ジェイン・オースティンの後悔 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

 

2008年 イギリス、アメリカ

ジェレミー・ラヴリング 監督

原題: Miss Austen Regrets

 

 

ジェイン・オースティンの晩年を描いたBBC制作ドラマ。なので厳密には「映画」カテゴリーではないのですが、まぁそこは鷹揚に^^。晩年といってもジェインは42歳で闘病の末にこの世を去ったので、30代の終わりから死ぬまでの、アラフォーのジェイン・オースティンの物語です。知られている史実として、トム・フロイと出会った翌年の1802年にハリス・ビッグ=ウィザーという裕福な年下の青年にプロポーズをされて一旦承諾したものの翌日に撤回したというエピソードがあります。「ジェイン・オースティン 秘められた恋」ではその役割を部分的にウィスリー氏( ローレンス・フォックス)が担っていましtが、本作はそのハリスのプロポーズを受けた直後、姉のカサンドラに「本当にいいの?」と聞かれる場面から始まります。

 

 

そして、それから恐らく10年後くらい、小説が2作ほど世に出て名を知られるようになった(匿名での出版ではあっても)ジェイン(オリヴィア・ウィリアムズ)は未だ独身のまま、母や姉らと生活しています。自分の書いた小説が出版され、多少なりのお金を稼ぐことができたという自負、結婚については機会はいくらでもあったが自分が妥協しなかっただけ、まだこれからだってその気になれば機会はいくらでもあるという自尊心に支えられて生きています。自分は不幸ではない、自由を勝ち取った幸せな女なんだと周囲にも自分自身にもアピールするかのように明るく、朗らかに、奔放に振る舞っています。

 

 

自分と結婚したがっている紳士はいくらでもいる、こちらさえその気になればたわいないこと、心の繊細な男性にはこちらからそのチャンスを与えてさしあげなくてはね、と自分の教区の牧師さんに「さぁ、今がプロポーズのチャンスですわよ」とばかりにすり寄ってわざとらしく隙をつくりますが、相手はノーリアクション。ジェインの思惑を知ってわざと無視しているのか、迷惑がっているのか、本当に鈍感な上に感心もないのかとにかく大空振りのジェイン。

 

本は出た。でも自分と家族を生涯養うほどのお金が手に入ったわけではない、もっと書かなきゃ、でも2冊売れたからといって次々といい条件で出版できるわけではない、お金がない、昔ほど条件のいい結婚相手は現れない、求められない、という現実をどうしても認められず必死に抵抗して否定しているように見受けられるジェインの姿がなんだか痛々しいです。設定的には「ジェイン・オースティン 秘められた恋」の続編といってもいい内容ですが、雰囲気があまりに違うのでオースティン文学の世界観を思い浮かべるとザラっとした違和感に戸惑います。

 

 

ジェインには若くて美しい青春が弾けまくっている年頃の姪ファニー(イモージェン・プーツ)がいます。ファニーにとって、機知に富んで作家として成功もして女性として自由を謳歌しているように見える叔母は尊敬と憧れの対象、とっても懐いています。そんなファニーには最近恋のお相手が出来てなんだかプロポーズされそうな予感!きゃーどうしようと浮かれる反面、本当に彼でいいのかしら?この先もっと素敵な人が出てきたらどうしよう?と揺れる乙女心。そこで頼れる叔母さんジェインに、うちに遊びに来て、そして彼のことを見定めて~とお願い。

 

 

そんな美人ファニーちゃんの恋のお相手は、牧師のプラムトリー氏。「ホロウ・クラウン~嘆きの王冠」で精悍なヘンリー五世を演じたトムヒことトム・ヒドルストンじゃありませんか~!ここでは繊細な美青年オーラを大噴出。お庭の生垣の迷路をきゃあきゃあ追いかけっこしたり、観ている方が虫歯になっちゃいそうな甘くて幼い綿菓子のような恋人同士。

