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やさしい目

創作ラボ2-馬の目


間近で、馬の目を見たことがありますか。


馬の目はほんとに、やさしく、美しく澄んでいます。


とても、おだやかで、じっと見ているだけで、癒されます。


馬の毛並みもとてもきれいで、とくに競走馬の筋肉は美しさと、力強さを持っています。


動物には、癒しの力があります。


身近にいる、犬とか猫にも癒しの力が宿っています。


だから、人は、ペットを飼うのだと思います。


今日は、馬に癒された日でした。


かわいい女 チャンドラー

レイモンド・チャンドラーの、『かわいい女』を読みました。


けっこう複雑なストーリ展開でした。


登場人物が多いと、この人は何者だったのか分からなくなってしまって、最初のページに書いてある登場人物のリストを何度も読み返してしまいます。


フィリップ・マーローの向うところには、偶然しても、都合よく死体が転がっている。そんなに、うまい具合に死体が転がるはずはないのですが、探偵小説というのはそういう蓋然性の確率を無視して物語は展開していくものです。その蓋然性がかおしいと言ってしまうと、探偵小説にはなりません。


事件は、割合と、短い時間の間に起こります。


事件の裏には、女ありということで、殺人犯は、ある女だったということで、事件は解決しているようにも思うのですが、もう一度読み返さないと、どうにもすっきりはしません。


チャンドラーが真犯人の姿をわざとぼかしているいるようにも思えます。


この作品は、チャンドラーの長編小説としては、最後から二番目に書かれたものです。1949年ころに書かれています。


その後は、まるで自分の死を暗示するように、最後の長編の『長いお別れ』を書いてから、5年後に死亡しています。


『かわいい女』を書いていた頃には、チャンドラーはハリウッドで映画の仕事に関わっていたので、ハリウッドの映画界の様子などもこの小説には描かれています。


フィリップ・マーローは30代という年齢設定で、いい男で、もてるのですが、ただのタフガイではなくて、情にもろいところもあります。


探偵小説、あるいは、推理小説は、文芸作品とは距離のあるジャンルなのですが、チャンドラーは、探偵小説を文芸作品の位置に押し上げようと試みているように思えます。


あいかわらず、たいへん情景描写は細かく、まるで、その光景をチャンドラーは目の前に見ているかのようです。


社会批判をするような文章も所々で見られます。警察官には、警察官の哀愁というものを語らせます。


探偵小説という形をとりながら、文芸作品に昇華させるような小説を読んでみたいし、書いてみたい。


また、チャンドラーの作品を読みます。

いいひと

本来、日本語はやわらかな響きと、しなやかな表音文字を持っているものだと思う。


漢字は、本来、中国の文字だろうと思う。


小説を読んでいると、時々読めない文字に出くわしてしまう。


単純に自分が読めないだけのことだけど、漢字は音として読めないと、意味を調べることもできない。


ネット上には辞書があるのだが、ひらがなで入力できないことには、意味を調べることすらできない。


知識不足だと認めてしまえばいいだけのことだが、日本語の言葉は美しく奥ゆかしいばずだから、うまく日本語の文字を使ってほしい。


たとえば、『いい人』という言葉はどういう意味があるのか考えてみる。


『良い人』と書いて、(おっと)と読ませている場合かある。


『いい人』とは、夫の意味で使っている。


『私のいいひと』と女性が言えば、たいていの場合は、恋人とか、いいなずけとか、あるいは、夫のことを言うのだと思う。


男性が、『いいひと』という言葉を使う場合は、恋人を意味することが多いと思う。あるいは、不倫相手を、そのように言っても、意味的にはおかしくはない。


ただし、男性が、『いいひと』と言う場合は、妻を意味する場合は、あまり多くはないだろう。


文字通り、夫は、妻にとっては、いい人で、夫にとっても、妻は、いい人であってほしい、あるいは、そうあるべきだという願いもこの言葉には込められていると思う。


日本語は、あいまいだけど、それは、日本語の言葉を表側から見た場合のことで、裏側には、美しさと奥ゆかしさがあふれているのだ。





カラスの鳴く日

アパートの近所でカラスが泣いていた。それは、地獄の底から聞こえてくるような不気味な鳴き声だった。




カラスの鳴き声は、職場に向かう彼女の気持ちを憂鬱にした。


朝の通勤電車はいつものように、彼女からエネルギーを奪い取っていく。


まるで、巨大なカタパルトで押し出されたように、電車のドアから外へと彼女の身体は、バランスを崩しながらき吐き出された。かろうじて、彼女はプラットホームに両足で立って、アンドロイド的な歩調で改札へと向かった。


無機質的な表情でまっすぐに前方を見つめて、彼女は駅から職場に向って歩いた。


無口で冷たいコンクリートの建物の中へ彼女は入った。


職場の同僚とは、営業用の笑みを浮かべて朝の挨拶を交わす。


もうすぐ昼休みになろうとした時、彼女は、ちょっとしたミスをした。


ここぞとばかりに、課長は彼女を呼びつけて、この世のすべての悪の根源が彼女であるかのように、罵声を浴びせ続けた。


彼女は、頭を垂れて、ひたすら、課長の言葉を聞いていた。


心のかでは、彼女は、課長を何度も刺していた。「お前なんか死んでしまえばいいんだ」という言葉が口から出そうになるのを彼女は必至で抑えた。




翌日、課長は出社しなかった。


昨夜課長は、夫婦喧嘩をして、妻に、刺殺されたのだった。


やはり、カラスの鳴く日は誰かが死ぬ。



宇宙維新

巨大宇宙船、アラバマは姿を見せなかったけれど、今度は、オバマ大統領が宇宙人の存在を公式に発表するらしい。


11月の27日がその日ということらしい。


ほんとに、そうなのだろうか。


最近、オバマ大統領周辺で何が起こったのかを見ていると、真偽の判断材料になるかもしれない。


オバマ大統領は、米国では、黒人初の大統領で、核兵器削減を訴えつづけ、ノーベル平和賞を受賞した。


アメリカの大統領がなぜ、核兵器の削減を訴え続けているのか。


それは、もはや、核兵器など、前世紀の遺物となっているからではないのか。


アメリカは、核兵器を子供のおもちゃにしてしまうほどの兵器をすでに手に入れているはず。


そのテクノロジーは宇宙人によってもたらされて、宇宙人と、アメリカの間では、すでにある種の条約が締結されている。


地球を丸ごと支配できるだけのテクノロジーを手に入れているアメリカは、意気揚揚と、宇宙人の実在を公表し、同時に、彼らとの条約も公表し、アメリカこそが世界の支配者であることを全世界にしらしめる。


そういうシナリオがあってもおかしくはない。


心配なのは、宇宙人の実在が公表されたあとの世界がどうなるかだ。


世界各地で起こっている戦争は終結するだろうか。


飢餓はなくなるだろうか。


不治の病もなくなるだろうか。


あるいは、地球を宇宙人の侵略から守るのために、宇宙人との勝ち目のない戦争を始めるのだろか。


何が起こっても、驚かないから、自分の目で、宇宙維新を見てみたい。