(速報)大国主再生の琉球の旅 〜伊江島最後のノロに会う | かんながら

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旅の記録です

 

大国主再生の琉球の旅 〜プロローグ 渋谷の街から天久の宮へ

お母さんを探しに 〜大国主再生の琉球の旅 からのつづき。

 

 

 

宿泊はホワイトハウス。

 

 

手作りのご飯に涙がでた。

人のつくるもの、の温もり。

 

なんとか、人の世に戻りたい。

身体を持ったままあの世に生きるわけにはいかない。

やどり木も、風に飛ばされないように抱きつく岩もない今のわたしには、この世に生きる術がない。

 

「神様ごとの相談ができる人はいませんか」

ってきいた。

 

わたしの転機になってしまった「土の宿」のスタッフの玉城さんが朝出勤前に迎えにきてくれた。

伊江島最後のノロのトヨさんが、昨日退院して家にいると聞いて家に連れていってもらった。

 

 

 

トヨさんは、土の宿に神様がいるはずだが、知らないといい、オーナーだった木村浩子さんのことも一度もあったことがないと言った。なぜか一度もいけなかった、とだけ言った。

 

あの場所には「しゅんがむい」という神様が本島の東村(ひがしむら)から来て、城山(タッチュー)に上ったが、そのとき土の宿のところにいた二柱と一緒に3人で城山に上ったといった。

 

しゅんがむい、というのは、「塩」がま?

ようは塩をつくるってことみたい。

「塩を作る氏族」=シュメールからきた渡来人?

 

竈方である伊勢平氏おじさんの先祖をかんじる。

ちなみにもうひとりの平維盛の子孫は、「ひがし」というよみ持っていたが、東を「あがり」と読む沖縄でも、「東村」は「ひがし」と読む。

 

ちなみに、ノロのトヨさんは、「東江(あがりえ)」さんだった。

 

 

 

ひとりの渡来神(シュンガムイ)をふたりの神が迎える。

土の宿、という名前から想像するに、「坤(ひつじさる)」の神様か。

道祖神?

 

土の神。

荒神。

ヒヌカン。

 
わたしが辿ってきたあれこれを考えても、わたしについている神様はまちがいなく日の神である。
 

 

 

とにかく城山にいこう、と車を調達して城山。

 

暴風が吹いた。

伊勢平氏おじさんに警察に通報されるって事件から東京も強風が吹き荒れていたが、伊江島にきてからも強風である。

スサノオさん?わたしこの強風を体験するたびに、なぜかスサノオが泣いているって思う。

 

 

 

 

やっぱり女陰にしかみえない神の山タッチュー。

イザナミさん。

そういえば、スサノオはお母さん恋しくて泣いたんだった。

 

 

 

降りてきた観光客の人に、片道10分ほどだって聞いていたら、「上ってきなさい、今」ってトヨさんに言われてトヨさんを車に残して駆け上る。

 

 

頂上の様子は、安須森御嶽も、ケープタウンのテーブルマウンテンも、わたしに縁のある場所と同じ白い石で平たい場所だった。

 

一番低い位置が、緑の石の磐座。

 

 

足摺岬の花、椿。

 

 

このキャラは誰なんだろう?

 

 

土の宿の神様のところに挨拶にいきたいってトヨさんに言われて一緒にきた。

 

 

でもトヨさんは「ここにいたらいけない」っていう。

神様が寂しがっていて、あなたひとりでは慰めきれないから、って。

 

「こんなところにひとりで泊まっちゃダメ」って怒られる。

 

 

かつてここでみんなで飲んだ。

 

でも、最初に一緒にきたコロさんも、おばさんも、ここで出会った国吉さんも、みんなもういない。

思い出だけがそこにある。

 

すずめの戸締まりの「お返し申す」の世界。

 

でも、たしかにここはあたたかい。

ここに、人と神が集う場所があった。

 

今も、そうらしい。

トヨさんにはそれがみえないし、わたしはそこにいないみたい。

 

これも、わたしの前にある現実の乖離。

観光協会に問い合わせたら、土の宿はもうやっていないと思う、って言われたし。

 

 

本当はどっちなんだろう?

