pocopanのブログ 「地図がいっぱいある暮らし」

pocopanのブログ 「地図がいっぱいある暮らし」

地図を眺めれば、家にいながら「冒険」の始まり。
毎日をワクワクドキドキの「夏休み」にするためのブログ。

 

房総半島の太平洋岸にある勝浦は夏でも涼しいという噂を聞き、家内と訪ねてみることにしました。勝浦沖の海底は急激に深くなっており、そこで冷やされた海流が勝浦という街を涼しくしているのだそうです。

今回訪ねたのは、正確には勝浦市にある鵜原理想郷(うばらりそうきょう)です。鵜原理想郷は、勝浦湾の西側に突出する明神岬周辺の海岸景勝地を指します。周辺は、起伏に富んだ岬が続くリアス式海岸で、南房総国定公園に指定されており、砂浜が広がる鵜原海岸は日本の渚百選にも選ばれています。さらに岬は先端まで木々や植物にびっしりと覆われています。その複雑な自然造形に惹かれ、古くから多くの文人たちが訪れ、数々の作品を残しています。与謝野晶子は当地に滞在し、76首の歌を詠み、三島由紀夫は「岬にての物語」で鵜原を活写しています。大正初期には当地を別荘地とする計画があり、鵜原理想郷の由来とされています。

さて、早朝の快速電車で終点の上総一ノ宮駅まで一本。ここで乗り換えです。通常は2両編成の列車も、朝のこの時間は10両くらいの長い編成。楽に海側のボックス席に座れます。ただ、海が見えるのは、御宿と勝浦を過ぎたあたりから。勝浦の次の駅である鵜原駅はローカルな無人駅です。ホームに降りると、確かにカラッとしていて、ジトっとした蒸し暑いという感じはしません。駅には改札のゲートもなく、Suicaをかざす機器があるのみ。駅自体が改修中のようです。可愛い郵便局や小さくて短い商店街は祭りの準備中。昭和を感じる佇まいでした。

小さな川沿いに下っていくと、ほどよい大きさの入江には鵜原海水浴場が広がっていました。点在する海の家からは早くもラーメンの濃い醤油の匂いが漂ってきます。ブイに囲まれた海水浴場には、サーファーが多くみられますが、浜辺には子どもたちの姿も見えます。

浜辺の中央には鳥居が建てられています。満ち潮時には、波につかるのか、わからない微妙な位置ですが、一の鳥居のようです。鳥居をくぐるのがはばかれるように祭りのための飾りつけが施されていました。

砂浜の堤防沿いの道を歩くと、とても小さな漁港。その先には手掘りのトンネルがあり、中に入っていきます。反響もよくひんやりとした空間で、ときおり雫が落ちてきます。向こう側が見えているので、安心して歩けます。

トンネルを抜けるると小さな広場。左手の方に、理想郷と書かれた標識に従って、手すりのついた細い緩やかなコンクリート製の階段をゆっくりと登ります。途中立派な公衆トイレがあり、そこからは風通しのよい登山道。しばらくすると分岐点ですが、木々の背が高く、方向が分かりません。地理院地図で見当をつけ、右手の方へ向かいます。ここからは緩やかな小道。草原のような開けた場所に出て、小高い丘の上に設置されたベンチまで上がると尾根道の両側に突如として海が現れます。右側は鵜原海水浴場。左側は絶壁で、太平洋の荒波が谷間のような入江に打ち寄せていました。広々とした風景にカラッとした空気、それに風も気持ち良いのですが、さすがに頭上の日差しが強すぎます。

しばらく周辺を歩き、危険のないように絶壁の縁まで覗き込んだりしますが、そろそろ家内の活動限界なので、退散します。元来た道を戻っていきます。海水浴場も先ほどよりは人が集まっていました。帰り道の商店街で、お店の人から挨拶をされ、パンフレットをいただきました。それによると1週間後の日曜日に「大名行列」が行われるとのこと。商店街の祭りの準備は、このためのものでした。


■コース


①駅周辺の商店街


②鵜原海水浴場と一の鳥居


③鵜原理想郷




さあ、今日も地図を広げて、
涼を求めて、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

この3連休は、地元の街で「稲毛せんげん通りまつり」なるイベントがありました。稲毛浅間神社と周辺で行われる地域のお祭りで、例年、夏の大祭の前夜祭と家内安全・安産子育大祭として2日間の日程で繰り広げられる参道祭りです。この例祭に参拝すると、1年365日お参りしたことと同じご利益があるとされています。いわゆる、稲毛という街の恒例の風物詩というわけです。今年は、14日の日曜日に前夜祭、15日の月曜日の休日に本祭という日程です。

家内との早朝ウォーキングをしない朝は、いつも一人で街を歩き回っています。13日の土曜日は、祭りのポスターでも探そうと歩き回ります。7枚でもポスターが見つかれば、ラッキーなのではないかと、勝手に運勢を占ってみます。注意深く眺めていれば、意外とポスターが見つかりました。やはり、物事は意識しないと脳には入ってこないようです。つまり、日ごろから幸せに通じるネタは意識して探した方がよさそうです。今回の祭りでは、車両の通行禁止区間が少し広がり、その分歩行者が安心して歩けるようです。まあ、駅までは広げた方が良いんじゃないかという意見はありますが、今年はこれで良しとしましょう。祭りの中心となる京成稲毛駅付近には、仮設トイレも設置され、けっこう大掛かりな祭りなんだと感心します。

この、稲毛せんげん通りまつり。例年、個人的には前夜祭の夜店を少し見て回る程度。翌日の本祭のメインとなる子供たちの神輿は、なんだかんだと用事があって、一度も見たことがありません。

さて、昨年からアパートの代表として、町内会の活動に参加することになりましたが、町内会も祭りに合わせてイベントを行います。前夜祭には町内の児童公園で屋台を、本祭には子供たちの神輿担ぎを行なっています。今年は、両日とも完全に仕事が休みなので、フルに手伝ってみることにしました。

