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置き忘れた携帯電話

何が起こるが分からないから、事前に対策考えておく必要があった。想定できる事に関しては、対策はほぼ完璧だろうと思えた。ただし、不測の事態に対しては、どれだけ対処できるのかは不明だった。


不安はあったが、もう後戻りはできなかった。この日のために、一年以上も前から準備していたのだ。最初は、三人でアタックする予定だった。しかし、二人は、あまりにも過酷な条件に恐れをなした。わざわざ命を落とすようなことをするのは無意味だと言って、プロジェくトから外れた。


今更、新たに二人のメンバーを補充することは、時間的に無理があった。彼一人がアタックすることになった。一人ということは、誰もバックアップはしてくれないということだ。


任務は1969年に置き忘れてきた、携帯電話を取り戻し、消えたタイムトラベラーとともに現代に戻ってくるというものだった。タイムトラベラーがある大学の研究室に携帯電話を置き忘れたのだ。


このことが何を意味するのか。


1969年には携帯電話など存在していなかった。存在していないものがそこに存在するということは、その後の世界の未来を変えてしまう可能性があるということだ。タイムトラベラーは、過去に戻った場合、現代のものをそこに忘れてはいけないし、過去の事象には、絶対に干渉してはいけない。


なぜ、タイムトラベラーは、携帯電話を1969年に持ち込んだのか。それは、ひとつの実験だった。過去から、未来にに携帯電話が通じるか実験をしようとしたのだ。答えは、分かっているのだが、実際に試してみたのだ。


過去に戻ったタイムトラベラーの本来の任務は、携帯電話が現代に通じるかの実験ではない。携帯電話の実験は半分、余興のようなものだった。1969年のある大学の実験室で、実際に、ミニブラックホールが作られたのかどうかを確かめるのが任務だった。


歴史的には、ミニブラックホールは、フランスで、2010年に初めて作られたことになっている。ミニブラックホールが作られたことによって、タイムトラベルの可能性が現実のものになったのだ。


それよりも、四十年以上も前に、日本でミニブラックホールが作られたということは公式的には記録がないのだが、ある大学の研究室の学生の日記の中に、ミニブラックホールが作られたことを確認したという記述があるということが発見された。それが事実なら、フランスではなくて、日本でミニブラックホールが、世界で初めて作られたことになる。


ようするに、日本の科学技術がフランスより、四十年以上も進んでいたことを確認したかったというのが、タイムトラベラーの任務だった。任務としては、難しいことはないはずだった。


ところが、彼は、1969年に携帯電話を忘れてしまった。そのまま彼は現代に戻っていれば、再び1969年に戻って携帯電話を持ち帰ればいいわけだが、彼にはもうひとつの任務があった。彼が実際に過去にタイムトラベルをしたという証明をすることだった。過去の物を持ち帰るということはできないから、過去のある時点から、未来の現代に向けてメッセージを残すという形で、タイムトラベルを証明しようとした。過去からのメッセージを送ることが、現実的に、一方的ではあるが、タイムトラベラーとの連絡方法だった。


彼は、1969年から、1991年の未来に向かった。タイムトラベルプロジェクトの研究の始まりが1991年だった。彼は、タイムトラベルプロジェクトの機関誌に未来へむけてメッセージを書き込むことによって、過去にタイムトラベルをしたことの証拠を残した。その時になって、彼は携帯電話を1969年のある大学の研究室に忘れてきたことを思い出した。彼は、その時点から1969へと再び戻った。それから、一年以上の時間が経過したが、彼は現代には戻ってはいなかった。


彼を救いだすためのプロジェクトが発足した。彼が携帯電話を置き忘れてしまう前の、1969年の特定の時点に救援チームが向かって、彼とともに、携帯電話を持って、現代に戻ればいいのだ。


理論的にはそれでいいのだが、タイムトラベルには時間と、空間のぶれが生じるということがわかった。正確に、ピンポイントで、ある特定の時点の過去にタイムトラベルを可能にするまでに、一年以上の時間が必要だった。


消えたタイムトラベラーの救出は三人のチームで行うはずだったが、彼一人が行うことになった。もとともは、彼が二十四時間以内に現代に戻らない場合は、バックアップの二人目が1969年に戻り、同じように、二人目が二十四時間以内に現代に戻らない場合は、三人目のバックアップが1969年に戻る予定だった。


タイムトラベルの時空のぶれは、理論的には解消したが、実際にどうなるかは、タイムトラベルをしてみないことには分からない。タイムトラベルの途中で、時空間に消えてしまう可能性もある。現代に戻れる保証はどこにもない。しかし、いまさら、プロジェトの中止はできない。たとえ、時空間の藻屑になっても、アタックするしかない。


