心の構造を再構築するRCメソッド認定カウンセラー -321ページ目

叱ること

時には叱ることもありますが、実はそれほど多くはありません。

 

でもね。

お母さんだって傷ついたよ-!!

って事は伝えて良い。

 

怒ってるよ。

悲しいよ。

傷ついたよ。

痛いよ。

 

我慢しなくて良い。

自分の気持ちを伝えて良い。

オモチャ投げられたら嫌だし、お母さんに向かってツバはいてきたらむかつくし。

 

でも、この気持ちどうしてくれるんだ-!とか

責任取りなさいよ-!とかじゃなくて。

 

○○されたのが嫌だったから今は仲良くできる気持ちじゃない。

ってお母さんだって言って良いですよ。

 

 

そしてね

叱る≠怒る

叱る事って怒る事じゃないですね。

怒るって言うのは感情を何かの対象にぶつける事です。

 

上記の怒ってることを伝えて良いというのは怒りをぶつけて良いということではありません。

怒っている、という事実を伝えるということです。

腹が立っている、怒りをもっている、むかむかしている。

今私はそういう状態です、という事を伝える。

 

 

叱るというのは、対象が良い方向に行くように気付きを与えたり学べることを与えること。感情的にはならず冷静に、良くなかった点を指摘して良くなるべき事を伝える事。

別に優しくする必要も厳しくする必要もありません。

指導する要素が強いです。

 

 

さて、しかし。

そんなことでは子どもは言うことを聞かない。

そりゃそうなんです。

子どもですしね。

 

 

まず第一に、親がぶれない必要があります。

ダメなものはダメ、絶対に譲らない。

今日は良いけど明日はダメとか

いつもはダメなのに友達がいるときは良いとか

いつもは怒るのに他の人が居るときには、だめよ~って軽く言うだけとか

 

枠が曖昧だと子どもは何が良くて何がわるいかわかりません。

 

大人でも、そうじゃないですか?

会社で上司がしょっちゅう言うことがころころ変わる

昨日はこれでよかったのに今日は怒り出した

社長が居るときは態度が良いのに居なくなるとピリピリ、ガミガミ、ねちねち

 

一貫性のない上司についていきたいとは思いません。

 

私も日々、あぁ-。

ブレてるなぁ~って思うところはあります。

まだ子どもも小さいですしね。

そのたびに調整です。

いつでも一貫性を保つことが出来ないルールであれば見直した方が良いですね。

単純で解りやすく、明確、かつ子どもが混乱しない程度に。

また、幼いほどに多くのことを守るのは難しい。

年齢に応じた量のルールも考える。

しかし一貫して、親のNOを守るというのが大事になってきます。

叱るべきことと、叱らないこと

子どもを育てる上で避けて通れないのが躾ではないでしょうか。

 

躾しない主義の人もいらっしゃるようですけど。

まぁ、それはそれで選択だと思います。

 

 

さて、多くの方が子どもを色々な場面で叱ると思います。

ですが、叱ることが必要な場面と、叱る必要がない場面とが混ざってしまっている場合が多いようです。

 

特に、叱る必要のないこと

・失敗

・出来ない

・忘れ物

・おもらし

・こぼした

・遅刻

・食べ物の好き嫌い

 

などなど。

要するに

 

苦手・未熟・個性・好み

 

お水をこぼしたというのも

ただ手が滑ってこぼしたのか

何度も注意されたのにふざけててこぼしたのかで意味が違ってきます

 

後者の場合は、こぼしたことではなく親の指示に従わなかったことが問題になってきます。

親の指示に従うというのは幼い頃はとても大切です。

「道路に飛び出さない」 という指示を守らなかったり、「ストップ!」という声かけて止まれなかったりすると、事故に遭う危険性があります。

親の指示に従うというのは安全な保護の範囲の中にとどまる事を意味します。

 

命令に従う、軍隊のようになるという意味ではありません。

成長と共に自分に任されるようになる範囲です。

なので、幼い頃に、子ども自身が、コレは従おう、コレには従わないぞと自分で決めていたら、安全か否かなどまだ判別できないこともあるので、一貫して安全の枠におさまっている練習が必要です。

そのため、ふざけないのよ、という指示にも従う必要があります。

自分で出来るようになっているなという成長を確認して徐々に枠が減っていくのです。

なので、こぼしたことは結果であり、叱りません。

些細なミスでこぼしたのであればそれもゆるします。

 

若干話がそれましたが

遅刻・忘れ物も叱る対象ではありません。

未熟さや苦手がそこにあるのです。

 

《出来るようにならないと社会人になった時に困るじゃないか!》

 

そう親は心配しますね。

しかし、出来るようになればいい!ではなく

どうしたら出来るかな?

