『マンスフィールド・パーク』 ジェイン・オースティン 著/中野 康司 訳 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

 

 

 

ジェイン・オースティンの映像作品はちょいちょい観直していますが、小説を読むのは随分久しぶりです。8月のジェイン・オースティン祭りの積み残し。『マンスフィールド・パーク』だけ、どうしても祭り中に観ることができなかったので、江戸の敵を長崎で討つ、じゃなくて書籍で穴埋め。この作品は読むのも初です。

 

昔は海外文学作品を読むのに翻訳者のことまで気にすることは滅多になかったのですが(『赤毛のアン』の村岡花子さんや『三国志』の北方謙三さんは別格)、最近は新訳ブームで、それ自体はいいのですが不自然に言葉遣いが今風なだけで違和感ばかり悪目立ちしたり、言葉以前に基本的な知識に欠けているガッカリ訳に出くわすことが多いので最近は新しく古典文学を入手するのはビクビク。今回も、どんな翻訳のものが今手に入るのか事前に調査比較検討した上で、ちくま文庫の中野康司さん翻訳のシリーズを選んでみました。

 

結果、ビンゴ♪程よく現代的で読みやすい文章ながら、原作の雰囲気をちゃんと大切にしていて損なわず、かつ文中括弧付きで挿入される独特の用語や習慣などの注釈もまさに適材適所で洗練されています。やっぱりキャリアの違いを感じますね。昔持っていたジェイン・オースティン本は古くなりすぎて処分済みなのでまた新しく揃えて行きたいのですが、同じ中野さんのちくま文庫で揃えようと思います。

 

さて。『分別と多感』、『高慢と偏見』に続く円熟期のジェイン・オースティンの3番目の発表作がこの『マンスフィールド・パーク』です。この後『エマ』、『ノーサンガー僧院』『説得』と毎年1本のペースで続きます。ちなみに出版順は5番目の『ノーサンガー僧院』ですが、実際に書き始めたのは『分別と多感』よりも前、一番最初に手を付けた長編小説だったということは映画「ジェイン・オースティンの読書会」でも触れられていました。・・・と、ジェイン・オースティン祭りでの復習も織り交ぜつつ・・・で、脱線してばかりですみません^^;。

 

後には『説得』のアンが、ジェイン・オースティン作品で一番面白味がない、無個性でひたすら受け身のヒロインとされますが、この作品のファニーも、アンに似た地味なヒロイン。ちょっと長時間歩くとすぐにバテちゃう虚弱体質で極度に内気で内向的、自分の身分が低いという負い目からも辛抱強く、高望みせず、地道に目立たずひっそり息をしているような女性です。

 

ただ、アンと違って、ごくごく親しい気心の知れた相手に求められれば、控えめながらもきちんと自分の意見を言い、道徳や自分の心情に反すると思うことは圧力を感じても流されない意思の強さもある、繊細で感受性の強い教養に溢れており、まだいくらか積極性を感じます。とはいえ、『高慢と偏見』のエリザベス・ベネットの後だと世間が「なんて面白味のないヒロインだろう」「いったいどうした、ジェイン・オースティン」とザワザワし、賛否両論渦巻いたのも無理はありません。そんな”大人しすぎる”ヒロイン、ファニーの恋愛がいったいどんなドラマになるのでしょうか?あらすじを少し紹介します。

 

昔、美人三姉妹のうち次女が裕福でハンサムな准男爵サー・トーマス・バートラムに見初められて玉の輿婚し、優雅でものぐさでおっとりしたバートラム夫人が誕生しました。姉はサー・トーマスの領地の牧師に嫁ぎノリス夫人となって姉の屋敷マンスフィールド・パークにほど近い牧師館で暮らします。残念ながら三女は身分の低い海軍兵士と愚かな結婚をして長らく姉2人と絶縁状態となり子だくさんの貧乏暮らしをしていましたが、時が経ち3姉妹が和解をし、おせっかいで仕切り屋のノリス夫人の発案で三女の長女をマンスフィールド・パークへ引き取ることになります。そうして、10歳の時に裕福な叔父夫妻の屋敷で暮らすことになったのが、ファニー・プライスでした。

