イの国探検隊ファンの皆様こんにちは
今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!
松尾芭蕉さんの詠んだ句を妄想で勝手に訳します。
今回は、曾良さんの句です。
気分が悪くなる方がいらっしゃる可能性があります。
石つぶてなどは投げないでください。
悪しからずご了承ください。![]()

讃岐の白鳥神社
ほかにも独特の真新しい狛犬?さんもいらしゃいました。
なぜか、神社側に向いてましたが。
神社が見つめる先は南の阿讃山脈の徳島の方向
徳島県のヒミコの居城だったといわれる悲願寺に向いていると思う
松島
「松島や鶴に身をかれほととぎす」(by曾良)
(まつしまやつるにみをかれ ほととぎす)
一般的な意味は、
「ここ松島ではほととぎすはそのままの姿ではつりあわない。鶴の衣をまとって、優雅に見せてくれ」
これまでの探検から
松=高越山に眠る伊邪那美
島=山上=神山、剣山
ほととぎす=早苗=田神=6月=山神=先祖霊=イの国
鶴=白鳥(ヤマトタケルの魂が舞い降りた讃岐の白鳥神社(阿波;白鳥宮とは二つで一つ)は悲願寺を見つめる)=ヤマトタケル
「鶴」>「ほととぎす」という前提で、書かれている。
松島は、なぜか芭蕉自身の句が無い。あまりの素晴らしさに句が出てこなかったのか、演出上の意味があるのか…。
平安時代における鶴の意味は、長寿や繁栄、吉祥を象徴する鳥として非常に重要。
鶴は「千年生きる」とされ、特に「千年亀は万年」と言われるほど、長寿の象徴とされている。
また、鶴は夫婦仲の良さを示す「相鶴」や、未来への飛翔を意味する「飛鶴」としても用いられ、慶事や祝いの場で頻繁に登場する。
平安時代かな文学における鶴の空間表象史
⸺ 「詩経」鶴鳴から和歌へ、そして物語へ⸺草 野 勝
(より、きになった部分を抜粋して、一部短縮等して掲載)
種々の典籍から広がる和歌世界が明らかにされてきた。
漢詩文からの影響が重視される中で、鶴の和歌表現史はともすると、ある中国の作品と日本の作品との間の引用や受容関係、言い換えるならば文芸的操作の所産として把握されてきたと言える。そこから導かれるのは、机上で漢籍を学習する平安貴族たちが、いかに漢籍を和歌に落とし込んでいくかに苦心する姿であろうか。漢詩文は平安貴族たちにとって必須の教養であり、確かに鶴の表現の基盤をそれに学んだことは間違いない。
女四のみこにおくりける 右大臣
「葦鶴の沢辺に年はへぬれども心は雲の上にのみこそ」
返し
「葦鶴の雲居にかかる心あらば世をへて沢にすまずぞあらまし」
(後撰集 巻十一 恋三 七五三・七五四)
右は右大臣師輔が、女四の皇女(醍醐天皇皇女、勤子内親王)への思いを詠んだ恋の贈答である。師輔の贈歌は、臣下の身分を「沢辺」の「葦鶴」に、皇女である勤子を「雲の上」に喩えている。
右は「沢」と「雲の上」が一首中で対照された最も早い例の一つで、早くから政治的関係に留まらず、恋の文脈に転用されていたことがうかがえる。
田中[二〇一四]は、右の恋歌として用いられる特殊事例が、臣下から内親王への求愛という背景をもつために可能となったとしつつ、この贈答が前述の述懐歌や蔵人の挨拶歌へと影響を与えたと見るが、それほど限定的に捉える必要はないのではないか。「沢」と「雲居」や「雲の上」が共に詠まれていることを引用の基準としているがゆえの立論だが、政治的な述懐→恋歌→蔵人の政治的な挨拶歌という流れは想定しがたい。そもそも起源と言える「古今集」大江千里歌が「沢」の語を必須としていなかったように、緩やかな表現の機制の中で述懐歌が多様な人事的表象へと枝分かれしたと考えるほうが、自然な発想ではないかと思われる 。
さらに水辺と雲居の空間的対照を持つ鶴の歌は、明確に皇族などの最上位の存在を意識せずとも人事的表象として利用されるようになった。
物語の中では鶴の空間表象が、現実社会には見出しがたい人間関係をも表し、また鶴の空間自体もその存在しない空間も含めて多様化していったことが明らかとなった。普通でない人間関係を抱えこみつつ、その異質さを歌として表現するときに、歌の外側の世界を取り込みながら新たなイメージを作り上げていったのである。
それにしても、わざわざ本来いるはずのない空間に鶴を居つかせながらも、鶴によって表現することをやめなかったところに、この鳥に対する関心を改めて垣間見ることができる。
(引用終わり)