日曜日は朝9時から公園で会場の設営です。電灯のコードを大きな木から引っ張るには、やはり、もやい結びとか自在結びが使われます。登山で覚えたはずでが、この10年ほど低山ばっかりで、一連の結び方はすっかり忘れていて、何の役にも立ちません。こうした作業は離れて見守るばかりです。会場設営作業では、プラスのドライバー・ナイフ・ライターなどの小道具が必要なのに、こういう時に限って家に置いてきています。

15時からは、屋台の焼きそばで焼く係。鉄板に油をひいてから焼きあがるまでの工程を三回ほど見て、調理方法を覚えます。まあ、塩コショウだけ全体にしっかり振りかけていれば大丈夫だと思っていましたので、失敗を気にすることはありませんでした。実際には、そんなことを考える暇もなく、ひたすら焼き続けました。汗びっしょりになりますが、夏山登山に比べれば、ましな方でしょう。途中、水を飲んでくださいとのコールがありますが、ちょっと苦笑い。登山の先輩たちから、「水を飲んだらバテル」とさんざん言われてきた世代なので、水をのむことに激しく抵抗感があります。山では水は貴重なので、飲んでしまえばあとで苦しむだけなのですが、ここは平地。ペットボトルの飲料水がずらりと並んでおり、ときたま、口にするようにしました。

翌日の月曜日も朝9時から公園で会場の撤収です。神輿用の本部席だけ残し、後片付け。人が集まれば、あっという間に撤収作業も終わります。

さて、13時に公園に集合し、いよいよ神輿です。神輿は担がずに、台車に乗せたまま子供たちがロープで引っ張るという形式、台車自体は大人が支え、事故が一切起きないようにします。神輿と太鼓の荷台の台車を子供たちが引っ張ります。子供たちが一生懸命声を上げて引っ張る姿はやはり楽しいものです。神輿の行列には、警官たちも同行し、途中、交通整理をしながらの行進。歩行者天国となっている区間では、祭りも最高潮。祭りがこんなに楽しいものかと心の奥底から感じたものです。

後で聞くと、今年が最高の人出だったようです。その分、ゴミの山を心配しましたが、火曜日の朝に歩き回った感じでは、カラスも姿を見せず、比較的綺麗に片づけられていました。ちょっと思ったのが、町内会の盆踊りの実現。いや、でも、準備がめちゃくちゃ大変そうですね。

■13日土曜日


■14日日曜日「前夜祭」


■15日月曜日「本祭」



さあ、今日も地図を広げて、
神輿を担いで、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

先週の日曜日は7月7日で、ちょうど七夕の日。七夕にちなんだ場所へ行ってみたいと地図を眺めてみました。思いつくのは、平塚と秩父の七夕祭りですが、この酷暑に遠出をするのはちょっと苦手。涼しい早朝のウォーキングに徹し、なおかつ七夕を楽しめないかと、ネットサーフィンを続けます。

この関東には、関東三大七夕祭りがあるそうです。
●埼玉県狭山市「入間川七夕まつり」
●神奈川県平塚市「湘南ひらつか七夕まつり」
●千葉県茂原市「茂原七夕まつり」

茂原の七夕はまったく知りませんでした。茂原駅の駅前には七夕のモニュメントがあるとのことで、俄然興味がわいてきたのですが、こちらでは旧暦でお祭りを開催するとのこと。梅雨の合間ではない8月に実施する旧暦の七夕祭りの方が、季節にぴったりなわけですが、まあ今回は、せっかく新暦の7月7日にどこを歩こうかと調べ始めているので、このまま調査を続けます。もっとも、和暦と西暦の両方の暦を使っている日本人は本来器用なのだから、いっそのこと新暦と旧暦の両方を使いこなせばよいと思うのです。私もさっそくそうしてみましょう。

さて、調査の方ですが、近場に星神社はないかと調べているうちに、土浦に七夕神社。そして市川におりひめ神社があることを突き止めます。土浦は遠すぎますが、市川はめちゃめちゃ近くてよさげです。しかも、このおりひめ神社はショッピングモールであるニッケコルトンプラザの一角にあるようです。ニッケコルトンプラザは総武線の下総中山駅と本八幡駅のちょうど中間点にあります。地図をもっとよく見てみると、京成線の鬼越駅の方が近そうです。おりひめ神社は鬼高という地域にあるようで、この辺はどんだけ鬼がいるんだよと鬼殺隊を呼びたくなりますが、よーく調べてみると、鬼高と呼ばれる地域は、鬼越と高石神という二つの町の飛び地が入り組んだ場所で、両者の頭文字を一文字づつとって、鬼高と名付けられたそうです。この地域は、鬼と神が同居していたわけです。

さて、当日の朝は、船橋までは総武快速線。歩いて5分程の京成船橋駅にて京成線に乗り換え、鬼越駅で下車します。改札口には笹飾りがあり、すっかり七夕気分です。短冊には思い思いの願い事が書かれています。

ゆっくりと細い道を南下し、真間川を渡り、総武線の高架を潜ります。ニッケコルトンプラザの入り口は、すでに時代遅れを感じますが、住民たちの往来の激しさを感じる摩耗感があります。でも、ダイエーのマークが残っているところは、残念な感じもしますが、これも愛嬌というものでしょう。

さらに南下すると、鬼高遺跡です。古墳時代後期の集落遺跡。ここからはたくさんの土器が発掘され、いわゆる鬼高式土器の標式遺跡として考古学史上重要な遺跡の一つになっているとのことです。

鬼高遺跡公園をあとにし、ふたたびショッピングモールの方へ戻ります。朝6時開園の門をくぐると、ニッケ鎮守の杜(おりひめ神社公園)です。東屋とベンチが適度に配された、ちょっと西洋風の小さな庭園ですが、花々の背が高く、意外な空間です。奥へいくと、神社がひろがっていました。ここがおりひめ神社のようです。鳥居の神額に「おりひめ神社」と書かれています。まったく七夕らしさはありませんが、隣の稲荷神社といくつかの大き目な溶岩ともに早朝の空気を清澄に保っているようです。もともとは昭和初期に建立された「天照大神」様を祭るお社でしたが、「日本毛織株式会社」の敷地内に長くあったことから、現在の「ニッケ鎮守の杜」の「おりひめ神社」と呼ばれるようになったそうです。

