イの国探検隊ファンの皆様こんにちは
 
 
 探検隊の諸君、ヤマトタケルについて
やっと道草から本道へ帰ってきました(さまよったことは、微塵も見せず)
ぶー
 

 あくまで、個人的な探検(調査、激しい妄想)です。悪しからずご了承下さい。ショボーン

 

前回④さぬき市多和編Ⅱでは、

竹林上人の生まれた地名白羽、そして多田岡左衛門の子とのことから長尾は手置帆負命そして斎部を、白羽は白鳥と鶴羽、多田は清和源氏を匂わせ

そして、ネット探検では、

白羽から2kmの距離の四国88霊場長尾寺には静御前の位牌が本堂の左脇陣にあるとのこと。そしてその夫、源義経から清和源氏につながりました。

 

 

と、道草をしたかいがありました。

 

ありがとう!竹林上人!

 

 

 

②志度にある多和神社
 
そして、やっと志度の多和神社ニコ
お待たせいたしました。爆笑(どんだけ待たすんだ!、待っているとは限りませんが)
長い階段で疲れたぼけー
 
ふむふむ。なになに、
元は、志度寺にあったと書かれている。ガーン
なんですと!ここまで来たというのに
 
せっかくなので煩悩のお参り
拝殿
 

先のブログで見たことあるような画像ですが、蝶です

 

見つめる先探検隊の私は気になった

ちなみに多和神社が見つめる先は、東向きで、津田の北山地区辺り
つまり津田湾(難破津)
 
グーグルマップ計測9.0km
右下隅の小さな半島が鵜のべ岬(鵜のべ山古墳)
右端の山の上はゴルフ場だが、弥生時代の高地性集落跡があったとのこと。
 
天川神社は大滝山の大滝寺・西照神社を見つめ、
讃岐の白鳥神社は、本宮の阿波の白鳥宮ではなく神山町の山岳仏教寺院
神社の見つめる先が、気になる今日この頃。
 
 
本殿前の扉
迫力の菊花門
 
近くに何か分からないお祀り
数が多い!なんじゃアセアセ
 



 

真ん中の比して大きな塚には、平氏の紋
源平合戦のたぶんそれだなにやり
 
源平の争乱の1185年に源義経軍と平氏軍が屋島や志度で戦ったそうです。
 
 
そんなこんなで、やっと志度寺へいざ!
 
 
あっ、ここは?!また道草
志度寺の門前の自性院
平賀源内さんのお墓があります。
そして、道草して出会った竹林上人さんが住職をしていたお寺だそうです。
豪族多田泉守一族が創建にやり
 
平賀源内さんのお墓と本堂にお参りして、
 
 
そしてお隣
やっと、多和神社の元あった地の
志度寺
多和に繋がる痕跡を探しますぜ!おーっ!
運慶作の仁王さん、迫力があります。
 
境内は、私の子供のころの昔と違い庭造りに力を入れているようです。まるで森の中のよう。
 
まずは、本堂でお祈り。
庭にある庭造用資材と建設機械、道具などをよけながら迷路状態をさまよいました。
 
 
痕跡が無いと諦めたその時!
あった!微かな痕跡!
悲願金剛の文字に三階菱に丸紋
三階菱紋は畿内・四国に覇を唱えた阿波の三好氏が使用したものと思われます
 
悲願!ガーン 
この2文字だけだが、私にとっては確かに痕跡だ!
徳島県神山町にある悲願寺の開基は清源氏を祖とする田氏
そのことを伝える名前と妄想した「多和」
多和神社の元あった地にある志度寺、その門前の自性院の住職だった竹林上人も多田氏
上人の生まれは旧、長尾町白羽という地名
 
古代律令国家において、寒川郡には難波郷、石田郷、長尾郷、造田郷、鴨部郷、神埼郷、多和郷の7郷があり、平安時代から室町時代にかけて、鶴羽荘、富田荘、鴨部荘、志度荘、神前荘、造田荘および長尾荘の7荘園の成立が確認されているとのこと。
 
 
 

さらに道草 チュー馬羊ヘビいのしし

現場調査だ!