どうしたら困らないかな?

という事を一緒に考えてあげる必要があります。

 

違いがわかるでしょうか。

出来るようになれというのは、とにかく特訓、訓練、慣れで自然にそれが出来れば良いという事です。逆に言えば出来なければ悪い。

しかしそれが苦手な人には負荷が大きく、出来ない自分はダメという自己否定が植え付けられます。

 

しかし、どうしたら出来るかな?というのは、出来ない自分を肯定して良いよ、そういう苦手があるんだよね。という肯定です。

しかし、出来ないままだと確かに困ります。だから 《どうしたらいいだろう?》 という工夫を考えるのです。

 

 

本当に大人になったときに困るのはどちらでしょうか?

出来ない事、苦手なことを必死になってやることよりも

 

どんなに苦手や出来ない事、仕事でのトラブルがあったとしても

《どうしたら出来るのかな?》 という工夫を考える事が出来るチカラが備わっている方が、どんなことにも対応可能なのではないでしょうか?

 

だから叱らない事なのです。

未熟さ、失敗、出来ない事は助けてあげる必要があります。

熱中しない子どもに悶々とする

子どもの才能を見つけたい!

子どもの能力を伸ばしてあげたい!!

 

親ならばそう思うのではないでしょうか。

産まれ持った才能は何だろう?そう思って色々な習い事をしてみます。

 

何か一つに楽しい!と思って熱中して取り組むことを思い描きませんか。

楽しくレッスンを受ける姿を思い描きませんか。

柔道や空手とかのスポーツでも、諦めずに食いついていく根性を持ってくれとか思いませんか?

嫌だ嫌だとだらけて行く姿よりも生き生きと取り組む姿を見たいのでは?

 

やめたい~~

もうやだ~~

 

もっと頑張ってくれないかな、どう説得したらいいかな…と思うかも知れません。

 

 

確かにのぼりつめるのであれば、幼少期からトコトン積み重ねて努力しなければならない分野のことはいくらでもあります。

スポーツも音楽も。

勉強は大人になってからでも遅くはありませんが、技術的なものを必要とするものは資質と積み重ねが必要です。

語学も勉強したり話せるようになるのは大人になってからでも出来ますが、聞く耳と発音は幼少期でしか会得できません。

 

 

「何をやらせても、やる気が無くて、向いてないのかなと思うけど何かに興味を持って欲しい」 と言ってるのを聞きました。

そうですね。

確かに何かに夢中になってくれて、その得意を伸ばしてくれたら嬉しい。

 

ですがその前に。

誰でも好みや興味関心はあると思います。

しかしそれを突き詰めて研究したり極めたいと思わない人が居ます。

それが、産まれ持った個性。

落ち着いて変化のない安定した生活を愛する。

ふとやりたい事があれば少しやりますが、極めなくても満足。

 

 

 

そして何より大事なのは

我が子が 《何者か》 では無くても良いという事です。

優秀であったり才能が花開くのは二次的なこと

第一に 《あなたが何も出来なくても産まれてきてくれたあなたの存在そのものが尊い》 と言うことを受け取るのが何よりも大事なことです。

 

勉強が出来なくても、得意が無くても、特別じゃなくてもいい。

我が子を特別な誰かにしなくても良いのです。

 

存在が肯定されて初めて個性が花開く

何も出来なくても良い、と思うのは簡単なようでとても難しい。

 

 

子どもの評価が親としてきちんと育てられているということに直結しているのであれば分けて考える必要もあります。

恐らくそれは、親自身も自己肯定出来ていません。

子どもを肯定する事は、自分自身を肯定出来ていてこそなのです。