心の構造を再構築するRCメソッド認定カウンセラー -322ページ目

愛するとは

GWもスタートしましたね

どこにいっても混んでると思うので我が家はゆっくりしようと思っております。

とは言ってもやることもたくさん(^^;)

 

 

さて、愛するって何をしたらいいのでしょう。

 

昨日は日曜日で教会でしたが

「愛は聞くことから始まる」とメッセージの中でありました。

 

 

つまり相手を知ろうとする姿勢

自己主張をするよりも

自分はこうしたいんだ~!というよりも

まず、相手がどうしたいのか聞く。

 

たとえば自分がセックスしたいんだ~!!でやっちゃえば強姦です。

自分はしたいけどまずそれは保留、相手の気持ちはどうだろう?

 

極端な例ですけどそういうことです。

 

「自分を愛する」にも言えることです。

自分自身は何を望んでいるのだろう?

その声を聞く。

 

 

幼い頃から親の期待に応えて、親があれこれ決めてきた、自分で決められなかった人は、自分の気持ちが解りません。

 

《自分はこうしたい》よりも《周りの人はどうしたいかな》と考えます。

 

それは、自分の《こうしたい》を大事にしつつも周囲の意見も大事にするという、人の中で輝ける人とは違い、自分の意見はまったく大事にしないのです。

 

自分の意見をおさえつけても他の人の願いを叶えようとする。

みんなと仲良くやるためなら自分の意見は出さない。

人に合わせて自分の願いは押し込めて「それイイネ~!」と合わせ続ける。

 

または、自分の願いがわからない。

そして他者を幸せにしなければならないと頑張ろうとする。

 

自分の願いを大事にするとは他者を巻き込んで自分勝手に生きるということではありません。

まず聞くこと、自分の気持ちを否定しない、我慢させない、願いを知ってあげる。

 

また愛するとは行動であり決断。

感情ではありません。

 

愛情は感情ですけどね。

愛情があるからといって愛する事が出来るとは限りません。

 

虐待やDVが起こるところに愛情が無いとも限りません。

愛情があっても愛する事が出来ないこともあるのです。

愛情は感情なので何もしなくてもわき上がります。

でも愛するというのは自分で実行する必要があることなのです。

 

ベーシックセミナー再受講聖書版

すでに2回もうけたベーシックセミナーを、3周目の再受講(笑)

ちょうど今日は日曜日なので聖書もからめた記事なのでちょうどいいですね。

 

 

1回目は潜在意識

聖書から見た、罪や原罪というものから見ました。

 

 

個人的に思った事…

あ、聖書の内容解ってる人にしか伝わらないかも知れないけど。

 

 

アダムが持っていた地を治める権利

これが善悪の知識の実を食べてしまうことでサタン(悪魔、悪い者、神を裏切った天使)に権利が奪われてしまった

イエスキリストが十字架にかかるり、地を治める権利はイエスキリストが取り返したので、人は地を治める権利が与えられる。

 

 

ザックリしてますけど。

 

しかし、その権利を手中に収めるには、自分を整えていく必要がある。

私の師匠は、すでに世界が自分と調和しているというところで生きています。

まさにこれが地を治める権利を手にしている状態だと思うのです。

 

ただ、自動的にそれを手に出来るのかというとそうではない。

神を否定する事に始まった罪を徹底的に洗い流していく事で初めて、地を治める権利を得る(世界と調和する)ことが可能になると思います。

 

義人は居ない、という聖書の言葉にあるように100%洗い清めなければならないと言う意味では無く、否定を一つ手放す毎に、その手に権利が与えられるという事だと理解しました。

 

 

すでに与えられている。

すべてを。

与えられているものを受け取れるかどうかは自分次第。

 

 

書いてて

伝わらない気がしてならないけど(笑)

とにかく私の中では、ものすごく腑に落ちていったなと思いました。

 

カウンセラー養成講座再受講3

そろそろレポートの提出をしようかな…と一歩踏み出す直前ですが、再受講も楽しんでおります。

 

3期3回目の講座がありました。

 

心の傷ってなにさ?という内容。

あらためて心の傷というものを知っていくときに、新しくできた傷にゆがみを入れないと言うことが、よく理解出来ているなと実感しました。

 

たとえば、浮気された人が居たとして 「自分の何が悪かったんだろう、私に魅力が足りなかったのか…」と思うとゆがみが残ります。

魅力が足りないというゆがみが入れば、努力はするけれど魅力がない自分という方向に無意識に行ってしまいますし、メイクやオシャレを努力していても、誰かに「きれいだね!」と言われてもそれを受け取ることが出来なくなってしまいます

 

こういう、ただ傷ついたのではなくて、ゆがみが入ってしまう事って本当によくあるなと思いました。

 

ゆがみ方次第で、携帯を見てしまったり、相手のスケジュールを把握したがったり、飲みに行くことをゆるせなかったり、色々な形で出てきます。相手の自由をゆるせなくなるのですね。

 

 

無人島ではないので人と暮らすかぎり、この社会に生きる限り、傷つくことと言うのは日々あります。

ころんですりむいても、かさぶたが出来て、はがれて、新しい皮膚が出来る。

人の心も、上司に怒られてガーンってなっても、その日は落ち込んでも数日たったり、ゆっくり休んだり美味しいスイーツ食べたりしてケアして大切にしてあげたら治ります。

 

ただかさぶたって、治りきる前になんどもはがせば傷はなんどもほじくり返される。

治りは遅くなるし傷跡も残るかも知れないし化膿するかも知れない。

そっとして触らないようにしろってことじゃなくて、適切な治療をしましょうということです。

 

ころんで出来た傷だって、保潤絆創膏で、かさぶたの代わりに覆って優しく保護していたら傷跡も残らずにきれいに治ることもあるのです。

 

心の傷もその状態、程度によってなるべく傷跡を残さないことも出来る。

 

 

【ゆがみを残さない】という面では、注意深く対応したら大丈夫なのです。

自分自身も、ゆがみが残りそうな思考が出てくる事はありますが、それを掴み、ぽいっと捨てます。

コレ、いらない!と。

例えば「私がもっとこうしていたらよかった…、そしたらこんなことにはならなかったかもしれない」

 

例えばいじめとか。

知人とのトラブルとか

子どもが怪我したとか

パワハラとか

DVとか

浮気とか

 

 

もしこれがゆがみとして入ってしまったら、今後自分の行動を制限させる事になります。

 

でもそうではない。

 

・自分がその行動をしてなくても、同じ事は起こりえた

・自分の出来る範囲を超えて起こってしまった時もあった

・自分自身がすべてをコントロール出来るわけではない

 

こういったことを認識して、ゆがみが入らないように問題を整理。

そしてゆがみと安全対策も別の事。

 

ゆがみが入るのは悪いことでもありません。

もちろんゆがみがなく生きて本人がラクになれば良いことですが、ゆがみ自体は自分を守るために起こることです。

過去には自分を守るためにそれが必要だった、でも今必要じゃなくなった過去のゆがみは、ありがとう、さようならと手放して行くことが出来るのです。

 

 

そうしながら日々、自分の心を守りながら生活できるようになったのもカウンセラー養成講座を学んだからこそ。カウンセラーにならないとしても、身につけたら生きるのがラクになるなと思いながらの再受講です。