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ありえない光景

人は、時として、驚くべき力を発揮する。


路肩で停車している車があった。


ボンネットが上がっていた。


何かを点検していたようだった。


そして、点検が終わった。


点検をしていた人物は何を思ったのか、上にあがっていたボンネットを思いっきり下に叩きつけた。


ボンネットは、細くて、短いスチールの棒状のようなもので支えられている。


通常は、そのスチールのつっかえ棒を元の位置に戻してから、ボンネットを静かに下におろす。


しかし、その人物は、その単純な作業を省いてしまったのだ。


その結果、スチールのつっかえ棒は、曲がり、つっかえ棒で支えられていたボンネットが内側から外側にむかって、膨れ上がってしまった。


その行為には、大いに驚いた。


ありえない、光景だった。


もっと、ありえないのは、スチールのつっかえ棒と、ボンネットを曲げてしまったのが七十歳を越えた老人だったことだ。



ストーンヘンジの夜明けのシーンが忘れられなくて

トマスハーディの、『ダーバヴィル家のテス』はほんの数十ページ読んだところです。


けっこう、長い物語です。


運命に翻弄される十九世紀のイギリスの片田舎に住むテスの半生を描いた物語です。


日本でいえば、時代は、幕末のころです。


この小説は一度読んでいるけれど、ストーリーはほとんど忘れている。


物語の最後で、追われたテスが、ストーンヘンジで夜明けを迎える。


とても、印象的だった。


このシーンが頭に残っていて、もう一度、『ダーバヴィル家のテス』を読んでみようという気になってしまった。


この作品は、ずいぶん前に映画化されている。


ストーンヘンジの場面にたどりつくまでは、まだまだ長い道のりがある。

チャンドラー短編集、『事件屋稼業』を『千切り読法』で読み終える


創作ラボ2




もと、F1ドライバーの中嶋悟が自分のドライビングは、『納豆走法』だと言っていた。


それに例えると、私の読書方法は、『千切り読法』とでも言えばいいのだろうか。


とにかく、細かく区切って読む。


読書のために時間を多く使うことはできないから、5分とか、10分の間に、目に入るだけの活字を頭に詰め込む。


そうすると、スートーリーは霞をつかむような感じになってしまう。


ストーリーをつかむことができないままに、ページを閉じて、ふたたびページを開いた時は、ストーリは霞のように消えている。


消えたストーリーをなんとか、手元まで手繰り寄せようとしてみる。


そういうことを何度も繰り返し、ついには、最後のページまで読んでしまう。


チャンドラーの短編集の、『事件屋稼業』も、『千切り読法』でやっと読み終えた。




源氏物語の作者は複数?

源氏物語は、ほんとに、紫式部一人で書かれたのか。


これは、いろいろな説かあります。


以下は、あくまで、現代訳で読んで感じることです。


作者は複数いたのではないかと思います。


男性が一人か、二人、女性が複数です。


『宇治十帖』に関しては、一人の女性によって書かれているものと思われます。


根拠を示せといわれると、「そう感じるだけ」と、答えるしかありません。


源氏物語には、抜けている帖もあるようだし、必要ないと思われる帖もある。


紫式部はいくつかの帖は書いただろうと思います。


源氏物語が、貴族の間で評判になり、紫式部が仕えていた、中宮、彰子が、早く続きを読みたいと、紫式部に催促する。


紫式部はプレッシャーを感じる。


自分一人では、そんなに速く書くことはできない。


そこで、他の女房に手伝ってもらう。


ここに、『式部工房』が作られる。


数人の女房が手分けをしていくつかの帖を書く。


そして、紫式部が目を通して、手を加える。


つまり、紫式部は、『式部工房』の編集長になる。


源氏物語は写本をされる時に、さらに、加筆訂正と、新たな帖が加えられる。


いろいろな人の手によって写本は作られる。


写本をするのは、女性ばかりではなく、男性もいる。


男性が、写本の時に、加筆訂正して、いくつかの帖を新たに加える。



そのようにして、五十四帖の長編大作が出来上がった。


紫式部が書いたとされる原本はとどこにも残っていない。


そもそも、紫式部という人物が実在していたかどうかも疑わしい。






源氏物語総括 『宇治十帖』   

源氏物語の総括的な感想などを書いていきたいと思います。


ほぼ、五か月かかって読んだので、第一巻などは内容を忘れかけているのですが、思い出しながら書いてみたいと思います。


まず、覚えているところから書いてみます。


いわゆる、『宇治十帖』といわれている部分に関して。


この部分は物語のストーリーがそれ以前のものに比べて、理解しやすかったように思えます。


ただ、単に、与謝野晶子の現代訳の源氏物語に慣れただけなのかも知れないですが、ストーリーとしての一貫性はあったように思えます。


貴女というものは、おそらく、一日中御簾に隠れて、薄暗い部屋の中で、ほとんど何もせずに、体も動かすことなく、煩悶をしていたのだろうと思います。


何も仕事らしいものもせずに、一日中、あまり身体を動かすこともなく暗い部屋の中に閉じこもっているというのは、身体的には不健康で、精神的にも不健全だろうと思います。


身体的な病気というよりは、精神的な状態が、身体的病気を引き起こして、なんとなく身体の具合が悪いという状態から、死に至るということはありえただろうと思います。


あまりにも煩悶をするために、鬱的状態のような精神的疾患に陥って、拒食症的状態になって、、身体的な病気を発症して死に至ったり、あるいは、短絡的に自殺行為に走るということはありえただろうと思います。


浮舟は煩悶の末、自殺を試みたけれど、死に切れず、命を助けられて尼となるのですが、この浮舟の物語は、どうも途中で終わっているような感じがします。


もしかしたら、『夢浮橋』以後の物語があってもいいのではないかと思わせるような唐突な終わり方です。


源氏物語の作者は複数いたのではないかという疑念はあります。


ただ、『宇治十帖』の部分に関しては、一人の女性の作者が書いたのではないかと思われます。


ただし、その女性が紫式部であったとは限らない。


たぶん、別人だろうと思われます。