ヒルコを流す祭 〜えびすの祭に起きたこと | かんながら

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旅の記録です

夜中から風が吹き荒れている東京。

 

私の身に起きていることのメモ。

 

1月7日。

おじさんの家に障りが起きたと同時に起きた私の方にも起きた障り。

わたしは障りの方を私から切り離してことなきを得ていたが、昨春からまた同じことが起きていた。

 

「わたしの胸に飛び込んだら、障りは全部消えますよ」(みんな、ありがとう)、 なにわの審神者(さにわ)からのアドバイスは、そのとおりなのだと、事件が起きるたびにその確かさもメカニズムもわかるようになったが、未だにそれは成功していない。

 

昨春も似たようなことになっている。

 

直接問題の方から私の目の前に再びやってきた。

今回は思うことを言った。生まれて初めて真剣に叱った。

おじさんが娘に言えないことを、わたしは言った。

 

届いたかどうかはわからない。これも「神事は真剣勝負」だって思ったから。

 

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1月8日。

丹後の神人に送った金剛福寺の亀に乗った観音様のカレンダーと、轟神社のご神像の到着のお礼の電話。

 

八代妙見の「ガメ」ではないか、という質問に対して、「観音様に龍がついている」という話。

龍ってなんですか、という質問に対しては、力、という答え。

 

鎮宅霊符神は、北極星ということ。

「信仰のいらない神と聞きました。宇宙は人の祈りにこたえもしないと思うので」という話とか。

 

 

今もおもう。

「さだ」山「補陀落」院 金剛福寺(金剛福寺の鎮守は善女龍王?”呉越同舟 〜美しい時代をつくろう 伊勢と丹後と志摩と島 ”

代々木の街から、土佐・阿波へ 〜その2 梅の山内氏が支えた三つ柏のサダ山の寺)か。

 

 

ここは私にとってとても意味のある場所だった。

 

 

さだ=蛇 わたしの亡くなった祖父の名は伊勢の「ナーガ」の「さだ」お。

補陀落=琉球(天竺) みしまの祖母のいたところ

 

 

足摺岬は、椿の産地。

首からポトリと落ちるから武士には縁起が悪いって教わった。

 

 

 

ちなみに、不動明王につれていかれたのは1月5日。

何を意図された日なのか、わたしは知らないが、誰かのカタシロ神事にハメられて無意識に選んだか、本人がそう意図してのカタシロ神事の可能性が高い。

みんなその日程にあわせて力を集めるから、その力が大きくなる。

無駄にならない。暦というのはよくできていると思う。

 

 

1月9日。

きっとこの日もなにかのカタシロを示す日なんだろう。(宵えびすの日だ)

彼はそうとは思っていないようだが間違いなく、彼はその中に組み込まれているから。

この夏の桃の事件と同様、「2人の現実が噛み合わない」ってことがよくあるから。

 

朝、伊勢平氏おじさんはとりあえず約束の時間に電話をかけてきた。

7日のことがあったので、共闘したい、って思った。「障り」に。

同じ問題が起きている。

 

私のやり方でも、伊勢平氏おじさんのやり方でも解決していない。

ふたりのもつものを合わせなければ解決しないのかもしれないなとぼんやりは思う。

 

少なくとも私の方は、思うこと全て叶う最強のコンビで立ち向かっても解決していない。

なにか「パッと超えたもの」が必要なのだと思われる。異質ななにか。

 

 

そのことを相談したいから、「今日時間がどうしても欲しい」と言った。

 

「今日は体調が」

わたしが怒るとあなたの体調は悪くなるみたいだからね。

 

 

 

先日おじさんの不調を心配したせいでヨギの治療師は具合が悪くなった(「神」が宣言する 〜欠けたピースを探す旅)し、「瀬織津姫のしあわせは?」と問うて、わたしの悲しみを半分引き受けるといったときにも、ヨギの治療師は胸が痛いと身体の不調を訴えていたよ。

わたしが引き受けているものを、他の人が同じようにもつことは難しいみたい。

 

ヨギの治療師がうっかりもらってしまった、右胸の痛みの発端は、旧8月18日で、まさにカーリー神さながらに怒って、川上村に行ったこと。

わたしが初めて怒ったことで、おじさんの罪悪感により(実際に酷いことをしていた)良心が痛んで、それを鏡になったヨギの治療師が右胸に受けた。

エネルギーの動きとしては完全にイメージと一致している。

 

わたしが飛ばしているのではない。

カウンセラーをしていて昔からずっと言われてきたけど、わたしは鏡のような存在らしいから、伊勢平氏おじさんも、わたしと向き合うと彼のしていることが明らかになって、彼の罪悪感が痛みを生むのであろう。