神社を離れると、南側には、千葉県立現代産業科学館。しばらく歩くと、市川市文学ミュージアムの入り口にブロンズ像の「ママ•••ご本をよんで」(大須賀力氏作)が飾られています。中央こども館の脇を過ぎれば、アルミ色の大きなオブジェ「地生-35°43′PORARISへ」。半円の両端を北へ延長すると、北極星があるように作られているようです。これらを見ながら、総武線の本八幡駅へと帰途につくのでした。


■コース


①鬼越駅


②真間川


③ニッケコルトンプラザ


④鬼高遺跡公園


⑤ニッケ鎮守の杜


⑥おりひめ神社


⑦千葉県立現代産業科学館


⑧「ママ•••ご本をよんで」


⑨「地生-35°43′PORARISへ


さあ、今日も地図を広げて、
短冊に願いを書いて、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

先日、四街道の街を歩いたことで、千葉や船橋・成田・東金へと四方へ続く道がある一方、少し南へ進んだところに、東西に延びる一本の道があることに気づきました。御成街道です。徳川家康が鷹狩に使った道です。いったいどこへ鷹狩に出かけていたのかを調べてみたら、東金であることを知り、びっくりしてしまいました。東金駅は、「関東ふれあいの道」を歩くために二度も利用した起点となる駅だからです。しかも、家康が宿泊した御殿は八鶴湖のほとりにあったということで、さらにびっくりです。二度とも冬の寒い夜明け前の幻想的な八鶴湖を鑑賞し、その東岸を歩いていたので、なおさらです。御殿は西岸にあったようで、この機会に家内と湖を一周してみようと思い立った次第です。

東金駅へ向かうためには、外房線で大網駅まで行き、そこで東金線に乗り換えて、二つ目の駅となります。始発の外房線に乗れば、10分ほどの待ち時間で始発の成東行きの東金線に乗車することができました。途中、珍しいことに何度も濃霧にあい、いっそう幻想的な八鶴湖が見れると期待も膨らみます。それにしても、東金という地名は素敵です。想像するに、東の方を見ると黄金色に実った稲穂が一面に広がっていたかのようです。この仮説は間違いでした。もともとは、鴇ヶ峯と言われていたそうで、最福寺境内の山嶺が鴇(とき)の頭に似ていたからだそうです。

到着した東金駅は無人駅。陸橋を渡り、北口から改札を出ます。でも、市役所やショッピングモールがあるのは南側。直接南側へ出ることはできません。なんと北口からさらに陸橋を渡らないと南側へ行けないようです。

北口は昭和の景色が色濃く残る佇まいです。早朝なのでわかりずらいのですが、店じまいしたかのような古風なパチンコ屋やらお店が立ち並び、往時の賑わいがしのばれます。ホテルを改装したようなマンションやら、令和らしからぬ風景が続き、心が和みます。

ほどなくして八鶴湖。曇ってはいるものの、明るい早朝の八鶴湖はどんよりしていて、ちょっと期待外れでした。高い湿度もそんな印象を与えるのかもしれません。千葉公園の綿打池よりもはるかに郊外にあるのだから、もっときれいであってほしかったという期待が強すぎたからかもしれません。さすがに湖面の色が茶色ぽいというのはいただけませんが、クリーン作戦を展開していることは各種看板で伝わってくるので、数年後の湖を思い浮かべることにします。とはいえ、周囲は完全に緑あふれる自然に恵まれているので、これはこれで良しとしましょう。遊歩道が完備されているので、少なくとも湖を一周しようという気にはさせてくれます。

適度に休憩所があり、堂々とした鳳凰山本漸寺山門は歴史を感じさせてくれます。湖に突き出した突端には厳島神社谷弁財天が置かれていて、単調な景色をうまく打ち破ってくれています。もとは小さな湖だったようですが、御殿造営時に、湖を今の形に大きく広げたとのことで、見事に鑑賞に堪えうる風景に仕上がっています。まあ、春はライトアップされた桜と夏は打ち上げ花火とイベントも多彩なようです。

突端の根元には、満開のハスの花。それも、この区画一面です。今まで千葉公園で見ることがかなわなかったハスの花をこの地でようやく見ることができました。

東金高校の正門が珍しいので、近づいてみることにしました。こちらも歴史を感じる正門です。奥の校舎の屋上には天文台。さらに左奥に見えるのはピンク色の洋館。あとで調べてみると、この千葉県立東金高等学校は、千葉高等女学校に続いて設立された千葉県で2つめの県立高等女学校であり、100年以上の歴史があるとのことで、もう少しよく見学しておけばと後悔しました。あと、学校紹介ビデオによれば、天文台に見えたドームは、プラネタリウムでした。

もうすぐ湖の一周が終わろうとするころ、古い三階建ての木造の建物がみえてきました。八鶴館です。1885年(明治18年)に創業された割烹旅館の建物で、国登録有形文化財に指定されています。旅館としては、コロナ時に廃業。現在はレンタルスペースになっているようです。

帰りは、同じ道をたどって、東金駅へ。ちょうど東京行きの電車(京葉線)に乗車することができました。空いている席に座り、慌ててGPSロガーを停止し、肝心の東金御殿跡の案内板を完全に見逃していたことに、今さらながら気づくのでした。


■コース


◎八鶴湖


①鳳凰山本漸寺山門


②厳島神社谷弁財天


③ハスの花


④千葉県立東金高等学校


⑤八鶴館



さあ、今日も地図を広げて、
湖を一周しに、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

ようやく関東地方も梅雨入り。今週の早朝ウォーキングも傘をさしての歩行となりました。今週の目的地は、四街道駅。夏至の二日後なので、雨がふっているとはいえ、外はだいぶ明るくなりました。とはいえ、房総半島はには内房線・外房線・成田線と各種のJRが走っていますが、東京方面に比べると圧倒的に本数が少なく、成田空港に向かう途中の駅である四街道といえども、稲毛駅での始発は05時38分と出だしはかなり遅くなります。いつも4時には起きてしまう老夫婦には、ちょっと時間がもったいないと感じてしまい、昨日コンビニで購入しておいたお結びを家で食べてからの出発となりました。

