心の構造を再構築するRCメソッド認定カウンセラー -320ページ目

創造を否定するか肯定するか

はい、日曜日なんで神様関連です。

 

クリスチャンの方々はもちろん聖書の創造論を信じていると思います。

なので自分自身が神に創られ命を与えられたと言うことは理解していると思います。

 

まぁ、そこでですね。

 

自分のこういう所が嫌い

自分がもっとあの人みたいだったらいいのに

こういうのが出来ない自分はダメだ

 

って思いますかね?

それが、もし傷とかゆがみから来てるんだったら、苦しいならば治して貰えば良いじゃない?って話なんですけど

治し方だってちゃんと聖書に書いてあるけどそれが解らないからカウンセリングが必要になる… (私の事ですけどー)

 

傷じゃなくて個性や性格、産まれ持ったものだったとしたら

 

神様の創造(自分や他者)を不満に思いますか?子どもを産むときだって性別も性格も個性も、選べないのですよね。

自分は命を創造できないけれど、不満だけは言えちゃう。

 

 

神様は、うん!最高!完璧!って思ってるのに

、創造への否定をしてしまう。

 

 

 

私はおそらく、生まれつき生理的欲求が強いタイプです。

たっっぷり寝たいし

美味しいもの大好きだし

性に対してもとても好奇心旺盛

ついでに衝動的

 

悪く言ってしまえば、ダラダラ寝過ぎて朝弱いし

美味しいものが好きすぎて食べ過ぎちゃうことあるし

性に対して好奇心旺盛だから一歩間違うとクリスチャン的には姦淫の罪をやっちまいかねない。やらないけど。

 

生理的欲求が強く生まれているとそれをセルフコントロールするのは、そうではない人と比べると倍の努力が必要。

 

衝動的なのも好奇心が旺盛なのと合わせて、やってみたい!!って何にでも興味を持ってすぐに動こうとする。脳内多動なのです。衝動を抑えるというのが苦手。やりたいったらやりたいのー!っておかげで多趣味です。

 

 

でも、それが私の創造された姿なら

その創造に責任を取って下さるのも神様です。

 

だから心配しなくていい。

私をそのように創られたからには私はその創造にゆだねて生きればいいわけです。

 

 

創造された自分をどうしても好きになれないですか?

どうしてでしょう。

なぜ嫌いになったのでしょうか?

私のようにカウンセリングが必要かも知れませんね。

その問題は誰のものか

GWですねー

ちょっとのんびりしすぎて遅めの更新です。

 

今日は境界線の話にしましょうか。

実は過去に自分が何を書いてきたかあまり覚えていないので、同じ話をなんどもしてたりして…(笑)と思ったりしています。

そのうち記事も整理していかないとですね。

 

さて、家族や周囲の人が間違ったことをしている、道を踏み外している。

心配だ。

 

って良くあることだと思うんです。

 

カウンセラーの元に「うちの子が不登校でどうしたら良いですか!?カウンセリングして《治して》やってください!」とか。

 

心配なんですね。

このままじゃ、ちゃんとした社会人になれないとか、本人が苦しんでる悩んでる、とか。

 

 

でもその心配って、本人のものじゃありません。

親の不安を解消するために、子どもを動かすというのは境界線侵害です。

 

本人が、将来不利益となるとわかっていても、学校に行きたくないのであれば、それは本人が背負うべき事です。

 

学校に行きたくない≠勉強したくない

 

学校に行かなくても勉強は出来ます。

将来のために知識を蓄えることも成長することも出来ます。

本人が願えば、大学も行けます。

 

心配は子どもを動かすことで解消しようとせず、自分で背負えばいいと思います。

 

 

間違った道を歩くこともあるでしょう。

でも本人が幸せなら、何も言うことはありません。

だって自分の人生ですもの。

 

回り道だって遠回りだって、良いのではないでしょうか。

 

もちろん成人してまで養ってやる義務もありませんけどね。

従うから自分で考えるへ

さて、昨日の記事では親に従う事が大切であると書きました。

そして同時に成長と共に本人に任せていく範囲であるということもちらっと書きましたね。

 

乳幼児の段階では、子どもはまだ何が安全で何が危険か解りません。

そのため親が子どもを守る必要があります。

そのため、親のNOやSTOPに敏感である事が大切になります。

 

しかし親はずっと子どもを従わせる訳ではありません。

成長と共に少しずつ自分でやらせていきます。

 

例えば、2才児とは手をつないで歩きます。

一瞬の油断で車道に飛び出すかも知れません。

手をつながないタイプの子であれば、賛否両論あるアレをつけますね。

子ども用のハーネス。

 

うちでは息子が一瞬の隙をついて手を振り払って行ってしまうタイプだったので安全のために何度か使いました。ついでにいえば行方不明にもなるタイプでした。

 

2才児はまだ自分で安全危険を判断出来ないので絶対に外では手をつなぎますが…

5歳前後だと、場所によっては一人で歩けます。

駐車場や、交通量が多い場所など、すこし危険の度合いが強い場所だとまだ周囲に目を配れないので手をつなぎます。

 

2才と5才とでは達成出来ている成長に差があるので、自由を与えられる範囲が違ってきますが、これは年齢で判断出来ません。

 

5才の間に、超ド田舎に住んでいて自動車事故というものがピンと来ない、横断歩道も島に一個もない…という所まで極端な環境だったら、5才でも島では野放しに出来ても、街に出たときにはガッチリ手をつなぎますね。

 

つまり○歳だからこれが出来る、ではなくて親が与えた価値観や教育がどれくらい浸透しているかが目安になってきます。

 

子どもが成長して○○がしたい、という段階に来たときにそれを許可するかどうかもその都度その子の成長度合いによって与えることが出来るかどうかを決めます。

 

手の筋肉が発達していない子に、カッターや彫刻刀や包丁を持たせるのは危ない。しかししっかり手を使えるようになっていれば簡単なことから練習が始められる。

 

金銭感覚がしっかりついたら、任せられる金額が徐々に大きくなる。など。

 

どんなことにも応用できます。

 

本人が自分で良い選択を出来るようになっていると親の方も安心して自由を与えることが出来ますよね。子どもを信頼し任せることへのハードルが低くなります。

 

思春期の頃に安心して任せられるくらいになっていると、適切に決定権が譲渡されているので子どもにもストレスが無く親子の衝突もグッと減っているかと思います。

ただでさえ揺らぐ時期。

我が家も思春期×2名。

蓄積された10年がどうだったかという結果を見ている気がします。