イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。グラサン
 
先の探検では、陸奥、福島県のクニを探検しました。
奥の細道の冒頭に三里うんぬんは、粂(天津久米、久米氏)のこと、大和、月読命の勢力圏、素戔嗚尊の影響のことを言っているとの妄想でした。
福島県には、飯盛山があり、讃岐の飯野山のこと。
よって、 我が精鋭の探検隊員を送り込んで飯盛山を探検しています。
 
 


庚申塔かな?

神明神社、白人神社近く












青石 緑泥片岩




阿波の庚申塔らの例

辻ごとにある感じ真顔



 

四国八十八結願のさぬき市の大窪寺近く



前回
イの国探検隊は、やっとここで
正宗寺三匝堂(栄螺堂)と、在原業平、桜(神阿多都姫)、延命地蔵、静御前の母・長町磯の故郷東かがわ市丹生小磯、倭迹迹日百襲姫命を祭りその後ろの正面に孝霊天皇を祭る水主神社、彦五十狭芹彦命(吉備津彦命、桃太郎)・倭迹迹日百襲姫命の兄の孝元天皇、大彦命、阿部、三輪、紀夏井、久米、清和天皇、塩釜、暗殺の崇徳天皇、豊島、豊玉姫、紀伊、熊野、祖谷、神阿多都姫、王子神社、神功皇后、西国三十三所、摂津、明印、菅原道真、長尾、男山神社、難破(さぬき市津田)、鵜のべ山、屋島、鸕鶿草葺不合尊、稲飯命、法然、清和源氏の源(多田)満仲、志度寺脇の自性院、阿波神山にある卑弥呼の悲願寺がごく細いが、やわらかく艶やかな糸でつながったようで、一つの頂に立った境地に達しました。昇天
 
 
素戔嗚さんに映像を見せられ結成した異端イの国探検隊

これまでの探検により、鰐=竜=蛇=亀=丸を知り、さぬき市津田は難破で隣町旧大内町丹生小磯は静御前の母・長町磯さん出身地であり村上天皇の血筋と思われる。アマの玉盗り伝説の補陀落山志度寺から摂津へ旅立つ。
静御前は空海と同じ雨ごい。
伴氏・紀氏が政界から消された応天門の変、補陀落渡海
竜宮、大山祇の山あて、神阿多都姫(コノハナサクヤヒメ=祖谷=熊野=伊勢神宮内宮)
鴨部にあり武蔵秩父国造等の祖で四国讃岐にゆかりの多い神ではない天ノ下春命の志多張神社が鎮守の極楽寺、東国
会津の飯盛山と正宗寺のさざえ堂、鸕鶿草葺不合尊と稲飯命の後裔法然上人、どれも暗に鰐を中心に事が起こっているように妄想します。驚き
 
 
 
 
今回、
 
鵜葺草葺不合、稲飯命の子孫で、飯野山、飯盛山に繋がる法然上人


難破津


鵜葺草葺不合が眠ると妄想の鵜のべ山古墳3世紀


鵜葺草葺不合が生まれた伝承の鵜の羽大明神


ヒミコ妹ともヒミコともいわれる祭神を元祭った、ちきり神社の元地

いまは、松平家の菩提寺法然寺がある


飯野山

金毘羅宮から望む


松平家墓地前の墓


松平家墓地


ちきり神社の狛犬は、繭玉を持つ






さぬき市から出土の三角縁神獣鏡



牛頭天王を祭る滝宮神社

東隣りには天満宮がある

西側には空海伝えるうどん発祥地

綾川






百襲姫を祭る水主神社


後ろの正面に孝霊天皇



ヒミコが酒作りを伝えた天河神社

亀に鶴が乗る







法然上人

 

讃岐配流と晩年
讃岐国滞在は10ヶ月と短いものであったが、九条家領地の塩飽諸島(丸亀市の)本島や西念寺(現・香川県仲多度郡まんのう町)を拠点に、75歳の高齢にもかかわらず讃岐国中に布教の足跡を残し、空海の建てた善通寺にも参詣している。
 
 
法然を偲ぶ法然寺も高松市に所在する。
 
 