四街道駅には、ものの13分で到着です。先週の船橋よりも近くにある街ですが、出発が遅いと、かなり遠くの街に感じてしまいます。さっそく北口に出ますが、目の前のレンガ色の広場にはまっすぐ入ることができないようです。ロータリーのまわりを歩き、反対側まで歩かないと中に入ることができません。広場の中央には、駅前区画整理記念碑がそびえています。三人の女性が地球らしい丸い物体を高らかに掲げていますが、案内板などがないので、意味は不明です。平和でも祈願しているのかもしれません。この像の基部から水路が流れており、先端には小さな小便小僧の像が置かれています。本来ならば、この北口にはペデストリアンデッキができあがる予定だったようですが、現在では計画がとん挫しているようで、ちょっと殺風景で中途半端な印象が否めない駅前空間となっています。

駅からえのき通りを西へ進むと、貫禄ある座ったおじさんの後ろ姿のブロン像。と思って、正面から見たら、胡坐を組み物思いに耽る少女像でした。こちらの像も意味不明ですが、どっしりとした存在感のある銅像で、Y路地の片隅の空間のちょうどよいアクセントになっていました。

さらに、西へ進むと、四街道十字路の道標石塔があります。四街道の地名については以前もふれたことがありますが、四つの街道が交差しているとかではなくて、四つ角が由来しているとのことです。

船橋道方面
千葉町道方面
東金道・馬渡道方面
成田山道方面

四つ角がある場所はいくらでもありますが、この辺りの江戸時代は広大な原野でしたので、四つ角自体が珍しかったのでしょう。明治時代になると、開拓が始まり、順番に「初富(はつとみ)」、2番目が「二和(ふたわ)」、3番目が「三咲(みさき)」、以下「豊四季(とよしき)」「五香(ごこう)」「六実(むつみ)」「七栄(ななえ)」「八街(やちまた)」と、13もの街ができていきます。豊四季という街がある通り、四街道は開拓地ではなく、単なる四つ角から軍事基地へと変貌していきます。

さて、ここからは進路を南へとります。踏切を超え、しばらく細い路地を歩くと、美しが丘近隣公園と思しき森が見えてきます。しっかりとしたコンクリート製のゲートを潜ると、大きな窪地にできた公園が広がっています。水生植物のしっかりと覆われた調整池があり、その池の周囲の遊歩道の外側は樹木がしっかりと生い茂っています。全体的に長細い公園なので、奥まで見通せませんが、奥には児童公園があり、長めのローラー滑り台や遊具がそろっているとのことです。雨足が強くなってきたので、調整池の一周も断念し、次の目的地へと向かいます。

美しが丘第1児童公園に到着。公園の入り口には、虎竹秀芳氏作の「かざぐるま」の像が置かれています。背景の木々の緑が肝心の風車を見えにくくしていますが、女の子がしっかりと風車を支えているという感じで、ちょっとほっとするような銅像です。こちらの公園も窪地にできており、階段を下ると、木々にしっかりと囲まれた公園がひろがっていました。二つの吊り下げられたタイヤの遊具が面白そうです。再び、緩やかな坂道を上り、駅方面と向かいます。

四街道駅の南口のロータリーには、特にモニュメントは置かれておらず、閑散としています。駅の階段を降りると、ちょうど逗子行きの快速電車が到着したので、あわてて乗り込みました。雨がはげしく振り出したせいか、乗客も少なく、こうして静かな日曜日が始まるのでした。


■コース


①駅前区画整理記念碑


②物思いに耽る少女像


③四街道十字路


④美しが丘近隣公園


⑤美しが丘第1児童公園




さあ、今日も地図を広げて、
ビニール傘をさして冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

今年は、2月が29日まである閏年なので、オリンピックが開催される年です。まもなくパリオリンピック。もっとも、前回のパリオリンピックの1900年は、100で割り切れるけれど、400で割り切れなかったので、平年でした。何事も例外はあるものです。前回といえば、あまり記憶に残っていませんが、東京オリンピックでした。このときのサーフィン会場は千葉県の東浪見海岸でしたが、内陸にあるパリ大会のサーフィン会場はどこだろうと調べてみました。ヨット会場は地中海に面したマルセイユ。これはある程度予想できました。では、サーフィンはノルマンディー海岸あたりかと想像を膨らませますが、正解はなんとタヒチ島。パリから見てほとんど地球の裏側にある島ですけど、選手や関係者たちは開会式とかどうするのでしょうか。オンライン開会式なんですかね。

オリンピックは、金銀銅のメダルを競うということで、独特な雰囲気に満ちています。各メダルを英語にすると、ゴールド・シルバー・ブロンズですが、ブロンズという言葉には少し違和感があります。ブロンズって青銅なのでは。銅の英訳は、「copper(カッパー)」なので、ここでも、世界の常識と日本の常識は違うのだと思い知ります。青銅は、銅Cu を主成分とし錫Snを含む合金です。青銅があるのならば、赤銅はあるのでしょうか。「赤銅色の肌」という表現があり、銅に3~5%の金を加えた合金です。象嵌細工などの日本の工芸品に用いられる日本独自の合金のようです。白銅は、銅を主体としニッケルを10%から30%含む合金となります。

さて、銅といえば、どの街にも銅像はあります。もちろん、銅像といっても、主な原材料は青銅になるわけで、結局は「ブロンズ像」になります。「青銅像」とは言わずに「銅像」と象徴的にひとくくりに表現してしまうところに日本語の妙があるようです。なかには、車田正美先生の「聖闘士星矢」のように、青銅聖闘士(ブロンズセイント)ときちんと表現している作品もあります。

うちら老夫婦が暮らす稲毛の街にもすぐれた銅像がいくつもあるのですが、少し離れた船橋の街には、ちょっと変わったユニークな銅像から力作の銅像までそろっているということで、少しばかり家内と訪ねてみることにしました。