 

口を出しただけでいかにも善行を施してやったとドヤ顔のノリス夫人は姪であるファニーにちっとも愛情を感じず、バートラム夫妻の二男二女の特にマライアとジュリアの美しい姉妹を溺愛し甘やかす一方でファニーには差別的態度をとってキツく当たります。マライアとジュリアも、故意に意地悪をするつもりはありませんがファニーをみすぼらしくて無知な子と軽んじてからかったり、都合のいい時だけ遊びに付き合わせたり。バートラム夫人は美しくおっとりしていますが頭の動きは鈍く自分のことにしか興味がないので思いやりや気遣いとは無縁。

 

厳格なサー・トーマスの威厳たっぷりの言葉は内気なファニーにはただただ恐ろしいばかり。長男のトムは「僕はたくさんお金を使って楽しく暮らすように生まれついたんだ」と石潰しのアホボンの見本のような青年。唯一、牧師志望で思慮深く生真面目な次男のエドマンドだけがファニーの感受性の豊かさや繊細さ、機知に富んだ才能に気が付き、また他の家族からの冷遇に同情して常にファニーに優しく思いやり深く接して彼女の知性や道徳心、教養をよい方向へと導こうと努めます。そんなエドモンドに、ファニーは自然に恋心を抱くようになります。

 

そんなマンスフィールド・パークの生活にもやがて大きな変化が訪れます。まずはノリス牧師が長患いの末に亡くなり、ノリス夫人は牧師館を出てマンスフィールド・パークにも近いこじんまりとした家に引っ越します。新しく着任したグラント牧師は気のいい美食家、グラント夫人も明るく社交的な、ノリス夫人にとっては顔をしかめたくなるような人物。そこへ、グラント夫人の実の弟妹、ヘンリーとメアリーのクロフォード兄妹がロンドンからやってきてしばらくマンスフィールドの牧師館に滞在します。共にロンドンの上流階級の社交界の香りを身にまとった華やかで朗らかで聡明さと軽薄さを併せ持っていて、ヘンリーは顔立ちは美しいわけではないのに話術に長けて人を魅了する雰囲気を持っており、メアリはマライアとジュリアとはまた違った美人で機知に富んだ会話も楽しい女性。

 

すぐにクロフォード兄妹とバートラム兄妹との間で楽しい交流が始まりますが、自分がモテ男だと自覚のあるヘンリーは、あろうことか婚約者のいるマライアとジュリア、両方に恋のたわむれを仕掛けます。そしてジュリアはともかくマライアまでその気になってしまい、そんな様子をファニーは軽蔑しつつ心配して見つめています。一方、ファニーの唯一の救いのエドモンドはメアリに恋をしてしまい、よりによってその悩みをファニーに打ち明けます。可哀相なファニー。

 

ファニーの受難はそれだけではなく、マライアが無事に?結婚して新婚旅行へ出かけ、ジュリアもそれに同行してマンスフィールドに若い女性がファニーだけになると、ヘンリーは今度はファニーに恋のゲームを仕掛けようとします。ファニーはヘンリーに嫌悪感しか抱いていないので当然つれないのですが、たぶらかしてやろうと思ってなんだかんだファニーに付きまとっているうちに、今まで自分が付き合ってきた軽薄なお嬢さまたちには備わっていない美質や魅力をファニーに見出し、ミイラ取りがミイラ、いつのまにかすっかりファニーに夢中になったヘンリーは、ついに本気のプロポーズをファニーにします。ファニーにとってはまさに青天の霹靂。しかも、エドモンドさえ、ヘンリーがファニーの良い影響を受けて人格的な問題点を克服すればこれ以上ない良縁、時間さえかけてファニーの気持ちがほどけたらベストカップルと賛成するものだから、ファニーにとっては四面楚歌の窮地。

 

