきたよ。

でも、これからどうしよう?

 

 

昨日、木彫りやってみない?って提案されて先生が来てくれる。

もともと材木屋さんをやっていたそうだが、廃業して島に移住。

 

 

そのパートナーさんは、平家の落人伝説に興味があるってことで、情報交換。

わたしの方は、平資盛や平維盛が落ち延びて、って話を聞いたしその子孫がいるって情報がもたらされていたが、彼女の方はここに女性がいて子を生んだって話に興味を持っていた。

 

 

もちろん相手は島の女性だと思ってはいたけどね。

 

なるほど「維盛の子孫だから、あなたとは他人じゃない」って亡くなった尾鷲の大先生は言っていたが、そのことだった。

 

彼の方はわたしの中に「女性」の存在を見据えてそう言っていたのだ。

伊勢平氏おじさんも、深い部分ではそれに気づいていたんだろう。

最後に会った高幡不動の帰り、わたしに「おかあちゃん」って言ったからね(神事は真剣勝負2 〜因縁の高幡不動へ)。

 

 

完成。

ほぼ先生の作品みたいなものなんだけど。

素材はベニマツ。柔らかくて削り易い初心者向きの木だそうだ。

 

お地蔵さんは生きた人も死んだ人も助けられるけど、

観音様は生きている人しか助けられないんだって。

 

死んだ人を助けるってやっぱり大変なんだろうな。

神様じゃ無理ってことかな。

何度も書いてきたけど(大国主再生の琉球の旅 〜人の間に生きるレッスン3 立場の逆転?)、亡くなった人たちの無念は生きた人の暮らしの中でしか、体験をやり直すことはできないからね。

 

しろくまさんを喪った今のわたしには、死んだ人たちの思いを昇華しきれていないわけ。

そこそこ自分はしあわせでいられるから、身体は病んでないんだけど。

 

どうしたらわたし、想念の世界だけじゃなくて、現実の世界でしあわせでいられるだろう?

 

 

 

彫った仏像って誰かに似るんだって。

誰に似てると思う?

 

 

夕方、浜へ降りた。

やはり美しかった。

 

 

「いつまでいる?」

宿のねえさんは体調がよくない。

無理してもらっているのもわかってる。

 

一晩の猶予をもらって眠りにつく。

 

 

オリオン座はミシマの星。
新月の夜ひとりで海に出て岸を見失ったときも、この星に助けられた。
 
わたしはどこにいったらいいの?
わたしのやどり木はまだ見つかっていない。
 
ゴールはあるけど、わたしはまだ手にしていない。
純粋な心だけじゃダメなんだ。
お願い、わたしに知恵をください。
 
 
 

Day3 結局いつものお試しがきた。

 

「あなただって身体を持ってるんだから」
「伊勢平氏おじさんも、しろくまさんにも自立してって言われてることは、みんなあなたと日常を一緒にしたいと思ってない」
 
白山のサルタヒコは、わたしがそれをわかってないと思っているんだろうか。
 
 
しろくまさんも、伊勢平氏おじさんも、ヨギの治療師も、神の島の小ニーニーも、みな同じように距離を置いた。
なにより言っているサルタヒコ自身がそうである。
 
日常を共有できない相手。
その理由をわたしはとてもよくわかってるつもり。
 
 
「現実にいないから」。
 
 
天に召されてしまった安曇野の倭姫さまが送ってくれた、「あなたは天(てん)の川です。あなたの心は天にあります」(2週連続でひたちの国へ 〜御岩神社・大洗磯前神社)。
 
わたしの心は天にある。
地上にない。
地上に暮らそうと奮闘していたころ、「人として生きよ」と神の声を聞いて、米農家に嫁ぐことにしてそれをやりきったシュメールに夢中だった安曇野の倭姫さまは、わたしにそんな言葉をくれたのだった。
 
 
マリアのような木彫の写真を先生が送ってくれた。
「サンタマリアの島にふさわしいですね」って返事して、ふと
マリア?って思ったら、こんな記事が目に入った。
 
 
 

 

 

1549年8月15日に鹿児島の海岸に上陸しました。日本に着いた日が、ちょうど聖母マリアの被昇天の祭日に当たっていたこともあって、ザビエルは、日本を聖母マリアに捧げました。

(略)

ザビエルが、日本を聖母マリアに捧げたせいかどうか分かりませんが、日本の歴史的な出来事と、聖母マリアの祝日が重なっている事実は不思議です。

日本が真珠湾攻撃と機をいつにして米英に宣戦布告し、太平洋戦争が始まったのは、1941年12月8日。カトリック教会では、12月8日は、聖母マリアが、その母聖アンナの胎内に宿ったことを記念する「無原罪の聖マリアの祝日」で、盛大に祝われます。カトリック国では学校や会社・商店は休みとなります。

太平洋戦争が終わったのは、1945年8月15日。この日は、前述のとおり、「聖母マリアの被昇天の祭日」で、これまたカトリック国では、国民の祭日として仕事は休み。

そしてサンフランシスコ講和条約が、サンフランシスコで調印されたのは、1951年9月8日。この日は、「聖母マリア」の誕生日に当たります。
さらに日本で建国記念を祝う2月11日は、「ルルドの聖母の祝日」となっています。

 

 

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