 

 

そういう意味では「キミを通して」くる障りは、言い得て妙。

 

 

わたしを通すと明らかになる、自分自身のしていること。

自分の姿をみると胸が痛む、はず。

 

だってあなたには実はとても清らかな心がある。

社会で成功していたころには、決して外には出さなかった深い部分に。

中原中也を好きだったころの、やわらかな心。

そして詩を書き溜めたノートと、若い頃のおじさんが恋した長谷川泰子への想いとともに捨てた、つもりの。

 

 

 

解決はあなたの心から、「罪悪感」をなくすこと。

「お天道さまがみている」ところでも大丈夫な、誠意ある行動によって。

 

 

 

結局「体調が悪い」の一点張りで、「今日は無理」

「明日は」

「今週は忙しいので」

 

 

私の方は、ずっとこの日を待っているのだ。

それこそ、「障り」が起きた3年前から。

 

あなたの方は、どんなに体調不良でも、必ずゴルフに行く余裕があるではないか。

 

 

「あなたにとってはそれでいいでしょうが、私の体調に考慮してくれる提案はないんですか」

 

「申し訳ない」

「申し訳ないですみません。こちらもとても困っています」

 

「3時間だけ休ませて。3時間後に電話するから」

 

 

「11時ですよ」

「わかりました」

 

 

電話はなかった。

政治家がそうするように彼も信濃町の病院の特別室に入院するのかとと思って、それも言った。

「そうするかも」

 

体調が悪ければそれが一番シンプルでいい逃げ方だと思う。身体も心配ないだろうし。

 

 

電話はなかった。

公衆電話からかけたが出なかった。

 

 

次は話中になっていて、仕方がないので家を訪ねた。

予想通り出なかった。

だから、管理人室に聞いた。

 

 

「救急車を呼ばれたりしていませんか」

「してませんから大丈夫ですよ」

 

 

誠実なよい人が、あわれみを向けて正直に答えてくれたので、彼に迷惑がかからないように、と思った。

本当は怒りに狂ったようにインターフォンを鳴らしたかったが。

こちらが感情を表さなければ、ある種の人間は「察する」ということを「あえて」しないとわかっているから。

 

 

もう一度公衆電話から電話をかけたが話中だった。

しかたないので、戻ってしばらく時間を置いてもう一度部屋を呼び出そうと思った。

 

はじめから、警察に言うだろうと思っていたが、交番の自転車が家の前に止まってて、警察を呼んだんだなってわかった。

その前にも交番の自転車が通っていったから、あれは電話ででも呼んだのだろう。おまわりさんは「偶然」といったけど。

 

 

こういうことには緻密なおじさんだからな。

3時間、で自分の保身の手立てを作ったのであろう。

休息のため、のつもりなどでははじめからなかったはずである。

 

 

 

 

わたしは、ストーカー行為と呼ばれる行為には気をつけていたからなにもしていない。

だから事情聴取には全部誠実に答えた。

 

 

今日これからは、もうあなたから連絡することも手紙を書くこともメールをすることもできません、と言われた。

この届をだされた時点から、わたしがかける電話一本は、「ストーカー行為」になるってことらしい。

 
 

ストーカー規制法というのは、一方的に片方が「気持ちが変わった」というだけで「連絡を断つ」ことを求められる。

ようは、警察にお願いする強制力をもった「別れ話」。

 

嫌なパートナーに出逢ったら、警察にいけば現実の世界での関係は簡単に終えられる。

その後、人の想念はそう簡単に始末がつかないから、普通の人たちはその方がずっと大変だとは思うけどね。

 

 

「今までがそうだったのですが、おじさんの方から連絡してこられてわたしがそれに応じたら、ストーカーってことになるのでしょうか」

「お互いの合意があれば、ならないです」

 

 

わたしはもうすでに何度もこの「別れ話」とおじさんからの「復縁」を繰り返してこの堂々巡りに手を焼いていた。

おじさんの認知とわたしの認知の乖離。

ふたりの気持ちだけだと、お互いに自分の都合のよいようにいくらでも都合がつくから、「現実」を他者と共有しなければならなかった。だから、ある意味この恐ろしい乖離が「公」になったことで幾分ほっとした。

 

「彼は、つきあう条件を二つ挙げていて、それができていないのでつきあっていないといっていましたよ」

 

「自立してほしい」と「障りが起きたらつきあえない」。

 

自立はしてるし、障りはあなた方の問題で、結局3年つきあってきて、この間も高幡不動に行きましたけど??