長尾寺


志度から徳島県山川町につながる志度山川線上の竹林上人の生まれた旧、長尾町白羽からほぼ2kmの長尾寺

 

 

 

きょうどう、というものとのこと

唐の文化にならったもののようですがよくわからん

とにかく信仰から寺に収められたようです

 

 

 

境内はすっきりした空気を感じました。

 

静御前が宥心尼になった時の髪を祀っているとのこと。

 

 

静御前(しずかごぜん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性で、歌舞の一種を演ずる白拍子(しらびょうし)。芸人。母は白拍子の磯禅師

 

白拍子は、巫女による巫女舞が原点とも言われ、神事において男女の巫が舞を舞う事によって神を憑依させた際に、一時的な異性への「変身」作用があると信じられていた。

日本武尊が熊襲征伐において女装を行い、神功皇后が三韓征伐の際に男装を行ったという説話も彼らが巫として神を憑依させた事の象徴であったという。

(寒川郷社だった寒川神社は、神功皇后が三韓征伐のおり参拝したとのことだったような・・・うろ覚え)

 

タケルさんに繋がった!笑い泣き

志度山川線→長尾寺→静御前→白拍子→巫女→タケル女装で熊襲征伐→巫女で神憑依

 

巫女と言えば、日巫女(ヒミコ)

静御前の白拍子の師匠は、母の磯禅師

 

磯禅師の出身は、東かがわ市丹生

丹生とは、水銀朱の産出の意味

その丹生の名家、長町家の出身

津田の松原内には、長町家が祭った加茂神社があったと思う

 

 

話は変わるが、

なにげに万葉集の白鳥についての歌が気になった。

 
「白鳥の飛羽山松の待ちつつぞ我が恋ひわたるこの月ごろを」
 
笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持(おおとものやかもち)に贈った24首の一つ。この歌では、白鳥は「飛ぶ」を導く枕詞となっている。「松」は「待つ」に掛けている。

 

白鳥の飛ぶ飛羽山(とばやま)の松のように、貴方のおいでを待ちつづけ、私はずっと慕いつづけているのです、この何か月も。

飛羽山:奈良東大寺北方の山、福井県鯖江市の鳥羽付近の山とする説などがあるとのこと。

 

これを妄想で考えると、

白鳥=魂のタケルさん

飛羽山=飛んだ地は松林の中にある白鳥神社と日本一低い山、御山
 
「魂のタケルさんが飛ぶ御山の松は、私と同様に恋しく待っている」

 

白鳥神社の元宮は、徳島県石井町白鳥にある白鳥宮

 

なにも知らない私は、飛羽山”とばやま”とあるが、私は”ひばやま”と読んだ。

飛羽山の読みは、”とばやま”ではなく”ひばやま”なら

 

古事記に「神避りし伊邪那美神は、出雲国と伯伎国との堺、比婆の山に葬りき」と記されており

 

つまり、飛羽山=比婆山は徳島県石井町白鳥辺りから見える?もしくは近くにある山?

 

ネット探検すると、

「古事記」に出てくる「比婆山」は高越山(こおっつぁん)と言いわれていて、

高越神社があり、式内社の阿波國美馬郡「伊射奈美神社」と比定されているそうです。

 

つまるところ、

魂のタケルさんが飛んだ高越山、その松の辺りに伊邪那美が埋葬されていて、出雲国と伯伎国の境界ということになる。


前からなんとなく思うところ、

出雲とは、イの津の藻=イの国の港の詞(魂)

”イの国の重要な港”ではなかろうか?

で、伯伎とは、・・・わからん。教えて!竹林上人!おーっ!

 

逃げるように

では、また。もぐもぐ