イの国探検隊ファンの皆様こんにちは

 

今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!

 

 

 

 

屋島の源平合戦場近くの神櫛王墓

宮内庁管理

 

佐藤次信らの墓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道路に挟まれた三角地に鎮座してます。

中讃地域の善通寺市にあります。

弘法大師空海の生まれた善通寺は近いです。

 

神櫛(かんぐし)神社


御祭神は、
神櫛王命(かんぐしおうのみこと)

神櫛王とは?
第十二代景行天皇の王子で、讃岐の国造りの始祖で、
日本武尊の異母弟に当たるとのこと。
「古事記」では、神櫛王は木国之酒部阿比古・宇陀酒部らの祖
生没年不詳
日本書紀では「神櫛皇子」、

古事記では「神櫛王」、

他文献では「神櫛別命」「神櫛命」「五十香彦命」

「紀記」とも事績の記載はないとのこと。

 

東讃では神櫛王のことを

讃留霊王(さるれお、櫛梨神社社伝等)

西讃地域では武殻王(たけかいごのみこ、日本武尊の子)のこととしている。

 

 

 

構えた姿勢 躍動感があります

 

 

 

飛び掛かりそうです

噛まれました(失言)

ゲラゲラ

 

 

拝殿

 

 

 

本殿

 

境内社:祗園神社、土居荒神

 

 

空海の総本山善通寺の東を守る東の門社だそう

県下に24社も祀られているそう

 

→女子が、大人と同じ幅の広い帯を結び始める儀。

明星が隕ち、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く数え7歳の十三詣り

→星=北極星、それを見つける北斗七星 →航海 →海神

→星が落ちる

那珂郡神野郷に住む、神櫛王の裔である益甲黒麿の庭に、天から落ちてきた少女(星)を黒磨が大人に育て、その大人になった日興登魂命は境内の湧き水で酒🍶を造り病人を元気にした後、則妙見星神となって天に帰ったという言い伝え。
この酒を帝が誉めて黒麿は「酒部」の姓を許された。
酒部黒磨命については、
神櫛王(武殻王)の四世孫である綾真玉の子、酒部黒麿は城山長者と呼ばれ、伝承が残る。
神櫛王は、讃留霊王や武卵王(日本武尊の子)とされているが、讃留霊王は神櫛王が叔父との丸亀市の記載がある。

また、讃留霊王は、石碑にもヒロインとあり女性との説がある。

日興登魂命=興登魂命?

興登魂命=中臣氏及び藤原氏の祖神天児屋命(あめのこやねのみこと)の母(許等能麻知媛命)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

善通寺から大麻山を望む

 

大麻山の野田院古墳(3世紀)

前方後円墳

傾斜に高い土木技術で作ってある。

前方は土を盛っただけで、石積みとの意味が違うと感じる

石積みが鰐(倭)であり、前方が大和支配をあらわしているのでは?

 

古墳の名前になった役行者の野田院跡

古墳のすぐ近く

 

 

 

 

 

 

如意山に鎮座の櫛梨神社

第12代・景行天皇の第7皇子・神櫛皇子がまつられている。

如意山は、善通寺市、仲多度郡琴平町、まんのう町に跨がる標高158メートル山。

 

京都の如意ヶ嶽(にょいがたけ)は東山に存在する山。
標高472メートルで、山頂は京都市左京区粟田口如意ヶ嶽町。
他の表記・呼称は、如意ヶ嶽、如意嶽、如意岳、如意ヶ峰、如意山など。
また如意ヶ嶽は京都市左京区と滋賀県大津市の境ともなっている。
支峰(西峰)として標高465.4メートルの大文字山があり、8月16日に執り行われる京都の伝統行事である五山の送り火の大文字としてしられている。
五山の送り火は、五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされる。

 

 

 

 

 

参道からは金刀比羅宮の鎮座する象頭山と同体の山

象の頭の形に見える大麻山が見える。(左側は象頭山、右側が大麻山)

3世紀の石積み古墳、野田院古墳がある。

象頭山とは大麻山を表していると思う。おねだり

 

 

 