エドモンドの、ファニーの気持ちに気が付かなすぎる鈍感さと、メアリに盲目すぎる様子にイライラしたり、ファニーの遠慮しすぎにジリジリしたり。すっかりファニー目線なのでクロフォード兄妹に対して否定的な目を向けながら読んでいるのですが、徐々にメアリの魅力、『高慢と偏見』のエリザベスにも通じる皮肉とウィットに富んだ機知溢れる会話術や断定的で自信たっぷりな態度、『エマ』のエマに通じるような、恵まれた環境と容姿故の遠慮のなさと悪気のない無神経さがギリギリ欠点に転ばず邪気の無い屈託のなさという可愛げに収まっている点を感じるようになってきて、そしてヘンリーも心を入れ替えてファニーにひとすじ、一生懸命で感じのよい行動をとるようになっていくのにつき、もしかして、ファニーの片想いが成就するよりも、エドモンドとメアリー、ファニーとヘンリーというカップルに収まるという展開もアリかもしれない、という気もしてきます。

 

実際、なんだかんだあってもエドモンドのメアリ熱は相当しつこく、冷めそうにないしとうとう、もう、いよいよ、プロポーズしちゃうぞこりゃ!というところまできてしまいます。ということは、メアリもヘンリーも心を入れ替えて自分の欠点を治して2組の素敵カップル成立という流れが望ましいような気もしてくるし。でも、ファニーが納得するにはまだまだ時間がかかりそうだし(かなり頑固なファニーなのでした)、、、えぇー、どうなるんだろう、どう転ぶんだろう、と最後までもう気になりまくりで、相当長い長編ですが飽きる暇もありません。久しぶりに読みましたが、やはりジェイン・オースティンは面白い!

 

最後の最後で思いがけない展開があって、そこから一気に結末が導き出されるのですが、満足のため息と共に本を閉じて振り返ってみると、確かにファニーもエドモンドも、生真面目すぎて頑固すぎてキャラクターの面白味には欠ける。途中でメアリとヘンリーがやたらと輝いて見えて応援したくなったほど。でも、そんな地味な主人公が、ひたすらじっと思索にふけっていたり、大人しく他人の指図に甘んじているばかりなのになぜこんなに面白いんだろう。とどのつまり、最終的な明暗を分ける肝になるのは「道徳心」。ひたすら、道徳。とにかく道徳。人間にとって一番大切なもの、それは道徳。罪悪は決して許さない、犯さない、道徳心こそ大切。まるで昔の道徳の時間のテキストになりそうなほど徹底してブレない道徳賛歌。なのに、それがなぜ、こんなに面白い?Σ(゚Д゚)

 

巻末の訳者あとがきによると、かのサマセット・モームですら、「主人公のカップルは真面目人間すぎて気に入らないが、オースティンの6つの小説の中では『マンスフィールド・パーク』が1番好きだ」と、主人公が気に入らないのに一番のお気に入りと、なんとも間尺に合わない発言をしたらしく、モームさん、お気持ち、大変よく分りますよ!とその一言を伝えにタイムマシンで会いに行きたいほど。ジェイン・オースティン恐るべし。

 

それにしても、確かに、ウィットや機知や皮肉で滑稽にケムに巻いてしまうのが得意なオースティンがなぜここまでストイックに道徳にストレートにこだわった、「クリスチャン・ヒロイン」と呼ばれるほどの前作までと明らかに異色の小説を書いたのか、興味は湧きます。訳者の中野さんは、当時の「摂政皇太子を頂点とする、道徳心が欠如した快楽志向過剰の時代にたいするオースティンの怒りが吹き出し」て、過剰な快楽主義や華美な狂瀾に釘をさすためにこのような道徳の尊さを前面に出した作品を書いたのではないかと考察されています。なるほど。

 

父王ジョージ3世が精神異常をきたして無能力状態に陥ったため、後のジョージ4世は即位までの11年程、皇太子のまま摂政政治を行いこの時代の彼を摂政皇太子と呼びます。そういえば、「ジェイン・オースティンの後悔」でも、『マンスフィールド・パーク』の出版後にジェインの愛読者である皇太子にもてなされ、新作『エマ』を献上するというくだりがありました。そうか、そうか、あの皇太子がいわゆる摂政皇太子、後のジョージ4世のことだったか。