 

 

そんなファニーちゃんの相談に乗る為にやってきたはずのジェインですが、かつての「一日婚約者」のハリス(ヒュー・ボネヴィル)と思いがけず再会して、立派な落ち着いた紳士になっていて気まずいやら照れくさいやら「あぁ私の事好きだった人よね」なんていう自惚れ心がムラムラ顔を出すやら逃した魚は大きかったんだろうかなんて気がしてきたり、自分のことでいっぱいいいっぱい、情緒的に落ち着かないのでした。

 

 

ハリスとのことで動揺したり、ファニーの恋バナを聞いているうちに「私もあなたの歳にトム・ルフロイっていう男性と恋に落ちたわ」なんて昔語りをして物思いに耽っちゃったり、ハリスの前でムキになったようにパーティーで一緒になったロンドンの政治家の男性のオダてに恥ずかしいほどキャアキャアはしゃいで一晩中踊りまくったり、ファニーと一緒に男性たちがサロンで歓談している様子を窓から覗いて品定めなんてはしたないことしてみたり、たまたま駆け込んだ病院で親切に対応してくれた若いイケメン医者ヘイデン(ジャック・ヒューストン)にホの字になったり。優男で紳士的なヘイデンも自分に気があると思い込んでしまったり、なんだかもう本当にイタいの連発で観ているのが苦しくなる、このジェイン(>_<)。

 

ちなみにジャック・ヒューストンといえばついこの間「高慢と偏見とゾンビ」でお会いしました。やはり色男役、ウィカムを演じていましたねぇ。イギリス貴族とハリウッドのサラブレッド、華麗なる一族のジャックが演じるのは何故だか身分の低い財産のない顔と女性への処世術に優れた色男役続き(笑)。今では医者なんてセレブ職業で、医者と結婚したい女性が山ほどいるというのにこの時代は貧しくて結婚相手として不人気だったというのが面白いです。まぁ職業を持つという時点で紳士にあらず、一般庶民の証ではありますが、政治家や法律家は尊敬されているんですよねぇ。政治家や法律家は実力よりも家柄で世襲する上流階級のお仕事、医者や牧師は貧しい者が勉強してなる職業。

 

 

若くハンサムなヘイデンは自分に気があると思い込んでいい気分に浮かれて、でも医者なんて貧乏だしどうしようかしら~なんて上から目線のつもりだったのに、ヘイデンの人当たりの良さは単なる社交上手にすぎないと、ファニーを見つめるヘイデンの様子でハっと気が付き愕然とするジェイン。積もり積もった、若さと美しさを無邪気に謳歌する姪への嫉妬心が爆発します。一方ファニーは、いよいよ待ちに待ったプラムトリーからのプロポーズの瞬間、男が勇気を出して一大告白をしている時になぜ不真面目に笑うんだ、僕を馬鹿にしているんだな!とこちらもファニーのフワフワした軽薄な部分と愛への誠実さへの不安が爆発してまさかのプロポーズ取りやめ、破局。激しいショックを受けたファニーは、ジェインの悪影響で自分まで軽薄な女だと思われた、叔母様のせいで愛を失ったわ!と八つ当たり絶交宣言。

 

 

この映画でも、カサンドラに向けてしょっちゅう手紙を書きつけるジェインですが、恋に浮かれた(思い込みでしたけど)ジェインからの自慢タラタラの手紙を受け取ったカサンドラは、無表情にその手紙をクシャクシャに握りつぶしてしまいます。そして、妹の心が弱っている時に、ハリスからのプロポーズを承諾したジェインを説得して取り消させたのは、ジェインの為ではなく条件のよい結婚を妹がすることに嫉妬した為だという爆弾をぶつけます。小説でも、「ジェイン・オースティン 秘められた恋」でも、親子、姉妹、兄弟たちは互いを慈しみあい思いやりあって美しい関係ですが、彼女たちの現実は、互いに嫉妬しあい自分の中に醜いモンスターを持て余しています。そして、渇望し絶望したまま病に侵されていくジェイン・・・。