早朝の5時過ぎには早くも船橋駅に到着。夏至が近いので、外はすでに明るくなっていますが、小雨の降る中を折りたたみ傘をさしながらのウォーキングです。最初に向かった場所は、船橋市民文化ホール。ここには、菊池一雄作の「ふれあい」という像があります。二人の少女像ですが、これは、もう見事です。二人の背中の距離間。二人の座席の微妙な高低差。一人はのびのびと、もう一人は控えめにとポージングが素敵です。なので、どのアングルから見ても、構図が様になります。あと、見えそうで見えないところも、秀逸かと。蛇足ですが、同じ広場には、太宰治の植えた夾竹桃がありました。

次は、本町中央公園です。ここには「海からの風」と題された裸婦像があります。公共の場に裸婦像が置かれているのは、世界的には珍しいようで、日本だけのようです。銅像は明治以降に普及してきました。戦前はもっぱら軍人像が増えていきますが、戦中の金属供出や、戦後のGHQの軍国主義排除の指導により、代わって登場したのが、歴史性や政治性の薄い「乙女の像」です。亜細亜大国際関係学部の高山陽子教授(文化人類学)によると、裸婦像には平和の象徴のような意味合いがあり、日本で初めて公共空間に置かれた女性裸体像は東京・三宅坂の「平和の群像」(1951年)で、「ここで平和の意味付けがなされた」と指摘されています。以降は、脈絡もなく駅前などに裸婦像が設置されるにいたります。まあ、混浴などに見られるにように、多少なりとも日本には性の解放感があるように、個人的には思えます。

このまま船橋大神宮の方へ向かい、海老川に到達します。この海老川には、数多くの橋がかけられ、各橋には特徴あるブロンズ像が置かれています。これらの橋を訪ねる「海老川十三橋めぐり」というウォーキングコースが船橋市によって選定されています。今回は、海老川橋と八千代橋の二つを訪ねます。別名「長寿の橋」と呼ばれる海老川橋には、「歴史・商業」をイメージしているといわれるブロンズ像が置かれていました。小舟の船首に竜と仙人らしき人物という像。少し小さいのが残念ですが、猛然と河口を目指して突き進んでいるという感じです。あと、ここには、船橋の地名の発祥の碑もあります。八千代橋には、「漁業・豊漁」をイメージした魚のブロンズ像が置かれていました。

さて、先の二つの橋の間には、変わった銅像があります。かっぱとシーラカンスの像です。かっぱは、海へ流れる川が集まる船橋らしい妖怪ですが、シーラカンスはちょっと意味不明です。この謎の銅像について調べてみると、「シーラカンスは、デボン紀、古生代より行き続けた生命力の強い深海魚であり、河童は我々を擬人化したものである、共に永遠の生命と万物の生態系の回復と市民健康のもと、速歩一万歩への道標としてこの像を設置する 船橋海老川災害対策協議会 平成八年七月十四日建立 寄贈 内海 功・内海 幸子」とのことでした。個人の寄贈なんですね。

川をあとにし、近くの大神宮下駅から京成線で船橋駅へ出て、総武線を使い帰宅するのでした。


■コース


①船橋市民文化ホール


②本町中央公園


③海老川橋


④八千代橋


⑤かっぱとシーラカンスの像




さあ、今日も地図を広げて、
ブロンズ像のある街へ冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

先日の東京新聞(2024年05月22日)に掲載された片山由美子さんの「私の東京物語」の第5話で原宿の竹下通り近くに「ブラームスの小径」という異空間が紹介されていましたので、さっそく先日の早朝ウォーキングに家内と出かけてみました。

JR新橋駅から東京メトロを銀座線・千代田線と乗り継ぎ、明治神宮前駅で下車。エレベータで地上階に上がると、JR山手線上に架かる広々とした神宮橋。その向こう側にはこれまた深々と茂った森があり、奥には明治神宮が広がっています。反対側を見れば、表参道が一直線に延びています。もちろん、明治神宮のために造営された参道です。冬至の朝には、この参道の延長線上から太陽が昇るとのこと。ケヤキの並木道としても有名で、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」のひとつになっています。

さて、そばにはJRのモダンな原宿駅です。原宿駅は明治神宮に近い駅でもあり、皇室専用ホームがあることでも有名ですが、竹下通りに直結している小さくて狭い竹下口の方が知られているかもしれません。この竹下口を大いに利用してしまい、その結果、この原宿駅が西洋風の素敵な駅舎であることに気づかない人が多いかもしれません。まさに「神宮の森の緑とマッチしている西洋風の駅舎」という理由で、1997年に「関東の駅百選」に認定されています。でも、この肝心のハイカラっぽい駅舎がいつのまにかなくなっており、びっくりしたものです。2020年以降は今のモダンな新駅舎となっていますが、2026年の冬に旧駅舎のデザインが復活するとのことで、駅舎の奥では、まさに現在進行形の工事中となっていました。

竹下通りへ向かう途中、木造かと思うような複合施設「WITH HARAJUKU(ウィズ原宿)」を見つけます。鳥居を思わせる木材に、家内はシロアリを心配しますが、耐火基準を満たしているはずので、心配はないはずです。早朝でも、竹下通りを行きかう人は少なからずいますが、路地を一つ離れると静寂とした異空間です。ブラームスの小径はそんな異世界の一つでした。レンガを組み合わせた清潔そうな細い道が延びています。両側も木々に覆われたレンガ造りの洒落た建物。石造のライオン像に豪華な門構えとバルコニーのある建物。そして、いかめしい表情のブラームスの胸像。満開のアジサイ。蔦をあしらった洒落た街灯。わずか200mほどの小径でしたが、まさに異空間でした。

ブラームスの小径から通りを横切ると、再び小径が続きます。おそらくここがモーツアルト通りのようです。ちょっと殺風景な感じでしたが、奥に進むにつれ、通りを彩るデザイン群に出会えます。スペイン風の壁絵。パテオ風の噴水のある広場。通りの出口で振り返ると、モーツァルトの肖像画のタペストリーにモーツァルト通りと書かれた標識が見つけられます。

目の前には、東京中央協会がそびえています。ここが教会通りのようですが、そろそろ引き返すことを考えます。帰りは、まだまだ人気の少ない竹下通りを歩きます。通り過ぎる人は、酔っ払って足取りのおぼつかない人と、足早に通り過ぎる人の二極化です。人よりも、落ちている食べ物をついばむ鳩の数の方が多いくらいです。この通りなら、鳩たちも食事には困らないことでしょう。定番のクレープ屋にメイド服を中心にすえたコスプレ店が立ち並びます。最先端の「KAWAII」を発信する竹下通りということですが、昭和レトロを感じるのは、うちら老夫婦だけでしょうか。