社伝によれば、
景行天皇の命で神櫛皇子が、大魚を討つために土佐から舟に乗って当地へ来た時、
雲が厚く、雨が降り、何も見えない状態になった。
そこで、皇子は小山に登り、天に乞うたところ、天から火が降りて来たという。
皇子はそこに舟をとどめ、祓戸神(磐船大明神)を祀った
また、当地の神を祀るため、翁に、この地の神についてたずねて、大麻神・大歳神、更に、山下明神・諏訪明神を祀った。
さらに、船装束する時に、経津主神・武甕槌神(赤坂大明神)を祀った。
その後無事に、大魚を討ち取って当地に城山を築き、国造となった。
仲哀天皇8年(199)9月15日。120歳で亡くなった皇子を櫛梨山に葬り廟を建てて祀ったのが当社の起源だそう。
そのため、皇宮大明神とも、大宮とも称された神社とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松尾芭蕉さんの詠んだ句を妄想で勝手に訳します。

気分が悪くなる方がいらっしゃる可能性があります。

石つぶてなどは投げないでください。

悪しからずご了承ください。滝汗

 

 

那須野  (栃木県)

 

「かさねとは八重撫子の名なるべし」(by曾良)

(かさねとは はえなでしこの ななるべし)

 

同行した弟子・河合曽良(かわい そら)の句として紹介されています。 

 

 

一般的な訳としては、
百姓の娘で、当時6歳くらいの可愛らしい少女。
芭蕉がその子の名前を尋ねたところ「かさね」と答えた。

田舎には珍しい優雅で美しい名前に感銘を受けた芭蕉は、「もし自分に娘がいたら同じ名前を付けたい」と同行者の曽良に冗談を言ったほど気に入ったと伝えられている。

「かさね」という名前は、八重に咲く可愛らしい撫子(なでしこ)の花のような名で、この子に合った名前だと思って詠んだ句とされている。 

ナデシコ(なでしこ、撫子、牛麦 、瞿麦)は、ナデシコ科ナデシコ属のカワラナデシコの異名。ヤマトナデシコの異名もある。四季咲きからナデシコは古くは常夏(とこなつ)ともいった。

また、ナデシコ属の植物の総称で、蘧麦(きょばく)とも呼ばれる。

語源はギリシア語の「DIOS(神)」「ANTHOS(花)」で、神より与えられた花、神聖な花の意

秋の七草の一つ。

 

日本には悪霊退治の伝説も伝わっている。東国の山道を通る人に災いを起こす悪魔の宿る岩があった。あるとき、島田時主という豪傑がこの岩の悪霊退治に出かけ、矢を放って岩に命中させ、その岩はおとなしくなった。ただ、放たれた矢は岩から抜けることなくそのまま花になったといわれ、その花がなでしこと伝わる。石に立った矢が花になったので、石竹(セキチク)とも呼ばれているそうである。

 

撫子=カワラナデシコ=ヤマトナデシコ=常夏=蘧麦=秋の七草=神聖な花=少女(女性)

⇒神聖な女性

 

グラサン

 

 

「常夏」万葉集では、
「立山 (たちやま)に 降り置ける雪を 常夏 (とこなつ)に 見れども飽かず 神 (かむ)からならし」 (by大伴家持)

(巻17・4001) 744年4月27日(太陽暦で六月十三日)に詠んだ「立山の賦 (たちやまのふ)」の反歌二首のうちの一首。 

万葉の時代は四月~六月が。 家持は、夏なのに白い雪が積もった山脈 (やまなみ・立山連峰)を越中ではじめて目にしました。

 

徳島県の古代より忌部氏が崇拝してきた神聖なる剣山(つるぎさん)

別名
太郎笈(たろうぎゅう) 
(たちいしさん) 
立山(いしひたちさん) 

妄想をくわえてみる目がハート

⇒「石立山に降った雪は日巫女の花。いつ見ても、あきることがない。古代より忌部氏が崇拝してきた神聖なる神の山だからにちがいない」
 

こちらもぞくぞくと勝手な妄想をくわえてみるよだれ

「我がやどの なでしこの花 盛りなり 手折りて一目 見せむ子もがも」(by大伴家持)

⇒「我が家の、聖女の花が真っ盛り 手にとって一目 見せてやる子がいればいいのに」

 

「見わたせば 向(むか)ひの野辺の なでしこの 散らまく惜しも 雨な降りそね」(作者未詳)

⇒「見渡すと 向いに聖女の花 なくなるのは惜しい 悲しいことは起こらないでくれ」 
                        

「なでしこが その花にもが 朝な朝な 手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ」(by大伴家持)
⇒「聖女がその花であったらいいのに。ならば毎朝、手に持って愛でるでしょう」