タイムマシンは人工的に作られた、ミニブラックホールの中を通過して、特定の時点にタイムトラベルする。タイムマシは改良を重ねたが、十年過去に戻るの約二十分かかる。


タイムトラベル中は、タイムマシンがエレベーターになったかのように、上下に上昇と降下を繰り返すような感覚に襲われる。視界には何も見えない。タイムマシンの周辺には光は何も見えなくなる。タイムトラベル中は時間の感覚がなくなる。


タイムマシンのまわりに光が見え、タイムマシンが発するモーターのような音が止まると、タイムトラベルは終わる。


タイムマシンは電気自動車のような乗り物なのだが、1969年当時にはこのような車はないから、人目につかない場所にタイムマシンを隠しておく必要がある。彼のタイムマシンが現れたのは、廃墟になっているビルの一室だった。


ここからはタクシーを使って大学まで行く予定だった。しかし、ビルの外の様子がおかしかった。事前にシミュレーションしていた光景と大きくちがっていた。通りには、一台の車も走っていなかったし、誰ひとり歩いていなかった。


ビルは廃墟だが、人里離れた場所ではなかったはずだった。何かがおかしかった。こんなことではタクシーなんてつかまるはずがなかった。彼は、大学のあるはずの方向に歩き出した。


歩きだして、10分以上たっているのに、人にも会わなければ、車も見なかった。何かが間違っていることを彼は確信し始めた。


何度も確認した。座標軸は間違っていないはずだ。それなのに、この光景は、まるで、戦争によって町全体が破壊されたかのようだった。全く予測できないことが起こっていたのだ。


消えたタイムトラベラーが携帯電話を忘れた6時間前の時点に彼はタイムトラベルしたはずだった。その6時間前の世界が、まるで外国の戦場の光景のようになっていたのだ。


携帯電話を置き忘れる以前の世界には理論的には何も変化はないはずだった。変化があるのは、携帯電話を置き忘れたあとの未来の世界のはずだった。もしかしてと、彼は思った。携帯電話を置き忘れたことによって、未来ではなくて、それ以前の過去が変わってしまったのではないかと。携帯電話を置き忘れたことがその後の未来に影響を与えるとばかり思っていたが、実は、未来ではなくて、過去に影響を与えていたのだ。ということは、携帯電話を未来に持ち帰ってしまうと、逆に未来が変わってしまうかもしれない。


携帯電話は未来へ持ち帰ってはいけない。しかし、消えたタイムトラベラーは救い出す必要がある。とにかく大学へ行こう。しかし、過去が戦場のようになってしまったということは、大学そのものが破壊されているのではないか。


彼は走りだした。大学までの距離は5キロほどあった。


しばらくすると、上空に爆音が聞こえてきた。彼は空を見上げた。ヘリコプターだった。ヘリコプターは高度を下げて、彼に接近してきた。咄嗟に、彼は危険を感じ、崩れた建物の陰に隠れようとした。その瞬間、ヘリコプターの機銃が火を噴いた。彼は、もう二度と未来には戻れなくなった。バックアップは誰もこないのだ。




好物

本来の筋を離れて、だらだら、エピソードを挿入している小説は、読者としては、作者の意識の流れについていくことができない。


本来のストーリーと、エピソードと、どちらに重点がおかれているか分からないと、物語が分断されてしまったように感じる。


だから、ただ、だらだらとエピソードを多く挿入している小説は、あまり好きにはなれない。


起承転結がはっきりとしていて、次に何が起こるのかと、読書欲を起こさせるような小説を私は好むし、そういう物語を書いてみたい。



ミステリー・ファンタジーとか、探偵小説はストーリーがしっかりとしているから、そういうものを読んでみたいのだが、細切れのような文章で、会話文の多いのは好みの対象外になる。


文学的要素が小説の中にちらほらと見えるものでなければ、読書欲がそそられない。


言うなれば、文学的要素をきちんと含有した、ミステリー・ファンタジーが、私の好物である。

見落とす

地図だけが頼りだった。


国道に戻っていたら、約束の時間には間に合いそうになかった。


地図の上では、近道があった。その道は、不気味に山間部を曲りくねって続いていた。


初めて走る道だが、時間を短縮するにはそのルートしかない。もちろん、できることなら、どうなっているか予測がつかないコーナーが続く県道を夜に走りたくはなかった。


彼は決意した。


狭い山間の県道を走ることにした。ヘッドライト以外には、光は何もなかった。身体の全神経をヘッドライトが照らす方向に集中させた。


左側には山肌が迫り、右側は渓谷になっている。ミスをすれば、間違いなく渓谷に落ちてしまう。


急がなければという気持ちと、ミスをしないように落ち着かなければという相反する気持ちが全身を駆け巡り、ハンドルを持つ指先と、アクセルを踏む足先がしびれたように硬くなった。喉の奥は、大干ばつに襲われたように、乾ききっていた。