たしかにスタッフの人はいる。

建物もある。

 

で、わたしの見ている景色は「過ぎ去った過去の風景」でもある。

「今」がないかんじ。

 

 

 

 

泊まらないで、って言われたけどひとりで頭を冷やしたくてひとりドライブ。

 

 

過去にみた景色。

母とも、元ダンナともきたことがある。

観光したのは、ガイドとしての与那原のヒロさんときたときの1回だけ。

 

 

伊江島らしい看板。

わたしにとっての伊江島はこれなのかも。

でも、もうここにしか、ない景色。

 

この島は、昔から産業もあって新しい価値を生み出している。

 

わたし、経済って好きじゃなかった。

お金がなくてもわたしは生きていけるし、お金が入ってきてからの方がアフリカだって荒れた。

貧富の差ができてからは、人の心が蝕まれていったのを目の当たりにした。

 

 

 

でも、今は思う。

神様よりカネ様の方がずっとぶれなくていいなって。

 

 

神様は人間の民度によっては、「悪い神」になってしまったり、

人間の弱さにつけこんで、他人の祈りの力を利用して我よしに使おうとすることがあるけど、

 

お金は現実的なエネルギーだから、利用されにくい。

まあ、それでも詐欺にあったりはあるんだけど、それは法律で管理されていて「犯罪」になる。

 

 

一方、祈りの力を利用しても「詐欺」に立件することってできない。

うちのしろくまさんは、伊勢平氏おじさんに連れられて、高幡不動に祈祷に行ったタイミングぴったりで亡くなってしまったが、それが万一、誰かの殺意の結果だったとしても、犯罪にはならない。

 

 

自分自身が警察に連れて行かれた日に警察の人からも言われた。

「仮に藁人形で人が死んでも、殺人にはならないんですよ」って。

 

 

祈りとか思念のエネルギーって、「自分のもの」って意識が弱い。

お金だったら簡単に人にあげないけど、思いって簡単に人に手向けるからね。タダだから。

 

 

 

その点、お金は「嫌なこと」に払う人もいないから、シンプルでいいように思う。

お金って払う前にとりあえず考えるもんね。「お金ちょうだい」って頼まれたからって素直にあげないでしょ。

 

 

でも、祈りとか思いって、人は、ほんとに簡単に与えてる。

「金運が上がる」「試験に受かる」ってどれほどの人が、根拠もなく信じて祈っているか。

しかも、「他人が作った神様」に。

 

 

ニィヤティヤ洞。

この美しい洞窟もまたかつてこの島で起きた戦争の記憶がある。

 

 

楽々持ち上がる石は、あることをイメージしたら重かった。持ち上がらないくらいに。

 

 

 

Amazing graceを自然に歌ってた。

わたし、落としたものを取り戻したい。

 

 

Amazing grace! how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.

 

 

卑弥呼の鏡が出たっていう噂を聞いたのは、歴史オタクのオペラ歌手のEさんからだった。

天照大御神の鏡っていうことみたい。

どこにあるのか、とか詳細は非公開。

 

でも、琉球国王により、この寺は作られた。

曹洞宗 妙心寺派。

 

 

 

浦和の波うさぎだ(浦和の波うさぎのゆくえ)!!

わたしを警察に突き出してまで縁を切りながらも、ずっとついてくる伊勢平氏おじさん。

 

浦和の調神社(つきじんじゃ)。

月の気配のまったくない、あの不思議な神社。

御神木はケヤキ。

しかも切られている。

 

そしてあそこは、竹生島から勧請した弁財天がいる。

竹生島弁財天は、カーリー神みたいな八臂の弁財天だったよ。

 

 

権現堂跡。

くる前に立ち寄ることになった天久宮と同じ。

 




本殿に鏡の写真が置いてあると言われたけど、これかな?
他にそれらしきものは見当たらなかった。

 

 

 

今日の直会は、居酒屋沙武。

 

 

 

シュンガムイは、塩竈の神か。

わたしと「他人じゃない」平維盛チームとぴったりかさなりあう。

 

わたしが、迎えた「土」の神だったとしたら。

 

うまくいけばいいけど、ここやっぱり嫌いあったらダメだと思う。

すくなくともノロのトヨさんは、土の宿の神様はダメっぽい。

 

 

でもわたしはトヨさんともう出会って握手したからね。

わたしのゴールは決めてある。

 

 

この世のすべてを嫌わないで睦み合うんだから!!!

 

 

明るい方へ、いかなきゃね。