予定通りにはいかない
予定通りにはいかない。
今年が終わるまでに、『ゼルダ・フィッツジェラルド全作品』、『ダーバヴィル家のテス』を読むのだと決心していたのですが、どうも読めそうにない。
『ゼルダ・フィッツジェラルド全作品』は、戯曲と、長篇と短編のほぼすべてを読んでいるのだが、まだエッセイが残っている。
『ダーバヴィル家のテス』は、ずっと以前に読んではいるけど、もう一度読もうと思って、高価な本を買ったのにもかかわらず、一行も読んでいない。
年末までに、テスも、ゼルダ・フィッツジェラルドも確実に、読み終えることはできない。
現在は、レイモンド・チャンドラーの、『プレイバック』を読んでいる。
来年は、『源氏物語』と、『平家物語』は、読むのだと、決意だけはしている。
でも、まだまだ、チャンドラーの短編集も、ダシール・ハメットも、ロス・マクドナルドも読みたい。
のんびり読んでいては、時間は、空しく過ぎていくだけ。
脳が活字をほしがるから、どうにもやめられない。
活字に、脳が酔ってしまうのだ。
コンテスト用の五十枚の短編は、郵送したけど、コンテストの結果はどうであれ、とりあえず、作品は書いたという実感はある。
別の、コンテストに応募した十枚の随筆は、選外でした。
こんなことで、めげるはずもなく、現在もコンテスト用に作品を書いている。
青い手紙 8
何が起こるのか予測できなかった。私は、時間が過ぎるのをじっと待った。数秒間、何も起こらなかった。そして、また、ドアにノックの音がきこえた。
「畠山さん」と、ドアの外から女性の声がきこえた。
私は何も返事をしなかった。何事もなく、ドアの外の女性が立ち去ってくれることを願った。しかし、私の期待通りにはならなかった。
ドアがゆっくりと外側に開いた。女性と私の目が合った。30歳の半ばを過ぎているだろうか、やや面長の、瑞々しさの欠けた顔はほとんど化粧をしていないようだった。
「あなたは、どちら様ですか」女性は少し驚いたように、目を大きく開いて怪訝な口調で言った。
「あなたこそ、どなたですか」私が訊き返した。
「わたしは、ヘルパーです」彼女が答えた。
「なるほど。でも、もう、畠山さんにはあなたは必要ないようです」私は彼女から視線をはずして、畠山氏の温もりのない顔のほうに顎を向けて言った。
「どういうことですか」彼女は少し語気を強めて言った。
「部屋の中に入って、畠山さんの顔を見ればわかります」
彼女は部屋に入って、畠山氏の顔を見た。彼女は異変に気づいた。何も言葉を発することもなく彼女はその場に座り込んでしまった。
「畠山さんには、持病があったのですか」私は、座り込んだ彼女を見降ろしながら言った。
「ええ、心臓がよくなくて」彼女は呼吸が深くなり、大きく肩を震わせながら言った。
「とにかく、警察に連絡しましょう。それとも、救急車のほうがいいでしょうか」私がそう言っても、彼女は肩を震わせているだけで何も答えなかった。私は、部屋にある電話で警察に連絡した。
湖中の女 レイモンド・チャンドラー
読むスピードか遅くて、やっと、レイモンド・チャンドラーの、『湖中の女』を読みました。
かなり、プロットが複雑です。
ハードボイルドというよりは、ミステリー的な要素が大きいと思われます。
死んだはずの女が生きていたり、あるいは、別人のようにふるまう。
そういうからくりが、最後の最後で、明らかにされる。
読者は最後まで、チャンドラーの術中にはまってしまって、騙されていたような感覚を覚えます。
一度読んだでけでは、どこに、からくりのヒントがあるのかは分からないので、もう一度読んでみたい気になります。
気になると言えば、フィリップ・マーロウの年齢です。
この作品の中のマーロウは、三十三歳から年齢を重ねています。
髪に白髪が混ざっているという描写があるので、四十代後半から五十代前半だと思われます。
マーロウも歳を取るのです。
今は、チャンドラーの最後の長編、『プレイバック』を読んでいます。
松本清張生誕百年
今年は、松本清張の生誕百年ということです。
ですが、松本清張の作品は読んでいないような気がします。
何か読むべきだろうと思って、書店に行ってみました。
『砂の器』を手に取ってみました。文庫本で、上、下、二冊です。
もっと、短い作品で、読むにも時間がかからないものがいいと思って、買うのをあきらめました。