帰りは、千代田線一本で二重橋前駅まで。JR東京駅までの長くて広い地下道には、むかしの東京駅周辺の写真が数多く展示されていて、ここでも昭和を思い出すのでした。


■周辺図


●神宮橋


●表参道


●原宿駅


●竹下通り入口


●ブラームスの小径


●モーツァルト通り


●竹下通り



さあ、今日も地図を広げて、
クラシックを聴きながら冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

広島といえば原爆ドーム。人手に渡ってしまった両親の実家は山口県にありましたが、帰省の際はもっぱら通りすぎるだけで、自らの足で広島の街を歩いたことは一度もありません。修学旅行で広島に行ったことがある家内は、原爆ドームと資料館をもう一度観たいと訴えていましたが、わざわざ立ち寄るほどの動機はありませんでした。

先日の地図ラーの会の「地図だらナイト」でのテーマが「推し橋」。このとき十字のかたちをした小名木川のクロスバー橋の話が出ました。十字や目黒川のK字の橋はあっても、T字の橋はなかなか聞かないなと思っていたところ、なんと原爆ドームの近くにあるという話が出てきました。その橋は相生橋というらしく、そのT字自体が原爆投下の目標になったのだと聞き、これはちょっと見ておきたいと思いました。

先日、山口県の老人ホームで暮らす母が入院したということで、急遽お見舞いに出かけることになり、この機会に広島に寄ってみようと思い立ちます。金曜日に休みをとり、早朝の新幹線で新山口駅へ。ローカル線を乗り継いで病院へ向かいます。とりあえず元気そうな母の姿を確認し、山陽本線で新山口駅へ。その日のうちに新幹線で広島まで戻り、この地で二泊することにします。

広島は市内に6本の美しい川が流れることから「水の都」と呼ばれていますが、ホテルへ向かう道すがら、横切るいくつかの川は清潔そうでお洒落な印象。そもそも、この辺一帯の三角州が大きな島に見えたことから「広島」と名付けられています。ホテルは、京橋川に架かる柳橋近くで、駅から徒歩10分程度のところにありました。

「エンホテル広島」に宿泊しての印象は、まさに穴場のホテルでした。価格も安く、従業員はみな笑顔で対応。四角形の中央に吹き抜けがある建物で、回廊とエレベータの周囲に客室がある構造。割り当てられた部屋は京橋川を見下ろす部屋で眺めは抜群でした。翌朝の朝食はビュッフェ形式で一人1500円。少食の老夫婦には親切な小さなお盆と小皿での盛り付けで、美味しい料理を堪能することができました。

まずは、帰りの切符を確保するため、広島駅へ。土曜日にもかかわらず通学する女子高生たちの白いセーラー服が眩しいこと。切符を無事に購入し、原爆ドームへ向かおうと、バス乗り場を探しますが、駅前が工事中のため、案内板が良く分からず、仮設タクシー乗り場へと足が向かってしまいました。

原爆ドームは圧倒的な存在でした。相生橋も見学。思わず、上空を見上げてしまいます。平和記念資料館にも足を伸ばしますが、とても言葉では感想を伝えることができません。自分の目で確かめて欲しいところです。まだ午前の10時くらいですが、広電と呼ばれる路面電車に乗り、休憩のため一度ホテルへ戻ります。

午後3時に活動を再開。京橋川に沿って歩きます。京都鴨川のテラスのような喫茶店が立ち並び、お客たちが談笑しています。異世界な空間に見ているだけでも癒されます。水の都ともいわれるだけの景色です。

縮景園は見事な回遊式庭園。広島藩浅野氏の別邸ということで、安芸藩は浅野家だったのかと一瞬驚きますが、有名な忠臣蔵の赤穂藩浅野家は別家なんですね。太閤検地を実施した浅野長政の子孫ということで、実直にかつ地道に領地経営を行い、明治維新後も華族として活躍します。

縮景園からタクシーに乗り、鯉城とも呼ばれる広島城へ。堀に囲まれた平城なので、秀吉没後の築城かと思いきや、毛利輝元のお城ということで、驚くことばかり。天守閣自体は明治以降も現存していましたが、原爆により完全倒壊します。原爆投下時の広島城には空襲警報を発令する中国軍管区司令部が置かれていました。原爆投下の前日の夜には中国方面に対する数度の大規模空襲があり、総員徹夜で対応。早朝の7時過ぎに飛来した一機の気象観測機B-29(広島上空の天候を伝える)に対しても空襲警報を発令し、市民も防空壕に避難しますが、すぐに解除。このときの気象観測機の報告を受けたエノラ・ゲイ号は目標を広島に決定し、爆撃投下目標地点である相生橋を目指します。このエノラ・ゲイ号を含む三機のB-29に対しても空襲警報が発令されますが、市民への伝達が間に合わず、元安橋上空で原子力爆弾が爆発します。地下にあった防空作戦室自体はかろうじて残り、被爆の第一報を送信したそうです。さて、青い空を背景に天守閣を仰ぎ見つつ、堀の向こう側にあるサッカー場「エディオンピースウイング広島」から聞こえる熱狂的な歓声に耳をすませ、平和を噛みしめます。

京門口にある喫茶店「からはし」で生ジョッキとランチのセットで夕飯とした後は、広電の八丁堀駅へ。広電は基本的に東西に延びていますが、ここでは北へ向かう線路があることに気づきます。ポイントはどうやって切り替えているのかと思って調べてみたら、ポイントの手前での路面電車の速度で切り替えていることがわかりました。ポイントの手前の架線の前後に2点のスイッチがあり、10秒以内に2点を通過すれば直進、11秒以上掛けて通過すれば分岐、ということで半自動になっているとのことです。

