イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。

イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。セキセイインコ青
 

「伊」の紋章

 
 
 
探検してると、〇〇尾とか、尾がよくでてくるように思います。
例えば、石清八幡宮、長寺、張など
 
菅原道真さんの友、明印さんの長尾寺
屋島の戦いへ向かう源義経が前を通ったであろう長尾寺
村上天皇の血筋と妄想の静御前、その母、磯禅師が得度の長尾寺
 

長尾寺はしっぽ関係では気になりまするビーグルしっぽ猫しっぽ牛しっぽ熊しっぽ黒猫しっぽ

 

 

長尾寺流れ星御詠歌
「あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ」
山鳥の尾。
なぜ山鳥の尾?うーん
 
 
 
 
本道はいづこ・・・叫び
 
大阪~奈良の長尾街道(ながおかいどう)は、大仙陵古墳(伝、仁徳天皇陵)から奈良葛城の長尾神社への道です。
 
讃岐の富田茶臼山古墳から阿波の那羅そして葛城は、大きな古墳から葛城、似てます。グラサン
 
 
讃岐にも「長尾街道」があり、脇道ばかりですが妄想探検中です。グラサン
讃岐の常盤橋~長尾寺の長尾街道(ながおかいどう)とは、
江戸時代に高松藩によって讃岐(高松)五街道として制定された旧街道(高松藩街道)のひとつ。
香川県道10号高松長尾大内線の旧道にして前身。
江戸時代当時、玉藻(高松)城外堀に架けられた常磐橋を起点とした、四国八十八箇所第87番札所長尾寺への東讃地域東西より延びる参拝道路の性質を持つ旧街道。
 
 
前回、

ムラムラ妄想が絶頂にたっすると!

千葉氏の妙見信仰の月星とは!

 

月=スサノオ

星=北極星(航海の方角を示す)

千葉氏=天叢雲の子・天種子命の末裔

千葉氏は、阿波の伊笠山に祭られる天二上命の尾だ!

かな? たぶん、、、妄想では

朱砂の尾

 

でした。

 

 

 

 

 

千葉一族が讃岐にいたのか調べたら高松藩にもいた。

 

 

高松藩の白井氏

 白井氏十三代、白井志摩守幹時(通称:民部少輔、志摩守、金兵衛)。

 父は、白井下総守入道胤治『異本小田原記』によれば、

「…無双の軍配の名人白井入道、折節弓箭修行に来りて、此城にありしが、敵陣を勘へ見て申しけるは、今度大敵発向すといへども更に恐るべからず、敵陣の上に立つ気、何れも殺気にして、田老に消ゆる、味方の陣中に立つ軍気、皆律気にして王相に消ゆる間、敵敗軍疑いなしと申しければ、皆頼もしくぞ思ひける、果して打勝ちけるぞ不思議なる…」とあり、白井入道は修行の身として臼井城に在城していたと記載。

 母は千葉介胤富娘。幹時は小田原合戦で千葉宗家が所領を追われ浪人。のち、豊臣秀吉に見出され、1586年正月18日、丹波国に五千石を与えられて養子の関白・豊臣秀次に付けられた。しかし、秀次が秀吉に疑われて切腹させられると隠居して名を金兵衛と改め、田舎に住んで生涯を終えた。

 秀次の家老として、若白井氏の末裔である「白井民部少輔政胤」があるが、関係性は不明。


以前の探検で

狭=長

だったよ



 白井志摩守幹時の次女・良は、大坂夏の陣のとき、豊臣秀頼の正室・千姫(徳川秀忠の娘)に従って大坂城を退去し、旗本・豊島忠次(作右衛門忠泰とも)と結婚して五男をもうけた。
 長男・白井平兵衛勝久は、母方の白井氏を称して旗本となり、その孫娘は江戸城大奥年寄となった絵島※(江島、本名:みき)

絵島(正:江島)(えじま、1681年ー1741年5月24日)は、江戸時代中期の江戸城大奥御年寄。歌舞伎役者・生島新五郎とともに、江島生島事件の中心人物。天和元年(1681年)、甲府藩士・疋田彦四郎の娘として三河国で誕生。江戸で育つ。実父・彦四郎の死後、母が旗本・白井平右衛門久俊に再婚し、養女となる。はじめ尾張徳川家、次いで甲府徳川家の桜田御殿に仕え、藩主・徳川綱豊(後の徳川家宣)が江戸幕府6代将軍になるとともに大奥入り。