 

 

ジェイン・オースティンの陰の部分をとことん浮き彫りにしたこの映画。「秘められた恋」は作り手たちのジェイン愛が溢れ、つらい出来事も乗り越えて気丈に賢く優しく生きる愛に溢れた女性としてポジティブ解釈でしたが、こちらのジェインはあがき、もがき、嫉妬し、苦しむ、よりリアルで救いのない現実を生きています。ジェインのキャラクターも、年を取った分もあるとはいえ、より軽薄でプライドが空回りしていて、とにかく痛々しいし観ているのが本当にしんどい・・・ですが、どちらも同じ、史実や資料が示す事実を元に構築したジェイン・オースティンの姿。どちらかが正解でもないし、どちらも同じジェイン・オースティンなんですよね。人は多面体の生き物。

 

慈愛に満ちた人間だって、嫉妬したり後悔したりすることはある。誰かを妬むと同時に心から愛することだって、あります。人間は一貫性がなく矛盾した存在。同じ人間の同じ行動だって、見る人が変わればその印象は全く変わることもあります。そういう複雑多面体の、ある一面に焦点をあてた、それだけのこと。ジェイン・オースティンのシニカルであっても穏やかで幸せな世界観を期待して見るとショックを受けますが、それでも目が離せない引力を持っているのは、それだけリアルな人間の一面を丁寧に掘り下げていて真に迫るものがあるから。

 

痛々しいとか辛いとか感じるのは、ジェイン・オースティンのイメージがどうというよりも、画面の中のジェインの姿がより現実的で自分自身と重なる部分が多いからかもしれません。彼女が生きた時代にはあり得なかった自由と可能性と選択の余地を手に入れた現代社会に生きる私たちでも、結局同じように”絶対的に正しい選択”が出来る訳ではなく、手に入るものに満足せず、手に入らないものを渇望し、なりたい自分となってしまった自分となれない自分とのギャップに苦しむから、理想や妄想に逃避させてもらえず現実を突きつけられるから、余計に苦しい、でも目をそらすことができないし、切ないのかもしれません。

 

人間には様々な面がある。きっとジェイン・オースティンにも、どうにもならない苦しみにあえぐことも、他人を妬むことも、悔しいことも沢山あったに違いないです。でも、あるいはだからこそ、彼女が生みだす物語は機知と皮肉と洞察力と愛情に溢れていて私たちを魅了するし、幸せにしてくれるんだな、と感じさせられます。ジェイン・オースティンの、ちょっと違う面を考えるという意味ではとても見応えのある作品。むしろ、ジェイン・オースティンをあまり好きじゃない、あるいは全然興味のない人は真実味溢れた人間ドラマとしてもっと素直にのめり込めるんじゃないかと思います。

 

観ていて辛い、痛い部分は多いものの(こんなに痛々しさを感じるのは自分だけだったりして・・・|д゚)と少々不安を覚えますが)、彼女の人生に全く救いがなかったわけでもありません。所々、姪のファニーの視点だったり姉のカサンドラの視点が挿入されていたり、最後はジェインの想いをファニーに託されるような演出になっているのは良かったです。ジェインが自分の半分くらいの歳の美しいファニーに投影したもの、託した想いはいったい何だったのか、ファニーは叔母の失敗と成功と人生をどう受け止め引き継いで未来の人生に活かしていくのだろうかと、想いを馳せました。

 

単純にトムヒの若き美青年姿やもうすっかりイギリス貴族以外の姿が想像できなくなりつつあるヒュー・ボネヴィルや美しいイモージェン・プーツの可憐な笑顔やジャック・ヒューストンの優男っぷりなどを目当てに眺めるのもアリ。イギリス田園風景や衣装、家具調度なども当たり前に美しくて目の保養になります^^。