「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」:『猿蓑 巻のニ』では、「松嶋一見の時、千鳥もかるや鶴の毛衣<けごろも>とよめりければ」としてこの句が掲載されている。「松島の海上を鳴きながら渡って行くホトトギスよ、せめてこの男性的な景観に伍していこうというのであれば、せめてお前の姿を鶴に借りて飛んでくれ」
古代中国 道教における鶴の位置づけ
中国における鶴信仰の中心にあるのが道教の世界観。道教では鶴は「仙鶴(せんかく)」と呼ばれ、仙人の乗り物・天界と地上を結ぶ神聖な使者として描かれてきた。
「仙鶴」という言葉自体が「高貴さ・長寿・仙界への憧れ」を象徴する詩的な表現として使われてきた歴史がある。
朝鮮王朝と鶴の深い関係
韓国においても鶴(학、ハク)は古来より神聖な鳥として崇敬されてきた。鶴は武力・力強さよりも「知性・清廉さ・高い精神性」を象徴する鳥として、文官・学者の世界で特に重んじられた。
古代ギリシャの鶴神話
古代ギリシャにおいても鶴は神話・文学の世界に登場する特別な鳥です。ギリシャ神話では、鶴はアポロン神やヘルメス神と関連づけられることがありました。特にヘルメスが鶴の飛ぶ様子からインスピレーションを受けてアルファベットを発明したという伝説があり、鶴は「知恵・文字・コミュニケーション」の象徴としての一面も。
古代ローマにおける鶴
古代ローマでは鶴は「警戒・見張り」の象徴として語られることがあった。
北アフリカ・中東における鶴の文化
北アフリカ・中東地域でも、渡り鳥として飛来する鶴は特別な存在として認識されてきた。古代エジプトでは鶴は「太陽・再生・長寿」と関連する鳥として神聖視されることがありました。エジプトの壁画・レリーフにも鶴を描いたものが残されており、古代エジプト人が鶴を日常的に観察し、特別な意味を見出していたことが分かります。
イスラム文化圏では鶴は「神への信仰・巡礼・高みへの向上」を象徴する鳥として詩や文学に登場することがあります。アラビア半島の伝統的な詩の中では、鶴の渡り・飛翔が故郷への思い・旅への憧れの比喩として用いられることが多く、その美しい飛ぶ姿が詩人たちの想像力を豊かに刺激してきました。ペルシャの古典詩においても鶴は旅・憧憬・魂の自由のシンボルとして詠まれることがあり、中東の詩的想像力においても鶴は特別な位置を占めています。
ネイティブアメリカン 鶴と精霊・自然の声
北アメリカに生息するカナダヅルやアメリカヅルは、ネイティブアメリカンの多くの民族にとって精霊的な存在・神聖な鳥として崇敬されてきました。特にオジブウェー族・クレー族などの民族では、鶴は「リーダーシップ・長老の知恵・コミュニティの調和」を象徴する存在として部族の精神文化に組み込まれています。
鶴の長距離の渡りは「大地と天を結ぶ旅・精霊の世界への橋渡し」として神聖視され、鶴が飛ぶ姿・鳴き声は精霊からのメッセージと受け取られることもあった。
日本・中国・韓国・古代ギリシャ・ローマ・北アフリカ・中東・ネイティブアメリカン・ヨーロッパ中世……世界の多様な文化の中で、鶴は「長寿・高貴さ・神聖さ・精神的な高み・吉祥・警戒・知恵」を象徴する存在として普遍的に崇敬されてきた。
鶴の縁起を大切にする日本の文化は、世界規模の鶴への崇敬という大きな流れの中に位置づけることができる。
葛城方面を望む
遠くの山は「高越山」(比婆山)
以前のブログでは、ネット探検すると、
「古事記」に出てくる「比婆山」は高越山(こおっつぁん)と言いわれていて、
高越神社があり、式内社の阿波國美馬郡「伊射奈美神社」と比定されているそうです。
魂のタケルさんが飛んだ高越山、その松の辺りには伊邪那美が埋葬されていて、出雲国と伯伎国の境界ということになる。
なごみます
おにぎりでピクニックしてお昼寝したい![]()
傷心で来た媛様も見たんだと、
「磐之媛様!奈良(那羅)が見えまする!」
妄想

村上天皇の血筋と思う幼い静御前の母、長町磯(磯禅師)が旅立った志度寺の悲願金剛
志度寺は、海女の(龍の)玉とり伝承
松島
「松島や鶴に身をかれほととぎす」(by曾良)
(まつしまやつるにみをかれ ほととぎす)
が伝えたいこととは!
「高越山に眠る伊邪那美 ヤマトタケルの魂になり飛んできて イの国」(by芭蕉)
イの国~東北への細道は、あり〼!
あいやー、毎日暑いです。やばい熱さです。
汗を効率よく出すため、にがり入り塩分摂取が必要だ!
(身体を溶かしながら)
byなめくじ隊長
けつねうろん妄想ジャンカー イの国探検隊日月ホトトギスがお伝えしました。
ではまた![]()