翌朝の5時にはチェックアウトし、始発の「のぞみ」東京行きで帰宅するのでした。

■周辺図

●原爆ドーム


●平和記念公園


●京橋川


●縮景園


●広島城




さあ、今日も地図を広げて、
平和を祈りながら、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

昨年に引き続き、町内会の役員に選ばれ、先週末は文化部という分科会に参加することに。今年一年の活動のアイディアを募るということで、鑑賞したい美術館や歩いてみたいウォーキングコースなど、いろいろな文化的な候補地が上がります。そんな中でリニューアルされたという千葉公園の話が登場。千葉公園といえば、大賀ハスが有名で、6月上旬に開花が始まり、6月中旬から7月上旬にピークを迎え、8月上旬には咲き終えるそうです。また、ピーク時には「大賀ハスまつり」が開催されるとのこと。その千葉公園について詳しく話を聞いてみると、野球場のスタジアムがなくなり、マウンテンバイクのプレイランドに生まれ変わったとか。さらに、競輪場もドーム型に変身したとかで、これはもう行ってみるしかありません。

そんなわけで、先週の日曜日の家内との早朝ウォーキングは千葉公園となりました。いつものように家内の膝の具合を考慮し、千葉駅から千葉公園、そしてモノレールの作草部駅へと抜ける、およそ2キロの道を歩くことにします。

当日はJR総武線の千葉駅で下車。中央改札を抜けて千葉公園口から外に出ます。目の前に延びる道路は千葉公園通りと呼ばれ、大きい通りに沿って歩けば、そのまま千葉公園にたどり着けますが、千葉公園への行き方を示す案内板は近道を示していました。

厳島神社前の横断歩道を渡れば、千葉公園の入り口。一周五百メートルほどの綿打池と呼ばれる池の方へ歩くにつれ、周囲の土手が盛り上がり、一種のサンクンガーデンの様相をていした、安心して落ち着ける空間に変わっていきます。サンクンガーデンとは、半地下に造られた庭園状の空間のことで、開放的な造りにより視覚的にも立体的に楽しめることから、人々が集う憩いの場所として、近年さかんに建築設計に取り込まれています。都市部のオフィスビル、ホテル、商業施設などで見られる公園で、代表的な例としては、東京オペラシティ サンクンガーデンがあげられます。

綿打池を過ぎ、まだ開花していないハス池を見ながら、バラの花が咲くコーナーへ。土器を中心に据えたモニュメントの先には小さなSL「C型タンク飽和蒸気機関車」が置かれていました。昭和36年から44年にかけて川崎製鉄千葉製鉄所で原料や資材の運搬に使われ、その後千葉市に寄贈されたそうです。見た目、小さくて可愛いSLで、公園の良いアクセントになっています。

土手を上がると、目の前で銀色に輝くドームは屋内競輪場「TIPSTAR DOME CHIBA」です。世界的にはスタンダードな250mの木製バンクの競技場で、PIST6(250競走)と呼ばれる競輪が行われているそうです。ドーム内にはおしゃれなバーやレストラン・ショップなどがあり、競輪ファンでなくても楽しめるとか。野球ファンでないうちら老夫婦でも野球場は結構面白いと思ったので、意外と楽しめるかもしれません。競馬場だと独特な匂いが漂っているけど、競輪場などそういうこともないですしね。

右手のこんもりした丘に近づくと、一目見ただけでも、かなりの起伏がある人工のコースが作られていました。今年4月26日にオープンしたパンプトラック「PIST6 PUMPTRACK CHIBA」です。パンプ(Pump)とは自転車の空気入れのことですが、自転車の速度をコントロールする体の動きも、空気入れの動作に似ていることから「パンプ」といい、その専門のコースのことを「パンプトラック」と呼ぶそうです。30年以上も自転車に乗っていない私には、とても走れそうもないコースです。

競輪場のドームの奥にも、銀色に輝く建物があります。リニューアルされた体育館「YohaSアリーナ 〜本能に、感動を。〜」だそうで、この変わったアリーナ名は、5年間の命名権を得た拓匠開発が命名しています。「YohaS」は、毎年6月に開催されるオオガハスをテーマにした夜のアートフェスのことだそうで、略称は「よはアリ」です。外には、バスケットボールの3×3コート。内には、メインアリーナ・サブアリーナ・各種道場(柔・剣・弓)があり、入り口付近のお洒落なショップが目を惹きます。

オシャレに生まれ変わった千葉公園を離れ、最寄りのモノレールの駅へ向かいます。ほどなく作草部駅に到着。乗車したモノレールから、先ほどの千葉公園を見下ろしつつ、千葉駅へと向かうのでした。


■コース

 




さあ、今日も地図を広げて、
リニューアルされた公園へ冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

毎月、月末に開催される「地図ラーの会」の「地図だらナイト」。毎回テーマに沿って、2時間半ほどだらだらとおしゃべりをする会です。今回5月のテーマは「城」ということで、まずは、城の魅力をリストアップしてみます。

・雄大な天守閣
・大胆かつ精緻な石垣と城門
・水鳥が舞い遊ぶ堀
・武家屋敷と商人たちの城下町
・戦略的な観点で選ばれた絶好地
・敵の侵入を阻む様々な仕掛け
・城主の偉大さを称えるための美しさ
・歴史の重み

つまり、地域のランドマークであり、シンボルでもあります。

では、どんなお城を推しましょうか。正直なところ、西洋中世の城から日本の戦国時代の城、城跡や古城に城塞都市と城下町など、古今東西のいろんなお城が思い出されてしまい、毎度のことながら収拾がつきません。一つに絞るどころか、三つに絞るのも難しいところです。昨年11月にアップした記事【「塞王の盾」】にも多くの城が登場しますが、まずは思いつくままに、書き記してみようと思います。


◆籠城戦で敵軍から民を守りぬくお城
まずは民を守るために籠城戦でジーンと熱くなるお城からです。

大津城
歴史小説「塞王の盾」今村翔吾作
琵琶湖よりも高いところにある堀に揚水した原理がいまだにファンタジーですが、石垣職人「穴太衆」と鉄砲職人「国友衆」の宿命の対決は、最後まで「矛盾」つまり矛と盾との壮絶な戦いとなり、感動を呼んでくれます。いつか映画化されることを楽しみにしています。

