(速報)大国主再生の琉球の旅 〜遊女の涙が沁みた場所 伊江島のゲニウス・ロキ | かんながら

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からのつづき

 

 

結局、土の宿には泊まらなかった。

今のわたしには楽しめないと思ったから。

 

 

今はわたし、人間と人間らしい暮らしをして関わりたい。

精霊ではなくて。

 

 

Genius Locī

ゲニウス・ロキ。

 

 

この言葉を教えてくれたのは、某ホテルのワインアカデミーでご一緒だったシャネルの似合う大人の女性だった。

彼女も籠の中のお姫様から飛び出して自分の足で生きている、エッセイを書いている力強い女性だった。

深くは話したことはない。

けど、彼女がSNSでコメントで、「ゲニウス・ロキ」って言葉をくれて記憶に残ってた。

そのときにはわからなかった。

 

地霊と書かれていたけど、なんのことだかさっぱり。

 

 

わたしが安須森御嶽にはじめて行ったときで、彼女もそこを知っていた。

 

 

わたしはあの場がなになのか、知らなかった。

白く光る山。

しかもわたしは迷い込んでそこにいったから、通常のルートを回っていない。

 

 

今彼女と「ゲニウス・ロキ」を思い出すのは、もしかしたら、アシムイと、土の宿は関係があるのか。

 

 

彼女も阪神淡路大震災を経験したと思われる。

当時、彼女は神戸の高級住宅街に住んでいたはずだから。

 

 

あの場所の神様は人間から好かれていない。

なんでも受け入れてくれる母なる場所。

 

 

だから、あの場所は、30年以上前、障がいをもった木村浩子さんに託された(やっぱりヒロさん、、、)。

わたしの記憶では、アル中の旦那さんから逃げてあの場所にくることになった。

そして絵を描いたりメッセージを書いたりしてた。

そして彼女を助けようとたくさんの人があの場に集まってあそこに皆が集まる場所ができた。

 

そんな場所に元アル中のコロさんとわたしがくることになって、アル中のお父さんに翻弄された与那原のヒロさんが招集されたっていうのが面白すぎる偶然。

 

 

ノロのトヨさんがいうには、あの土地は「あほごんさん」って人のものだった。

根っこのない神さまでどこかから連れてこられた、っていうような話。

そして神様とのつきあい方が間違っていたから大変なことになった、みたいなことを言っていた。

 

 

あの場所は、人がわがままでいていい土地なんだと思う。

母なるエネルギーを感じる。

実際わたしが初めて訪れたときにはすでに特養があって、認知症が進んだ子ども返りしているお年寄りがたくさんいたはず。

 

 

 

わたしは生まれてはじめて抑圧していた「おりこう」な自分をあそこで解き放ってしまった。サレンダーっていうの?

 

産んでくれた母は、情愛が薄い人だったが、わたしはあの土地に抱かれて、母の前ですべてをさらけだすように、「自分」をさらけだして、なくしてしまったんだと思う。

 

で、今のわたしにはもう「顔」がない。

 

 

裏も表もない。

嫌いな人もいない。

身体があるから「嫌なこと」はある。

でも嫌いな人はいなくて、「嫌なことをする、本当は好きな人」がいるだけ。

 

 

あの土地は、今もすべてを受け入れてくれている。

今回も、わたしをきらきらとあたたかく迎えてくれた。

 

 

でも今の世の人たちには「本音と建前」がある。

「本当は嫌なこと」を笑顔でして、心は泣いていたり怒っていたりする。

 

 

わたしは知らない人が騒いでいるあの場にいたくなくて、普通の民宿に泊まりたいって言ったら親切に送ってくれた。

でも断られたら、歩く覚悟だったよ。

それが人間の優しさだと知っている。

 

 

 

でも、優しさをみせる代わりに心の深い部分にたまる怒りや悲しみを、あの土地の神様は預けてくれるのを待っている。

 

 

地方にいくと思う。

みな、いい人だけど心が疲れている。

 

 

やりたくないことを、「義務」でやっているから。
たぶん、最初は思いやりだった。
でも、今皆に余裕がなくて「義務」になっているのをかんじる。
 
 
たとえば、親の世話。
したくなければしなければいい。
長男だから、世話になったから、そんなの必要ないと思う。
 
 
「したくない」と思うのにも理由がある。
それだけの愛を受けてこなかったとか、自分自身に余裕がないとか。
 
すべては「自業自得」。
 
それでも、こんな最低なわたしに手を差し伸べてくれる人たちがいるように、
打ち捨てた親を代わりに面倒を見てくれる人もいるだろう。
たとえば行政とか、お金を必要として仕事でそれを引き受けたい人とか。
 