 

「わたしはつきあっていると思っていたから、彼のいうことに応じてました」

「男は性欲は別ですから」

 

・・・・。おじさんそこまで繰り出したのかな。

 

 

もうこれからはわたしが直接話を聞くチャンスはないので、

「おじさんが何を言ったか教えて欲しい」と頼んだ。

 

 

おじさんは、約束の電話をかけず、折り返しても話中になっていたから1度家を訪問した、と言う事実を

「押しかけられた」と「脅迫」されたと訴えた(今気づいたけど、彼は「脅迫」とわたしを訴えたから警察のみなさんがああいう態度をとったのだと思い当たる)ようだ。

 

 

あと「わたしが」呪いの力が強くて娘が仕事に行けなくなったとか、障りを起こす、と言ったらしい。

 

 

毎日祈って祈りという呪いをかけているのは伊勢平氏おじさんの方だ。

そして、高幡不動につれていった日にしろくまさんが死んだのも、もし寿命以外でそうだとしたなら、「わたし」の力ではなく「あなた」の力でしょうよ。

 

5日に高幡不動につれていくのに「いいんだな」っていったのも、「あなたが」、その力を使おうと思ったからでしょうよ。

 

 

だからみえない力を「我よし」に使役しようという人たちは手に負えないのだ。

自分の投げかけたものは、自分に返る。それが法則。

 

 

それを「ナシ」にしてもらおうなどと思うから、この世は荒れる。

 

 

だから、「ナシ」にされた阿波の人たちが怒っているのだ。

この「ナシ」を支えてきたのが、空海の放った「本土を騙した狐」であろう。

 

 

稲荷。

九尾の狐。

殺生石。

玉藻(殺生石はイヌとイノシシ?!飛び出した玉藻のゆくえ 〜美具久留御魂神社と十種神宝)。

 


 

 

 

 

 

1月10日

昨日も一言相談したが、弁護士資格を持った知人に聞いた。

不自然なことが多いと思ったから。

 

「50%くらいの確率で一緒に暮らしているのは娘ではない可能性が高い」と言われた。

 

 

たしかにずっと前になにわの審神者(さにわ)も言った(わたしの中のせめぎあい)。

 

「ホンマに娘か?」

 

 

たしかにそう考えれば合点がいく。

あの異常なまでの隠しよう。

 

5日に因縁の高幡不動に行ったときですら(神事は真剣勝負2 〜因縁の高幡不動へ)、

「秘めてつきあう」などと提案してきたからね。

 

 

わたしを騙した、と思ったら腹が立った。

 

だけど、どこか怒っていない自分もいる。

ああこれで、絶交されては元に戻る、わたしとの関係はいつも後ろ戸のできごとにされて、なかったことにされていたことが明るみに出た、とホッとした。

 

これで同じところをぐるぐる回る輪廻から、上昇スパイラルに変われるかもしれない(緑の石と川を辿ってオオカミの山へ 〜秩父 宝登山神社)。

 

 

贈り物の到着のお礼の電話のついでに聞いた。

「キミを通してくる障り」について。

 

以前に「わたしに変なものはついていませんか」

と聞いた時に、

「ない」

といわれたはずなのに、色情がでるから絶対に「離れなさい」と言われた。

 

 

 

そして神の道を生きなさい、と。

 

 

 

もちろん、伊勢平氏おじさんのところに再び自分からいく気はない。

今までも「美志摩かな」をやることで距離をおいていたが、いよいよ電話することすら犯罪にされたらたまったものではない。

 

 

 

「色情?」そんなもの、わたしには少なくとも、「なかった」はずだった。

人を惑わすなにかがある、ってことはそういえば屋久島の治療師にも言われたけどね。

彼もわたしも結婚回数が多いんで。

 

 

 

 

でも離れられるものならとっくに離れてる。

だって何度もそう決意したんだもの。

 

私の意志とは違う介入があるのには気づいている。
 
 
邪悪なものか、そうでないかも不明。
だからこそ、伊勢平氏おじさんも、高幡不動につれていったのであろうから。
 
 
あれがなければ同じところの堂々巡りは間違いなかった。
痛すぎる経験だけど、わたしは「現実」という手がかりを手繰り寄せることによって、ようやく無限ループに風穴をあけることができたのだった。
 
 
もしわたしがずっと「着信拒否」に耐え、山の別荘の暮らしのように、「秘めてつきあう」に耐えていたとしたら、何者かがさせているこの御用が終わるまで、これを繰り返してわたしは「しろくまさんのような人をみつけてしあわせに」なることも、「赤いワンピースを着て去っていく」こともないはずだから。
 
 
本当にそれが自然で、みなが信じていて、何よりわたし自身がそれを望んでいるというのに、まだそれが起きていないのは、そういうことだと思うから。

 

 

 

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