道路わきに古墳
久本古墳
久本古墳の巨大な石棚
久本神社
久米池のほとりに鎮座の石清水八幡宮
御旅所
神輿は屋島へ向いて旅
神は屋島、久米池の前に鎮座
近くには石土一心院
登っていくと
高松市茶臼山古墳があります。
お不動様、お大師様こんにちは
画像は、本文とはまったく無関係な場合がありますとな。
奥の細道「旅立ち」
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、・・・」
探検妄想では、
【三里】
奈良県生駒郡平群町三里の三里古墳は、葺石、石棚付石室が特徴で、同様の古墳が濃密に分布するのは、紀の川。
石棚付石室といえば、讃岐高松の久本古墳。
その地域は、天津久米(粂)の久米氏の痕跡、つまり紀氏(応天門の変で冤罪?の大納言・伴善男の許へ身を寄せてその従僕の紀豊城、兄で讃岐国司の紀夏井、竹取物語作者とされる紀貫之)へとつながる。
三里に灸=三里に粂
と言いたいんだと
三里とは、天津久米であり、紀、伴(大友)なんだ!
そんで、「松」とはなにか?
万葉集の白鳥についての歌が気になった探検で、笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持(おおとものやかもち)に贈った24首の一つ
「白鳥の飛羽山松の待ちつつぞ我が恋ひわたるこの月ごろを」
この歌では、白鳥は「飛ぶ」を導く枕詞。「松」は「待つ」に掛けているとされる。
「白鳥の飛ぶ飛羽山(とばやま)の松のように、貴方のおいでを待ちつづけ、私はずっと慕いつづけているのです、この何か月も」
飛羽山:奈良東大寺北方の山、福井県鯖江市の鳥羽付近の山とする説などがあるとのこと。
しかし!これをハゲしく妄想で考えると、
白鳥=魂のタケルさん。
飛羽山=飛んだ地は松林の中にある白鳥神社と日本一低い山、御山。
「魂のタケルさんが飛ぶ御山の松は、私と同様に恋しく待っている」
讃岐の白鳥神社の元宮は、徳島県石井町白鳥にある白鳥宮
「飛羽山」”ひばやま”とも呼べるよね。
古事記に「神避りし伊邪那美神は、出雲国と伯伎国との堺、比婆の山に葬りき」と記されており、つまり、
飛羽山=比婆山は徳島県石井町白鳥辺りから見える?もしくは近くにある山ではないか?
「古事記」に出てくる「比婆山」は高越山(こおっつぁん)と言いわれていて、高越神社があり、式内社の阿波國美馬郡「伊射奈美神社」と比定されているそう。
つまるところ、魂のタケルさんが飛んだ高越山、その松の辺りには伊邪那美が埋葬されていて、出雲国と伯伎国の境界ということになる。
前からなんとなく思うところ、出雲とは、イの津の藻=イの国の港の詞(魂)
”イの国の重要な港”ではなかろうか?
「松」といえば、金毘羅大権現「松尾寺」
古語拾遺(807)「故に其の(上:商、下:衣、の字でハツコ)、今紀伊国名草郡・御木麁香(あらか)の二の郷に在り」
松尾寺=伊邪那美の尾(裔)の寺
奥の細道の「・・・三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、・・・」とは
「三里に天津久米の誇りをしっかりと保つより、松島(伊邪那美の勢力範囲)の月(月読命)を最初に思う」なんじゃないかい!?
さらに、続きは「今は、そこに住んでなく、ほかの人が居て、杉(素戔嗚尊)風(影響)が別の屋敷へ移って・・・」
通して
奥の細道の「・・・三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、・・・」とは、
「三里に天津久米の誇りを保つより、伊邪那美の勢力範囲である倭(イの国)の月読命を最初に思う。今は、(大和に)譲り、ほかの人が居て、素戔嗚尊の影響が別の屋敷へ移って・・・」
と、イの国探検隊松島編隊(変態)妄想がつながりまする。
石棚に共通の古墳
棚からぼたもちな発見です。
仁徳天皇の皇后は那羅街道で奈良山を越え、葛城の方を見て歌を詠んだ。「次に山背川を、宮廷へ向かって遡上すれば、青土(鉄鋼石に通じる緑泥片岩が砕けた土や砂)に生える葦が見え、那羅を過ぎて、更に間に合わせの大和を過ぎた辺りで、見たい国は自分の家のある葛城高宮」結局は山背川と歌われている山の背になっている地区にとどまり筒城の丘に住む家を建てている。
長くなります伊予感なので
今日はこの辺で
ではまた。