 
仮にどうにもならなければ、死ぬだけ。
身体は終わっても、たましいは死なない。
そして、学べる。
 
 
人にもっとやさしくしていればよかった、とか、そういうことを。
 
 
今の世の中は、本当はとても幸せな世の中なはずである。
日本では戦争もなく、飢えて奪い合うこともない。
ちょっと前の一億総中流時代の余裕はなくなってしまったが、戦時中や戦後のあれこれと比べたら、まったきしあわせな時代と思う。
 
でも、しあわせで充足しているからの不幸ってものがあるんだなって感じる。
不幸の多様化。
それに最初に気づいたのは30年近く前のアフリカ。
 
 
彼らは貧しく、水もない不自由な生活の中で、彼らは真っ白な歯をみせて笑ってた。
 
当時ODAが盛んだったころで、アフリカにはたくさんの援助が流れ込んでいた。
「貧しい人たちに愛の手を」
そんな言葉が溢れかえっていたころ。
 
 
彼らの笑顔に触れて、貧しく、かわいそうなのは、わたしの方だって思った。
 
「子どもをとりあげられたから(さびしくて)、ここにきたんだよ」
 
わたしがそう言ったとき、赤ちゃんを抱いた12、3歳にしかみえない女の子は、
「いいなぁ。わたしも旅に行きたい」
そういって笑った。
 
日本では、「子どもをとりあげられて、会わせてもらえない」ってことは、100%「かわいそう」と言われてきた。
だから、わたしは「かわいそうな人」と自分自身も思っていた。
 
 
だけどこの少女にとっては、羨ましいことなのか、と驚いた。
 
 
抱いていた赤ちゃんは彼女の子どもだった。
 

 

 

ホワイトハウスの朝食。

素敵すぎる。

 

宿の奥さんにもう一度「相談したいんですけれど」と聞いてみる。

昨日候補にあがったもうひとりの若いユタさんに連絡してもらって、

 

「とにかく動いて。閉じこもってたらダメ。ビーチにでも行ってみたら。この島は周囲22キロだから歩ける!」って後押ししてもらう。

 

 

 

ということでとりあえず土の宿方面のビーチに向かう。

昨日直会で行ったお店の前には、バオバブみたいな木があった。

 

 

 

伊江節

歌意

東の方へ飛んでゆく美しい蝶よ

ちょっと待ってくれ

わたしの大事な人の許へことずけを

もたしてやりたいから

 

東の方へ飛んでゆく蝶、か。

蝶は、平家の印なんだよね。

 

なにもかもが伊勢平氏おじさん、というか平家。

自分の血の半分だからしょうがない。

祖父の祈りで、わたしは今こうしてこの御用をしているんだから。

 

家を出された父がいうには、伊勢参りの人たちで賑わった船屋をやっていた祖父の家。

置き屋だから、遊女(沖縄でいうジュリ)がいたはず。

 

娼婦は、精進落としのために使われた。

平家の本拠地宮島でもそれっぽい話は聞いたし、概ね「女人禁制」の聖地には必ずあった置き屋。

もちろんわたしが伊勢平氏おじさんと東京で会う時の定番だった内藤新宿も、飯盛女という娼婦がいたところ。

これまた伊勢平氏おじさんの先祖が瀬織津姫を祀っていたっていう豊橋も。

 

 

霊力を授けるためのまぐわい。

男が霊力をもつために、女とまぐわった。

そのために、利用してきた歴史がある。

 

男の言い分としては、金を払ったとか、女も喜んでたとか、そういうところ。

 

 

でも女性は?

わたし、伊勢平氏おじさんとのつきあいでもっとも隔たってるなって感じていたのはそれだもの。

御用と思って「人の心」は全部横に置いて感じないようにしていたけど、わたしは「ないなー」と思っていた。

 

伊勢平氏おじさんが警察にわたしをつきだしたとき、警察で「付き合いって言っても男には性欲ってものは別」みたいなことを男性警官に言われたことは、いまだにわたしの心に昇華できていない悲しみとなって溜まっている。

 
 
 

 

ある海辺で待ち構えていたかのように偶然にであった今帰仁のおじさんから聞いたところによると、ノロとの関係は王族のみが密やかに許された(安曇の庭から琉球へ 〜瓢箪から駒は出るか?!その1 天上界の神様)らしい。

 

わたしがそうだと思っているわけではないが、ノロの血筋というのはそういうことみたいだし、沖縄にはたくさんその血筋の人がいるみたい。

このあと会ったユタの女性も言っていた。

 