松本清張はデビューが四十代だったということですが、それなのに、とんでもなく多くの作品を書いています。
いったい、一日に原稿用紙を何枚書いていたのでしょう。原稿料金も気になります。
作品のアイディアはどこから生まれるのでしょうか。
松本清張の作品を何か読むのだと宣言してみる。
青い手紙 7
狭い玄関と、毛足の短い絨毯を敷いてある部屋とはほとんど段差がなかった。車椅子で外に出るために、段差をなくしているのだろう。
私は、靴を脱いで部屋に上がった。
「畠山さん」と、私は車椅子の人物のすぐ背後から、もう一度名前を呼んだ。眠っているとしても、耳のそばで声をかけられたら、目を覚ますはずだ。
しかし、何の反応もなかった。私は、車椅子の前に回って、車椅子の人物の顔を見た。
口が少し開いて、目は閉じられていた。目の下には大きな皺がいくつか重なっていた。顎の筋肉は垂れ下り、頬には、黒いしみのようなものが何か所もあった。
額には、幾筋もの皺が並んでいた。ついさっき、水風呂から上がってきたかのように、顔色には暖かい温もりが感じられなかった。どう見ても、健康な人間の顔ではなかった。冷たいものが私の首筋から背中に降りて行った。
明らかに、車椅子の人物は呼吸をしていなかった。棺桶に入った死体は何度も見たことがあったが、車椅子に座ったままの死体を見たのは初めてだった。
1時間ほど前にこの人物は私に電話をしてきた。ということは、私がここに来るまで間に、この人物は死亡したということだ。私には納得がいかない。玄関のドアには鍵はかかっていなかった。それも納得がいかない。
私は、車椅子の人物の右頬にそっと触れてみた。冷たかった。10分や、20分前に死亡したのであればまだ少しは温もりがあるはずだ。
車椅子の人物の顔をじっくりと観察したがどこにも外傷はなかった。首を絞められたような跡もなかった。体に何かの痕跡があるかもしれない。
腰から下には毛布が掛けられていた。その毛布を剥ぎ取ろうとして、私は手を止めた。死亡した現場には手は触れてはいけない。よけいな場所に触れてあちらこちらに指紋をつけるのは良くない。
そう思った私は、上着のポケットからコンパクトデジタルカメラを取り出した。デジタルカメラは商売道具の一つだ。いつも持ち歩いている。
現場の写真を撮ろうと思った。車椅子の人物は正面、横、背後のいくつかのアングルから撮った。顔の正面のアップも必要だ。
部屋の家具の配置もいくつかのアングルから撮った。箪笥の引出しの中も点検するべきかどうか迷ったが、右手にハンカチを持って引出を開けた。衣類と、薬のようなものがあった。それらをデジカメで撮った。そして、慎重に箪笥の引出しを元に戻した。
押入れの戸も開けて、中を点検した。布団と、毛布と、コタツと掃除機があった。それも写真に撮った。
風呂場と、トイレに続くドアも開けて、内部の写真を撮った。とくに何も変わったことはなかった。
後は、キッチンの食器棚を点検してみた。ありきたりのものしかなかった。
流し台の上に水が半分入っているコップがあった。その横には、薬が入っていたと思われる小さな袋があった。それらも写真に撮った。
キッチンの片隅にある小さな冷蔵庫のドアも開けてみた。食材らしきものはほとんどなく、ペットボトルに入ったお茶と、缶入りのコーヒーと、薬の入ったビンのようなものがあった。冷蔵庫の内部も写真に撮った。
私は、あることを忘れていることに気がついた。手紙がどこにも見当たらないのだ。電話で依頼者は、手紙を届けてほしいと言った。その手紙はどこにあるのだろう。そんなものは最初からなかったのだろうか。
私がまだ点検していない場所があった。それは、車椅子の人物の毛布がかけられている下半身だった。
私は、そっと毛布を剥がしてみた。
今にも折れそうな、やせ細った皺だらけの左手には、青い封筒が握られていた。どうすべきか迷ったが私はその青い封筒を左手から引き抜こうとした。
しかし、なかなかうまくいかなかった。指は封筒を握りしめたまま、固まっていた。封筒が皺になっても仕方がない。力まかせに封筒を死体の左手から引き抜いた。私は青い封筒を上着の内ポケットに入れて、毛布を元の通りにかけ直した。
もう一度、部屋を見回した。他にやるべき事がないか考えてみた。写真に撮るべきものは撮った。あとは、一市民として、警察に通報するだけだった。
私が携帯電話を取り出して、警察に電話しようとした時に、玄関のドアをノックする音が聞こえた。
