フランス田園伝説集    ジョルジュ・サンド | やるせない読書日記

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 南口商店街の古本屋で税込み220円で買った本。本の題名に惹かれた。

 

ジョルジョ・サンドって何となく、名前だけは知っていた。フランス人でショパン

 

とマズルカ島に恋の逃避行をしたやら男装の麗人とか。知っていたのは、そ

 

そ程度。

 

 本の解説やら、ネットによるとジョルジュ・サンド(1804~1874年)は本名

 

アマソンディーヌ=オーロール=リシューヌ・デュパン、女性で貴族階級が出自。

 

デュドヴァン男爵と結婚したが、のち離婚。

 

 ジョルジュ・サンドが生きたフランスの19世紀はサンドが生まれた年に

 

ナポレオンの帝政になり、その後王政復古したり、二月革命がおこり、またルイ・

 

ナポレオンの帝政になり、1870年の第三共和政となり、サンドの晩年、67歳の

 

時にパリ・コミューンという革命と反動の揺り戻しというせわしない時代だった。

 

 サンドは離婚後、奔放な恋愛を繰り返し、フェミニズムの先駆と言われた。よくある

 

貴族階級だが、多少、左巻きという人のようだ。

 

 本書はジョルジュ・サンドが54歳・1858年に出版されたテキストにその周辺の

 

作品を併せて1975年に出版されたものを定本としている。ジョルジュ・サンドが

 

自分の生まれ育った屋敷(別の本では城と書いてあったので、かなりの貴族だったんだ

 

ろう)があるベリー地方で農民から聞き取りをした伝承、田園に寄せた彼女の詩作、伝承

 

にたいする考察という構成で本書は成立している。

 

 それでは拙い感想でも。

 

 青い光の月がのぼれば、

 

 夢のように踊りながらやってくる幻。

 

 小鬼の息に踊る羽毛が

 

 朝になったら乗って帰る車。           「マブ女王【シェークスピアによって有名になった妖精の女王】」

 

 本書に収録されている雲にまたがり風に乗るマブ女王というジョルジュ・サンド

 

が書いた詩編の一節であるが、この美しい一節が田園の伝承物語をよく表していると思う。

 

 ベリー地方はフランスのほぼ中央部に位置し、グーグルのサイトビューを見れば、いまでも

 

僕らが思い描く典型的なフランスの田園風景であり、19世紀の当時は今よりも一層、小鬼や

 

人狼が鬱蒼とした夜の森から出現するのに相応しいところだったろう。

 

 この伝承集に現れる、怪異は次のようなもの。

 

 洞窟に住む妖精、顔のある大石、沼地の水面に現れる霧女、川の岸辺の洗い場で死んだ子供を

 

叩いている深夜の洗濯女、夜の紡ぎ女、夜の乞食女、子牛くらいの大きさの化け犬、そいつが現れる

 

と飼っている動物に悪いことがおこる。古い道を歩いているとついてくる首無し男、天空を駆ける呪わ

 

れた狩人、歩き出す三人の大岩、長さ12メートルの人間の頭をした大蛇、農家の炉端に現れる何十

 

人もの小鬼、馬の鬣にしがみついて馬を走らす小人、空中に浮かんで鳴り続けるパグパイプ、月夜

 

の夜に人語で人を惑わす鳥等々である。

 

 伝承集やら怪異譚にはただ、伝承やらを蒐集したものが、ジョルジョ・サンドは現代人からすると、おか

 

しな考察している。二十一世紀の現在、

 

   私は田舎で育てられたので、自分では見たことはなくとも、まわりのものがその影響を受けるさま

 

を目の当りにするような幻を、長いこと信じてきた。そんな私だから今日でも、どこからどこまでが現実

 

でどこから先が幻覚なのかはっきり言うことはできない。

 

  「田舎の夜の幻」の一節だが、田園の夜に出没する怪異を時には幻覚と言ったり、どこからどこまでが

 

現実でどこから先が幻覚なのかはっきり言うことはできない。と一貫性がないが、整合性ないじゃないか

 

とムキになることもないか。ただ、怪異に遭遇するのは、常に農民たちで自分は伝聞だけで、実際に妖怪

 

やら妖精にあったことがない。

 

 「化け犬」では、迷信に憑かれた騒動について書かれている。

 

 ジョルジョ・サンドが子供のころ、祖母の小作地に遊びに行ったとき、化け犬が前日、近隣の農園に

 

でたという。夜になったら来るだろうと農民たちは騒いでいる。男たちは銃や熊手で武装して待ち構え

 

女たちは聖人に祈っている。化け犬は仔牛くらいの大きさで、角が生え、目が火のようである。人間や

 

動物には襲いかからないが、化け犬が来ると家畜たちが死ぬことがしばしばあるらしい。そして、夜に

 

なって来たのはジョルジョ・サンドたちの家庭教師で、みんながっかりして、家庭教師は迷信を笑い

 

飛ばすという落ちである。

 

 まあ、この本は変な穿鑿しないで、こんな伝承があると愉しめばいいのだと思う。

 

 「馬鹿石、泥石」では泥が話したり、歩いたりする伝承についてで、田園地帯を過ぎた石灰や花崗岩

 

だらけの場所を夜、歩けば石が顔を持っているのが分かる。優秀な魔法使いなら石に挨拶の言葉く

 

らいは仕込むことができる。石は大概は馬鹿で歩き廻って、本来とは別の場所に転がっている。泥石

 

や馬鹿石と呼ばれる石灰岩は道路に転がっていたら早めに砕かなくては、夜になって馬車をひっく

 

り返す。

 

 何も信じない人は、生垣や溝のへりなどのどうしてこんな大石が転がっているのだろうとたずねる

 

かもしれない。それに対して「いやあ!いつまでもそこにゃいませんや!」と言われたら、その意味を

 

よく考えて、あんまりじろじろその石を眺めないことだ。へたをすると石を怒らせてしまうかもしれない。

 

そうするとあしたになると、庭の中のメロンのガラスの覆いや、花壇の真ん中にその石がころがって

 

いることになるかもしれない。

 

 もう一つ、「田舎の夜の幻」で地主がウサギに化けて、小作人を馬鹿にする話がある。

 

 或る小作人のところに、年とったウサギが毎日、現れ、足を舐めたり、馬鹿にしたように小作人を

 

見つめる。小作人はウサギが地主だということに気がつき、馬鹿にするなという意志表示をしたが

 

それでも地主はウサギの振りをして、失礼な観察を止めない。たまりかねて、小作人は銃をウサギ

 

に向けて、これ以上、小ばかにしてると本当に銃をぶっ放すよ。と「旦那」に云うと、ウサギは逃げ出し

 

それ以来、姿をみせなくなった。

 

 この話は毒が利いていて面白かった。