 

ここで摂政皇太子について軽く確認。真面目実直でスキャンダルとも無縁の賢王、その代り武骨で無風流だったジョージ3世に対する反動か(真面目に倹約して生きても最後、気がふれちゃうんじゃあ踏んだり蹴ったりジャン・・・と思った?)、息子ジョージ皇太子は若い頃から独立財産を持ち、贅沢大好き、遊ぶこと大好き、快楽上等な放蕩息子で、摂政時代に国庫のお金使いまくって借金だらけに。浪費、放蕩、大酒、無数の愛人と悪徳の限りを尽くし王家の名声を落とす一方で、魅力と教養と品性に溢れた彼を「イングランド一のジェントルマン」と呼び崇拝する声も多かったそうです。

 

若いうちに自由になる財産を手に入れて、上品で教養に溢れているけれども軽薄さもあって、快楽的で放埓家・・・って、まさに本書のヘンリー・クロフォードにそっくりじゃないですか( *´艸`)。そんなヘンリーの道徳心の欠如をギャフンと懲らしめる本書を出版した翌年に、まさに摂政皇太子のお気に入り作家としてもてなされるってのも何だか意味深?皇太子はヘンリーと自分を似てるって思ったりしたのかしら・・・と、好奇心が疼きます。サマセット・モースの次にはこの頃のジョージ皇太子にもインタビューしに行かなきゃ(笑)。

 

美しいものが大好きで好奇心も旺盛な皇太子は芸術や新しいレジャーのパトロンも進んで引き受け、摂政時代にバッキンガム宮殿の改修、ブライトンにあるロイヤル・パビリオンの建築、ウィンザー城の再見などを手掛け、それらは今もイギリスを代表する美しい伝統的な建造物として残されています。また洒脱な皇太子は男性のファッションの流行の発信源、紳士のお洒落の見本でもあったそうです。当時の貴族や地位のある紳士が着用していたカツラをやめたり、肥満気味のスタイルをごまかすためにダーク・カラーの衣装を好んで身につけたり、、、ヴィクトリアン調という様式の元になったビクトリア女王は貴婦人たちのファッション・リーダーでしたが、摂政皇太子は紳士たちのファッション・リーダーだったわけですね。

 

ここで、ふと、摂政皇太子/ジョージ4世とヴィクトリア女王ってどっちが先の世代だっけ?と思って調べてみたら・・・なんとジョージ4世の次の次が、ヴィクトリア女王じゃないですか!ヴィクトリア女王の父方の叔父さんが、ジョージ4世とその次のウィリアム4世ですね!あぁ、そうか!「ヴィクトリア女王 世紀の愛」のヴィクトリア女王の前々王、ジョージ叔父様がつまりかつての摂政皇太子だ・・・!ここで、思いがけずつながる知識の円。広く浅く映画だ本だミュージカルだと貪って時々あるこういう瞬間が、醍醐味です(*‘ω‘ *)。(最初から気が付いていないあたりが無教養を露呈しているのですが・・・^^;)

 

 

そういえば、主演のジェナ・コールマンの安達祐実感がハンパないと密かに思っていた、先日までNHKの海外ドラマ枠で放送されていたイギリス製ドラマ「ヴィクトリア女王 愛に生きる」でも、先々代国王、つまりヴィクトリアのお祖父さん(すなわちジョージ3世)が精神の病に侵されてしまい、ヴィクトリアの失脚を狙う高官の間で、若いヴィクトリアの感情の起伏を祖父譲りの病の兆候・・・と嫌疑をかけようと策略するくだりがありました・・・ボーっと、へぇ、摂政皇太子のお父さんと一緒だねぇ、皇室の血筋は時々そういうことあるもんねぇなんて流していましたが、もっと早くピンとこいよ、自分。なのでした^^;。

 

色々と横道に脱線、蛇足して文章ばかり長々となってしまいすみません!最後までお読み頂き、ありがとうございました(*‘ω‘ *)。