チャイナタウン DVD
『チャイナタウン』のDVDを見ました。
このDVDこそ、私がイメージしていたレイモンド・チャンドラーの世界です。
製作は、1974年で、映画の舞台は、1930年代のカルフォルニア。
私立探偵、ジェイク・ギテス役はジャック・ニコルソン。
ギテスはまさに、マーロウをイメージしたものです。
ですが、ギテスは個人営業ではなくて、事務をする女性と、二名の調査員をかかえる、探偵事務所の経営者のような感じです。
ギテスの報酬が一日、35ドルで、他の二名の調査員は20ドルですから、マーロウよりも高給取りということになります。
ギテスはなかなかハードボイルドです。銃で撃たれ、暴行されても、決して屈しない。
マーロウのイメージと、ジャック・ニコルソンのイメージは少し違うように思う。演技派のニコルソンではなくて、もう少しいい男であれば、マーロウのイメージに近づくはずです。
全編にわたって、映像が美しく、音楽もよくて、俳優の台詞も、それぞれの役柄にぴったりはまっているように思えます。
ギテスのセリフは、質問に対して、質問で返す、マーロウの台詞そのものです。
フェイ・ダナフェイの演技も存在感があるのですが、脇役では警部補の演技がよかったように思います。
ギテスとの会話も、チャンドラーの小説に登場する警部補とマーロウの会話のようでした。
マーロウは報酬を受け取らなかったり、あまり経済的には豊かだったとは思えないのですが、ギテスはいかにも高そうなスーツを着ていて、商売的には、儲かっているような感じです。ギテスは、事務員に、きちんと、契約書を作らせるが、チャンドラーの小説の中ではマーロウが契約書を作っているシーンはなかったように思います。
カメラのカット割もいいし、役者の演技と、台詞もいい。
プロットが複雑になる探偵ものは映像にするには難しい部分もあるだろうけれど、『チャイナタウン』は、レイモンド・チャンドラー風のハードボイルドの世界を見事に映像化した、名作であることは間違いない。
結末はハッピーエンドではなかったけど、この終わり方でよかったのかどうかは、脚本家も、監督も悩んだということです。
青い手紙 10
翌日の朝刊には畠山氏の死亡記事は載っていなかった。『象アパート』のあまり清潔とはいえない、ネズミが出てきそうな部屋での老人の孤独な死は新聞のネタにはならないのだろうか。
畠山氏の死は、私には関係ないのだから、孤独な老人の死のことなど忘れてしまえばいいのだが、私には、納得がいかなかった。私に電話をかけてくる前に、あの老人は、すでに死亡していた。それでは誰が電話をかけてきたのか。電話の声は、聞き取りにくい、生気のない老人のような声だったが、わざと聞き取りにくい声で話したのではないか。老人の声と思えば、老人の声なのだが、あのような作り声で話すことはさほど難しいことでもない。
警察だって、バカではないだろう。死亡推定時刻が分かれば、すでに死亡している人間が電話をしてくるはずはないことは分かるはずだ。私は何もする必要がない。畠山氏の死に事件性があると判断すれば、警察のほうで、再び私に接触してくるはずだ。
私は、私のやり方で、納得のいかない部分を納得できるように解明していけばいいのだ。 ただし、解明したからといって、誰からも報酬はもらえない。
『象アパート』の畠山氏の部屋での警察の事情聴取の中で、畠山氏は心臓が悪くて定期的に薬を飲んでいたとヘルパーの女性は言っていた。そのことが少し気になった。薬を飲み忘れたために、発作が起こって死亡したという可能性はないだろうか。それなら、ただの病死だ。確かにそうだが、飲み忘れるように工作をされたとしたら、病死ではない。薬を間違って飲んで死亡した可能性もある。
ただの孤独な老人の死であれば、私は悩む必要はなかったはずだ。
ところが、畠山氏はただの孤独な老人ではなかった。ヘルパーの女性が警察に語った畠山氏の正体を知って、何かの事件に巻き込まれていることを私は確信した。
あの老人は、ある企業グループの元会長だったのだ。経済的には恵まれているはずなのに、なぜ、『象アパート』の一室で孤独のうちに死亡したのか。私には納得できなかった。
プレイバック レイモンド・チャンドラー
レイモンド・チャンドラーのこともフィリップ・マーロウのことも知らない人でも、『タフでなくては生きて行けない。やさしくなくては生きている資格はない』というフレーズは知っていると思う。
これは、生島治郎氏の訳で、ハヤカワ・ミステリ文庫の清水俊二さんの訳では、第二十五章に、『しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」』というフレーズで登場する。
実際のところ、『プレイバック』は、レイモンド・チャンドラーの最後の長編小説となる。