 

で、彼女もまた沖縄の人にみえない、色の白い美人だった。

 

ひさしぶりにビーチを歩く。

やっぱり海は癒される。

でもここはわたしの場所ではない感じがする。

やっぱりわたしには広すぎる。

 

 

 

 

午後、紹介された女性を訪ねる。

 

彼女も神ダーリにあい、大変だったそうだが今は元気に活動していた。

神ダーリの渦中にはトヨさんとも一緒に活動したみたい。

 

彼女も人に聞くと人の神様(や使命)に振り回されると言っていた。

 

彼女には、綺麗な大きな狐が横向きでいて、その下が汚いっていう話だった。ようはホトが汚れてるってことみたい。

 

それはもちろんわかる。

間違いなくそれはうちの家がやっていたという遊女たちがひきうけたものだ。

で、わたし今それと同じ目に遭ってるなって思うもの。

 

 

性的な感情向けられるときに、今までは、2人の関係にはきれいなものが流れていたのに、最近わたしに近づいてくる人たちの中には、わたしの力を利用しようっていう純粋でないものを感じるから。

 

 

 

で、亀公園って呼ばれている場所の地下が、洞窟になっていて、そこは、伊江島の陰陽の要で、全世界から7色?の龍神さんが集まる場所なんだけど、整えきれなくて、あなた(わたし)が土の宿の場所、って言われたんだけど、そこは土の宿の場所ではなかった。

 

 

彼女が起こす役割をもたされている神様はそこなんだな、ってわかったけど。

 

そこはたしかに地下から女性の下半身にぐっとくるエネルギーが上がっててなるほどなって思った。

でも埋め立てられた影響で水もなくカラカラしている。

そういえば、そこは、こんこんガマという場所だと言っていた。

 

わたしの知りたい土の宿ではなかったので、「土の宿を霊視してもらえませんか」と頼んだ。

 

そして、「ウサチ龍宮」といって、2番目くらいの神様で、三柱を祀る祠があるけど、神様は繋がってないってことと、

あの場所の外れた場所(それはまさに蝶の歌の歌碑のあった方向)にジュリ(遊女)がいた、という話。

 

 

さっきまさにみて、瀬織津姫を祀っていたという伊勢平氏おじさんとわたしがおそらく伊勢平氏筋の祖父のひきあわせで会ったんだろうなって振り返っていたところだよ。

しかも昨日「しゅんがむい」=塩の神さまって聞いて、(塩をつくる)竈方だった平維盛の子孫とぴったり符合するって思ったばかりだもの(大国主再生の琉球の旅 〜伊江島最後のノロに会う)。

シュンガムイ。

 

 

まさか遊女(ジュリ)もここにいたとは。

土の宿のあの場所が何もかも受け入れてくれるやさしさを持っているのは、遊女の涙が沁みた場所だったからだった。

 

 

おそらく、二柱は土公神と思われるが、

 

 

 

土公神(どくしん・どこうしん)とは、陰陽道におけるの一人。をつかさどるとされ、仏教における「堅牢地神」(けんろうちしん=地天)と同体とされる。地域によっては土公様(どこうさま)とも呼ばれ、仏教における普賢菩薩本地とするとされる。

土をつかさどるこの神は、季節によって遊行するとされ、かまど(古い時代かまどは土間に置かれ、土や石でできていた)、井戸にいるとされた。遊行している季節ごとにかまどや門、井戸、庭に関して土を動かす工事を行うと土公神の怒りをかい、祟りがあるという。

また、土公神はかまどの神(かまど神)ともされ、かまどにまつり朝晩に灯明を捧げることとされる。この神は、不浄を嫌い、刃物をかまどに向けてはならないとされる。

 

 

こちらでは認知されていないもよう。

わたしにはサルタヒコとアマノウズメ、もしくは道祖神、サイの神。

もしかしたら、大黒・恵比寿のコンビのお札がそれかも?そしてそれは弁財天のこと、ってなにわの審神者(さにわ)が言っていたことがあったけどね。

 

どっちにしても、もう龍神に「なんでも飲み込んでもらう」は無理だと思う。

「瀬織津姫の悲しみは?」とか「アマビエ」からきている流れ(瀬織津姫のしあわせは?コロナとアマビエのメッセージ)。

 

もう自然に黙って引き受けてもらえる、って限界を超えている。

 

 

阪神淡路大震災でも、東日本大震災のあとの原発事故でも。

 

日本人は、「神事(かみごと)」によって自然に自分の不始末を、神様に引き受けてもらう仕組みを作ってきたから、自分のやったことを刈り取ることに無頓着のような気がする。

