見落とす | 創作ラボ2

見落とす

地図だけが頼りだった。


国道に戻っていたら、約束の時間には間に合いそうになかった。


地図の上では、近道があった。その道は、不気味に山間部を曲りくねって続いていた。


初めて走る道だが、時間を短縮するにはそのルートしかない。もちろん、できることなら、どうなっているか予測がつかないコーナーが続く県道を夜に走りたくはなかった。


彼は決意した。


狭い山間の県道を走ることにした。ヘッドライト以外には、光は何もなかった。身体の全神経をヘッドライトが照らす方向に集中させた。


左側には山肌が迫り、右側は渓谷になっている。ミスをすれば、間違いなく渓谷に落ちてしまう。


急がなければという気持ちと、ミスをしないように落ち着かなければという相反する気持ちが全身を駆け巡り、ハンドルを持つ指先と、アクセルを踏む足先がしびれたように硬くなった。喉の奥は、大干ばつに襲われたように、乾ききっていた。


対向車は一台もいなかった。こんな山の中を午後九時過ぎに走っている車などいるはずがない。


道幅がさらに狭くなってきた。片側一車線の幅から、ほとんど、対向車とすれ違いができないほどの道幅になってきた。さらに、アスファルトが 消え、土がむき出しになってきた。


何てことだ、こんなことなら、素直に国道に戻ればよかったと彼は思った。しかし、戻るにも、時間的には大きなロスになるし、だいたい、Uターンできる場所もない。


こんな道を夜に走るのは、狂気の沙汰だ。両手の指の爪先から血が噴き出てしまいそうだった。


これから会わなければならない人物の顔がぼんやりと、頭をかすめた時、何かかが彼の視界の端に見えたような気がした。何かの道案内の標識のようだった。


道はこの一本で、途中での別れ道はなかったはずだった。少なくとも、地図の上では別れ道はなかった。


確かに別れ道はなかった。しかし、道そのものがなくなっていたのだ。一瞬、ブレーキに脚を乗せたが間に合うはずもなかった。車は、何のためらいもなく、谷底に向って転がり落ちた。


『この先崖、 落下注意』という小さな看板を見落としていたのだ。


彼の視界の端に見えたのはこの看板だった。


県道は、途中から未舗装の林道になっていたのだ。そして、その林道はどこにもつながっていない。


地図上の道も途中で切れていた。それも見落としていたのだ。


だいたい、夜にこの道を車で走る者なんていない。自殺願望があれば話は別だが。