ミナスティリス城塞
ファンタジー小説「指輪物語」 ‎J・R・R・トールキン作
物語の前半部分を描いたラルフ・バクシ監督のアニメ「指輪物語」を見てから、後半を知りたくなり、夢中になって読み耽りました。闇の力により、夜明けがなくなった城塞。押し寄せるオークとトロルの軍勢。上空には、人々を恐怖に陥れるナズクルと呼ばれる翼竜。その首を切り落とし、首領を打ち倒すローハンのエオウィン姫の活躍など、これが空想の世界なのかと感動したものです。言葉には尽くせません。


◆もう一度出かけてみたくなるお城
小さいころ、親戚に連れられて大阪城や姫路城・松江城といろんなお城を巡っていますが、不思議なことにあまり記憶が残っていません。名古屋城と松本城と五稜郭は多少の記憶が残っているものの、もう一度訪れたいというほどではありません。理由は簡単です。若い時分には城を見る目がなかったというわけです。さて、小諸城や首里城など行ってみたいお城はいくつかあるのですが、ここでは、もう一度行ってみたいお城をあげてみたいと思います。

シンデレラ城
「シンデレラ城ミステリーツアー」に参加したことがありますが、現在は「シンデレラのフェアリーテイル・ホール」になっているとかで、ぜひとももう一度出かけてみたいものです。

金沢城
妻と30年の真珠婚の記念に出かけたお城です。ブラタモリでも紹介されていた、お城への給水システム。サイフォンの原理を利用しているとかで、わざわざ水路を確認したりしました。兼六園と合わせて見学したいところです。東海道新幹線は騒がしく気ぜわしいという感じがしますが、北陸新幹線だと静かで落ち着いていてというイメージがあり、もう一度行きたくなる要因かと思っています。

江戸城
皇居東御苑内に天守閣跡が今も残っており、必見の価値ありです。そもそも、皇居を一周するだけでもウォーキングコースとしては最適ですし、神田川や水道橋による上水路、渦巻き型に拡張していった城下町、多重に張られた都市伝説っぽい結界など、魅力満載の城塞都市です。

妻籠城跡
木曽路にある山城の跡です。JR中央西線の南木曽駅から木曽路に沿って歩けば、妻籠宿の手前で城跡への標識に出会います。山の頂からは谷間に細々と広がる妻籠宿を一望できます。この景色が好きで、何度も出かけています。まあ、ここに城があったら、容易には突破できないでしょう。

砂の城
GoogleMapで地元周辺の城跡を探していたら、偶然に見つけたお城です。家内と行って見てびっくり。かなりの大きさのある砂でできたお城でした。


◆謎解きが面白いお城
城といえば殺人事件です。数多くの「〇〇城殺人事件」を読んできましたし、これから読んでみたい作品はまだまだたくさんあるのですが、いつも思い出す作品に登場する城です。

人狼城
推理小説「人狼城の恐怖」二階堂黎人作
ギネス認定、世界最長の推理小説で、4巻で構成されています。ライン川の両側にそびえる双子の城という地理的な設定がなかなか秀逸です。第1巻はドイツ側の城での殺人事件。第2巻はフランス側の城での殺人事件。第3巻は名探偵が登場しと、ほとんど内容を忘れているので、再読したい推理小説です。

有岡城
歴史推理小説「黒牢城」米澤穂信作
織田軍に包囲された有岡城の城内で起きた殺人事件。城内の動揺を抑えるため、城主荒木村重が頼った名探偵は、牢屋に閉じ込めた黒田官兵衛なのでした。

瑠璃城
推理小説「瑠璃城殺人事件」北山猛邦作
ほとんどストーリーを忘れてしまいましたが、白い十字架の巨石や塹壕の地図など、断片的なシーンを思い出すことが多く、もう一度読んでみたい小説です。


◆内部から敵軍を翻弄するお城
主に第二次世界大戦などの戦争ドラマや映画に登場するお城です。

コルディッツ城
BBCドラマ「コルディッツ大脱走」
もはや50年近く前の深夜ドラマでしたが、当時はすごく嵌まっていました。第二次世界大戦中、ドイツ軍が連合軍士官用の捕虜収容所として使っていた古城です。捕虜となっていた連合軍将校たちはグライダーを作ったり、高さ38mの時計台のシャフトに地下トンネルの入り口を作ったりと、まさに奇想天外。でも、主人公の脱出ルートは意外にも警備兵のいる中庭を抜けていくという極めて大胆でシンプルなものでした。


アドラー城
映画「荒鷲の要塞」
城の出入りにはロープウェイしかない弧城。ロープウェイ上でのアクションは今でも懐かしさいっぱいです。全編にわたって緊張感のある作品でした。


◆お姫様を助け出したくなるお城
ヨーロッパのどこかにある架空の小国で、一般人がお城からお姫様を助け出すというストーリーの作品群を「ルリタニアン・ロマンス」と呼びます。「ゼンダ城の虜」のゼンダ城や「オルシニア物語」のモーゲ城など、魅力的なお城がいくつも登場しています。

カリオストロ城
アニメ「ルパン三世 カリオストロ城」
お姫様を助け出すと言ったら、もう、このお城しかないでしょう。オートジャイロから、お城の衛士隊対埼玉県警機動隊、次元の対戦車ライフルと五エ衛門の斬鉄剣対暗殺部隊の「カゲ」、時計塔とローマ遺跡など、心をくすぐるアイテムやらギアに乗り物・武器・その他キーワードがてんこ盛りです。


◆作ってみたくなるお城
リヒテンシュタイン城
ペーパークラフト「リヒテンシュタイン城」
お値段も手軽で、組み立ても簡単そうだったので、毎日毎日少しずつ組み立てて完成させました。書棚に飾ってヨーロッパ中世の雰囲気を楽しんでいます。ちなみに、この城、リヒテンシュタイン公国にはありません。南ドイツにある城です。城名は、騎士物語の題名からとられています。


世間では「御城印」なるものが流行っているみたいです。価格も1000円以内のようですし、千葉県だけでも100箇所で頒布しているので、機会があれば集めてみようかと思います。



さあ、今日も地図を広げて、
お姫様を助けにお城へ冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。