あくまで、私見です。
たまに、脱線します。
悪しからずご了承下さい。![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/033.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/033.png)
モモソヒメの痕跡があります。
![にやり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/056.png)
香川と徳島西部でみられる積石塚だが、粗く積んだ石に土をかぶせて墳丘を作り、県内で類例のない築造方法という。
この神社は、色々伝えている
そう、
箸墓古墳に埋葬されているんじゃないかなとおもわれているヒメです。
はい、邪馬台国関係でーす。![UFO](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/130.gif)
![UFO](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/130.gif)
しかも、
イヨの二名国なのにアングラ扱いの四国でーす。
興味ない方さようなら〜![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/063.png)
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/063.png)
日本書紀では「倭迹迹日百襲姫命」
やまとととひももそひめのみこと
または、
やまとととびももそひめのみこと
古事記では「夜麻登登母母曽毘売
やまととももそびめ
と表記されているそうな
記紀等に伝わる古代日本の皇族、
第7代孝霊天皇皇女
大物主神との神婚譚(しんこんたん)や箸で陰部を突いて亡くなった、巫女的な女性です。
箸でアソコを突いてって、なんじゃ?![秘密](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/521.png)
![秘密](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/521.png)
たぶん、子宮は生命誕生の神秘的霊力があると信じ
、特に先輩のヒミコが凄かったから恐れて封じる為に刺した
のではなかろうか?
![おばけ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/283.png)
![おでん左](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/500.png)
また、この辺りの時代から、権力を男が腕力
で奪ったからではないかなって想像します。
![パンチ!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif)
つまり、コ ロ シ ?!![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
名称のうち
「トトビ」は「鳥飛」、
「モモ」は「百」、
「ソ」は「十」の意味と見られ、
「鳥飛」から脱魂型の巫女を表すという説があるそうです。
私的にはモモは「百」ってところが、一番気になります。
なぜなら、
現在の高松市仏生山町(ぶっしょうざんちょう)は昔、百相村(もまいむら)でした。
百は桃で、呪力があるものと、解されると思います。
なぜ、百相村なのかは不明ですが、近くには、倭迹々日百襲姫命を祀っている船山神社があります。
脱線します。
近くの、讃岐一宮 田村神社も同じ御祭神です。
そこにある鉄の鉾先は、もと船山神社にあったと地元の方に聞いた事があります。
最終的に田村神社の地に落ち着いたのではないかと、思います。
田村神社の別当に一宮寺があり、弘法大師の足跡があります。空海もイの国探しに気になる存在です。
はい、戻って
そりゃ、その御祭神の「百」かな
百相村
私的には「百襲姫に会える」意味だったんじゃないかな〜って思う。![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/006.png)
![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/026.png)
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過去の人だが、まだ民に慕われていたんだと思います。紀夏井さんのように![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
狛犬は、何も踏んでない造形
嘉永年間設置
この船山神社、社伝では、
倭迹々日百襲姫命、上古讃岐の東部に来り給い、更に移りて当地船山に登り給う。
(きたー!
船山情報は、後に出ます)
![お願い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/025.png)
地讃岐の中央にして好き所なりと賞でし給いしにより、祠を之を奉ず。
地名百相(倭名鈔百相毛毛奈美)は命の御名によって起れりと。
![にやり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/056.png)
さらに、
彦五十狭芹彦命は百襲姫命の弟である
と、
(「讃岐の東部来り給い、更に移りて船山・・・」とあるのは、
東かがわ市なのは、分かります。
それは、別に書きたいと、思います。)
創建は天平年間で、
初め浅野村船岡山に鎮座されていたと
池の向こうに百襲姫が眠る?
船岡山 確かに古墳があります(下記)
手前の溜池を造り、残土で古墳を築いたもよう
元、船山神社⛩が、あったそうな(下記)
[船岡山の船山神社]
古く船山、船山神社と称へられ
三代實録に「天慶五年十一月十四日、戊午授、讃岐国正六位上、船山神社従五位下」とあるは当社なり
と、あるそうです。
[船岡山古墳]
円形の墳丘の両側に方形の墳丘がつく「双方中円墳」
香川と徳島西部でみられる積石塚だが、粗く積んだ石に土をかぶせて墳丘を作り、県内で類例のない築造方法という。
形態や出土品から、古墳時代前期前半(3世紀中頃~4世紀前半)と推定
出土埴輪の破片は、同時期の石清尾山古墳群(高松市峰山町など)から出土したものとは異なり、異なる文化や政治的背景を持つ集団が存在していたと推測できるそうです。
出土品は、畿内や吉備(岡山県)の影響を受けていたそうです。
[仏生山町の名前について]
1207年(建永2年)小松庄生福寺が法然上人(1133-1212)によって建てられた。
法然上人とは、
崇徳帝の長承二年四月七日(太陽暦五月二十日)
美作国久米南条稲岡庄
(現在の岡山県久米郡久米南町)に
地方豪族である父の漆間時国と、母の秦氏のひとり子として誕生
幼名を 勢至丸 (せいしまる)
それから461年後の
1668年に松平頼重が生福寺跡を仏生山来迎院法然寺として復興した。
そして門前町は、仏生山の呼び名となる。
その後仏生山を含むこの地域は百相村(自然村)と呼ばれるようになったとのこと
明治初年時点の阿波徳島藩の
「旧高旧領取調帳」に記載されている村に
- 百合村、百合谷村
- 興味深い
まとめると
百襲姫は、讃岐の東の地から移動して来た
百襲姫は、船岡山周辺が気に入ったから居着いた。そして、溜池など高い土木技術を持っていた。
百相村とは、百襲姫の名前から付けた(会えるからでしょう
)
![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/067.png)
仏生山町が百相村
百襲姫は最終的に田村神社辺りに居ついた
徳島県にも百合の地名あり、関係は、不明
→鷲敷村→鷲敷町
また、
桃の瓦があったとされる那賀町平野の蔭宮八幡神社、今は無くなっている。
桃の木彫りがある神社は、
阿南市加茂町 八幡神社
那賀町鷲敷 仁宇 丹生八幡神社
那賀町鷲敷 仁宇 百合(もあい)八幡神社
など
阿南市加茂町 八幡神社
那賀町鷲敷 仁宇 丹生八幡神社
那賀町鷲敷 仁宇 百合(もあい)八幡神社
など
これらのことから、
倭迹迹日百襲姫命は、讃岐の東の地から移動して現在の高松市仏生山町に来たのは、間違いない
と、私は思います。
![おーっ!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/080.png)
徳島県の百合や
説明
金比羅さん関係でも昔からの風習が、百襲姫と大国主を物語っていると思っている事が、あります。いずれ、探検して書ければ良いと、考えています。
ではこのへんで、![モグラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/198.gif)
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