「秋さらば 見つつ偲(しの)へと 妹が植えし やどのなでしこ 咲きにけるかも」(by大伴家持)
⇒「秋になったら 花を見ながら私をいつも思い出してね」と亡き妻が植えた庭の聖女の花。もう咲き始めている」


「秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」(by大伴家持)
⇒「秋(豊秋津姫)の野原(海神)に、咲いた花は 待ちわびていた 聖女の花」

 

「萩の花 尾花(をばな)葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(をみなへし)また藤袴(ふぢばかま) 朝貌(あさがほ)の花」(by大伴家持)
⇒「天津神、神阿多都姫、聖女、大宜都比売(阿波飯)、また天児屋命、清和源氏」

 

「なでしこが 花見るごとに 娘子(をとめ)らが 笑まひのにほひ 思ほゆるかも」(by大伴家持)
⇒「聖女の花を見るたびに、乙女らが笑顔になる匂いを思い起こします」

 

 

 

 

 

「八重」といえば、過去の探検妄想、

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」(by須佐之男命)

(やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)
を思い出す。

 

八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)の話しに出て来る出雲に降(くだ)った須佐之男命櫛名田比売(=稲田媛、奈太美等与麻奴良比売など)との新婚の歌とされている。

妻を籠もらせるための宮の八重垣をつくる意味か、湧き立つ雲の幾重にも重なった様子つまり、湧きき立つ雲(出雲)を垣にたとえたものではないでしょうか。 

 

この歌は、日本最古の短歌とのこと。

 →「籠る」のはなぜ?

   妻と出てくるので、すでに結婚している。

   籠る=身ごもる。で、出産の準備では?

 八重垣は、出産場所の風雨や寒さよけ、血の匂いに寄って来る獣(狼、猪など)除けではないかと。

 

 香川県の京ことばが残る吹島には、市誌などによると、出産はかつて赤不浄と呼ばれ、血を見ると不漁になるとも考えられたため、産婦が家を離れ、別小屋で産後の約1カ月を集団で暮らしたのが出部屋の始まりといわれ、産婦は家事から解放され、友達と会話を楽しんだり、ゆっくり産後の養生をすることができた。出部屋は分娩(ぶんべん)室も備えられたそうです。

 

 空海誕生の話しでは、室町時代以前には、男子が産屋に近づくことが神聖な出産を汚すとされていたとのこと。産屋が神社の近くに建てられるのはその名残と思われるとのこと。

 

 古代母系制の社会では、生まれた子の命名権、帰属権は母親にあったとのことで、十一代垂仁天皇も沙本毘売(さほびめ)命に、「誰でも皆、子の名は必ず母が付けるというが、この子の名は何と呼ぶことにしようか」と訊ねることからもうかがわれ、母系制の慣習からして、大師の俗名である眞魚(まを)も、おそらく母親である玉依御前が名付けたものだったのだろうとのこと。

 

玉依」が豊玉姫の妹で鸕鶿草葺不合尊の妻の玉依姫の名と重なるのがきになるところ・・・キョロキョロ

 

「妻が妊娠して出産のため籠る場所で、幾重にも湧き立つ雲が八重垣状になり、神秘的に実際作った八重垣と重なり嬉しく思っている」ではないかと妄想。

 つまり、結婚というより、妊娠・出産準備等所に八重垣を作るが、湧き立つ雲も八重垣状に出現して「神秘的!」の三重のお喜びと妄想ラブ

 

 

 

イメージ画像 祖谷

 

 

イメージ画像 祖谷

 

 

 

 

会津藩、新島八重の名「八重」とは、この八重を妄想。ほんわか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かさねとは八重撫子の名なるべし」(by曾良)
(かさねとは はえなでしこの ななるべし)

 

 

 

が伝えたいこととは!

 

「『かさね』とは大山祇の娘で素戔嗚尊の妻、久志伊奈太美等与麻奴良比売の名である」

 

 

 

久志=櫛

伊奈太=稲田

美等与=三豊=美しいトヨ

麻奴良=天皇に仕える者

比売なんじゃね?

by隊長

 

はい、否定!

 

 

 

イの国~東北への細道は、あり〼!真顔 

 

 

 

 

けつねうろん妄想ジャンカー イの国探検隊日月ホトトギスがお伝えしました。

ではまたセキセイインコ青