 江島生島事件(えじま いくしま じけん)は、江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の江島(絵島)が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件。絵島生島事件、絵島事件ともいう。

 勝久の弟・白井所左衛門忠は伯父で水戸藩大老の白井左馬助信の養子となって徳川頼房に仕え、頼房の長男・松平頼重(水戸光圀の兄)が讃岐高松藩を立藩すると、1538年、頼重の家老として高松に赴いた。

 

松平頼重+龍+犬。松平頼重:讃岐国高松藩の初代藩主。高松松平家の祖。水戸藩2代藩主徳川光圀(水戸黄門)の同母兄

 

 1822年1月11日、松平頼恕の代、伊忠の四代の孫・白井総兵衛が家老に抜擢。彼は1827年2月1日に隠居し、家督は嫡男の白井総兵衛尹民が継いで家老職に就任した。

 尹は天保8(1837)年6月21日に家老を辞し、天保12(1841)年7月6日、子・白井監物が家老職に就任。

 明治元(1868)年の幕末の動乱で土佐藩より征討を受けたとき、同職の大久保飛騨とともに走り回り、高松を救った

子孫は高松藩家老として明治時代に至った。

 

 

 

 
高松藩の白井氏は下総白井氏の庶流で、代々高松藩の重臣となった。
また、絵島は江戸時代中期の江戸城大奥の御年寄で、白井氏の一族であることが知られている。
絵島は、甲府藩士・疋田彦四郎の娘として生まれ、後に白井平右衛門久俊に養女として迎えられた。彼女は尾張徳川家や甲府徳川家の桜田御殿で仕え、大奥に奥女中として入った。絵島は徳川家宣の側室であるお喜世の方に仕え、その右腕として活躍した。
 
千葉氏は、日本の武士であり、関東地方に根付いた国人。
彼らは元々下総国白井荘(現在の千葉県白井市)を本拠としていたが、安芸国に移住した。
彼らは水軍勢力として成長し、安芸の府中を拠点とした
 

音戸の瀬戸は、広島県呉市にある本州と倉橋島の間に存在する海峡。 瀬戸とは、海峡を意味。かつて音戸は隠戸、隠渡とも表記した。瀬戸内海を横切る主要航路は、朝廷によって難波津から太宰府を繋ぐものとして整備された。市杵島姫命とは、龍である紀氏の島の女性であると勝手に妄想。平清盛の厳島神社への信仰は、祭られる宗像三女神は、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神らで宗像大神、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれるあらゆる「道」の最高神ととしての福岡県宗像市にある総本宮宗像大社を意味しているととれ、巫女=大蛇=龍=鰐。鰐である紀氏の姫への信仰と妄想してみる。讃岐なら紀氏といえば、讃岐国司紀夏井、その祖は、第8代・孝元天皇、その妹は、倭迹迹日百襲姫命、弟は、桃太郎(吉備津彦)こと彦五十狭芹彦命。つまり、市杵島姫命は、紀(杵、姫)の女性なんじゃ!?

 

 
 

白井氏は、元々下総国白井荘を本貫とする千葉姓の武士だったが、安芸に移住してきた。彼らは府中の惣領家に対して、仁保島(現在の広島市南区黄金山)を拠点とした分家筋として成長し、周辺海域を支配した。

絵島つながりで調べると、
絵島は、兵庫県淡路島の北側にある小島で、国生み神話に登場する「おのころ島」とも呼ばれている。
海人(あま)が活躍した明石海峡を背景に、長年の風波に洗われ描き出された造形美がおのころ島に見立てられた。約2000万年前の神戸層群岩屋層の砂岩や礫岩からできており、古くから景勝地として知られ、多くの和歌にも詠まれている。
淡路島の北端に浮かぶ島で、国生み神話に登場する「おのころ島」伝承地の一つ。
 
 