この作品は冒頭から会話文が多くて、読みやすくて、いつものチャンドラーの文芸的な味わいが少ないような感じを受けた。
しかし、チャンドラーらしい文芸的味付けは、決して消えているわけではなくて、作品の後半部分では、文芸らしい雰囲気は味わえる。
チャンドラーが七十歳の時に発表された作品だということで、なんとなくチャンドラーの体調が悪いのではないかと思われるような雰囲気が感じられる。あるいは、厭世的な雰囲気といってもいいと思う。
これまでの作品では、プロットが複雑だったが、この作品はさほど複雑ではない。これまでの作品では登場しなかったような人物がが登場する。その人物は、ホテル住まいの老人で、その老人が、神とか死後の話をする。神とか、死後の世界の話をこの老人に語らせるということは、チャンドラーは自分自身に死が迫っていることを悟っていたのだろうと思われる。
このホテル住まいの老人だけではなくて、プロットには、直接関係ないと思われる章を挿入して、そこで、老人に古き良き時代のことを語らせる。あたりまえだが、チャンドラーは歳をとってしまったのだと感じてしまう。
夢なのか、現実なのか分からない観念的な表現の章があり、章が変わるときに、物語の筋がジャンプしてしまうように感じられる章がある。
プロットを複雑にさせずに、物語を終わらせようとするために、物語の展開をジャンプさせたのだろうか。
チャンドラーが疲労しているのが感じられる。
それでも、物語の終盤になると、チャンドラーらしい語り口になってくる。
殺人犯が分かっているのに、誰が罪を犯したのか分かったのにもかかわず、マーロウは、警察に話すことはない。そして、報酬も受け取らない。
最後の章では、唐突に、パリにいるリンダ・ローリングから電話がかかってくる。リンダ・ローリングは「長いお別れ」で殺されたシルヴィアの姉です。どうも、マーロウはリンダ・ローリングと結婚するような感じで物語は終わる。前の作品の登場人物がこの作品でも登して、結婚しようなどということを言うから、『プレイバック』というタイトルがついたのだろうか。
実は、チャンドラーは、マーロウと、リンダ・ローリングが結婚したのちの作品も書き始めていた。チャンドラーの死後、ロバート・B・パーカーが『プードル・スプリングス物語』というタイトルでその作品を完成させた。
この作品も読みたくなった。
とりあえず、チャンドラーの長編、七作品はすべて読んだ。
あとは、短編四冊を読んでみようかとも思う。
別れさせ屋
『別れさせ屋』という言葉は聞いたことがある。
別れさせるために工作をする。
その費用が数十万円から二百万円くらいという。
そんなに費用をかけても、成功率は、一割程度だと、ある調査結果が出ている。
工作員の探偵が、事件を起こすこともある。
男性からの依頼によって、別れさせる女性に工作員が接近して、浮気の証拠写真を撮って、女性に、依頼者の男性がその写真を突き付けて、別れる。
しかし、事件は一件落着の後に起こる。
工作員は、別れさせるという仕事であったにもかかわらず、女性を本気で好きになり、殺人事件が起こる。
実際にこういうことがあるらしい。
まるっきり、ミステリーです。
このストーリーで小説が書けそうです。
青い手紙 9
10分もしないうちに、アパートの外にサイレンの音が聞こえてきた。私服の警察官が2名、部屋に入ってきた。
彼らは、私と、ヘルパーをじっと、射るような目つきで見た。彼らの視線は私を居心地悪くした。私でなくても、警察官に見つめられて気分のいい者などいないだろう。
第一発見者、第一通報者は、まず犯罪に関わっていると疑われる。畠山氏の死に関しては、私は全く関係ないのだから、早くこの場から逃げたかった。
しかし、彼らは、私を簡単には解放してくれなかった。彼らには、個人営業の調査員という私の職業が気に入らなかった。調査員というだけで特別な目で見られる。
彼らの関心事は、私と死亡者の関係だった。依頼を受けて、初めて、畠山氏のアパートに訪れた。外から、声をかけても返事がなかった。ドアはロックされていなかったので、部屋の中に入ってみると、畠山氏が死んでいた。部屋に入って、数分後に、ヘルパーの女性がやってきた。それらの事を私は彼らに話した。ただし、畠山氏の依頼内容については、ほんとのことを話さなかった。もちろん、上着の内ポケットにある青い手紙のことも話さなかった。
彼らが私の話を信じたかどうかは分からなかった。
鑑識が来て、救急車が来て、畠山氏の死体を運び出すまで、私は彼らからは解放されなかった。
ヘルパーの女性は、肩を震わせて泣き続けていたが、大した質問をされることもなく、解放された。
私は、彼女と、警察の話の中で、重要だと思われる情報を手に入れた。

