イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。
長尾は何のしっぽ?⑫のつづきです。
長尾寺はしっぽ関係では気になりまする
ムラムラ妄想が絶頂にたっすると!
千葉氏の妙見信仰の月星とは!
月=スサノオ
星=北極星(航海の方角を示す)
千葉氏=天叢雲の子・天種子命の末裔
千葉氏は、阿波の伊笠山に祭られる天二上命の尾だ!
かな? たぶん、、、妄想では
朱砂の尾
でした。
千葉一族が讃岐にいたのか調べたら高松藩にもいた。
高松藩の白井氏
白井氏十三代、白井志摩守幹時(通称:民部少輔、志摩守、金兵衛)。
父は、白井下総守入道胤治『異本小田原記』によれば、
「…無双の軍配の名人白井入道、折節弓箭修行に来りて、此城にありしが、敵陣を勘へ見て申しけるは、今度大敵発向すといへども更に恐るべからず、敵陣の上に立つ気、何れも殺気にして、田老に消ゆる、味方の陣中に立つ軍気、皆律気にして王相に消ゆる間、敵敗軍疑いなしと申しければ、皆頼もしくぞ思ひける、果して打勝ちけるぞ不思議なる…」とあり、白井入道は修行の身として臼井城に在城していたと記載。
母は千葉介胤富娘。幹時は小田原合戦で千葉宗家が所領を追われ浪人。のち、豊臣秀吉に見出され、1586年正月18日、丹波国に五千石を与えられて養子の関白・豊臣秀次に付けられた。しかし、秀次が秀吉に疑われて切腹させられると隠居して名を金兵衛と改め、田舎に住んで生涯を終えた。
秀次の家老として、若狭白井氏の末裔である「白井民部少輔政胤」があるが、関係性は不明。
以前の探検で
狭=長
だったよ
白井志摩守幹時の次女・良は、大坂夏の陣のとき、豊臣秀頼の正室・千姫(徳川秀忠の娘)に従って大坂城を退去し、旗本・豊島忠次(作右衛門忠泰とも)と結婚して五男をもうけた。
長男・白井平兵衛勝久は、母方の白井氏を称して旗本となり、その孫娘は江戸城大奥年寄となった絵島※(江島、本名:みき)。
※絵島(正:江島)(えじま、1681年ー1741年5月24日)は、江戸時代中期の江戸城大奥御年寄。歌舞伎役者・生島新五郎とともに、江島生島事件の中心人物。天和元年(1681年)、甲府藩士・疋田彦四郎の娘として三河国で誕生。江戸で育つ。実父・彦四郎の死後、母が旗本・白井平右衛門久俊に再婚し、養女となる。はじめ尾張徳川家、次いで甲府徳川家の桜田御殿に仕え、藩主・徳川綱豊(後の徳川家宣)が江戸幕府6代将軍になるとともに大奥入り。
江島生島事件(えじま いくしま じけん)は、江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の江島(絵島)が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件。絵島生島事件、絵島事件ともいう。
勝久の弟・白井所左衛門伊忠は伯父で水戸藩大老の白井左馬助伊信の養子となって徳川頼房に仕え、頼房の長男・松平頼重(水戸光圀の兄)が讃岐高松藩を立藩すると、1538年、頼重の家老として高松に赴いた。
松平頼重+龍+犬。松平頼重:讃岐国高松藩の初代藩主。高松松平家の祖。水戸藩2代藩主徳川光圀(水戸黄門)の同母兄
1822年1月11日、松平頼恕の代、伊忠の四代の孫・白井総兵衛尹良が家老に抜擢。彼は1827年2月1日に隠居し、家督は嫡男の白井総兵衛尹民が継いで家老職に就任した。
尹民は天保8(1837)年6月21日に家老を辞し、天保12(1841)年7月6日、子・白井監物尹凝が家老職に就任。
明治元(1868)年の幕末の動乱で土佐藩より征討を受けたとき、同職の大久保飛騨とともに走り回り、高松を救った。
子孫は高松藩家老として明治時代に至った。
絵島は、甲府藩士・疋田彦四郎の娘として生まれ、後に白井平右衛門久俊に養女として迎えられた。彼女は尾張徳川家や甲府徳川家の桜田御殿で仕え、大奥に奥女中として入った。絵島は徳川家宣の側室であるお喜世の方に仕え、その右腕として活躍した。
音戸の瀬戸は、広島県呉市にある本州と倉橋島の間に存在する海峡。 瀬戸とは、海峡を意味。かつて音戸は隠戸、隠渡とも表記した。瀬戸内海を横切る主要航路は、朝廷によって難波津から太宰府を繋ぐものとして整備された。市杵島姫命とは、龍である紀氏の島の女性であると勝手に妄想。平清盛の厳島神社への信仰は、祭られる宗像三女神は、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神らで宗像大神、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれるあらゆる「道」の最高神ととしての福岡県宗像市にある総本宮宗像大社を意味しているととれ、巫女=大蛇=龍=鰐。鰐である紀氏の姫への信仰と妄想してみる。讃岐なら紀氏といえば、讃岐国司紀夏井、その祖は、第8代・孝元天皇、その妹は、倭迹迹日百襲姫命、弟は、桃太郎(吉備津彦)こと彦五十狭芹彦命。つまり、市杵島姫命は、紀(杵、姫)の女性なんじゃ!?
白井氏は、元々下総国白井荘を本貫とする千葉姓の武士だったが、安芸に移住してきた。彼らは府中の惣領家に対して、仁保島(現在の広島市南区黄金山)を拠点とした分家筋として成長し、周辺海域を支配した。
絵島つながりで調べると、
藤原鎌足が亡くなり、唐の第三代皇帝高宗に嫁いでいた娘は、父の追善のため三つの宝物を贈った。しかし、都への船が志度浦にさしかかったところで、宝の一つ「面向不背(めんこうふはい)の玉」が竜神に奪われた。玉を取り戻すため、鎌足の子の不比等は身分を隠して志度へ来たとき海女と契り、房前が生まれた。数年後、不比等は素性を明かして玉の奪還を海女に頼む。海女は「わたしが玉を取り返してきましょう。その代わり、房前を藤原家の跡取りに約束してください」と竜宮に潜っていった。・・・さぬき市志度にある海女が玉を取り上がった真珠島
また、江島生島事件の絵島(江島)は江戸時代中期の江戸城大奥の御年寄で、白井氏の一族。
絵島は、甲府藩士・疋田彦四郎の娘として生まれ、白井平右衛門久俊に養女。彼女は尾張徳川家や甲府徳川家の桜田御殿で仕え、大奥に奥女中として入った。絵島は徳川家宣の側室お喜世の方に仕え、右腕として活躍。
千葉氏は、日本の武士であり、関東地方に根付いた国人。元々下総国白井荘(現在の千葉県白井市)を本拠としていたが、安芸国に移住して水軍勢力として成長し、安芸の府中を拠点とした。
音戸の瀬戸(海峡)は、広島県呉市にある本州と倉橋島の間に存在する海峡で、かつて音戸は隠戸、隠渡とも表記。瀬戸内海を横切る主要航路は、朝廷によって難波津から太宰府を繋ぐものとして整備された。清盛は、鰐がいる安芸国一宮・厳島(宮島)神社への参詣航路を何が何でも作ろうと思っていたように妄想。
道祖神
塩竈明神=塩椎神=塩土老翁・塩筒老翁=塩土老翁=白髭大明神=猿田彦命
青面金剛は青色。過去の探検で、青色=緑泥片岩(青石)=鉄=赤色。青面金剛=猿田彦大神=クナト神(フナト神、車田神事)