 

 

阪神淡路大震災で、顔を持っていた「わたし」は崩れ去った。

わたしは、それまで「いい人」でにこやかに振る舞っていたが、心では人のことを判断して、裁いていた。

 

東日本大震災で、日々報道される暴走する原発をみて思った。

「これは無限に増殖する人間の欲望と同じだ」って。

 

ふたつの震災を体験して思う。

もう自然に逆らうのはやめてほしい、って。

 

 

自然は人間に挑まないのに、どうして人間は自然に対して挑もうとするんだろう。

 

かつて日本に渡来してきた知恵を持った人たちは、石を切る鉄をもち、水を治める土木の技術を持っていた。

物部の里山をいろんなところで見た。

自然そのものよりも美しかった。

たぶん、世界であんなに美しくまとまった庭はないと思う。

 

 

日本人には、自然に寄り添いながら、人に美しく機能的であるように自然を躾ける力があったのだ、とわたしは思う。

 

それが、日本の力で、大和(ヤマト)の力のような気がする。

 

 

 

ビーチからの帰りに教会によってみようと思った。

 

 

 

聖堂のドアを開けたら話しかけられた。

神父様かと思ったら聖体奉仕者で奥様を亡くしてここにきた、と言っていた。

 

ここにきたときは、シスターがいて、フルーツの木がたくさんあった、らしい。

管理できないので切ったのだそうだ。

エデンの園も1人で管理は難しい。

 

この島にはもうカトリックの信者がなく、神父様もシスターもいなくなって、彼が巡礼者を受け入れているとのこと。

韓国人司祭が訪ねたときにもらったというロザリオと、一冊の本をくれた。

 
 


 

 

 

あしあと M フィッシュバック パワーズ

 

わたしは夢の中で見た。

主と共に海辺を歩む自分と 空の銀幕に映る 過ぎ去ったわたしの生涯の全ての日々とを

なんと砂の上には、毎日の歩みを記すふたりのあしあとが

並んで残っているではないか

 

ひとりのはわたしの、もうひとりのは主の

しかし、ところによっては

一人分のあしあとしか見当たらない

 

それはよりによってわたしの人生で 最も困難でつらく、

耐えがたかった日々にあたっている

そこで、わたしは主に不服を言った

 

「酒よ、わたしはあなたと共に生きることを選び あなたはいつもわたしと共にいると

約束してくださいましたね それなのになぜ、わたしを独り置き去りにされたのですか

それも、わたしが最もつらかった日々に」

 

すると、主はお答えになった

「わが子よ、わたしがあなたを愛していることを あなたはよく知っているはずだ

わたしは一度もあなたを見捨てたことはない 一人分の足跡歯科残っていないところは

まさにあなたを腕に抱き上げ わたしが運んであげた日々だったのだよ」

 

 

コンコンガマ。なぜかピンクの石。

ここのホトは、世界の龍神と繋がっているんだって。

 

 

その上には今はカメ公園。

龍宮城のカタシロ。

 

 

でも逆では。

本来は、女性がカメの上に乗るんだもの。

空海に縁があるはずの、足摺岬の金剛福寺(代々木の街から、土佐・阿波へ 〜その2 梅の山内氏が支えた三つ柏のサダ山の寺)。

 

お会いした女性は、亡くなったご主人は、「香川県」のゆかりの人と言っていた。

だから、「讃岐男と阿波女」の話をした。

陰陽を強調していたけど、この話も、「陰陽」の典型と思われる。

 

 

讃岐では、渇水をめぐる紛争の歴史。

逆に、山一つ越えた阿波では、洪水のための堤防づくりをめぐって、厳しい掟[おきて]や悲惨な闘い、あるいは義民達の多くの悲話が残されている。

したがって、この国は水田をあきらめ、藍作[あいさく]*2で大きな財をなした。

藍商人は阿波大尽などと呼ばれ、全国の豪商として贅[ぜい]の限りをつくしたという。

しかし、米を作れぬ農民の暮らしは哀しい。

米どころ香川に水はなく、有り余る水に苦しむ徳島では米がとれぬというこの矛盾。

阿波徳島では、田植え時、山一つ越えて讃岐の田に女性や農耕牛を貸し、米を得たりした。また、藍の収穫時には讃岐香川から出稼ぎの男が徳島にやってきた。

「讃岐男に阿波女」

ともに良く働き、相性が良いという意味の俚諺[りげん]であるが、阿波徳島の女性にとっては讃岐の米農家に嫁ぐことが夢だったのかも知れない。

 
 

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