藤原鎌足が亡くなり、唐の第三代皇帝高宗に嫁いでいた娘は、父の追善のため三つの宝物を贈った。しかし、都への船が志度浦にさしかかったところで、宝の一つ「面向不背(めんこうふはい)の玉」竜神に奪われた。玉を取り戻すため、鎌足の子の不比等は身分を隠して志度へ来たとき海女と契り、房前が生まれた。数年後、不比等は素性を明かして玉の奪還を海女に頼む。海女は「わたしが玉を取り返してきましょう。その代わり、房前を藤原家の跡取りに約束してください」と竜宮に潜っていった。・・・さぬき市志度にある海女が玉を取り上がった真珠島

 

 
千葉一族が讃岐高松藩の白井氏
高松藩の白井氏は下総白井氏の庶流で、伊邪那美を表すと勝手に妄想の「高松」、代々高松藩の重臣。
また、江島生島事件の絵島(江島)は江戸時代中期の江戸城大奥の御年寄で、白井氏の一族。
絵島は、甲府藩士・疋田彦四郎の娘として生まれ、白井平右衛門久俊に養女。彼女は
尾張徳川家や甲府徳川家の桜田御殿で仕え、大奥に奥女中として入った。絵島は徳川家宣の側室お喜世の方に仕え、右腕として活躍。

千葉氏は、日本の武士であり、
関東地方に根付いた国人。元々下総国白井荘(現在の千葉県白井市)を本拠としていたが、安芸国に移住して水軍勢力として成長し、安芸の府中を拠点とした。

の瀬(海峡)は、広島県呉市にある本州と倉橋島の間に存在する海峡で、かつて音戸は隠戸、隠渡とも表記。瀬戸内海を横切る主要航路は、朝廷によって難波津から太宰府を繋ぐものとして整備された。清盛は、鰐がいる安芸国一宮・厳島(宮島)神社への参詣航路を何が何でも作ろうと思っていたように妄想。
 
厳島神社に祭られる市杵島姫命とは、龍である紀氏の島の女性であると妄想。
平清盛の厳島神社への信仰は、祭られる宗像三女神は、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神らで宗像大神、主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれるあらゆる「道」の最高神ととしての福岡県宗像市にある総本宮宗像大社を意味しているととれ、巫女=大蛇=龍=鰐。
 
 
鰐である紀氏の姫への信仰と妄想してみると、讃岐なら紀氏、讃岐国司・夏井、その祖は、第8代・孝元天皇、その妹は、倭迹迹日百襲姫命、弟は、桃太郎(吉備津彦)こと彦五十狭芹彦命。
つまり、市杵島姫命は、紀(杵、姫)の女性と妄想した。
 
 
 
千葉氏の妙見信仰は、衣笠山に祭られる天二上命(スサノオ=朱砂の尾)である北極星。
空海は、北極星スサノオを見つける印・北斗七星を勧請。
菅原道真の共である長尾寺の僧「明印」は、「男山相応の地に八幡神社を建立せよ」との天皇勅命で鰐川と妄想の津田川沿いにに男山神社を建立。
この鰐川は、仁徳天皇の皇后・磐之姫が、3世紀から4世紀にかけての古墳群があり、眉のごとにみえる北山(高地性集落遺跡)があるさぬき市津田の難破津から阿波の那羅、そして葛城へ移動した那羅街道と妄想。
 
千葉氏の高松藩家老の白井氏とは、
以前、の探検で、白=霊的(神聖)
 
井=イ
つまり、神聖なイの国を表す
 
 
奥の細道「旅立ち」「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、・・・」三里とは、天津久米であり、紀、伴(大友)なんだ!
 
 
紀氏の「三里」と同様に表に出さない(出せない)が、
 
きっとイの国の誇りを胸に刻んだと妄想
 
 
 
 
千葉氏の尾の白井氏は、
イの国の誇りを胸に刻んだ名だ!
 
 
 
 
日本人の名で様々な「い」とつくのは「イの国」なんじゃ!
 
ないかい?
 
 
 
 
ご注意ください!
すべて、誤解されてばかりのイ探の勝手な妄想ですよ。
 
 
 
 
 
 
 
妄想が暴走すれば、妄想は加速してゆく
 
見えない過去が知りたくて 見えない過去を打ちまくる
 
本当のイの八麻戸国を見せておくれよ
 
妄想暴走 走ってゆく
妄想暴走 どこまでも
 
妄想暴走 走ってゆく
妄想暴走 どこ まで も
 
 
 
ではまた。滝汗
このブログを、高松城を無血開城のため切腹した2家老および関係の方々に捧ぐ