対向車は一台もいなかった。こんな山の中を午後九時過ぎに走っている車などいるはずがない。


道幅がさらに狭くなってきた。片側一車線の幅から、ほとんど、対向車とすれ違いができないほどの道幅になってきた。さらに、アスファルトが 消え、土がむき出しになってきた。


何てことだ、こんなことなら、素直に国道に戻ればよかったと彼は思った。しかし、戻るにも、時間的には大きなロスになるし、だいたい、Uターンできる場所もない。


こんな道を夜に走るのは、狂気の沙汰だ。両手の指の爪先から血が噴き出てしまいそうだった。


これから会わなければならない人物の顔がぼんやりと、頭をかすめた時、何かかが彼の視界の端に見えたような気がした。何かの道案内の標識のようだった。


道はこの一本で、途中での別れ道はなかったはずだった。少なくとも、地図の上では別れ道はなかった。


確かに別れ道はなかった。しかし、道そのものがなくなっていたのだ。一瞬、ブレーキに脚を乗せたが間に合うはずもなかった。車は、何のためらいもなく、谷底に向って転がり落ちた。


『この先崖、 落下注意』という小さな看板を見落としていたのだ。


彼の視界の端に見えたのはこの看板だった。


県道は、途中から未舗装の林道になっていたのだ。そして、その林道はどこにもつながっていない。


地図上の道も途中で切れていた。それも見落としていたのだ。


だいたい、夜にこの道を車で走る者なんていない。自殺願望があれば話は別だが。

幸せは白いTシャツ

創作ラボ2-幸せは白いTシャツ



夏が終わるまでに、紹介するべきだったと反省しても、時はすでに中秋を過ぎようとしてる。


にも、かかわらず、あえて、紹介したい気分になっているから、ここに、私のお気に入りの一冊を紹介する。


角川文庫の赤い背表紙、『幸せは白いTシャツ』。著者は、片岡義男氏。


おそらく、何度かこの小説は読んだことだろうと思う。記憶があいまいで、はっきりとはしないけど、黄色く変色した表紙の一部が何度も手にして読んだことを教えてくれる。


写真で登場する女性ライダーは、三好礼子さん。


まさに、片岡ワールドに登場する女性そのものだ。


この小説の舞台となっている、四国の太平洋側の、『横浪スカイライン

』をバイクで走ったことがある。


初めて走った、海沿いのワイディングロードで、今でも忘れられない経験をした。


道は、ストレートが少し続いては、コーナーが現れる。


初めて走る道だから、注意はしていたつもりだったが、ブラインドの右コーナーに明らかにオーバースピードで飛び込んでしまった。


ブレーキは間に合わないと思った。リアタイヤから滑って、転倒する予感が頭をよぎった。


しかし、幸運にも、私の予感ははずれた。


リアタイヤはロックすることなく、カワサキのオートバイは見事にそのコーナーをクリアした。


コーナーを抜ける時はいつもそうしているように、フロントブレーキをメインして、ブレーキングをしていたのだ。


パニックに落ちいっても、普段の習慣が自分の身を助けたのだ。


あるいは、その時、私はまだ死んではいけないから、何ものかが私のオートバイを物理的な力ではないもので減速したのかも知れない。


『幸せは白いTシャツ』は、数多く所有する片岡義男氏の作品の中でも、思い入れのある、赤い背表紙だ。



ひとつのミステリー

これは、ひとつのミステリーです。


昨日の、このブログのページプレビューが突然、増えています。


いったい、何が起こったのか。


不気味です。


できることなら、原稿用紙二枚程度の短編小説風の文章を書こうと、心がけているのですが、アイディアが尽きることなく、湧き上るということはない。


単純に、アクセス解析に不具合が起きたのか。


アメブロが、500万ユーザーの中では、辺境の地にいる私に、愛の手を差し伸べて、ページプレビューに大幅に、下駄を履かせたのか。


あるいは、神秘的な手が、私のブログのページを何度もクリックしたのだろうか。


いまだに、謎の午後に、こうして、記事を書いている。