法然寺 

美作国久米南条稲岡庄に父の漆間時国と、母の秦氏のひとり子として誕生した浄土宗の祖、法然上人は、興福寺が、専修念仏が一門に偏執し他宗を軽んずる点を非難し、法然らの処罰を朝廷に訴えたことが発端「承元の法難」で1207年、75歳にして京から四国に配流となり小松庄(現まんのう町)生福寺に籠居し念仏を説かれること10カ月間、法然上人の足跡が讃岐にとどめられることとなった。
その後、江戸時代のはじめ、初代高松藩主松平賴重公は、法然上人の徳を慕って上人ゆかりの生福寺を高松に移し、藩主家菩提寺「仏生山来迎院法然寺」を開く。

二河白道に導かれ、極楽浄土へ到る、浄土思想をこの世のものとする伽藍配置で、極楽浄土をこの世に現す寺として、また庶民に開かれた寺として、讃岐の人々の信仰を集めて今日にいたっている。

法然上人二十五霊場の第二番として、四国では唯一の札所。

 

 

それから461年後の1668年に松平頼重が生福寺跡を仏生山来迎院法然寺として復興した。

 

ヒミコもしくは、その妹が祭られるとも言われる、ちきり神社西側には、高松藩松平家の菩提寺 法然寺が見えます。山上が以前の鎮座地らしい。上の方に以前は随身門だろう山門が見えます。

「承元の法難」配流された法然の移動は、土佐国→讃岐国→摂津国

法然と土佐国、讃岐国、摂津国が登場。

 

摂津は西国三十三所観音巡礼と配流の法然がつながる。

 

讃岐と法然は、飯野山=飯盛山に祭られるのは、ウガヤフキアエズと玉依姫の子である「稲飯命」

 

興福寺で思い出す過去の探検で、赤い亀の「赤」とは、水銀朱とすれば、思い出すのが藤原北家の興福寺の三面六臂の阿修羅像は元は朱色「赤」。

 

三面六臂=庚申塔の女性ショケラをつかむ青面金剛

庚申塔2000基超えの密集地帯=阿波徳島(一部東讃)

 

青面金剛は青色

過去の探検で、青色=緑泥片岩(青石)=鉄=赤色

青面金剛=猿田彦大神=クナト神(フナト神、車田神事)

 

 

阿修羅像は、北家の南円堂には安置されず、その外。

 

興福寺は法相宗。

(法相宗は、興福寺、薬師寺、法隆寺の3寺が大本山、1950年に法隆寺は聖徳宗を名乗って離脱し、興福寺・薬師寺の2本山が統括。1965年に京都の清水寺も北法相宗として独立)

 

法相宗で四国につながるのは四国八十八霊場15番札所・薬王山金色院国分寺「阿波国分寺」。

 

阿波国分寺創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗であり、寺領は二町四方(218.18m×218.18=47,602.512㎡)で、ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。弘法大師空海が弘仁年間(810〜24)に四国霊場を開創の巡教の際に、宗派を真言宗に改。

 

阿修羅像のある興福寺と「阿波国分寺」が法相宗でつながる。


これまでの探検で、亀は龍(虹)、蛇であり鰐、赤いは阿修羅と妄想。

稲飯命は鰐とも呼ばれる。

 

赤い亀=阿修羅・亀

亀=鰐(龍、蛇、虹)

鰐=稲飯命(金比羅大権現)

 

稲飯命=法相宗

 

 

法然は稲飯命(鸕鶿草葺不合尊)、藤原北家の興福寺は法相宗で薬師寺、法隆寺、清水寺とつながる。興福寺にある朱塗りの阿修羅像は三面六臂で赤=青、青面金剛(猿田彦大神)につながり、庚申塔密集地は阿波。

阿修羅像は興福寺でも脇に置かれている。

つまり、法然(稲飯命)を非難の興福寺は、法相宗(稲飯命)でつながるものの阿波は脇に置いている。

北家の興福寺は、法然を非難する=稲飯命を非難した構図。

 

藤原北家といえば、「応天門の変」で伴氏(大伴・大友)、紀氏を政界から追放。

その後、武家の台頭が始まる。

 

北家の興福寺

VS

法然=稲飯命、伴氏(大伴家持、菅原道真)、石清水八幡宮の紀氏(讃岐国司紀夏井、紀貫之)。鰐

 


なんじゃないかいの

グラサン

 

 

 

法然寺すくな!

妄想も収束してるんじゃないの


長くなったので今日はここまでっす。

 

ではまた。グラサン